オープンしたばかりのテーマパーク。
押し寄せる人混みの中、少し先を行く友人が私の名を呼ぶ。
早く早くと急かす友人の姿は人混みに紛れて消えそうで、見失わぬようにと目を凝らすも今にも人混みに消えてしまいそうで思わず腕を伸ばした。
しかしあっという間に人波に流されてしまった友人。
自分達と同じくショーを観るために押し寄せる人波は少し動くだけでも体がぶつかる程の混みようで、あぁやっぱりいい歳して女二人で寂しくテーマパークなんてくるんじゃなかったと思っていると突然響き渡った悲鳴。
きゃあああ!
甲高い女性の悲鳴がいくつかあがり、そして次々と男性女性そして子供と、色んな声の悲鳴がまるでこちらに近づくように上がっていき、何事かと振り返ると、間近に迫った男と目があった。
目深に帽子を被った男がそのツバの下でニヤリと口元を歪めるのが見えた時、とすり。と何かが胸に突き刺さる。
なにがおきたの?
視線の先には真っ赤に染まったナイフがスローモーションで私の胸から引き上げられた。
そしてまた目が合った男は笑ったままそのナイフを振りかぶってーーー

「ーーっ!!」

勢いよく体を起こして、じっとりと冷や汗が噴き出す体と聞こえてくるアラーム音で夢だと気付いた。

「……なつ、か」

27歳のあの夏の日、私は見知らぬ誰かに殺された。
何度か見た夢の筈なのに、今日はやけにリアルで、どろり、あの時刺された胸と腹から血が溢れたような、そんな感覚がじっとりと纏わりつく。

「…同じ歳、同じ季節、か」

消えて欲しかった記憶が、犯人の笑った顔が、鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
どくどくと脈打つ胸を握りしめるように掴んだTシャツは、汗でびっしょりと濡れていた。


ーーーーーー

「雫さん、顔色悪いけど大丈夫?」

いつも通りポアロで朝食を食べていると、いつの間にかコナン君が隣で心配そうにこちらを見ていた。

「ちょっと夢見が悪くて。心配してくれてありがとう」

いつもは美味しいモーニングメニューも味がしなかった。
大丈夫だよ。と頭を撫でれば、それでも心配そうな表情を崩さないコナン君。

「でも雫さん、コナン君の言う通り本当に顔色悪いですよ…今日はゆっくりされた方がいいんじゃないですか?」
「これは一大事ですな!よければ是非ともうちの事務所で休んで行ってください!」
「ちょっと、お父さん!」
「大丈夫ですよ。ちょっと気分が優れないだけですぐよくなりますから」

毛利さんと蘭ちゃんにも笑って返して、コーヒーを飲み込んだ。
やっぱり味は全然わからなかった。

「こんな時安室さんが居たらなぁ」
「なんでそこで安室が出てくんだよ」
「だって安室さん、いつも雫さんのこと気に掛けてるじゃない」
「そう言えばよくカウンターでお話されてますもんね。安室さん最近調子が悪くなったって言って急に休むことが多いので、どこかお体が悪いのかも」
「ええっ、大丈夫かなぁ…」
「今日は午後から入ってるんですけど、もしかしたらお休みかもしれないですね…」

それはきっと別の仕事が立て続けに入ったからだろう。
本人から聞いたわけではないけど、兄さんはサボる人ではないし、そんな頻繁に体調不良で休む程柔じゃない。
というかこの間会った時も普通に元気だったし。

「ねぇ、本当に大丈夫?」

僕でよければ聞くよ?と袖を引くコナン君は、兄関連だと勘違いしてるのだろうか。

「大丈夫、兄さんは関係ないよ」
「そうじゃなくて…」
「うーん、そうだなぁ…」

じゃあ一つだけ、聞いてもいい?とコナン君の耳元に顔を寄せて問いかけた。

「君は前世って信じる?」
「え?」

きょとりとした顔で私を見上げたコナン君。
まぁそういう反応になるよね。

「ごめんごめん、変な事聞いたね。私はもう大丈夫だから、心配かけてごめんね」

大丈夫、きっと直ぐに良くなるよ。
毛利さんたちにも挨拶をして店を出た。
大丈夫、あれはただの夢。
もう終わった事なんだから。

ーーーーー

結局、あの言いようのない不快感はずっと纏わり付いて離れなかった。
仕事中に不安な顔をするわけにはいかないし、子供たちに向けた顔は果たしてちゃんと笑えて居ただろうか。

