Queen of the night02

「体温が少し低いけど、其れ以外は至って良好。健康状態に問題はないね。」

 Dr.ロマニアーキマンは、真白の内装に照明が反射するうら寂しい診療室にて、端末に表示された診察結果を眺め見た後此方に向かって穏やかに微笑んだ。消毒液とリネンの香りに満ちた室内には彼の声の他に音はなく、侘しい静けさに包まれており其の静寂が心地良い物であった為に私は彼の声に頷くばかりで何の言葉も返さなかった。
 直属の上司であるDr.の事は嫌いではなかったが、彼との面談は私にとって酷く憂鬱で面倒以外の何物でも無い。彼の微笑みは慈愛に満ちていながらも心の内を見透かされているようで居心地が悪く、私の顔は彼を向いていながらも其の視線は彼の奥に有る壁掛けの絵画に佇む貴婦人を捉えている。

「まだあの夢を見るのかい?」
「…はい。」

 Dr.が問うたので、今度はきちんと瞳を向けて、短い返事と共に首を縦に振る。彼は溜息を吐いてから小さく唸り、ペンの尻で顳顬をノックする。其れは苛立ちからくる物ではなく、私の夢について思い悩んでいるが故の行為なのだ。暫くそうした後で、彼のへの字に歪んでいた唇が何度も聞いた見解を吐いた。

「以前も話したと思うけど、子供の頃から毎晩全く同じ夢を見るなんて症例は聞いた事が無い。」
「はい。」
「夢というのは、心理学的には顕在夢や潜在思考に分類されるんだ。神経生理学的に言えば記憶の断片を脳が組み立て一つのビジョンとしてレム睡眠時に出現させている。夢の中に現れる…そうだ、ささくれのある古い扉とか、花の香りなんかだけど。夢を見始めた頃に強く印象に残ったものは無いかい?」

 この質問によっていつも頭に思い浮ぶのは、嘗て両親が傾倒していた宗教の事だ。立ち入りを禁じられたあの部屋。然し扉の向こうからは強烈な光が漏れていたり花の香りが漂っていたりはしなかった。詠唱も女の呼び声とはまた違っていたから、幼少期の出来事は直接的な要因にはなり得ないだろう。

「医者として言うべきなのは、夢の内容よりも夢によって睡眠が中断されてしまう事だね。日常で眠気に襲われる事はないかい?」
「ランチの後は少々。」
「あはは!それは皆だから安心して。まあ脳波も正常だし身体的な不調は無いから直近の心配は不要かな。」
「夢は日常生活に何の支障もきたしていません。ですから…ドクター。お気持ちはありがたいのですが、もう面談の必要はありません。」

 そう、何の異常も無い。私は健康体であり、異常な夢を見る以外には他の職員と変わらないのだ。そんな人間に同じ質問をする行為は無駄である。
 うんざりした様を見せないよう努め、今まで言えずにいた断りをきっぱりと告げれば彼は其の意図を汲めないでいるのか、一瞬キョトンとした後に小首を傾げ、高く結い上げた宍色の頭をふわりと揺らす。

「どうして?」
「お仕事で忙しい中、何の異常も見られない私の為に時間を割いて頂くのは申し訳ないので。」
「検診後の面談も僕の仕事なんだけどな。」
「それは数値に異常が見られる人に対する措置です。私は別でしょう。」
「でも君は悩んでる。僕以外に夢の話をした事はないんだろ?不安な事や悩み事は誰かに吐き出した方が楽になるよ。毎回同じ事を聞かれても困るだろうけど、それでも精神的には抱え込むより良い。」
「それはそうですが…。」
「君のケアは上司である僕の役目。カウンセリングが僕の負担になってるなんて考えないで欲しい。」

 落ち着いた声音には一切の威圧も強制も含まれてはおらず、彼は親切で進言している。彼の人柄を知っている私には其の善意は確りと伝わっている筈なのに、夜の森に煙る霧のように、胸中には漠然とした不快感が充満していた。あの時に夢の話などしていなければ、鬱屈とした顔を彼に見せる事も、後悔と煩わしさで厚意を無碍にしてしまう自分を酷く嫌悪する事も無かっただろうに。
 これ以上何を言っても無駄であり、カウンセリング以上に無益な時間を過ごしてしまうと判断した私は、彼の柔和な笑みに従順なふりをして愛想笑いを返し、日本人らしく行儀良くお辞儀してから居心地の悪い診療室を後にした。

