中学に入った途端、委員会だの部活だの上下関係だの、やり甲斐もある反面一気に面倒事も増えたと重い足取りで一人寂しく歩いていると、通り掛かった公園に見つけた見覚えのある背中。
少し離れて居てもわかる、あまりにも白い腕でブランコの鎖を握る手は、親友の妹のものだ。
誰かと遊んでいる様子は無く、ただ一人肩を落として座って居た。

「どうした、一人か?」
「…ひーくん」
「なんだよ、誰かにいじめられたか?」

空いている隣に座れば、見た事ない位落ち込んだ顔が俺を見上げた。
ゼロが見たら「誰だ俺の妹を悲しませたやつは!」と言いかねない顔だった。
まぁあいつは今日委員会で遅くなるって言ってたし此処には居ないけど。

「ううん、違うよ」
「ならどうしたんだ?何時もなら真っ直ぐ家帰ってるだろ?俺でよければ聞くからさ」

昔から子供らしくないと周りの大人達に言われていた雫は、周りの言葉で気を落とすような姿は一度も見たことが無かったが、やはり雫も人間なんだから落ち込むことくらいあるのだろう。
頭を撫でてやればサラサラと綺麗な黒髪が揺れた。

「あのね」
「うん」
「…兄さん、彼女とかできたのかなぁ」

少しだけ恥ずかしそうな、それでいてとても寂しそうに呟かれた言葉。
この場にゼロが居ないことが悔やまれる。
雫は可愛げがないとため息混じりに呟くのは、最早ゼロの口癖になっていたが、今この瞬間の雫を見せてやることができたのなら、奴は間違いなく感動するだろう。
俺でさえちょっとうるっときた。
あの雫がなぁ…
いつも冷静で浮かべる笑顔は愛想笑い。
美味しいものを食べている時だけ綻んだように笑うあの雫が…
事ある毎にゼロが駆けつけるばかりで、雫から兄を求めるようなことはなかったのに…そっか、雫も兄が恋しかったのか…
雫が兄を求めたのは数年前の遠足の時だけだったが、よかったなゼロ。
俺たちが思ってたより兄の存在が恋しかったらしい。

「あー…そうだなぁ、ゼロの奴中学上がってからどんどんイケメンになるもんだから、女子がほっとかないんだよ」

わざと否定をせずに様子を伺えば、不安に揺れた瞳が地面を見つめていた。
今まで小学校でずっと一緒だったのに、二年先に中学に上がった兄が恋しくなったのだろう。
当たり前のようにそばにいた存在が急に居なくなった上に、彼女が出来たと勘違いすればそりゃあ寂しくもなるよな。
小学生の頃、あいつ暇さえあれば雫のところに行ってたし。
本当は中学上がっても登下校一緒にしたかったみたいだけど、流石に中学と小学校では場所も違うし生活リズムも変わってくる。
ゼロのため息は中学に上がってからかなり増えたのをこの妹はしらないのだろう。

「どうして彼女が出来たって思ったんだ?」

急にそんなことを言い出すってことは何か理由があるのだろう。
正直妹のことばかり考えるゼロにそんな余裕ないけど。

「まえ、学校の帰り道で、兄さんがキレーな人と居たの見て…兄さん、そんな話全くしないけど、知らないうちにできたのかなって」
「それ見てどう思ったんだ?」
「…私のお兄ちゃんなのにって、悲しような、寂しいような、そんな気持ちになった」

ゼロ…お前に今の聞かせてやりたかったよ…
何故か俺が泣きそうだった。
あの雫がこんなことを言う日がくるなんて…俺も可愛げないと思ってたが、あれは全て嘘だ。訂正する。
なぁ、ゼロ、お前の妹めちゃくちゃ可愛いぞ。

「ゼロにちゃんと聞いた方がいいんじゃないか?」
「…ひーくん兄さんと仲良いから知ってるでしょ?」
「最近部活や委員会で忙しくてあんま話せてないからなぁ…雫が聞いた方が早いと思うぞ」

