ハメられた。

ざわつく店内と案内された席に漸く気付いて踵を返そうとすれば、素早く腕を掴んで阻止するハメた張本人が笑う。

「帰る」
「まぁまぁ、雫ももういい歳なんだし、合コンの一つや二つ経験しておくべきだって」
「そうそう、一夜の過ちも経験のうちよ?」
「離せこの淫獣共め」

笑ってながそうとしたところで無理なのは分かりきっているのでハッキリ言い切れば、えー何この子面白いねぇ。と頭の悪そうな男が笑った。
ここが人目のつかない場所であったら衝動のままに股間を蹴り上げてやったのに。
こっちに仕事できていて美味しいお酒とごはんのあるバー見つけたから行こう。と連絡を寄越した大学時代の学友にまんまとハメられて、美味しいごはん目当てで店に入ればこれだ。

「うそつきめ」
「そんなこと言わないでよ〜」
「お兄ちゃんが合コンだけは絶対ダメって言ってたから私帰る」

わざと男性陣にも聞こえるように言えば、大抵はブラコン認定されて引かれるものだ。
そして現在27の喪女がこんな発言していたら、そりゃあ痛いに決まってる。
こんな痛い奴は数合わせにすらならないんだからいい加減解放しろ。と腕をとこうとすれば、今度はもう一人の学友が肩に腕を回してきた。
…逃す気ないなこれ。

「お兄ちゃんはお兄ちゃん。彼氏は彼氏。はい、座った座ったー!」
「ちょっと!やだって言ってるじゃん!」
「まぁまぁ、みんな程よくお酒も回っていい感じだし、別に無理に彼氏作れってわけじゃないんだからいいじゃん」
「そうよ。折角来たなら美味しいお酒と美味しいごはんを楽しまなきゃ損だと思わない?」

大学時代も何度も何度も合コン誘われて断り続けた私を知った上で騙したこの二人は一生許さないと心に決めた。
どう考えたって酔っぱらいに文句を言って逃げるよりも、適当にやり過ごした方が楽なこの状態は負けた気がしてなんとなく悔しい。

「お酒、何飲む?」
「自分で頼むので結構です」

やけに近い距離で身を寄せて一緒にメニュー表を見る男から離れて店員を呼んだ。
楽しく飲むだけならいいけれど、こういう空気は嫌いだ。
私には関わらないでくれと言わんばかりの空気で学友の隣に座ろうと視線を向ければ、すでにお目当てらしい男性と仲良くいちゃついていた。
もう一人は口説かれ中。
成る程、早く終われ。
仕方なしにすっかすかの所謂お誕生日席に座れば、生ジョッキ片手に頭の悪そうな男が近づいてくる。
こんな喪女構ってないで、可愛い子や美人な子が居るのだからそっちにいけばいいのに。

「君雫ちゃんって言うんだねぇ〜顔にぴったりなかわいい名前だね」

俺は〜とこれまた頭の悪そうな話し方で自己紹介を始めたが知ったことではない。
どうぞ好きに独り言を話していてください。
私はお酒とごはん食べるだけの機械なので。
と心の中で呟きながら、もくもくと注文した品を食べていく。
美味しいけれど素直にそう思えないのはこの空間のせいだろう。
かんぱーい、と勝手にグラスを合わされて、カチリと鳴った音は不快だった。
けれど私が反応する事はない。
この手の酔っぱらいは何を言っても無駄だし、ただひたすら流すに限る。
前世で経験した職場の飲み会の方がまだマシだ。
今世では職場のスタッフに恵まれているから職場の飲み会はそれなりに楽しいし、こんなに不快な空間は大学時代の飲み会ぶりだ。

「雫ちゃんって肌すっげー白いね。触り心地もちょー俺好みだし、キスマークとかくっきりつきそー」
「っ!?やめてください」

聞き流すだけだった私の頬を撫で始めた男の手を振り払えば、やはり頭の悪そうな顔で照れないでよ〜なんて言っていた。
心療内科と眼科を紹介してやりたい。
なんたってこんなわけのわからない集まりがいいのか。
他の女性陣も楽しそうにしているのを見ると、まるで私だけが異常だと言われてるみたいで不快感が募っていく。

