きっと妹は分かっている。
分かっていて、そんなことを言うのだ。

「私は降谷零がいい」

抱きしめるように腕を回す俺の頭を撫でながら、ハッキリと言うのだ。
安室透では駄目なのだと。
降谷零でなくては駄目なのだと。
安室透が好きと言っても、降谷零じゃないから駄目だと言っているのだ。
分かってるくせに、わざと言うのだ。
だから早く帰ってきてよと。
あくまで安室透に言うのだ。

「僕がもしそうだと言ったら、貴女はどうしますか?」
「とりあえず殴ります」
「…殴られるのかぁ」
「殴られますねぇ」

そろそろ殴られる覚悟を決めるべきなのかもしれない。
楽しそうに笑ってるのは、安室透だからか、降谷零だと思っているからなのか、本人に確かめない限りは分からない。


ーーーー


あれからちゃっかり手を繋ごうとしたら、安室さんとは繋ぎたくないです。とハッキリ言われてしまった。
それもとてつもなく楽しそうな笑顔で。
こいつ絶対わざとだ。
一瞬固まる俺を見てそれはもう楽しそうに笑う妹。
離れてから初めて見る、楽しそうな顔だった。

「もし、降谷零が演じてる安室透だとしたらどうします?」

一通り館内を周ってからレストランに行くために乗り込んだ車内で問い掛けた。
殴られる覚悟はもうできた。

「チョイス悪いからもうちょっとキャラ変えるべきだと思う」
「これはまた手厳しい」

お前らしいな。

「ちゃんと言われない限りずっと安室透だと思いますし、ずっと好感度低いのでそこんとこ宜しくお願いします」
「…相変わらず容赦ないな」
「はい?どうしました安室さん。いつもの素敵なイケメンスマイルが崩れてますよ?ボロ出ちゃってますよ?」

お前絶対わざとだろ。
面白がってる妹の頭を思い切り撫でれば、片手運転やめろ!と非難が飛んでくる。

「…居なくなってごめん」
「ねぇ、運転中に殴られても兄さんなら耐えられるよね?」
「馬鹿、無理に決まってるだろ」
「運転中にカミングアウトするからじゃん。私何回も殴るって言ったよね?」
「聞いて居たのは俺じゃなくて安室透だからなぁ」
「屁理屈!!」

昔に戻ったようだった。
それから信号で止まる度に殴ろうとしてくる雫を宥めながら、辿り着いたのは一軒のスーパー。
殴るのは決定事項だけど、謝るのならごはん作って。と早速我儘を言う妹に甘いのは今に始まった事ではない。

「何がいいですか?」
「…安室透が嫌いで私が好きな物なら尚いいんですけど」
「それは残念。特に嫌いなものってないんですよね」
「爆発しろ」

わざと腰に手を回せば思い切りはたき落とされた。
はいはい、安室透じゃ嫌なんだろ。
こんな人目のつく場所で降谷零になれるわけないんだからしょうがないじゃないか。と頭の中で言い訳をして食材を入れて行く。

「…そのコーナーはもう卒業したんじゃないんですか?」

一通り食材を選び終えて姿の消えた雫を探せば、子供用のお菓子コーナーで仮面ヤイバーのブロマイド入りウエハースを手にして居た。
こいつ27にもなってまだそういうの好きなのか。
特に特撮物が好きな雫は昔からスーパーやコンビニに行くと必ずと言っていい程その手の菓子を手に取る。

「卒業って素敵な言葉だけど、永遠に少年心を忘れないことは大切なことです」
「少年じゃないでしょう…」
「ニュアンスで感じ取ってよ」

拗ねた顔しても駄目だからな。
27歳という年齢になってもその顔が似合うのは顔の作りがいいからか、はたまた俺が甘いだけなのか。
見方によっては20代前半に見えるしいいのか…?
いや、20代前半でもその菓子はアウトだろう。

