直ぐに夢なのだと気付いた。
懐かしい夢。
ひー君と兄さんと三人で笑っていた頃の。
兄さんが中学を卒業してからというもの、寂しく一人で家に帰った玄関に見つけた二足の革靴。
兄さんとひーくんのものだ。
いつもは私の方が帰宅が早いのに、その日は珍しく二人の方が早かったらしい。
急いで兄の部屋に直行すれば、予想通りひーくんと兄さんがおかえりと言って手招いてくれた。
「ひーくんギターやるの?」
ひーくんはギターを持っていて、最近やり始めたんだと教えてくれた。
「因みにこれはベースっていうんだ。どうだ、かっこいいだろ?」
「うん、ひーくん持ってるだけでむちゃむちゃかっこいい」
「弾いたらもっとかっこいいぞ。聞きたいか?」
「おい景光、あんまり大口叩くと失敗した時恥ずかしいぞ」
「まぁまぁ、結構いい線いってるんだから聞いとけって」
「ったく、知らないからな。ほら、雫おいで」
兄さんに抱え込まれるように前に座って、ひーくんがベースを弾くのを待つ。
ピックで一本一本弦を弾いて奏でた音は、思っていたよりも低くて響くような音だった。
「ひーくんかっこいい…!!」
「そうだろそうだろー?ゼロとどっちがかっこいい?」
「兄さん!」
「だよなぁ」
ひーくんもベース似合うしかっこいいけど、兄さんが弾いたらもっとかっこいいのだろう。
なんでもソツなくこなせる兄は、直ぐ弾けてしまうのだろうと思った。
「やってみるか?」
「いいの?」
ベースを肩に掛けてもらって、後ろから手を持って誘導されるがままに弦を弾けば、さっき聞いたのと同じように低く響く音がした。
「凄い…!」
「まだ一音鳴らしただけだけどな」
「でも音鳴ったよ!兄さんこれすごい!」
「ベースが凄いのか?」
「じゃあ教えてくれたひーくんがすごい」
「もーお前ほんっと可愛くなったなぁ」
「おい、俺の妹だからな」
「分かってるよシスコン」
じゃあ次続けて弾くぞと教えてくれたひーくんだったけど、どうやら私にベースは向かなかったらしい。
「ゆ、指つった…」
昔ゲーセンの音ゲーをやった時も指をつったことを思い出す。
人生二周目でも私にはこの手の楽器は向かないらしい。
なんのための二周目だろうか。
「にいさーん」
「任せろ、さっき少し教わったからな」
「ゼロこそそんな自信ありげに言って大丈夫か?可愛い妹の前でヘマったらかっこ悪いぞ〜?」
「ヘマるわけないだろ」
「お前ってほんと自信家だよなぁ」
私からベースを受け取って、流れるように弾き始めた兄さんはこの世で一番かっこよかった。
「兄さんなんでもできるね!すごい!!」
「うっわぁ、そのドヤ顔まじ腹立つわぁ」
「雫が弾けない分、俺が弾いてやる」
「すごいすごい!ひーくんよりかっこいい!」
「当たり前だろ」
「お前ら兄妹は俺に恨みでもあんの?」
笑って言ったひーくんに、二人で冗談だよって言ってベースを教わった。
結局私は途中で断念して、兄さんはギターの弾き方まで教わっていた。
兄さんは要領もいい上に努力をするから人よりできることが多いんだろうなぁ。
部屋には笑い声とベースの音が響いていた。
ーーーーーー
「…懐かしいなぁ」
随分と昔の夢を見た。
だというのに、私はそれをつい最近の出来事のように感じてしまう。
ひーくん、若かったな。
兄さんたちが高校生の時の事だから、若くて当然といえば当然だけど。
二人が警察学校に入ってからはひーくんとは電話でたまに話すだけだったから、大人になったひーくんがどんな姿だったかを私は知らない。
「…もう会えないんだ…」
兄さんにひーくんが殉職をしたと聞いた時も、全く実感がわかなかった。
また昔みたいにひょっこり現れて、お前ら仲良いなぁって笑うんじゃないかって思ってしまう。
…兄さんはひーくんの死を受け入れているんだろうか。
ひーくんは、ずっと私たち兄妹のことを気にかけてくれていたのに、ちゃんと仲直りできたよって伝えることはもうできない。
「…わたしだけ子供のままだ」
だって私は、あの時と同じ姿でひーくんがまた現れるんじゃないか、なんて思っているのだから。
私は、未だに彼の死を受け入れることができていない。
精神年齢アラフィフの人生二周目だからって、全てをすんなり受け止められる程できた人間にはなれないらしい。
「…でかけるかなぁ」
折角の休日に部屋にこもりっぱなしというのも勿体無いだろう。
ーーーーーー
「あ!じゃあ雫さんでいいじゃない!」
「…はい?」
びしり、と私に向けて指を指す園子ちゃん。