 息苦しい診療所とはうってかわって、職員が疎らな廊下は開放的で何処か安心する。此処に居る者は皆他人であり私に対して無用な心配を抱いたりせず、其れどころか視線を向ける事もない。私が咳払いをしたとして、溜息を吐いたとしても此方を見ることは無いだろう。
 無関心の騒めきの中、少し早めの休憩を入れる為に食堂へ足を進めていると、すぐ近くで私の名を呼ぶ者があり反射的に足が止まる。声の方向へ髪を揺らして振り向けば、其処には表情の無い顔を此方に向けるデイビット・ゼム・ヴォイドの姿があった。彼は私の斜め左後方、十メートル程度離れた位置に立ち、一心に私を見つめていた。彼に呼ばれる理由は無いし話す事も無いのだが、はっきりと名を呼ばれ反応してしまった手前、無視して立去る訳にもいかず軽く会釈をすれば、彼はブーツの靴底を重く鳴らして此方に寄って来た。
 面談の際にも感じた事だが、この男は体躯が大きい。上背の高さも然る事ながら力強い骨格に纏う厚みのある筋肉が服の上からでも伺える。仏頂面も相まって、その身姿には威圧感が有った。数日前に初めて顔を合わせた顔見知りとも呼べない女に一体何の用事が有るのだろう、と気圧されそうになりながらも顔を見上げれば、彼は表情を崩さずに言った。

「先日は悪かった。君を責めるつもりは無かったんだが。」
「え、いえ…。」

 予想打にしなかった謝罪の言葉に狼狽しながらも何とか返事をすれば、彼は漸く仏頂面をやめて薄く笑みを見せた。雪融けという表現が相応しい笑顔は、冷々とした美貌を際立たせている。人らしい表情を目にし僅かに親しみを覚えたのか、私の口からは初めて彼と顔を合わせた日より抱いていた疑問が漏れ出していた。

「あの日の質問の意味を聞いてもいいですか。」
「…ただの冗談だとはとれないか。」
「そんな冗談を言う人には見えません。ずっと考えていたんです。初対面の貴方に何故あんな事を聞かれたのか。」
「此れは今の段階で口にすべき事ではない。」

 ヴォイドは明らかな動揺を瞳に映し、瞬きもしない。目を逸してはいけない気がして彼の瞳をじいっと見詰めていると、紫の底に沈む幾重にも重なった円がぐるぐると渦巻いている錯覚をした。

「では何故私に告げたんですか?問い詰められると分かっていた筈では。」
「君がこれ程気丈な性格だとは想定外だった。」
「すみません、でも気になったもので。…それよりもこれから食堂へ行くところだったんです。」

 この一言で私の意図を察したヴォイドは無言で頷く。 私と彼の取り合わせは酷く珍妙な物のようで、先程まで此方を見向きもしなかった職員達は、食堂へ二人並んで歩く私達を穴が開くほど凝視していた。
 昼食には僅かに早い時間ということもあり、食堂はそれほど混んではいなかった。私はチキンのランチセットを、彼はコーヒーのみをトレイに載せ、会話を聞かれたくなかったのでカウンターから一番離れた壁際のテーブルに腰を落ち着けた。彼は腰を下ろしてすぐにカップを傾けコーヒーを飲み下したが、彼を食堂に誘ったのは食事をする様を見てほしいからではない。フォークを置いたまま、彼がカップを置くのを待ち漸く話を切り出した。

「それで、」
「オレの所感を述べるよりも先に君の話を聞かせてくれないか。」
「私の話?それはこの話と関係の有る事なんですか?」

 彼はまた無言で頷く。元来寡黙な男なのだろう。とは言え私の話とは、何を話せばよいのだろう。無意識の内に怪訝な表情を浮かべていたのか、彼は私を見て口元だけで笑む。職業柄、会話の主導を握るのに長けているはずであるのに、如何にもこの男の前では本調子が出ない。

「君の懸念はなんだ。」
「懸念?将来とか、人類史の行く末とか?」
「冗談が下手だな。」
「よく言われます。」
「他人とは違う、特殊な体験をしているんじゃないか。それも出生の瞬間か自分自身を自覚した始めた頃からだ。」