「あ!私小児科医なので、子供たちと話を合わせる為にも必要なんですよ」

あ!て言ってる時点でただの言い訳だろそれ。
何閃いたって顔してるんだ。バレバレだぞ。
何食わぬ顔でカゴに放り込まれたウエハース。

「お菓子は一個まで」

へらりと笑った顔は、いつか見た時と同じだった。


ーーーーーー

買い物を終えて大したセキュリティもないアパートの一室へ入った瞬間、振り返った妹から繰り出されたストレート。

「…ったぁ…」
「…何やってるんだ」
「筋肉達磨かよ!前はここまでじゃなかった…」
「あ、おい、やめろ!」

両手が荷物で塞がってるのをいい事にTシャツを捲り上げられる。

「こんなにバッキバキじゃなかったのに…ベビーフェイスのくせになんでこんなことになってるの」
「鍛えたからな」
「体が凶器じゃん」

すっごい痛かったと手を振って見せる妹。

「いきなり殴るからだろ」
「いきなりじゃなかったら筋肉消えてる?」
「…消えるわけないだろ」

今度は膝を蹴られた。

ーーーーーー

「兄さんのカレー!!」
「…なんでお前は呑気に携帯を弄ってるんだ?」
「だって作ってくれるって言うから」
「手伝えとも言ったよな?」
「いただきます」
「こら、人の話を聞け」

結局手伝う事なく手を合わせて美味しそうにカレーを食べ始める妹に、一気に力が抜けて行く。
そうだよな、お前は昔からそういう奴だよ。
美味しそうに食べる姿に結局許してしまう俺も、昔から変わらない。

「これなら明日はポアロ行かなくていいや。朝カレーっていいよね」
「そんなに量作ってないから夜に回して朝は来いよ」
「兄さんさ、なんだかんだでシスコンだよね」

さらりと言われた言葉。
そんなもので済むのなら、俺はお前から逃げなかったよ。

「私、ずっとあの時自分が間違えたから、兄さんのこと傷付けて嫌われたって思ってた。唯くんが一度ちゃんと話をしろって連絡くれた時も怖くて嫌だって言って、兄さんから逃げてた」
「…逃げたのは俺の方だ」

唯には事情を話していて、あいつはため息を吐きながらちゃんと話せと俺にも言っていた。
最期の電話の時も、あいつは「雫とのことはお前がどうにかするしかないんだ零。このままにするなよ」と世話やいて一方的に切られた通話。
あいつはずっと俺と雫を気にかけていた。

「兄さん、先に逃げたのは兄さんかもしれないけど、追いかけなかった私も悪かったんだよ。後悔する位ならあの時意地でも兄さんを追いかければよかったのに。
嫌われるのが怖くて、要らないって言われるのが怖くて、兄さんから逃げたから」
「違う、あれは俺がお前に押し付けたからだ」
「押し付けられたのなら、受け止められない方も悪いんだよ」
「違う!」

全部俺が悪い。
兄と呼んで慕う妹だとわかっていたのに。
兄だから、あんなにも気を許して甘えていたのに。
兄で居ることを辞めようとした俺が悪いんだ。

「…好きなのに、私と兄さんの好きは何が違うの…」

好きだよ、兄さん。
弱々しい声。
あの時もそうだった。
好きなら好きでいいじゃん。分ける必要なんてないよ。と雫は首を傾げながら言ったんだ。
俺はそれは嫌だった。
他と変わらない好きじゃなくて、誰よりも、比べることができない特別な好きが欲しかった。

「…あのね、兄さん。私考えたよ。兄さんの好きと私の好きは何が違うんだろうって。
私の好きはね、全部兄さんじゃなきゃ嫌だっていう好きだった。
二人でごはん食べるのも、出かけるのも、手を繋ぐのも、全部兄さんじゃなきゃ嫌だ。
兄さんがそばにいてくれるといつも嬉しいし、兄さんが抱きしめてくれるととても安心する。
兄さんがそばにいることが自然で、当たり前だったから気づかなかったけど、私は兄さんのことが好きだよ。
好きの種類なんてわからないから、好きとしか言えないけど、それでも私の好きはこういうことだよ」

兄さんの好きも、教えてよ。
微かに震える手が、俺の手に重なった。
冷たい指先。
末端冷え性め!と言いながらいつも人の首にくっつけて笑う姿をおもいだす。

「…俺の好きは、出て行く前にお前にしたような好きだよ」
「キス?」
「…妹にはそんなこと普通はしない」

普通の兄妹は、そんなことしたいと思うことすらない。

「兄さんは、私と恋人になりたいの?」

いつしか震えの止まった手が、俺の手を握って、真っ直ぐと見据える瞳で問いかける。
はっきり伝えてしまったら、二度と戻れない気がして、怖くて逃げ出したのに、今求められているのはその答えだった。

