私が勤める小児科医院は近隣の幼稚園や小学校の健康診断を請け負っている。
だから隣町の小学校へ行くのも珍しくはないけれど、流石に一人でやるのは疲れる。

「はぁー…きっついなぁ」

保健室の先生とか、各クラスの保健委員の子が手伝ってはくれるのものの、やっぱり低学年の子達は元気いっぱいなこともあって疲れる。
一気にあれだけの人数を診るのは正直言ってしんどい。
おまけに体力ないせいで終わった頃にはヘトヘトだ。
フラつく体で公園のベンチに座れば、一気に押し寄せる疲労感。

「もう無理うごけない…」

思い切り背もたれに寄りかかりながら空を仰げば、ひょっこりと現れた顔。
…え、何事?

「お姉さんすっげー疲れてんね」
「うん、お姉さんお仕事帰りでとってもお疲れなんです」

学ランを着た青年に返せば、彼はじゃあと言いながら手の中から一輪の薔薇が姿を現した。

「え、なにそれ凄い!!」
「喜んで頂けて何より。ってことでこれは仕事頑張ったお姉さんへのプレゼント」

にかっと笑って薔薇を差し出す彼はマジシャンだろうか。

「ありがとう。君マジックできるなんてかっこいいね」

薔薇とかちょっとキザだけど、それでもまるで魔法のように手から出すのだから凄い。

「これマジック見せくれたお礼」
「…飴?」
「うん。うちに来る子達に一番人気の味」
「じゃあ遠慮なく。ありがと、お姉さん」
「こちらこそ、ありがとう。おかげで大分元気になれたよ」

さっきまでの疲労感も少しはマシになったし、そろそろ帰ろう。

「もう帰るの?」
「うん。一旦職場に戻らなくちゃいけないからね」
「そっか。気をつけてな!」
「君も、帰り道気をつけるんだよ」
「子供じゃないんだから大丈夫だって」

ひらりと手を振れば、彼も同じように返してくれた。
人懐っこくて親切ないい子だったなぁ。
きっと人から愛される人柄というのはあの子みたいな子を言うのだろう。
一緒に居る人まで元気にしてくれるような、そんな子だと思った。

ーーーーーーーー

「あ、雫さん、こっちこっち」

病院で事務作業を終えた帰り道、ふらりと立ち寄ったポアロには丁度蘭ちゃんと園子ちゃんも来ていたらしい。
私を見つけて直ぐに呼ぶ園子ちゃんに嫌な予感がしつつも同じ席へ着くことにした。
この子たちに捕まると大抵恋バナだからなぁ…聞くのはいいけど私自身の話についてはノータッチでお願いしたい。

「そんな顔しなくても…」
「顔に出てた?」
「うわ、今度はなに?って顔に出てたわよ」

どうやら完全に気が緩んでいたらしい。
ごめんごめんと謝ると、突き出すようにして見せられたタブレット。

「なにこれ」
「いいから見なさいって」

タブレット端末の液晶に表示されたのは、何処かの美術館の屋根だろうか。
言われた通りに黙って眺めて居ると、突然現れたのは白いタキシードにシルクハットの青年だった。
彼を追うように現れる警察関係者を、スマートな動きで交わしながら走る姿はまるでドラマや映画を観ているようだった。
そして屋根の端へと追い詰められたかと思えば、背中から飛び出たグライダー。
…え、なにこれかっこいい。
ガシャン、バッ!ってなった。
語彙力に関しては大目に見てほしい。だってアクションとか観たらわあ!とか、おお!ってなるじゃん。特撮とかさ。
つまり、私にとってこの映像はその手の物と同じだった。
タキシードの裾がひらりと風に舞い、まるで真っ白な鳩のように飛び立つ姿は言うまでもないが、あえて口にしよう。

「なにこれかっこいい…!!」

思わず拳を握って見入った。
ヒーローが変身した瞬間だとか、バイクに乗って登場した時とか、ヒーローをバックに爆発するとか、とにかくその手のものを見た時と同じ胸の高鳴りを感じた。
つまりかっこいい。この一言に尽きる。

「え、すごいねこれ!どうしたの?」
「あんたまさかキッド様知らなかったの?」
「キッド様?初めて聞いた。でも凄いねキッド様!」

キッド様か、なんかこう、キラキラしてるしめちゃくちゃかっこいいね。
思わず興奮気味語る私は側から見たら完全に小学生男子レベルだろう。
でも仕方ない。かっこいいものはかっこいい。