 まるで私の脳内を見透かした様に確信を持った物言いをする。何もかも分かった上で答え合わせをするような。

「夢を見るんです。物心付いた頃から全く同じ夢を。両親が亡くなって実家を出てからは見なくなったのに、カルデアに来た途端にまた見始めて。実害は無いので気にはしてないですけど。」
「どんな夢だ。」
「瞼を閉じた瞬間に、私は真っ暗な空間に裸足で立ってるんです。暗闇の一番奥に白い扉があって、其の存在を認識すると耳元で女性の声がする。其の声は扉の向こうへ誘う癖に、扉の内側には入れてくれないの。扉を叩いて叫んで、そこで目が覚めるんです。」
「全く同じ夢を何年も見続けるのは異常だろう。実害は今出ていないだけだ。」
「それは?」
「オレが見たものは禍々しい狂気だ。何かが君に巣食っている。恐らく其れが夢を見させているんだろう。」
「私に巣食う物が何か、貴方には分かりますか。」
「確実なところは分からないが呪いの類だとは思う。」

 不確定であるのはその正体で、彼が質問の答えを渋ったのはこれが原因らしい。Dr.とはまた別の見解を突き付けられ戸惑いつつ藁にもすがる思いで彼に問うたが、異端の天才にも其れを暴く事は難しいようだった。今害がないだけだという事は、其れはいずれ私に牙を剥くのだろう。
 途端に焦燥と恐怖に駆られ、血の気が引いていく感覚がする。
 
「君が望むなら調査してみよう。」
「え…何故?」
「命の危険が差し迫っている人間を放っては置けないという正義感と知的好奇心だ。」
「…冗談が下手って言われませんか?」
「良く言われるな。」
「やっぱり。でもどうやって調査を?」
「その辺りの有識者にはツテがある。」
「なるほど。時計塔には多分野の魔術師が揃っていますしね。」
「時計塔には無い。追い出された身だ。」

 差し伸べられた救いの手がこれ程逞しく頼もしい物であれば取らない理由はないだろう。調査を頼めば、今度は笑顔を以て短く返事を寄越した。笑った顔は存外幼い。
 食事と軽く世間話をした後で彼と別れ食堂を立ち去ろうとした私の肩を、後方に強く引く者があった。小さく息を漏らして振向いた先には、鬼気迫る表情で丸い目を見開くエイミーがいた。彼女は此処が公共の場だという事を知りながらも容赦なく、皆に聞こえる程大きな声で問う。

「ヴォイドと何話してたの?いつの間に仲良くなったのよ!」
「ちょっと!声が大きい。彼にさっき廊下で呼び止められたの。別に仲良くしてるわけじゃ、」
「言い訳は良いから。何話してたのか知りたいの。」
「特になにも。世間話と先日の非礼を詫びてもらっただけ。」

 得体の知れない何かの話を彼女に伝える事もできず、それとなく言葉を濁して誤魔化した。その答えに彼女は腑に落ちない様子を見せたがお互い始業の時間が迫っていた為に会話を切り上げ、私の肩から手を下ろして医務室へと向かう事にした。
 職場へ向かう道すがら、最近公開された映画についてやカルデア内の恋愛事情など、さして中身の無い会話をした後でエイミーが「あ、」と何かを思い出して声を漏らした。

「そういえば聞いた?」
「何を?」
「幽霊の話。」

 彼女は、だれそれが二股を掛けているといった身も蓋もない噂話をしていた時とはうってかわって至極真面目な顔をして言った。

「馬鹿みたい。こんな綺麗な場所に幽霊なんて出る訳ないでしょ。」
「私もそう思う。信じてる訳じゃないよ?ただ、夜勤の休憩中に白い服を来た女が歌いながら廊下をふらふら歩いてるのを技師のパトリックが実際に見たって言ってたから。」
「歌う幽霊、ね。学校の怪談みたい。」
「何よそれ。」
「ありきたりな話って事。サマンサが二股かけてるって話くらいくだらない。」
「言っとくけどサマンサの二股は本当だから。」
「幽霊もサマンサもどうでもいい。」
「それは私も同じ。でも夜勤が回ってくるの、ちょっと怖いな。私も見ちゃったらどうしよう…!」
「魔術師が幽霊怖がってどうするの?ダヴィンチ女史も四捨五入したら幽霊みたいなもんでしょ。」
「ダヴィンチちゃんは英霊!透けてもいないし足もあるし会話もできるじゃない。全然違うわよ。」

 自分から持ち出した話に怯え、両腕を抱きしめる気楽なエイミーが心底羨ましい。自分の中に害を成す何かがいると聞かされたばかりの私には居るかどうかすら分からない幽霊に割く恐怖は無い。
 そういえばさ、とまた話題を切り替えて朗らかに笑う彼女を見ながら、私は私の力になると約束をしてくれたヴォイドの笑顔を思い出していた。