「降谷先生、少し早いですけど今日はもう上がって大丈夫ですよ」
「いえ、交替の時間まであと少しですし居ますよ」
「体調悪いんでしょう?隠せてませんよ」

どうやらお見通しらしい。
お言葉に甘えて少し早めに上がらせてもらった。
夢で見た犯人の顔が、頭から離れなかった。
友人の顔と名前も思い出せないのに、犯人のあの顔だけがこびりつくように私の記憶に残っている。
だからこそ、今世で人混みに対するトラウマができてしまったんだろう。
信号待ちをして居ても、ふとした瞬間鮮明に思い出す光景。
あの時私の胸から引き抜かれたナイフは別の人の血も付いていたのだろう。
既に赤く染められたそのナイフで私の腹を刺し、更にその色を重ねたのだろう。
死んでしまった私には詳細はわからないけど、あれはきっと無差別殺人だ。
無意識に触れていた胸は真っ赤にはなってないし、腹も血の一滴も流していない。
私はちゃんと生きている。
…なのに、思い出すたびに生きた心地がしなくて、ふわりと足元が覚束ない感覚に襲われる。
今までこんな風になったことはなかったのに、夢のせいか、はたまた同じ歳の同じ季節を迎えたからか。

「っと、すみません」
「あ、いえ、私こそぼうっとしてて…」

ぼんやりと考え事をしていたのが悪かったのか、通行人とすれ違い様に腕が当たってしまった。
謝ろうと顔を上げた先に居たのはーー

あの日、あの時、私を殺した男と同じ顔だった。

「……な、んで…」

足早に過ぎていった男にその声は届かない。
そんな、まさか、なんで…
何故あの男が此処に。

「雫さんっ!」

ぐらりと揺れた視界に膝を折れば、誰かに名前を呼ばれた。
近づいたその声は何度も私を呼びながら肩を揺する。

「…コナン、くん…?」
「朝から様子がおかしかったから心配で、帰りに病院寄ったらもう帰ったって聞いたんだ。ねぇ、雫さん大丈夫じゃないよね」

今度ははっきりと言い切られてしまった。
大丈夫、と笑おうとしたのに全く笑えなかった。
微かに震える腕が隠せなくて、情けなくごめんね。と謝ることしかできない。

「治ったらとりあえずポアロに行こう。多分安室さんも出勤してると思うし」
「…うん」

落ち着くまでそばに居てくれたコナン君に手を引かれながら、ポアロに向かった。
にいさん。
あそこに兄は居ないのに、無意識に声がこぼれていて、それが聞こえていたのか私のてを引くコナン君の手に、一瞬力がこもった気がした。

ーーーー

「梓さんから聞きましたよ」

コナン君に引かれながらカウンター席に着くと、安室透が出迎えてくれた。

「雫さん、いつもモーニング美味しそうに完食するのに、今日は殆ど残していたし、さっきも様子変だったよ」

何があったの?というコナン君の質問に、私は答えることができない。
だって、一度自分を殺した男と同じ顔の人に会ったなんておかしな話だ。
たまたま私に前世の記憶があって、姿も名前も違う別人に生まれたのと同じで、さっきの人もたまたまあの男に似ているだけの人かもしれない。
今ここにあの男が殺人犯だという証拠だってないんだから。

「朝も言ったように、夢見が悪かっただけだよ」
「でもさっきのは明らかに違ったよね?何かが起きたから、震えてたんでしょう?」

小さな探偵は見逃してはくれないらしい。

「本当に、大丈夫だから」
「なら、夢の話だけでも聞かせてくれませんか?誰かに話す事でスッキリすることもあるって言いますし」
「…いえ、本当に大丈夫です。ちょっと悪い夢をみたってだけなので」

夢の話を聞こうとする兄さんにそう返せば、探るような目が私を見る。
…駄目だ、今私の前に居るのは兄さんじゃなくて安室透なのに、どうしても兄さんとして見たくなってしまう。
降谷零が演じていても、今の彼は安室透という別人なのに。

「もしお兄さんだったらその話できるの?」
「…ううん、兄さんにもしない。たいした事じゃないし」

ただの、そう、ただの悪い夢を見たというだけの話だ。

「貴方のお兄さんにも話せないのなら無理には聞けませんね」
「安室さん…!」
「本人が嫌がっているのに無理に聞くのはよくないだろう?」
「でも、ほっといていいの!?」
「雫さんもこの話題に触れられたく無いようだし、はい、これサービスするから今日の所は引いてあげてくれないかな」