本屋で時間を潰した帰りにポアロに寄った途端これである。
こら、人に指をさしてはいけません。
状況が飲み込めずに視線をずらせば、テーブル席には蘭ちゃんとコナン君と、見たことのない女の子が座っていた。
「急にどうしたの?」
「実はウチらでバンド組もうって話してて、あとは担当ギターだけだから梓さん誘ったんだけど触ったことないみたいで」
どうやらバンドのメンバーに勧誘されているらしい。
だから雫さんもどう?と誘ってくれた園子ちゃんに首を横に振る。
「私ギターは全くダメだから」
「ちょっと練習すればできるわよ!」
そのちょっとの練習が駄目だったんだよ…
結局あの時兄さんと唯君が弾くのを聞いていただけだった。
そんなことを思い出していると、園子ちゃんの言い方が気に食わなかったのか別の席に座っていたバンドマンらしき男がギターを出して絡み始めていた。
「んじゃ弾いてみろよ。俺のギター貸してやるからよ…」
女子高生に対して大人気ないなぁ。
ギターやってる人からしたら馬鹿にされたと勘違いとしても仕方ないけど、だからと言って女子高生に絡むとかかっこわるすぎるだろ。
ギターを提げた彼女の顔が徐々に曇っていくのにやにやと眺めるバンドマン。
「何だ、できねぇじゃんかよ!」
「弾けねぇのにナマ言ってんじゃねぇよ!JKがよぉ!!」
男たちのからかう声についに涙目になってしまった園子ちゃん。
女子高生泣かせるとかほんとに大人気ない。
確かに園子ちゃんも言い方が悪かったかも知れないが、こんな風に人目に触れる場所で恥をかかすような真似をする必要はないだろう。
大人気ない男たちへ一言大人としての発言をしてやろうと一歩前に出れば、それを止めるように割り込んだ腕。
その先には安室透が居た。
「貸して…」
園子ちゃんからギターを受け取った安室さんはそれはもう華麗なピック捌きを見せてくれた。
まあね、そうなるよね。知ってる。
ひー君にギターも教わってたもんね。
流れるような動作で音を奏でる兄さんはやっぱりかっこいいなぁと思ってしまったのがなんとなく悔しかった。
あれは安室透なのに、昔ベースを弾いた兄さんと被って見えた。
安室透の中にごく稀に見つけてしまう兄さんの姿。
その度に今は私の兄さんではないのだと自分に言い聞かせて、ほんの少しの寂しさを味わっていたり。
…末っ子体質は幾つになっても抜けないのか。
「この子たちもちょっと練習すればこれ位弾けますから」
そう言ってギターを返す顔は安室透のものだった。
うわぁ、なんかもうやることがかっこよすぎて何も言えない。
素直にそれを言えないのは相手が兄さんではないからだ。
降谷零だったらちゃんと言ってる。それはもう抱きついて言ってる。
…私兄さん好き過ぎだなぁ。
安室さんのギター捌きにイケメンメンバーとして勧誘する園子ちゃんだけど案の定断られていた。
まぁね、そうだよね。
バンドまでやり始めたら兄さんの職業って何かわからなくなっちゃうよね。何でもできてしまいそうな兄の才能はいっそ恐ろしい位だ。
ただでさえ探偵と探偵の弟子と喫茶店のバイトやってるし。
本業は警察でしかも潜入調査中とか、よくやれるなぁって思う。
私にはとてもじゃないが無理だ。
ひー君も兄さんみたいに沢山の顔を持っていたのだろうか。
「で、そこの雫さんも行くんだろ?」
「え?ごめん、話聞いてなくて…えっと、君は…」
考え事をしていたせいで、何の話か聞こうとすれば、声をかけてくれたのは見知らぬ女の子だった。
制服は園子ちゃんたちと同じだから同級生だろうか。
「おっと、自己紹介がまだだったな。ボクは世良真純。宜しく」
「降谷雫です、よろしくね」
「で、さっきの話なんだけど、そこの安室って人がスタジオ連れてってくれるみたいだから雫さんも一緒にどうだ?」
「でも私何も弾けないよ?」
「安室さん来るんなら雫さんも行くに決まってんでしょうが!どうせ暇でしょ」
「コナン君も一緒に行きますし、折角なら少し触るだけでもどうですか?」
よーし、人数も集まったしやる気でてきたー!と気合を入れる園子ちゃんと盛り上がる女子高生達。
…もうこれ断れない流れじゃん。
「ええ、よかったら雫さんもご一緒にどうですか?」
「…おねがいします」
安室スマイルから視線を逸らしつつ、行くことにした。
あわよくば一緒に帰れたらいいななんて思ってしまったのは下心ってやつだろうか。
ーーーーーーーー
「うわぁ、貸しスタジオとか始めてきた…」
なんか凄いなぁ。
あれ、初めての場所にドキドキしてるの私だけ?
