テレビの向こうでは、まるで別世界のような情報が流れている。
東都水族館で起きた事件。
ヘリコプターによる襲撃。
壊された大観覧車。
何が起きているのか分からなかった。
平和と言われる日本では考えられないような出来事。
そんな事件の裏で、兄さんは動いているのかもしれない。

「…とおい、なぁ」

私には手の届かない遠くて危ない場所にいる。
常に死と隣り合わせの場所。
きっと私が行けないような、行ってはいけない遠い場所。
けれどそれは兄が選んだ道だ。

「…大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」

必ず私の側へ帰ってくるって兄さんが言ったんだから、絶対帰ってくる。
ちゃんと帰ってこれるように、私は待たなくちゃいけない。
大丈夫、大丈夫。
…本当は少しだけ、怖かった。
兄さんとの間にある距離は、どうやったって埋められやしないのだ。

「駄目だ駄目だ!考えたってしょうがない!」

不安になった所でどうなるわけでもない。
ぱしぱしと自分の頬を叩いて笑った。
そう、大丈夫。
だって兄さん強いし、多分殺しても死ななそうだし。
それに約束破ったことないし。
私に出来ることは一つだけなら、その一つをちゃんとこなすだけ。
兄の帰る場所として、ちゃんと待つんだ。

「大丈夫、兄さんは殺しても死なない」

明日でも、明後日でもいいから、安室透でもいいから、その姿を一目見れたらいい。まるで会えなかったあの頃に戻ったようで、息苦しさを感じた。
それでも、帰ってきてくれると信じているから、私は呼吸ができるんだ。


ーーーーー


きっと私は、兄が居ないとまともに呼吸することすらままならない。
兄が私の前から去ってから再会するまでの10年近くは、生きた心地がしなかった。
会いたいのに会えなくて、追いたかったのに追えなかった姿。
ずっとずっと息苦しさを抱えながら、考える隙を殺すようにして過ごしてきた。
けれど、漸く再会できた時、すれ違いを正せた時、やっと息をすることができた気がした。
降谷雫の人生を生きる上で、降谷零の存在は無くてはならない存在だったんだ。
私が降谷雫として生きることを受け入れることができたのは、降谷零の存在があったから。
兄さんが居たから、こうして私は降谷雫として生きることができたんだ。
それはきっと、私にとって特別で、かけがえないのない唯一の存在。

「雫」

泣きたくなるくらい優しくて落ち着く声。
そんな風に感じるのは兄さんだけ。
包み込むように抱きしめる体温がこんなにも温かくて安心するのも、兄さんだけ。
好きなんだ。って思いが当たり前のように沸いてくる。
じんわりと染み込んで、指先までもを温かくする。
自覚をしてしまえば、今まで安心感と好きだと思うだけだったのが、ほんの少しの切なさを与えた。
苦しくはない、何故か心地よさすら感じる胸の締め付けは、あの時と同じだ。
小学生の頃、兄に彼女ができたと勘違いをした頃。
私のお兄ちゃんなのに。と柄にもなく嫉妬心を覚えた頃。
あの時、漸く自分が降谷零の妹の降谷雫という存在であることを受け入れることができた。
もしかしたら、あの時から私は兄さんが特別だったのかもしれない。
擦り寄るように首元に唇を軽く押し当てれば、満たされるような感覚がして頬が緩んだ。

「兄さん」

呼びかければ唇に落とされる優しい温もり。
じわじわと込み上げる幸福感とほんの少しの気恥ずかしさ。

「好きだよ、兄さん」
「ああ、俺も好きだよ」

沸き上がる思いのまま言葉にすれば、同じように返ってくる言葉。
好きって言葉は言いすぎると安っぽいとか聞くけれど、私はあまりそう思わない。
それはきっと本当に好きで、溢れる思いを口にしてるからかな、なんて恥ずかしいことを思ってみたり。
こんな風に感じるのだって相手が兄さんだからだ。
触れるだけじゃない、もっと互いの体温を感じるように、確かめるように、熱を絡めるような溶けてしまいそうな深い口付け。
指先までぽかぽかと温まる熱に、やっぱり私は兄さんの存在に生かされているのだと感じた。
兄さんと居るだけで、全身に血が巡るんだ。

「最近思うんだ。触れる体温を心地よく感じるのも、心の底から好きだと思えるのも、こんなにも安心できるのも、全部兄さんだからって。きっとこれが私の特別なんだって、そう思う」

もっと体温を感じられるようにと指を絡めるように手を繋ぐ。
この指先からも生きてる体温が伝わればいい。
兄さんだから、こんなにも温かいのだと。

「もしも自分の全てをあげれるのなら、私は全部兄さんにあげたいって思う。兄さんだけに、私の全てを貰って欲しいし、求められる物は全部あげたいって、そう思う。きっとこれが兄さんの言う好きなのかなって最近になって気づいたんだ」

こんな風に思うのは、兄さんだから。
兄さんにだけ抱く特別。
もしこれが兄さんが私に抱く好きと同じだったらいいな、なんて願望を抱いてしまう位には、私は兄さんが好きなんだ。
きっとそれは無自覚に、あの頃から抱いていた感情。
本人に言うのは恥ずかしいけれど、それに、と言葉を続けた。

「それと同時に、同じくらい欲しいなって、思った」

欲張りかもしれないけれど、あの頃、私の兄さんなのにと思った時、確かに私は兄さんを求めていた。
どこにもいかないで。
そばにいて。
大好きな私の兄さん。
きっとあの頃から、私のこの特別は兄さんだけだった。
隣に居るのもキスをするのも、欲しかったのは全て兄さんだけ。
だから戯れるように頬にキスをするのも兄さんとだけだった。
気づかなかっただけで、本当はこんなにも求めていたんだ。

「…私、もしかしたらあの時からずっとそう思ってたかも」
「だとしたら、随分長い両片思いだな」
「近すぎて見えないってやつ?」
「お前が鈍感すぎるんだろ」
「えぇ、私のせいかなぁ」

嘘だよ。と言って私を抱きしめる腕の力が強まったのが嬉しくてわざと声をあげれば、兄さんも同じように笑っていた。

「必ず雫の元へ帰るから、余所見しないで待ってろよ?」
「なんだかプロポーズみたいだね」
「一応プロポーズだからな」

以前私がしたように、けれどそれとは比べようもないくらい優しく薬指へと落とされた口付け。
まるで見えない指輪がはめられたようで、胸の奥がくすぐったかった。
きっとこういうのを人は幸せと呼ぶのだろう。
そしてこの幸せは兄としか得られない、特別な幸せだ。







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