ついに、買ってしまった。
前世でも手を出さなかったグッズに。
中身が見えないように青い色付きの袋に包まれたそれは、抱き枕。
それもただの抱き枕ではない。
日曜朝からやっている某特撮ヒーローの推しが両面でプリントされた枕カバー付きの抱き枕だ。
表面には俳優がプリントされ、裏面には変身後の姿がプリントされている。
バイク乗ってるお兄さんも好きだが、全身タイツのお兄さんも好きだからしょうがない。
本当は某バイク乗りの特撮ヒーローのも欲しかったが、流石に初めての抱き枕グッズで二つは勇気がいる。
幼少期は全く理解できなかったが、大人になってからわかる特撮の良さ。
子供をエサに世の中のお母さんが俳優さん目当てでショーやサイン会に行くあの感覚が、今の私にはよく理解できる。
かっこいいよね、特撮ヒーローの俳優さんって。
内容も大人も楽しめるものが多いし、ついつい俳優さんのその後の活躍を追ってしまったりするよね。
前世では不運な主人公が色んなキャラに憑依される某バイク乗りならぬ電車乗りにハマっていたこともあったが、今世でも特撮にハマっているのだから、私の特撮好きは魂に刻まれているのかも知れない。
「あ!雫さんこんちには」
「随分おっきい荷物持ってるわね。何買ったのかしら?」
「蘭ちゃんと園子ちゃん。今帰り?」
部活もなかったから早く終わったのだと答える彼女達の視線は、大事に抱えた袋の中身に向いていた。
「抱き枕をね、買ったんだよ」
「ただの抱き枕にしては嬉しそうですけど、そんなにいいやつなんですか?」
「うんといいやつなんだよ!それはもう最高の抱き枕だと思う」
「そこまで言われると気になるじゃない。ちょっと見せてよ」
「でも此処だと人の邪魔になるから…」
「じゃあそこの喫茶店はどうです?」
そこの喫茶店って思い切りポアロじゃん…
帰り道だから通って当然だけど、この子達は安室透が私に気があると勘違いしているせいか、やたら関わりを持たせようとしてくる。
そんなに毎回居るわけでもないのにね。
事実毎朝会えるわけでもないし。
「安室さん、居るといいですね」
蘭ちゃんにそんな風に言われると何も言い返せなくなってしまう。
そんな優しい顔をされると全力で否定するのが申し訳なくなってしまうのだ。
でもね蘭ちゃん、私別に安室透に会いたいわけじゃないんだけどねぇ気づいて。
「いらっしゃいませ…おや、今日は随分大きな荷物をお持ちですね」
安室透居たのかぁ。
此方へどうぞと案内された席のソファー側に腰掛けて、大事な大事な抱き枕を立てかけるように置いた。
ヒーローを寝かすのはベッドの上と決めてある。
いつも怪人退治ご苦労様です。
「それで?どれだけ抱き心地のいい枕なの?」
「抱き心地は分からないけど、むちゃむちゃいいやつだよ」
「抱き心地で選んだんじゃないんですか?」
運ばれてきた飲み物に口をつけながら首を傾げる二人。
そうだろうそうだろう。
この感覚はオタクしか理解できないのだろう。
普通の人はいい枕と聞けばその機能性だけに目がいくが、この手の物に手を出すオタクには機能性よりも重視する点がある。
そう、いかに推しを愛せるかだ。
カッコよく、または可愛く推しがプリントされた枕カバー。
それを抱き枕にはめて抱きしめるイコール、人によっては推しを抱きしめるのと同意である。
2次元キャラクターしかり、アイドルしかり。
抱き枕カバーの前ではジャンルの違いなど関係ないのだ。
ジャンルの壁すらも超えることのできる枕カバーはとても素晴らしい発明だと思う。
「へぇ、雫さんがそこまで言うだなんて、僕も是非見てみたいですね」
「安室さんお仕事はいいんですか?」
なんでちゃっかり話に混ざってるんですか。
「お客さんも他に居ませんし、それにそこまでいい枕なら僕も買ってみようかと」
買えるものなら買ってみろ。
なんせこの袋に包まれたのはイケメンヒーローである。
「じゃあ人がいないうちにお披露目してあげよう!…じゃん!これが最高の抱き枕だ!」
袋を取り去って中身を表せば、予想していなかったのかきょとんとした顔を浮かべた三人。
そして直ぐに表情は変わっていき…
「…あんた、オタクだったの?」
「で、でもほら、アイドルの抱き枕とかよくあるじゃない…!」
「にしたってアレ、ガキンチョ共が好きなヒーローでしょ」
呆れ顔の園子ちゃんと、必死にフォローをする蘭ちゃん。
別に共感してもらえるとは思ってなかったけど、見たいって言っといてそれはないと思う。
少しばかり寂しい気持ちになりながらも、本当に見せたいのはこの反対側である。
今蘭ちゃん達に見せたのは変身後の姿だ。
つまり、この裏には最高にかっこいい変身前のヒーローがいるわけだ。
変身後もかっこいいけど、変身前の姿ならミーハーな園子ちゃんも分かってくれるかも知れない。
「どうだこれがレッドの本当の姿だ!」
くるりと反転させてイケメンを出現させれば、黄色い声を上げる園子ちゃん。
そうだろうそうだろう。
すっごいイケメンだろう。
ただの一ファンの癖して何故か自慢気な気持ちになるのはあるあるだと思う。
私の推しは最強なんだ!
…あれ、これ死亡フラグ?