「これ、置いてくから。私もう帰る。ごちそーさま」

参加費が幾らかなんて知らないが、自分が注文した分は全て平らげて、諭吉を数人学友の前に叩きつけて出入口へと向かう
何やら喚いてるが知ったことか。
お金は多いくらい払ったのだから文句は言われないだろう。
もう彼女の誘いには絶対に乗らないと決めながら振り返ることなく店を出れば、突然捕まれた腕。
振り返らずとも力強さと大きさから男ということは直ぐにわかった。

「ねーなんでそんな怒ってんの?」
「すみません体調が優れないもので帰りますね」
「あ、じゃあ俺いい休憩場所知ってるから連れてってあげる!」
「一人で行けますのでどうぞお戻りください」

にっこり貼り付けた笑顔で店を指差すが、男は聞こえていないのかへらへらと笑っていた。
こんな絡み方をされたのは初めてだからどう処理していいのか分からない。
…めんっどくさぁ。
チャラくてうざくてめんどくさいとか社会のゴミか。
こんな喪女に絡むなよ。
兄さんが合コンは行くなと言っていたことがよく分かった。
兄さんも付き合いで行ったりしてたのかな。イケメンだからモテたろうなぁ。
肉食系女子もいただろうし、どうやって切り抜けてきたのだろう。

「さぁさぁこっちこっち!大丈夫、泊まりもできるから」
「酒臭いので離れてください」
「えー?なにぃ?ちゅーする?」

ぐいぐいと力任せに近づく男の顔。
ぞわり、とかつてないほどの悪寒が背筋を駆け上がる。

「やめろって言ってんだろーが!!」

この際人目など気にしてられるか。
見て見ぬ振りの通行人なんだから多少見逃してくれるよね!
思いっきり男の股間を蹴り上げた。

「ーっ!?このくそアマ…っ!」

わざわざ相手にしてやる程暇じゃないので蹲った瞬間駆け出した。
それはもう全力疾走だ。
体育の授業ですら体のこと考えて全力で走ることはなかったが、今は自分の身のために走っている。
タクシー捕まえれるとこまで行ったらさっさと家に帰ってシャワー浴びて寝よう。
この不快感は寝て忘れるに限る。

「…っ」

食べて直ぐ走った上に、子供の頃からの貧弱さは治っていないせいか、胃が微かに痛みだした上に呼吸がしづらい。
ひゅー、ひゅー、とか細く乾いた呼吸をしていることに気付いて足を止めた。
振り返る余裕はない。
ひゅー、ひゅー。
ああ、まずい、下手したら過呼吸になるやつだこれ。
胸に手を当てて落ち着いて呼吸をする事だけに集中する。
大丈夫…大丈夫…
兄が言ってくれていたように自分に言い聞かせて、ゆっくり呼吸を繰り返す。

「雫!」

ああ、まずい、胃は痛いし呼吸もうまくできない。
酸欠でぼんやりする意識の中、兄に呼ばれた気がしたのは、幻聴だろうか。
背中をゆっくりと撫でながら大丈夫と語りかける兄が恋しい。

「…大丈夫…大丈夫…ゆっくりでいいから…」
「に…さ…っ」
「気にするな。大丈夫だから。ゆっくり呼吸する事だけ考えるんだ」

ひゅー、ひゅー、とした呼吸はゆっくりと撫でる手によって徐々に落ち着いていく。
優しく抱きしめるように抱えてくれる温もりに縋るようにしがみついて、呼吸をする事だけに集中する。
兄さんの手だ。
普通の人は落ち着かせようと必死になるか焦るから、少し早いリズムで撫でるけど、兄はいつだってゆっくりと撫でながら優しく声をかけてくれる。
ちょっと走っただけなのに、一気に体力を消耗してぐったりするこの体は中々にポンコツだ。
準備運動すれば多少は平気になっただけマシだと思うべきか。

呼吸が完全に落ち着いた頃には撫でていたては寝かしつけるように背中を一定のリズムで叩き始めた。
離れたくないのに、今寝てしまったら兄さんは目覚めた時居てくれないって分かるのに、たったあれだけで疲れてしまった体は力抜けていって、寝たくないのに意識は遠ざかっていく。

「…にぃさん…」

顔をみたいのに見上げることもできなくて、意識を手放した。




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