入学式のあの日、俺は産まれて初めて一目惚れというものをした。
まさしくそれは恋に落ちる瞬間というやつで、隣の席の彼女が微笑みながら落としてしまったプリントを渡してくれた時、すとん、と綺麗に落ちたのだ。

恋に落ちてから早一ヶ月。
未だに片想い中だった。
黙っていれば教室の片隅で読書をしているのが似合う清楚な儚げ美人な彼女の名前は降谷雫。
中学が同じだったらしい男子に呼ばれて話している内容は第一印象を軽くぶち壊す程の衝撃だが、それでも俺の恋心は薄れることはなく、今もその横顔を見れるだけで幸せな気分になる。

「なぁ降谷、お前どう思うよ」
「どうって、AVはファンタジーって言ってるじゃん。ノーマルな彼女に嫌われたいなら言ってみれば?」
「それが嫌だから女子のお前に相談してるんだろー!」
「いや、お前降谷も女子だから」
「女子はAVとか言わない」
「君が自分で振った話題じゃん…」

男女共にそつなく人付き合いをする降谷さんは、男子の下ネタもサラリと交わせる女子だ。

「まーた降谷見てんの?」

ああ、今日も素敵だと見とれていれば、それを遮る友人の声。

「いいんだよ、降谷さんは何言っても素敵だから」
「いや、そうじゃなくてさ。お前マジで降谷のこと好きなわけ?」

当たり前だ!と胸を張れば、友人は可哀想なものを見るような目で俺を見た。
分かってるよ、あんな儚げ美人は高嶺の花って言いたいんだろ。とそっぽを向けば、そうじゃない、と言いながら何やら携帯をいじり始める。

「俺の姉ちゃん三年なんだけどさ」
「お前の姉ちゃんの話と降谷さんの話関係ないだろ」
「それがあるんだなーっと、ほれ」

見てみ。
と突き出された画面には、ズームしたのかクラスの集合写真のアップされたイケメンの顔。
褐色の肌に明るい髪色の、まるで王子様みたいなイケメンが肩を組まれて笑っていた。
そういえば三年生の先輩にとんでもないイケメンが居るとかで女子が騒いでいたな…

「うちの姉ちゃんこのイケメンと同じクラスでさ」
「だからなんだよ」
「これ、降谷さんの彼氏って噂だぜ?」
「…は?」

彼氏?

「そ。なんか私たちの零くんに遂に彼女!嘘でしょ!でもあんな零くん見たことない!ってイケメンのファンが続々と嘆く様が滑稽だって笑ってたぜ」
「お前の姉ちゃんほんとイイ性格してるよな」
「まぁイケメン先輩って見た目だけチャラいから肉食系女子がグイグイいくせいか女子の間でトラブったりしてて見苦しかったからスッキリしたとかなんとか」
「へぇ…でも噂だよな?」

そう、このイケメンが降谷さんの彼氏というのはあくまで噂だ。
仲のいい先輩なだけかもしれないだろ。

「お前ちゃんと降谷さんのこと見てる?特に放課後」
「いや、放課後は俺部活と委員会あるからすぐ教室出てるし」
「今日は無くなっただろ?丁度いいからその目で確認しろって」

すげーラブラブだって噂だから。
そう言った友人の言葉に半信半疑になりながらも、放課後を待つ事にした。
どうせ部活も委員会もないのなら、放課後降谷さんを誘うのもいいかもしれない。
友人が何をみせようとしてるかは分からないが、折角降谷さんを誘うチャンスなのだから勇気を振り絞ろう。
そんで連絡先とか交換できちゃったら超ラッキーだよな。
後にこの考えがいかに自惚れたものだったかを思い知る。

ーーーー

HRを終えて各々が教室を出て行く中、今こそ声をかけるチャンスだと頭の中で何度も何度もシュミレーションした言葉をかけることにした。

「ふ、降谷さん!」
「なに?」

ああ、小首を傾げる姿も美しい。

「あの、もしよかったら俺と…」「雫、帰るぞ!」

遮るように彼女を呼ぶ声に視線を向ければ、そこに居たのは教室の入り口でドアに手を掛けて佇むあのイケメンだった。
頬を染めて黄色い声をあげる女子なんて視界に入ってないかのように、イケメンは真っ直ぐ降谷さんを見て、それから一瞬俺を見たかと思えば「早くしろ」と直ぐに降谷さんに視線を戻して続けた。

「先行ってて」
「…直ぐ済ませろよ」
「うん、直ぐ行く」

去り際、またイケメンに見られた気がするのは気のせいだろうか。
…見られたっていうよりあれは睨まれたって方が近いか…?