「雫さんって特撮お好きなんですね」
「レッドがね、推しでついね、買っちゃったよね」
「そういえばイケメン若手俳優って特撮出の人も多いって聞くもんね。私も見よっかな」
「かっこいいから園子ちゃんハマると思うよ。是非オススメするよ!」
「へぇ、雫さんはそういうタイプの男性がお好きで?」
「安室さんもイケメンだけど、抱き枕の人はまた違ったイケメンだもんねぇ」
今まで黙って私達のやり取りを聞いていた安室さんの発言に乗っかる園子ちゃん。
安室透の見た目とは確かに方向性の違うレッドは、けれど童顔という点においては共通している。
兄さん外見だけだとチャラいもんなぁ。
レッドは黒髪の子犬系男子といった雰囲気だ。
「へへ、つい衝動買いしちゃうくらいイケメンだからね」
推しが褒められて嬉しい私はそのまま抱き枕を抱きしめる。
中の枕もふわふわしていて最高の抱き心地の枕は暫く手放せそうにない。
「そうだ、雫さんのお飲み物まだでしたね。すいません、今お持ちしますね」
にっこり笑って去っていく安室さん。
私も園子ちゃんたちと同じで冷たい飲み物頼んだのに、何で後回しにされてしまったのだろう。
因みに注文していたケーキは先に来ていた。
一旦抱き枕を隣に掛ければ、なんか隣に座ってるような感覚がしてちょっぴり嬉しかったり。
大好きなヒーローが私の隣に座ってる…!そんな感動を胸にケーキに舌鼓を打っていると安室さんがアイスコーヒーを乗せたトレーを持って近づいてくる。
アイスコーヒーをトレーから持ち上げた瞬間、水滴で滑らせるように抜け出たグラス。
勿論中身はアイスコーヒー。
…ぱしゃり。
「おっと、僕とした事がすみません…!」
変身前のヒーローの顔面がコーヒーで茶色く染まった。
ぜ、絶対わざとだ…!兄さんわざとだ…!!!
しっかりと回収された死亡フラグに心が折れそうだ。
「…わたしのだきまくら…レッドが…ひーろー…」
「あ、洗えば何とかなりますって…た、多分…!」
「取り外しできるんでしょ?そう落ち込まないでよ」
「ううっ、最後の一個だったのに…」
おしぼりでパタパタふかれる私のヒーローの顔面は、やっぱりコーヒー色に染まっていた。
「本当にすみません、雫さんが大事にされていた抱き枕なのに…」
「ひーろー…」
「ああ、そんな顔をしないでください…そうだ、代わりと言ってはなんですが、僕がもっといい抱き枕をご用意しますから。ね?」
優しく慰めるように肩に手を添えて、安室スマイルを向けてくる男。
誰のせいだと思ってやがる。
結局コーヒー色に染まったヒーローを袋にしまって帰る事にした。
…多分染みは抜けない。
ーーーーーーーー
「なぁ、悪かったよ。本当にわざとじゃないんだ」
そして夜。
白々しくもそんな台詞を吐いて、コーヒー色に染まったヒーローを抱きしめる私に言う男。
許すまじ。
いくら大好きな兄さんであろうと、私のヒーローになんてことを。
「汚れるから抱きしめるのやめないか?」
「汚れません。もう染みになっちゃってるし…誰かさんのせいで」
「悪かったって」
この嘘つきめ。
何がわざとじゃないだ。
わざとやったくせに。
安室透が、兄さんが、あんなヘマをあんなタイミングでするわけがないんだ。
ピンポイントでヒーローの顔面にぶちまけたくせに、抱き枕以外への被害はたいしてなかったんだからわざとに決まってる。
「ほら、もうそれ離せって」
「やだ」
「もっといい抱き枕用意するって言ったろ?だから機嫌なおしてくれよ」
あの戦隊モノの中ではこれが私の推しなのに、もっといいものなんてあるわけないじゃないか。と睨みつければ、困ったように肩をすくめた。
ほら、全然悪いって思ってないじゃんか!
「とりあえずこいつは洗濯機にブチ込むとして…」
「ああっ!無理矢理引き抜くなんてずるい!鬼!」
「何とでも言え」
本性を現したなこの鬼め!!
さっさと抜き取られてしまったヒーローが枕から引き剥がされ洗濯機へとポイされてしまった。
中身の枕も乱雑に放り込まれ、あっという間に洗濯機のスイッチが入れられぐるぐると回る。
…鬼め…
「抱き枕もうないのに…」
「だから新しいの用意するって言っただろう?」
「持ってないじゃん」
手ぶらで上がり込んで置いてそれはないと思う。
「あるだろ、目の前に」
何故かドヤ顔で示されたのは、恐らく兄自身。
なんなのこの自信家。
昔から兄さんは自信家な一面があるが、今回ばかりは安室透ではなく降谷零に苛立った。
ちくしょうめ。
「くっそう、兄さんのばかやろう!」
「そう言いながら来ちゃうんだからお前は可愛いなぁ」
覚悟しろ!とぎゅうぎゅうに抱きしめてやれば、全く反省していない兄が笑いながら頭を撫でてくる。
「毎日は無理だけど、お前が寝るまで頭も撫でてやるし、抱きしめてもやれる。おまけに飯も作ってやれる。どうだ、こんないい抱き枕は他にないと思うけど?」
ああそれと、と思いついたような声を上げて私の顎を掴んだ兄さん。
「キスだってしてやれる」
わざとリップ音を立ててキスをした兄に、今日はもう絶対離してやるものかとしがみついてやった。
抱き枕って自分で言った兄さんが悪いんだ。
次は汚されないようにシーツバージョンを買ってやる。
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