「そうなのよ!キッド様は凄いんだから!」
「園子ちゃんはキッド様のことよく知ってるんだね」
「そりゃあもう!なんたってファンだからね!」
「凄い!流石だね園子ちゃん!私もキッド様のこと知りたい!」
「雫さんもキッド様の虜なんて流石キッド様!いいわ、教えてあげようじゃない!」
「そ、園子、その辺にしときなって…!」
「なぁに言ってんのよ蘭!あの雫さんがヒーロー以外の男に興味もったんだから教えるに決まってるじゃない!」

なんでも教えてあげるわよ!と胸を叩く園子ちゃんは頼もしかった。
怪盗キッドか、凄いなぁ…スタントなしであの動きとかもそうだけど、なんかこう、思わず見ほれてしまうのだ。

「因みに生で見れるチャンスがあったり」
「え、ほんと!?見れるの!?」

な、なんだって…!?ガタリと立ち上がった私に、同志よと言いたげに手を差し伸べた園子ちゃん。
勿論両手で掴んだ。蘭ちゃんは顔を覆って俯いていた。
ごめんね、大人気ないとわかっていても、かっこいいものはかっこいいんだよ。アラサーだって少年心を忘れない綺麗な心を持っているんだよ。
どうやら園子ちゃんの伯父にあたる次郎吉さんが怪盗キッドに挑戦状を叩きつけたらしい。
鈴木財閥凄い、凄すぎる…!怪盗に挑戦状叩きつけるのもそうだけど、必ず来るキッドも凄い。何これフィクション?特撮じゃない?ノンフィクションとか嘘でしょねえ。
私のテンションは上がりっぱなしだ。

「へぇ、怪盗キッドですか。是非とも僕もお目にかかりたいものですね」

ねぇ、雫さん?とやけに圧を込めた語り口調で声を掛けるのは、言うまでもなく安室透だった。
いつも通りの笑顔を浮かべている筈なのに、その裏にはお前いい加減にしろよ。という言葉が隠れている気がするのは私だけだろうか。
でもね、仕方ないと思うんだ。
だってかっこいいんだもん!!!


ーーーーーーーーーー

「コナン君ってさ、本当に小学生?」
「え、急にどうしたの?」
「キッドキラーってかっこいいなって思って」

何言ってんだこの人。
キッドをおびき出す為に用意された部屋の中で、好奇心を隠しきれない子供のような顔をした彼女は楽しみだね!とこれまた子供みたいな顔で笑った。
何故か今回は安室さんまで来ていたが、もしかしてこの人のお守りを兼ねてるとかじゃねぇよな?…いや、流石にないか。雫さんもいい歳した大人だしな。
飾られた宝石にはなんか高そうだね。という興味なさげな感想をもらしていたが、彼女にとっては宝石はおまけでしかないのだろう。
まぁ俺も同じようなものだけど。

「予告時間までまだ時間あるし、他の展示も見て回りましょうか」

すっかり貸切状態になった美術館を見て回るのも悪くないだろう。それに館内の作りも知っておきてぇしな。
でも今回は安室さんも居るからやり辛そうだな…キッドに興味があるようには見えないし、なんであの人着いてきたんだ?

「雫さん、余所見しないでくださいね」
「してませんけど」
「本当に?」
「…ちょっと御手洗い行ってきます」

…いや、やっぱあの人雫さんが居るから来ただけじゃ…?
偶にシスコンっぽく見えるのは気のせいだと思っていたが、よくよく思い返すとそれっぽい言動もあったような…

「どうしたのコナン君、おいてかれちゃうよ?」

蘭の呼びかけに急いで駆け寄った。
…ま、考えたって仕方ねぇし、今はキッドに集中するか。

ーーーーーーーー

こっわぁ。兄さんこっわぁ。
キッドをかっこいいかっこいいと言い過ぎたのか、笑顔で圧をかけてくる兄さんは怖い。
監視も兼ねて来て居るんじゃ…と思うくらいには怖い。
でもかっこいいものはかっこいいのだから仕方ない。

「余所見なんてしてないのになぁ」

特撮とかヒーローとか、そんなものとは比べ物にならないところに居るのが兄さんだ。
そもそも土俵が違うのだから比べようがない。
だってヒーローのそばにいたい、だなんて思わないし。
そろそろ戻ろうかと御手洗いを出た瞬間、館内の照明が落とされた。

「…えぇ」

怪盗キッド生で見れないとかそんなオチだけは勘弁してほしい。
とりあえず携帯の光を頼りに、宝石が飾られている部屋まで向かうとそこには誰も居なかった。
…あれ、みんなまだ来てないのかな?
とりあえず中に入っておこうと足を踏み出そうとした時、

