教室の窓からグラウンドを眺めれば、真っ先に見つけたのは妹の姿だった。
太陽の日差しを受けても焼ける事を知らないかのような白い肌は、遠目からでも目立って見える。
…いや、そう見えるのはきっと、無意識にその姿を探しているからかも知れない。
どんな人混みの中でも、俺はきっとあの姿を真っ先に見つけ出すことができるだろう。
グラウンドを走る生徒たちの中で一番バテるのが早い妹はフラフラと覚束ない足取りで、それでも尚、足を止める事なく進んでいる。
…あれは保健室行きになるだろうな。

「じゃあこの問いは降谷に解いて貰おうかな」
「はい」

黒板に並んだ数式は既に解き終わった問題だった。
席を立つ際に向けた視線の先では、体育教師に駆け寄られる姿だった。
今日はもう見学扱いだろう。

ーーーーーーーーーー

授業が終わってすぐ向かった保健室のベッドでは、予想通り妹が眠っていた。

「ちょっと頑張りすぎちゃったみたいね。熱中症の心配はないから、暫く寝かせておいてあげてね」
「はい」
「それかもし辛そうなら早退させてあげてね。彼女、お兄さんと一緒に帰りたいからって前に無理したみたいだから」

保健医が言うのは結局貧血で倒れて保健室に運ばれた時の事だろう。
入学当初で、また一緒に登下校できるのだと喜んでいた妹は俺と一緒に入れる時間が増えて嬉しいのだと笑っていたのを今でも覚えている。

「…ん…」

頬にかかる髪をよけてやれば、小さく身じろぎをした後にゆっくりと持ち上げられた瞼。

「…にいさん?」
「ごめん、起こしちゃったな」
「ううん、にいさんがいてうれしい」

寝起きでうまく回らない口調で言う顔は、俺しか見れない顔。
頬に寄せた手に頬ずりをして幸せそう笑う妹が、何よりも愛おしいと感じる。

「体調はどうだ?」
「うん、もう大丈夫」

額をくっ付けて問いかければ、やはり嬉しそうに笑いながら答える声。
白い手が俺の頬に伸ばされて、くすくすと笑いながら戯れるように撫でるのに対して、同じようにその頬を撫でてやる。

「…イチャついてるところ悪いが、そろそろチャイム鳴るぞお二人さん」

呆れるような声は誰かなんて、振り向かずとも分かる。

「ひーくんだ」
「寝起きの気分はどうですかお姫様?王子様が起こしに来てくれてよかったな」
「なにそれ」
「俺も心配だから様子見に来たけど、その様子じゃあ大丈夫そうだな」
「にいさんはかえさない!」

家で戯れるように俺の首に細い腕を回してしがみ付いてくる姿は幼馴染の言う通り大丈夫そうだ。

「雫、大丈夫なら教室戻るぞ」
「…うん」
「ほら、送っていくから我儘言うなよ」
「んー」

寝起きで甘えたくなったのか、しがみつく力が強まる。
するりと寄せらせた頬はほんの少しだけ熱かった。

「雫、ちゃんと言う事聞けたらご褒美にお兄ちゃんがアイス買ってくれるってさ」
「お前なぁ…」
「…ほんと?」

甘やかすな。と続くはずの言葉は、妹の甘えるような声で飲み込んだ。

「…ちゃんと残りの授業頑張れたらな」
「ほら、結局ゼロも甘やかしてるだろ」

うるさい。
これが計算じゃないから余計敵わないんだ。

「じゃあがんばる」
「おう、無理だけはするなよ?」
「うん、大丈夫。ありがとう、二人とも」

またね。と小さく手を振って教室へと消えていく背中を見送って、自分達も戻る事にした。
チャイムはとっくに鳴っていたが、二人共急ぐ気にはなれなかった。

「こういう時、真面目にやっててよかったって思うよなぁ」
「そうだな。雫も問題ないようだし、後は大丈夫だろ」
「結局甘やかすんだから最初からああ言えばいいのに」
「うるさい。お前が勝手に言うからだろ」
「俺のせいかよ。でも甘やかしたくなるんだよなぁ…ほら、あいつって昔は我儘なんて全く言わなかったし、それ思い出すとなぁ」

確かに、幼い頃は全く我儘を言う事もなく、常に落ち着いた空気を纏っていたからか、甘えるようになってからはつい甘やかしたくなってしまう。

「我儘に育ったらお前のせいだからな」
「ゼロだって甘やかしてんだろ!?ま、雫が自分から我儘言うのなんてお前だけだからいいだろ」
「まぁな」
「…相変わらずだなぁ」

俺だけが見れる姿があるのなら、それでいいのかもしれない。
その特別があるから、今はまだこのままでも耐えられる。

「…このまま育つと思うか?」
「まぁこんだけ出来のいい男が側に居たら他なんて足元にも及ばないだろ」

冗談じみた返しをする幼馴染に真面目に聞いてるんだと言えば、やはりいつもの顔で笑い飛ばされてしまった。

「お前らは大丈夫だよ」
「どこから来るんだその自信は」
「お前ら兄妹を一番近くで見てる俺が言うんだから間違いないさ」

こいつが言うと妙に説得力があるから不思議だ。

「とりあえず、変に拗らせて妹に似た女と付き合うのだけはやめとけよ」
「するわけないだろ」

あの時はああ返していたが、少し経ってからまんまとその通りの事をしてしまったのは所謂黒歴史というものなんだろう。
それを知った時の雫は少しだけ拗ねていたが、それはまた別の話。

少しずつ、兄妹で居ることが辛くなっていった夏の終わり。






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