キョロキョロと物珍しさに辺りを見回していれば、安室さんに笑われた。
だって初めて来たんだもん、しょうがないじゃん。
どうやら私が一人物珍しさにキョロキョロしていた間に話は進んでいたらしく、一時間の待ち時間を地下の休憩所で待つことにしたらしい。
「余所見して迷子にならないでくださいね」
「…気をつけます」
こっちですよ、と腕を引く安室さんに複雑な気持ちを抱えつつも、大人しくついて行った。
「わ、世良ちゃんベース弾けるんだね…!」
「世良ちゃんすごーい!」
「やるじゃん!」
「ただドレミを弾いただけだって…」
椅子に座ってベースを弾いた世良ちゃんはそういうけど、そのドレミすら私は根を上げた。
「まぁ、兄貴の友人に教わったのはこれだけだけどね…」
「世良ちゃんお兄さん居るんだね。私も兄が居るんだけど、同じように私も兄の友人に教わったことがあるんだ」
「そうなのか?じゃあ雫さんもこれ位弾けるんじゃないか?」
「それが、すぐ指つって断念したから私はドレミすら弾けないよ」
代わりに兄さんが弾けるようになってたけど、カッコよくベースを弾く兄さんが見れたから別にいいやって直ぐに弾くの諦めたんだよなぁ。
兄さんもひー君も楽しそうで、そんな二人を見てると私まで楽しくて、うれしかった。
「ベースを教えてくれたその男の顔…覚えてますか?」
「まぁ…なんとなく…どうしてわかったんだ?その友人が男だって…」
「まぁ…なんとなく…」
世良ちゃんと安室さんの会話は、何かお互いに探るような会話だった。
…わざわざ尋ねるという事は、世良ちゃんが教わったお兄さんの友人と安室さんは知り合いなのだろうか。
頭に浮かんだひー君の顔。
…ベースが弾ける人なんて他にも居るだろうし、ひー君とは限らない。
もし世良ちゃんのお兄さんの友人が安室さんの知る人物だとしたら、世良ちゃんのお兄さんのことも安室さんは知ってるのだろうか。
腹を探り合うような会話が、妙に引っかかった。
「もォー!みんな気合い抜け過ぎなんじゃないの!?」
ふと後ろから聞こえて来た声に目をやれば、休憩中のガールズバンドが揉めているらしい。
バンドとかグループとかって揉め事は付き物って感じするよなぁ。
音楽性の違いとかで解散したりメンバーが減ったりするって聞くし、大変そうだ。
こんなにめんどくさそうなのにバンドを組もうと練習に来た園子ちゃんたちは偉いなぁ。
正直人と揉める事自体が面倒で避ける道を選んでばかりの私には、意見を言い合って一つのものを作り上げるという作業がストレスでしかない。
だから大抵は相手に合わせて流すことが多い。
…幼少期は常にそんな感じだったから子供らしくないとか可愛げがないとか言われてたけど。
「曲は沖野ヨーコさんのダンデライオンだとして…誰がボーカルをやるんですか?」
「「「え?」」」
安室さんの問いに押し付け合うようにして自分以外の名前を挙げていく女子高生達。
楽器パートしか考えてなかったのか。
巻き込まれる前にそっと休憩所を出てお手洗いへ逃げることにした。
こういうのって大抵巻き込まれるパターンだからね。
去り際に安室さんと一瞬目があったが、直ぐに人差し指を立てて「ないしょ」と口パクで伝えた。
おっとコナン君も見てたか。
小さく手を振っておいた。
…呆れた顔で見るのやめて。お姉さん面倒事だけは嫌なの。
お手洗いを済ませて休憩所へ戻ろうとした時、スタジオに響き渡った悲鳴。
…上のスタジオからか。
そのまま階段を駆け上がろうとする私の前を走り去る三人の姿。
「蘭ちゃんと園子ちゃんはそこで待ってて」
嫌な予感がして残る二人に言いつけて、安室さん達の後を追うように奥のスタジオへ入ると、その先に居たのは先程揉めて居たガールズバンドの姿。