自分で聞くのは恥ずかしいのか小さく唸りながら顔を両手で覆う姿はやっぱりかわいかった。
なんでゼロここに居ないんだろうな。
こんど事細かに教えてやろう。

「…わかった、ちゃんと話する」
「おう、偉いな」

ありがとう、ひーくん。と笑った顔は、今まで見てきた笑顔の中で自然な顔だった。


ーーーーー

「兄さん、今いい…?」

風呂から上がって部屋で寛いでいると、何か言いたげな妹がドアを開いて問いかける。
雫が進んで俺の所にくるのは珍しくて驚いていると、間が悪かったと勘違いしたのかやっぱり後にするね。と引き返しそうになったのを慌てて止めた。

「大丈夫、大丈夫だから。ほら、おいで」

思わず腕を広げて気付く、雫はあまり甘えることをしない妹だ。
どこか大人びて居て遠くに感じる妹は、いつだって距離感を感じていた。
それがどうしても嫌で埋めようと必死に声をかけまくったし、暇さえあればいつも妹の元へ駆けつけた。
中学に入ってからは生活リズムも変わって一緒に過ごす時間が減ったのが最近の悩みだ。
来るわけないよなぁ、と伸ばした所で虚しいだけの腕を下ろせば、くいっ、と控えめに袖口を引かれた。

「…あのね、兄さんに聞きたいことがあるの」

そういってぽすり、と肩に顔を埋めた妹を思わず抱きしめれば、だめかな…?と弱々しい声が呟いた。
駄目なわけがない。
かつてないほどのデレをかまされて、今この瞬間程兄でよかったと思えた日はないだろう。
雫から俺を求めたのは小学校の遠足での一件以来で、不安そうな妹には申し訳ないが、正直舞い上がっていた。
ずっと構い倒しているのに懐かなかった猫に漸く懐かれたような、そんな感覚と似ている。

「…あのね…その…」
「うん、ゆっくりでいいぞ」
「…にいさんは、彼女、いるの…?」

顔を見られたく無いのかしがみつくように腕の力を込めて抱きついて、更に強く押し付けられた顔。
普段から肌が白いせいか、サラサラの黒髪から覗いた耳がほんのり赤くなっていることに気づいて言いようのない感情が込み上げた。
なんとも言いがたいこの感情の名前を俺は知らない。
こんなにも妹の事を可愛いと思えたのは初めてだった。
今までは自分の妹だから俺が守らなくてはという使命感の方が勝っていたが、成る程、俺の妹は世界一かわいい。
今すぐ景光に電話して語りたい程だった。
可愛げがないと言ったがあれは嘘だと声を大にして言ってやりたい。

「雫は俺に彼女が居たら嫌か?」

否定せずに質問をすれば、今にも消え入りそうな声が呟く。

「…わたしのにいさんなのに…」
「ーっ」

俺の妹はやはりかわいかった。
可愛げがないとか言ってごめんな。
なんだか感動で泣きたい気分だった。
そうか、雫は俺に彼女ができるのは嫌なんだな。

「ひーくんがね、兄さんはモテるって言ってて、でも彼女がいるかは知らないから、自分で聞けって言われて」
「それで聞きにきたのか…どうして俺に彼女が居るって思ったんだ?」
「…前に兄さんがキレーな人と居るの見て、そうなのかなって…」
「それ見て雫はどう思ったんだ?」
「…なんか、多分だけど、嫌だった…私のお兄ちゃんなのにって、悲しいような寂しいような、そんな気持ちになった」

何故ここに唯が居ないのだろう。
もし居たのなら俺の妹はこんなにもかわいいのだと自慢してやったのに。

「雫は兄ちゃんの事好きか?」
「…すき」

もう駄目だ、可愛くてたまらない妹を思い切り抱きしめて、俺も好きだと言えばうれしそうに肩口で笑ったのが分かった。

「兄さんは、私のお兄ちゃんなんだ」
「ああ、俺は雫の兄ちゃんだよ」

確かめるようにしみじみと呟いて、ふわりと笑った妹の顔は今までで一番可愛らしかった。

ーーーーーー

「兄さん、おかえり!」
「ああ、ただいま雫」

それから雫は俺に甘えるようになった。
帰るたびに玄関まで走ってきて抱き着く妹を抱きしめるのが何よりの楽しみで、出かける時も兄さんいってらっしゃい!と抱き着いてくる妹。
部屋に居ればぴったりとくっついてきて照れたように笑うのだ。
兄さん兄さんと笑いながら俺を呼ぶ妹の姿を見る度に、頬が緩むのが自分でもわかる。

「兄さん、大好き!」
「俺も大好きだよ」

反抗期なんて一生来なければいいと思った。






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