「…いたい」

朝、目が覚めると全身がバキバキだった。
鈍くて重い、この怠さはきっと昨夜のせいだろう。
直ぐ横に置かれていたペットボトルの蓋を開けて、ゆっくり中身を飲む間に曖昧な記憶を思い出す…と同時に頭を抱えたくなった。
…ごめん、兄さん。
兄さんが離れようとする度に嫌々と駄々をこねて引き寄せて、くたくたになるまで熱を求めていた。
…なにやってるんだろうなぁ。
このペットボトルも、着ている服も、全部兄さんがやってくれたんだろう。
肝心なことは全く話せなかったのに、それでも待とうとしてくれた兄さん。
もう少し、もう少しだけ自分の中で整理がついたらちゃんと話そう。
子供らしくない子供だった理由も、人混みが怖い理由も、全て。
その為にはこの夏を乗り越えなければ。
そしたら全て過去の話として話せるのだから。

「…だいじょうぶ」

兄さんの温もりを思い出したら、怖いのなんてどうってことない。今はあの温もりだけを思い出していればいい。

「とりあえずシャワー浴びよ…」

シャワーと共に不安も全部流してしまおう。

ーーーーーー

シャワー浴びるだけなのにこんなにしんどいなんて思ってなかった。
まるで体が鉛のように重かった。
ドライヤーなんてかける元気もなくて乱雑に髪を拭いていれば、携帯が着信音を響かせた。
表示された文字は鈴木園子。

「…なんだろうなぁ」

なんとなく嫌な予感がしながら通話ボタンを押せば、元気のいい声が私の名前を呼ぶ。

「…元気だね、園子ちゃん」
『元気ないって蘭から聞いたわよ!ってことで、実は明日ちょっとしたパーティーがあるんだけど、気分転換に雫さんも行きましょうよ!』
「相変わらず急だね…」

パーティー。
生まれてこの方縁のないものだった。
一周目の人生では友人のちょっとしたパーティーや、会社の催しで出たことはあったけど、人混みが駄目になった降谷雫には縁のない話だ。

「ごめん、折角のお誘いだけど私人混み苦手だから遠慮しておくよ」
『人混みって言ったって遊園地じゃあるまいしぎゅうぎゅうになる程の人は来ないわよ。それに招待客しか来れないし、その心配は要らないわ』
「でもドレス持ってないしさ」
『そんなのこっちで用意するわよ!幾つかピックアップしとくから、夕方ポアロで打ち合わせしましょ!』

じゃあね!と一方的に切られた通話。

「…動きたくないなぁ」

問題はくたくたに疲れきった体でポアロまで行けるかどうかである。
…自業自得か。
こんなに怠いし痛いのに、幸せだなんて思えるんだから不思議だ。
きっともう、大丈夫。
蘭ちゃん達にも心配を掛けてしまったし、安心してもらうためにもポアロへ行く事にした。
待ち合わせ時間までまだあるし、ゆっくり休んでおこう。
連休の有り難みを初めて身をもって知った日。


ーーーーーー

鳴り響く着信音で目を覚ませば、そこに表示された鈴木園子の文字。
不在着信は三件。

「やっちゃったなぁ…」

差し込む夕日と表示された時刻に思わずひたいに手を当てた。
夏だからまだ日は高いけど、時刻は6時前。
着信は一時間程前から入っていた。

「ごめん園子ちゃん、今すぐ行くね…!」
『何かあったんじゃないかって心配したんだから。いいわよそんなに急がなくても。お店もまだ開いてるし』
「本当にごめん、タクシー使うから直ぐ着と思うから…!」

スピーカーにしているのか、気をつけて来てくださいね。と蘭ちゃんが返してくれた声に元気よく返事をして財布とケータイをポケットに突っ込んで急いで家を出た。
体に走る鈍い痛みに小さく悲鳴を上げながらも、タクシーに乗れば幾分か治った。
初体験は痛いと言うけれど、なる程、後遺症が半端ない。

「待たせてごめんね…!」
「…雫さん、そんな格好でよく来たわね…」
「ごめんなさい雫さん、なんだか急かしちゃったみたいで…」

まぁそうだろうね。私今スウェット姿だもんね。
呆れた顔で私を見る園子ちゃんは女子力どこに捨てて来たのよなんて呟いていた。
いやはや、仰る通りです。

「体調、悪いんですか?」
「ううん、もう大丈夫だよ」
「顔色は良さそうね。因みにこれ、明日なんだけど行けるかしら?」

そういって出されたパンフレットは、美味しそうなメニューが並んだレストランのものだった。

「新しくオープンするビュッフェレストランなんだけど、そのプレオープンに招待されてね。雫さん食べるの好きって聞いたし、どう?」
「い、行きたい…!」

パーティーと聞いて気乗りしなかったが、そこに写るメニューはどれもおいしそうで、気付けば返事をしていた。
高級なホテルのディナーとかは苦手だったけど、ビュッフェ形式なら自分の好きなもの取りに行けるし、何より好きなだけたべられる。
なんてナイスタイミングな連休。
そしてなんて素晴らしい子達なのか。

「絶対行く!」
「よかったぁ、雫さんあまり乗り気じゃないみたいだから、嫌だったらどうしようって園子と話してたんです」
「ほんと、色気より食い気って感じね」
「美味しいは幸せだからね」
「雫さん最近はあまり食べれてないみたいでしたもんね」