雫さんにも、僕からのサービスです。
カウンターに置かれたのはアイスだった。
前にもサービスしてもらった、生クリームとさくらんぼの乗ったものだった。

「ありがとうございます。ほら、コナン君美味しそうなアイスだよ!」
「雫さんがそこまで嫌がるのならもう聞かないけど、無理だけはしないでね?」
「ありがとう。コナン君もあんまり無茶しちゃ駄目だよ?」
「雫さんの話してるのに…」

いただきますと手を合わせて、今度は全部平らげた。
やっぱり味はしなかった。

ーーーーー

「雫」

なんとなく、今日は来るんだろうなぁとは思っていた。
安室透ではなく降谷零が、そこに居た。
流しっぱなしのテレビは消されてしまった。
話さないって言ったのに。

「そんなに言いたく無い事なのか」
「そうじゃなくて、ただの夢だからそんな気にする事じゃ無いって」
「震えていたのもか?」

コナン君め、余計な事を。

「夢の話は無理には聞かない。でも震えていた話は別だ」
「風邪かなぁ」
「雫」

逃す気は無いのだろう。
肩を掴まれて、言えと兄の目が訴える。

「…知り合いに似てる人を見かけて、驚いちゃっただけだよ」
「その知り合いは誰だ」
「大学時代ちょっとした嫌がらせしてきたやつで、人混み嫌だって言ったのに無理やり満員電車押し込まれたのがトラウマになったのかなぁ」

大学時代の話は全て嘘だけど、こうでも言わなければ兄さんは誤魔化されてくれないだろう。

「お前の嘘を俺が見抜けないと思ってるのか?」

優秀な兄は誤魔化されてはくれないらしい。

「…ごめん、自分の中で整理がついてなくて、今はまだ話せない」

狡い言い方をしたと自分でも分かってる。
兄さんが仕事の関係で詳しく話せないのと同じで、私も時が経てばちゃんと話すって言っているようなものだ。
こんな言い方をすれば兄は待つしかなくなるのに。

「…わかった」
「ごめんなさい」
「ちゃんと話してくれるんだろう?」

私の頬を撫でる兄さんは、微笑んでいた。
…やっぱり、私はこの人じゃないと駄目なんだ。
その声が、その顔が、存在が、いつだって私を安心させてくれる。

「兄さん」
「どうした?」
「…キス、したい」

わざわざ言葉にするのが、初めて恥ずかしいと思った。
ああ、と穏やか声で答えて抱きしめてくれた兄さんに触れるだけのキスをすれば、それだけでいいのか?と兄の瞳が問う。
温もりを感じるだけで、私は此処にいるのだと、そう安心できた。
でもまだ、足りない。

「…もっと。もっと欲しいよ、兄さん」

こんなの、初めて言った。
触れるだけじゃない、貪るようなキス。
一つに溶けるような、互いがまざりあうみたいだと思った。

「ん…っ、ふぁ…は…っ」

まるで自分じゃないような吐息。
くらくらと脳が揺さぶられてるみたいなのに、不思議と心地よくて、もっともっとと強請るように舌を絡ませた。

「ん…っ」
「…は…っ」

漸く離れた時にはまるで銀色の糸が互いの口を繋いでいるようだった。
腕で拭うように乱雑に自分の口を拭ってから、兄さんは優しくその指で私の唇をなぞる。
親指で唾液をぬぐうように、唇の感触を確かめるように、ゆっくりと下唇をなぞる。
今まで感じた事のないような、ぎゅっ、と胸が締め付けられるみたいに切なくて、初めての感覚。

「…そんな顔するなよ」

私はどんな顔をしているんだろうか。
ぼんやりと心地よさと切なさに揺れたまま兄の顔を見つめる私は、どう映っているのだろう。

「物欲しそうな顔、してる」

物欲しそうな顔。
そうかも知れない。
自分が何処に居るのかわからなくて、ちゃんと此処に居るのかと不安になって、兄さんに繋ぎ止めて欲しいのかもしれない。
ちゃんと私はここに生きているんだって感じたい。
抱きしめるだけじゃ、キスだけじゃ、温もりが足りない。

「にいさん…もっとほしい、よ」

縋るように抱きついて囁いた声は、自分でも聞いた事がない位、切なくて、物欲しそうな声をしていた。
ほしいよ、にいさん。
そのまま喉にキスをして、頬を、首筋を、胸を撫でれば、見た事ない目をした兄さんが、私の目を捉えた。

「…今、手加減できるか分からないぞ」
「しなくていい、沢山くれるなら、そんなのいい」

もっともっと温もりをくれるのなら、そんなのしなくていいよ。







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