「ごめん、それでなんだっけ?」
「あ、あー…いや、なんでも…なくはない、か。あのさ、一つだけ聞いてもいいかな?」
「うん」
「降谷さんってさ、さっきの先輩のこと、その、す、好き、なのかなー、なんて」

流石にあの目を見て放課後一緒に帰ろうはハードルが高すぎる。
ならばせめて確認だけでも問いかければ、彼女は見たことないくらい幸せそうに笑って答えたのだ。

「うん、大好き」

好きではなく大好きだと。
その言葉だけで俺の恋が音を立てて崩れて行くのがわかった。
そっか…そりゃそうだよな…イケメンだもんな。
大好きと言う位なのだからあれが彼氏というのは本当だったのだろう。
イケメン先輩のファンが嘆く気持ちが今の俺にもよく分かる。
そりゃあもう泣きたい位に。

「そ、っか…呼び止めちゃってごめん、用はそれだけだから」
「じゃあまたね」

ひらりと手を振ってイケメンの元へ駆けて行く降谷さんはやっぱり素敵だった。

「泣くなって」
「まだ泣いてねぇよ」

ぽん、と俺の肩に手を置いた友人は笑っていた。
楽しんでんじゃねーよ。

「失恋をしたばかりの君にとっておきの光景をお見せしましょう」
「なんだよ…」
「こっからが本番なんだからな?ちょっと外見ててみ」

もうどうにでもなれと言われた通りに窓の外を眺めていると、校舎を出て行く生徒たちの中に見つけた二人の姿。
イケメンと仲良く腕を組むように手を繋いで笑う降谷さん。

「もうやめてくれよ…」
「まぁまぁ、イケメン先輩がこっから男を見せてくれるぜ?」

ちらり、一瞬此方を見たような…いや俺の気のせいか。と思ったその瞬間、イケメン先輩が降谷さんにキスをした。

「ヒュー!まさかキスするとは」

きゃああ!と嘆きの声が何処からか聞こえた。
同志達よ、俺の心も同じように悲鳴を上げた。

「何時もは肩を抱いたり腰に手を回したり抱きしめたりだったけど、キスとはねぇ…入学一ヶ月で随分と進んだもんだ」
「お前はなにがしたいの?俺のこと嫌いなの?」
「高嶺の花に夢を見ないように教えてやっただけだよ」
「ありがとう、おかげで暫く立ち直れそうにない」

噂じゃなかったって知った時点でもうよかったのに、傷口に塩塗る真似するなよ。


ーーーーーーーー

雫の教室から感じた視線に一瞬だけ視線をやれば、先程雫と話していた男子生徒が此方を見ていた。
切なそうな顔で雫を見る顔は、まるで失恋でもしたかのようだ。
教室で声をかけた時、微かに赤くそまった顔で雫を見ていたのを思い出した。

「わ、急にどうしたの、兄さん」

空いている方の手を頬に添えて、顔を覗き込むように近づければ不思議そうに首を傾げる妹。

「…秘密」
「えー、なにそれ」
「帰りにアイス買ってくか」
「え、ほんと?パピコにしよ!半分こ!」
「ああ、お前の好きなのでいいよ」

やったー!と喜ぶ妹の頬を撫でて、また歩き出した。
何処からか聞こえる悲鳴には男の声も混じっていて、入学一ヶ月にしてこの数とは流石雫だ。
嘆く男どもにいい気味だと笑えば、兄さん機嫌いいねとアイスのことで上機嫌な妹が笑った。

「ああ、とてつもなく気分がいいな」

そのままずっと勘違いしていればいい。
余計な虫が引っ付く前に全て俺が払ってやる。


ーーーー

「あーぁ、ゼロのヤツやり過ぎだろう」

あちこちから上がる悲鳴の中、周りの事など見えていないかのように仲睦まじい兄妹は今日もイチャついていた。

「俺今日委員会でよかったわ」

あんなん間近で見たら砂吐くぜ。
まぁ今日のは完全な虫払いだろうけど。
わざと恋人と噂されるような言動を取るゼロに気づくやつは果たしているのやら。
顔も似てない兄妹の唯一の共通点である苗字も、外野からすればお似合いと言われるだけなんだろう。

「御愁傷様」

最強のセコムを持った妹か、それとも失恋に嘆く男女へか、自分でもわからないまま呟いて委員会の仕事に意識を集中した。




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