「そういう目でお前を見ていると言ったら、お前は俺を嫌うだろう…?」

ずっと兄として見てきたのに、ハッキリそんなことを言われてしまえば多少なりともショックを受けるのが普通だ。
キスをしたあの時も、雫は驚いた顔で俺を見上げただけだった。
受け入れられようなんて思ってしたわけじゃない。
ただ、どうしても、抑えきれなかった思いを伝えようとしてしまっただけ。
お前の好きと俺の好きは違うんだとわかって欲しかった。
そんな顔で、好きと言われたくなかった。
全部俺の自分勝手な思い。

「いや、別に」

返ってきた声は何とも思っていない様子で、なんで?とすら言いたげだった。

「ごめん、言い方間違えたかも。この歳になって言うのも虚しいけど、私は恋愛感情の好きってよく分からないし、告白された事もなかったからやっぱりピンとこなくて…」
「お前の好きは兄としての好きだろ?俺は違う」
「何が違うの?一緒に居たいって思うのは同じでしょ?私はたまたま兄妹だから一緒にいれてそれが当たり前だったのと、兄さんは兄妹だから好きになったらダメってことでしょ?」
「兄としての好きと異性としての好きは別だろ」
「なんで?だって恋人同士も結婚したら家族じゃん。兄妹だって家族だし」

結局は同じ好きになるよ。と言う妹。
伝わってない。
そうじゃない。
だって俺はそんな綺麗なものじゃないから。

「俺は、お前に恋人ができるのが嫌だ。俺以外の男と二人きりになるのも、触れられるのも、考えるだけで辛い。雫は俺に恋人ができてもそんな風には思わないだろう?」

無理だった。
俺じゃない誰かと手を繋いで、腕を組んで、キスをして、結婚して子供を産んで。
そんな当たり前の幸せを願えなかった。
俺じゃないと、嫌だった。

「…真面目に考えたことなかった。いつかは兄さんもって思ってたけど、だって兄さんいつも側に居てくれたし、モテるけど彼女居なかったから実感わかなくて…」

兄さんの恋人かぁ…と言ったきり黙り込んでしまった雫。

「…んー…私でもよくない?」
「…は」
「兄さんは私が好き。私も兄さんが好き。なら私でいいじゃん」
「お前分かってないだろ」
「分かってるよ」

いや、絶対分かってない。

「多分兄さんだからキスされても嫌じゃなかったし、あれ他の人だったら思いっきり気持ち悪かったと思う」
「でもお前あの時」
「普通いきなりキスされたら驚くから。え、もしかして兄さん知らないところで色んな女性に手を出してたの?みんな喜んじゃってんの?いきなりキスされたら普通びっくりしない?」
「してない!そんなことはしていない!」

やめろ、人を節操なしみたいに言うのは。
…雫から逃げてから何もなかったかと言えば嘘になるが、でも当時はそんなこと雫以外していないし、するわけがない。

「私、全部兄さんとがいいよ」
「でも兄妹だぞ」
「戸籍同じなだけで血は繋がってないじゃん」

人があんなにも悩んでいたのに、雫はなんでもないように答えた。
まるで悩んでいた俺が馬鹿みたいじゃないか。

「そう言う意味での男性をしらないから、男として兄さんを好きかって聞かれたら分からないけど、でも恋人らしいことをするのも兄さんとがいい」
「知らなくていいよ。俺で知ってほしい」
「なんか告白みたいだね」
「告白してるんだよ」
「兄さんって安室透には劣るけどキザだね」
「うるさい」

告白なんてこんなものだろ。

「お兄ちゃんと恋人が同じって贅沢だね」
「そう言う風に言えるの、雫だけだろ」
「いやほんと、私って恵まれてるなぁ」

へらへら笑って抱きつく妹の背中に腕を回せば、嬉しそうに声を上げた。

「ねぇ兄さん」
「なんだ?」
「安室透で口説くのやめてね」
「…もうしないよ」
「私あれ本気で苦手なタイプだから」

そんなこと、俺が誰よりも知ってるよ。

「降谷零ならいいんだろ?」
「近い」
「わざとだからな」
「きゃー、おそわれるー!」
「ふざけてると本当に食うぞ」

昔みたいにじゃれ合えば、ふと唇に当たる感触。
すぐ目の前には悪戯に笑う雫。

「うばっちゃったぁ〜」

歌うように上機嫌に言う妹に、仕返しと言わんばかりに噛み付くようなキスをしてやった。




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