どうしてこうなった。

結局蘭ちゃんと安室さんに上手いこと言いくるめられた私は、水族館に来て居た。
まぁ平日の昼間だしそんなに混んでないからいいか。と前向きに考えよう。

私は人混みが怖い。
前世で享年27歳という若さで人生を終えたのは、見知らぬ誰かに刺し殺されたからだ。
殺されたのは日曜日の昼。
オープンしたばかりのテーマパークは人で溢れかえって居た。
ショーが観たいと言う友人の後ろ姿を人混みで見失わないように着いて行く中、響き渡る悲鳴。
何事かと振り返れば、帽子を目深に被った男が奇声をあげて私の直ぐそばまで走って来ていた。
気付いた時にはどすり、と胸に突き刺さる何か。
そこから見えたのは、ぬらりと血に濡れたナイフが引き抜かれる様だった。
何が起きたのかわからなくて顔を上げれば、目があった男が笑った。
笑って、そのナイフを腹部に刺し込んで、胸と腹部から流れる血の熱さを感じながら、意識を失った。
その記憶があるせいで、二周目ニューゲームはまさかのトラウマ持ちとなってしまった。
ただでさえ体力ないのにトラウマ持ちとか本当に勘弁してほしい。

「雫さん、大丈夫ですか?」
「…すいません、少し昔の事を思い出していたもので」
「…お兄さんのことですか?」

ならよかったんですけどね。
完全にトラウマ思い出してましたなんて言えるわけもなく、そうですね。とだけ返しておく。
そういえば兄さんと出かける時もいつも人混みの少ない場所だった。
小学生の頃の遠足で遊園地に行った時、急に混みだした時間帯で人波に押された私は当時の殺された時のことを思い出して、パニックになったのだ。
子供らしくない子供という評価を教師にもされていた当時の私が、初めて子供らしいと思われた瞬間、
泣き喚きながら兄を呼んでも、学年毎に行き先の違う遠足に兄はいなくて、嫌だ死にたくない、にいさん、にいさん、こわいよぉと情けなくもぐっちゃぐっちゃ顔で泣き喚いた。
駆けつけた先生に保護されても、拭えない恐怖に泣きわめく私に見かねた教師が近くの博物館に行っている兄の学年の教師に連絡をして連れて来てくれたのだ。
驚いた顔で私に駆け寄った兄は直ぐに抱きしめてくれて、いつものように大丈夫だからと声をかけてくれて、漸く落ち着いたのを覚えている。
だからといって人混みを避けながら生きて行くのが難しい時もある。
電車やバスもそうだし、外出先でいきなり混み合って人の波ができることもある。
そんな時兄は必ず抱きしめるように肩を抱いて守るようにしてくれた。
兄さんが居る時だけは安心できて、人混みもそこまで怖いとは思わなかった。
兄さんにしがみついて兄さんの事だけ考えていれば、人混みだってやり過ごせた。

「実は私、人混みが怖くて苦手なんですけど、兄が居てくれたらなんとか耐えられたんですよ」

静かな水族館は気持ちが落ち着いて居心地がよかった。
だからか、いう気もなかった事が自然と口から出ていた。

「私、兄さんが居ないとまともに生きられないかも」

失って初めて気付いた事。
側に居るのが当たり前で、ずっとそうなのだと思って居た。
勿論いずれは兄も結婚して兄妹離れて暮らして子供が産まれてと思っていたけど、でも側に居てくれた兄さんに対してそんな実感は少しもわかなくて、まぁいつかはそんな日がくるだろう。なんて軽く考えて居た。