ドラムの側には、寄りかかるようにして倒れている女性。
嘘だ。
だってさっきまで彼女は生きて居た。
その足を地につけて、息をして、言葉を紡いでいた。
生きて、いたじゃないか。
「…ダメ、か」
近寄って呼吸を確かめても息はなく、その状態から息を吹き返すことはもうないのだと悟った。
首についた線は彼女が殺害された事を表している。
さっきまで生きていた人間を絞め殺した痕。
苦しんで死んでいったと分かる顔に、これを見ても尚、犯人は息の根を止めようとしたのかと思うと、人の恨みというのは恐ろしい。
命を奪うことでしか、晴らすことができないなんて。
何故。
殺す以外には方法がなかったのか。
何故、自分の手を穢すような行いをしてしまうのか。
何故、こんなにも簡単に人が殺せるのか。
どんな恨みがあったかは知らない。
知らないが、殺すのが目的であれば何故犯人はその目的を達成しても尚逃げるのだろうか。
自分が良くない事をしたという自覚があるからはぐらかしているのか、やって当然のことをしたから自首しないのか。
ぐるぐると色んな考えが頭の中を駆け巡る。
「雫さん」
答えの出ないことばかりを考えていると、聞きなれた声が私を呼んだ。
「顔色が優れないようですから、貴女は此方で休んでいてください」
背中に触れる手。
誘導するように添えられた温もりに、それだけで安心できてしまうのは幼い頃からその温もりに助けられて来たからだろうか。
ーーーーーー
響き渡る絶叫。
枯れるほどに叫ぶのは、勘違いによって友人を殺めてしまったことによる後悔だろうか。
人は死んだら生き還れない。
その人自身の人生はそこで終わってしまう。
例え人々の記憶に残って居たとしても、それはただの思い出だ。
言葉を交わすことも、その温もりを感じることももうできない。
…私の中のひー君も、もう思い出でしかないんだ。
「雫さん」
送りますよ。と背中に触れた温もり。
どちらかが死んでしまったら、この温もりを感じることはできなくなってしまうのだろう。
研修医時代、何度も思ったことがある。
色んな科に回されて、色んな患者を見て来た。
治る人も、中々治らない人も、そのまま息を引き取る人も。
繋ぎとめられなかった命に医師は歯を食いしばり、悔しさを押し込めて頭を下げる。
遺族は泣きながら、温もりを失った体を抱きしめる。
冷たくなった体を抱きしめて、死を実感するのだ。
もう動くことも、喋ることもできない。
触れれば直ぐに感じられた温もりは二度と戻ってこないのだと。
もしこれが、私の大切な人であったらと思う度に、ひやりと指先から体温が引いていくようだった。
「…心配するな」
黙り込んだまま助手席に座る私の頭を、兄さんの手が撫でる。
「ちゃんと雫の側に帰るから」
きっと兄はなんでもお見通しなんだろう。
「…うん、大丈夫」
兄さんが帰って来たその時は、おかえりと言って、それで二人でひー君のお墓まいりをしよう。
久しぶりって声をかけて、それから私はボロボロ泣くだろうなぁ。
思い出になってしまった話をして、何も声が返ってこないその時に、きっと私は彼の死を受け入れるのだろう。
「兄さんはあったかいね」
「雫も、温かいよ」
信号が変わるまでの間握っていた手。
大丈夫、ちゃんと帰ってきてくれる。
自分一人では生きてるかわからなくなる時がある。
だから、こうして誰かの体温を感じて生きている実感を得る。
私と同じように兄さんもそれを感じてくれていたらいい。
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