「それ以上はやめておいた方がいいですよ」
「…え」

背後から聞こえた声に振り向けば、そこに居たのは怪盗キッドだった。

「キッド!!」
「雫!!」
「残念。どうやら会話を楽しむ時間はないようですね」

続いて聞こえて来たのはコナン君と兄さんの声だった。
だというのに彼は余裕の笑みさえ浮かべて、そして私へ体をよせた。
片手を背中に添えるように抱き寄せて、もう片方の手が体の横をすり抜ける。

「これは今からお見せするマジックのお代としていただいていきますね」

目の前で開かれた手の中には、以前マジックを見せてくれた青年にあげたのと同じ味の飴玉だった。

「一番人気の味を頂いたからには、今宵は貴女の為にマジックショーをお見せしましょう」

囁くように語りかけた彼にとうとう限界だった。
タキシードの裾を翻すようにして宝石の元へ向かう彼はそれはもう、優雅でかっこよかったが、正直それどころじゃなかった。

「大丈夫か!?」

へとり、と腰が抜けた私を支えるようにして抱き止めた兄さんにしがみついて、一言呟いた。

「か…かっこいい…っ」
「…は?」

だめ。むり、ほんとむり。
離れる間際に見た顔はとても綺麗で、あんなにもキザなセリフは嫌いだったのに、彼の口から紡がれるそれはとてもキラキラしていた。
あれは反則だ。

「怪盗キッドがかっこよ過ぎてもうむり…今顔見ないで、むり、ほんと無理」

一気に熱を帯びる顔は乙女かと言いたくなるレベルで熱かった。
顔を覆いながらも、キッドの姿を見なくてはと指の隙間からのぞけば、彼はコナン君へと銃を向けていた。

「…もうなにあれ…すき、普通にすき」

銃口から現れた小さな国旗のお茶目さときたら、かっこよくてかわいいとかもう訳がわからない。すき。
語彙力なんてものは既に消滅していた。
むり、かっこいい、すき。
この三つしか喋れない。

「…怪盗キッド、今日で奴の運命も終わりだ」

何やら物騒なことを呟きながら立ち上がった兄さんは、コナン君同様キッドを追いかけ始めた。
え、何この展開。

「残念、彼女にお見せできるのも此処までですね。もう少しお見せしたかったんですが、仕方ない」

ぽん、と目の前に現れたのは一輪の薔薇。
あの時みたいだと思った。
元気のない私を励ますように薔薇をくれた彼を思い出した。

「やっぱり貴女は笑顔が一番素敵ですね」

僕から貴女へのプレゼントです。
そう言って窓から外へ飛び出た彼は、それはもうかっこよかった。
コナン君と兄さんの二人が後を追った直ぐ後にかけて来た園子ちゃん達には、物凄く心配されてしまった。
そりゃあね、薔薇握りしめながら顔を覆って俯くアラサー見たら何事かって思うよね。
だって凄い破壊力だったんだもん、こうもなる。
その後、キッドから貰った薔薇はあの青年がくれた薔薇と一緒に部屋に飾ることにした。
その薔薇を見るたびに兄さんが微妙な顔をしていたけど、捨てるような真似はしなかったから安心した。

ーーーーーーーーーー

結局キッドには寸前のとこで逃げられたが、宝石は無事返された。
安室さんが加勢した時は驚いたけど、それよりも驚いたのは戻って来た時に見た雫さんだろうか。
薔薇を握りしめながら顔を覆う彼女を羨む園子と、それを苦笑いで宥める蘭のいる空間は色々と凄かった。
…いや、その光景、というか雫さんを見て笑顔で拳を握っている安室さんが一番凄かったというか恐ろしかったが。
…やっぱシスコンじゃねぇかこの人。

「まぁ、宝石は守れたしよかったね」
「…宝石は?それじゃあまるで他の何かは守れなかったみたいじゃないか」

やべ、一言余計だったか?
でもあれは完全に奪われているだろう。
見たこと無いくらい顔を赤くしてかっこいい…と呟く彼女はまるで別人だ。

「雫さん、僕達は先に帰りましょうか」

未だ怪盗キッドの熱に浮かされる彼女は、安室さんと二人きりの車内という密室をどう乗り切るのだろう。

「安室さんがついてるなら安心だね」
「…うん、そうだね」
「じゃあ私達も園子とごはん行こっか」

むしろ安室さんとだから不安じゃねぇのかあれ。
これ以上首を突っ込めば馬に蹴られるような気がして考えるのをやめた。
…まぁ、あの人のことだから大丈夫だろ。





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