家と勤務先の中間に見つけた喫茶店。
ビルの一階にある喫茶ポアロ。
二階は最近メディアで有名な毛利探偵事務所らしい。
混んでるかなと店内へ入れば、人が少ない時間帯なのか店内に人はまばらでとても落ち着いていた。
笑顔の素敵な女性店員さんに案内されるがまま二人がけの窓際の席に座って注文を済ませると、持ってきた本を取り出した。

学生時代に兄が買ってくれた文庫本。
中身は童話の原作短編集。
グリム童話を筆頭に、現代で子供向けに改変されている物語の原作がいくつか収録されている。
メルヘンチックな夢物語よりも現実味のある原作に興味を持った私に呆れながらも買ってくれた大切な一冊だ。
外出の際には必ず持ち歩く程お気に入りになったのは、兄が買ってくれたから。
十年以上大切にしている上に、元は古本ということもあってヨレヨレの本だが、そんなところも愛着が湧く。

「お待たせしました。モーニングセットです」
「ありがとうございます」

運ばれてきた美味しそうな香りを放つトーストとコーヒーに、一先ず本を置いて手を合わせる。

「いただきます」

たとえ一人だろうが外だろうが、必ずいただきますとご馳走様はいう。
幼い頃からの習慣だ。
サクりと程よく焼けたトーストと、上にのった卵とチーズのハーモニーは神だと思う。
付け合わせのサラダもシャキシャキと新鮮で、美味しい食事に静かな空間。
朝からこんな贅沢な時間が過ごせるなんて、1日の始まりがこんなにも幸せだと新しい職場への不安なんて一瞬で吹き飛んだ。
ゆるりと頬が緩むのは仕方ない。
美味しいは幸せ。
人生における手軽かつ一番手っ取り早く幸福を感じることのできる食は偉大だ。

「お姉さん幸せそうに食べるね」

ふと声をかけられて視線を落とせば、そこに居たのは眼鏡の少年だった。

「うん、食べるの大好きなんだ。朝ごはんはちゃんと食べないと元気もでないからね。君はもう食べた?」
「うん!あそこで皆でちゃんと食べたよ!」

少年が指差す先には高校の制服に身を包んだ綺麗な女の子と、見覚えのあるナイスミドルなおじ様だった。
どこでみたんだっけかな…

「あ、毛利探偵だ」

私の声に気付いて新聞を置いたかの有名な毛利探偵と目が合う。
コンマ1秒。
気づけば手を握られていた。
え、何この人瞬間移動?

「いかにも私がかの有名な眠りの小五郎…毛利小五郎です美しきお嬢さん」

ひっ。
ぞわり、と身体中に鳥肌が。
言われたこともないキザな言動に体が拒否反応を示した。

「ちょっと!お父さんやめてよ!」

ぱこん、と丸めた新聞で叩かれよろめく毛利探偵の体。

「父がご迷惑をおかけしてすみません…私は娘の蘭で、この子はうちで預かっている江戸川コナン君です」

江戸川コナン…なんとも最近の子はすごい名前の子が多くてびっくりだ。
ついにカタカナでくるとは。

「私は最近この辺りに越してきました降谷雫です。少し先の小児科医院で今日から働くので、もしもの時はいらしてくださいね」
「降谷?ねぇ、お姉さん降谷っていうの?」

私の名前を聞いた瞬間、身を乗り出して聞いてくるコナン君を不思議に思いながら頷けば、彼は更に質問を重ねた。

「雫さんってお兄さん居るの?」
「…え」

まさかその質問がくるなんて。
降谷は別に珍しい苗字でもなんでもないのに不思議とは思ってたんだ。
そこにドンピシャで兄が居るかなんて聞かれたら、この子が兄を知って居る可能性が高いということになる。

「…ねぇ、もしかして知ってるの?」

きっと私の声は震えていた。
あの日、高校を卒業した日。
警察学校で寮生活を送っていた兄と過ごした日。
私が、答えを間違えたあの日から、私は兄に会えていないどころか、もう会わないと電話で一方的に告げられた日から、連絡すら取れていない兄を、この子は知って居るのだろうか?

「降谷零を、知ってるの?」

大好きな兄。
もう側には居ない兄。
少年の瞳が揺らぐ。
…私は今更何を期待しているのだろう。
家を出て行ったあの時の兄の顔は、とても悲しそうで、傷ついた顔をして居た。
私が傷付けた。
兄に嫌われてしまったと思って、怖くて追いかけることもできなかったくせに、今更会ってどうするというのか。
それでも期待してしまうのは、今でも兄を恋しく思っているからだろう。

「…ううん、ごめんね。何処かで聞いたことがある苗字だったから」

人違いだったみたい。と続けたコナン君に、こちらこそごめんね。と笑いかける。

「どうして雫さんが謝るの?」
「悲しそうな顔させちゃったから。気にしないで、兄を探そうとしなかった私が悪いから」
「…お兄さんと会えてないの?」
「うん、もう何年も。私のせいで家を出ちゃってからずっと」
「…寂しくない?」
「寂しいよ、とても。でも私のせいだから」

私が答えを間違えたから、兄は私の前から消えてしまったんだ。

「ねぇ、この本借りてもいい?」

ふと彼が手に取ったのは私の文庫本だった。
…それ原作だから子供に見せるには大分キツイ内容だから悩むなぁ。

「だめ?」

コナン君は小学生にしてあざとさを身につけているらしい。
こてりと首を傾げて上目遣いなんてどこで覚えたのこの子。

「んー、でもこれ、結構怖いよ?」
「グリム童話の原作でしょ?僕知ってるよ!他にも読みたかった原作入ってるみたいだから気になって…」
「こらコナン君、雫さん困ってるじゃない」
「あ、気にしないで。もう読んだことあるなら大丈夫か。いいよ、ちゃんと返してくれるなら貸してあげる」

やったあ!と無邪気に喜ぶ姿を見たら、不安なんてなんのその。

「じゃあ今日中に梓さんに渡しておくから、またお店に来てね」
「いいの?明日でも大丈夫だよ?」
「ううん、大切な本だし、僕が読みたかったの二つだからすぐ終わるよ!」
「そっか。じゃあまたこのお店にくるね」

コナン君達と梓さんという店員さんにも挨拶をして店を出た。
あの子ならちゃんと返してくれるだろうし、楽しんでくれたらいいな…まぁ楽しいというには程遠い内容だけど。
満足してくれたらいいか。





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