「私貴方の為なら死んでもいいわってすごい言葉だなって思ってたんですけど、最近あの意味が分かるような気がするんですよねぇ」

昔の人は愛してるを色んな言い方をして居たと言うけれど、その中でも貴方の為なら死んでもいい。これはどこか悲しい言葉に思えて居たけど、あれは貴方の存在を想うが故の言葉なのかもしれない。
貴方だから。他でもない貴方の為なら、命すらも失える。
愛することができなくなっても、愛されることができなくなっても、それでも愛しい貴方の為ならば、死をも怖くはないのだろう。
もし私が死ぬ事で兄が助かるのなら、私はきっと死を選ぶのだろう。
でも兄は優しい人だから、そんな事をしてしまえば後追いしかねない…なんて笑えない。
私が死んだところで苦しめるだけなのだろう。
その死は押し付けがましい愛なのかもしれない。
きっとかつての父と母も、一緒にいた友人も、私があの時死んだせいで苦しめたのかもしれない。
なら尚更、私はそんな事はできない。
愛する人の為ならば死をも怖くないという気持ちは分からなくもないけれど、その後愛する人を苦しめることは何よりも恐ろしい。

「…そんなこと、言わないでください」

背後から抱きしめられて、泣きそうな声が囁いた。

「あむろ、さん」
「死んでもいいなんて言わないで。仮令それが愛してるの言葉でも、嬉しくない。愛する人にそんな言葉は言わせたくない」

聞きたくない。と消えそうな声が言う。

「…今度会えたら、その時は一緒に生きてって言います」

貴方の為なら死んでもいいよりも、私にはこっちの方が合っている。

「殴った後に、私と一緒に、ずっと側に居てって人生をかけた最大級の我儘を言います…それでも兄が私を拒絶するのなら、その時はスパっと諦めます」

肩に顔を埋める彼の頭を撫でれば、サラサラとした髪の毛が晒された首を掠めてくすぐったかった。
兄の髪もいつもこんな風にサラサラしていて、光に当たると輝いて見える瞬間が何よりも綺麗だったのを思い出す。

「…貴女の兄が羨ましい」
「なら早く帰ってきてほしいな」
「僕ではだめですか?」
「だめですねぇ」

甘えるように言ったって駄目なものは駄目です。
安室透は私の兄ではない。
羨ましいのなら、潔く帰ってこいと言ってるのに、すんなり帰ってきてはくれないのだろう。
安室透に言ったってしかたないけど、出てきてくれないんだから安室透に言うしかない。

「僕は雫さんが好きです」
「本当に僕が私を好きなんですか?」
「…僕も、好きなんです」

出て行く前に見た兄さんも言っていた。
床に背中を押し付けられて、見上げた兄さんは苦しそうな顔で好きだと私に言ったんだ。
好きなのに、どうしてそんな顔するの?って聞いたら兄さんは、お前の好きと俺の好きが違うからだよ。と、また苦しそうな顔で言うんだ。
好きなら好きでいいじゃん。分ける必要ないよ。と首を傾げた私に兄は顔を近付けて、キスをした。
それから驚いて固まる私を見て、一言ごめん、と言って出て行った。
どうして好きなだけでは駄目なんだろう。
何処からが恋なのかなんてわからない。
どうして愛にまでカテゴリーがあるのだろう。
大きさなんて関係ないのに。
種類なんてどうだっていいのに。
ただすきで、愛しくて、側に居たいだけでは駄目なんだろうか。

「私は降谷零がいい」

隣に居るのは降谷零じゃなきゃ嫌だ。
降谷零がいい。
兄さんがいい。
手を繋ぐのも、二人で出掛けるのも、全部全部兄さんじゃなきゃ嫌だ。
兄さんの好きがわからない。
安室さんの好きもわからない。
兄さんの好きが私の好きと違うのなら、何が違うか教えてほしい。
私がどんな風に兄さんを好きか言うから、兄さんにも言って欲しい。
何一つあれからまともな会話もできずにすれ違ったままでいたくない。

「僕がもしそうだと言ったら、貴女はどうしますか」
「とりあえず殴ります」

当たり前だ。
これは決定事項なのだから。
殴って一緒に生きてって言って、それで私がどんな風に兄の事が好きかを言うんだ。
それから兄がどんな風に私のことを好きか聞いて、何が違うのかを確かめよう。
それでも兄さんが私と生きたくないと、側に居たくないと、苦しそうな顔をしていたら、その時はスッパリ諦めよう。

「…殴られるのかぁ」
「殴られますねぇ」

人の事を抱きしめたまま言う声は、ほんの少し明るかった。





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