いい子達だなぁ。
他人の私を此処まで心配して、元気付けようと誘ってくれるのだから。

「二人共本当にありがとう」
「気にしないでいいわよ。ドレスの選択権はこっちにあるんだし」
「勝手にごめんなさい、園子ったら張り切っちゃって…」
「折角素材はいいんだからそれなりに着飾って男の一人や二人引っ掛けりゃいいのよ」
「一人や二人って…もう、園子ったら…」

本当にすみません、と苦笑いをもらした蘭ちゃんは、こんな風にいつも振り回されているのだろう。

「で、いくつかピックアップしてみたんだけど、どれがいいかしら?」

タブレットを取り出して三着のドレスを表示される。

「…ねぇ、この丈の短さは?」
「一着くらいいいじゃない」
「アラサーにこんなの着せないでお願いだから」

三着の内の一着は明らかに短いドレスで、ティーンにはちょうど良くても私からしたら短すぎるものだった。
どうにもこの子はアラサーに足を出させたいらしい。勘弁してください。
身体年齢アラサーで精神年齢アラフィフの私のメンタルはゴリゴリ削られていく。

「でも雫さん体のライン綺麗だし、マーメイドラインのが似合うと思いますよ」
「プリンセスラインはちょっと甘すぎかしら?」
「なんでこの三着なのかお姉さん聞きたい」

モデル体型の人や若い子に似合いそうなそれらは私にはハードルが高過ぎる。
あとデコルテや背中開きすぎじゃない?三着全部開いてるよね?

「…あ」
「なに、気に入ったのあった?」

自分の肌を思い出した。
スウェット下の肌は昨夜の名残りがくっきりはっきり残っている。
流石に首にはついてないけど、胸元は怪しい。
あんまり胸元開いてるやつだとまずい、確実に出る。
鎖骨までならセーフ、かな…?

「この背中がっつり開いてるのもいいかも!」

背中、背中はどうだろう。
途中から記憶がないからわからない。

「皆さんお揃いで何の会議ですか?」
「そうだ、折角だし安室さんに選んでもらったらどうかな?」
「いいじゃないそれ!ねぇ安室さんなら雫さんにどのドレス着て欲しい?」

未だに勘違いをしているらしい女子高生二人は、休憩を終えた安室さんに詰め寄っている。
一瞬寄越された視線は流した。
わかるよ、言いたいこと。
なんでそんな格好で此処にいるんだって言いたいんでしょ知ってる。
短パンじゃなくて長ズボンにしただけ大目に見て欲しい。
ふくらはぎにも真っ赤なお花が咲いてたんだもん。
因みにその記憶はない。
抱き締めて欲しくて、離れる熱が寂しくて、何度も何度も腕を伸ばして求めた事くらいしか、覚えてない。
何となく気まずくなって、コーヒーを飲んで意識をそらす。

「ドレスということは何処かパーティーへ行かれるんですか?」
「ええ。明日レストランのプレオープンに招待されて、それで雫さんが元気ないって聞いたから気晴らしに誘ったの」
「明日ですか」
「そうだ!安室さんも一緒にどうかしら!」
「折角ドレスを選ぶならやっぱり本人を見たいですよね」

やめてくれと叫びたかったが、そんなことは言える筈もなく、わいやわいやと盛り上がる女子高生。

「折角のお誘いですが、実は明日は用事が入ってまして…」
「なぁんだ、折角着飾った雫さんとデートしてもらえるいい機会だったんだけどなぁ」
「いいよ、デートは好きな人とするから」
「え、雫さん好きな人居んの!?」
「だっ、誰ですか…!」

私達の知ってる人!?と食い気味にくる女子高生。
そうね、人の恋も気になっちゃうお年頃だもんね。

「秘密」
「ケチ!せめて知ってる人かどうかぐらいいいじゃない!」
「知りたかったなぁ…」

ちらりと安室さんの様子を伺うように視線を向けた蘭ちゃんは、やはり優しい子だった。
きっと安室透が私に気があると思っているのだろう。
残念ですがそれは中の人です。

「でもさっき見かけた時怠そうでしたけど、体調は大丈夫ですか?」

心配そうな顔で尋ねる安室透。
でもこれほぼ自業自得だから何も言えない。
嫌なら体調を理由に断れるように振ってくれたんだろう。
もし降谷零が声をかけていたのなら、抱きついて昨日はごめんって言うけど、なんせ此処にいるのは安室透だ。

「…自業自得ですし、多分ゆっくり過ごせば明日の夕方には治ってると思いますから」
「そうですか。でもドレス選びは悩んでしまいますね」

ですよね、私も悩んでしまってます。

「安室さんなら即決すると思ってたけど意外〜」
「雫さんに似合うのはもう少し露出の控え目なものだと思うので。それに三つとも背中と胸元が大きく開いてるので選べなくて」

…背中、ついてるのかぁ。

「あの、やっぱり安室さんって雫さんのこと…」

気遣うような蘭ちゃんに、安室透は人差し指を口元に当てて片目をつぶった。
だからそういう思わせぶりな態度をやめてください安室透め。

「んー、しょうがない!これでどうだ!!」
「あ、これ素敵!」
「ええ、これなら肌の露出も少ないですし、デザインも雫さんにぴったりですね」

本人を他所にドレスが決まったらしい。
兄さんが言うのなら大丈夫だろう。

「じゃあ後のことはこっちでやっとくから、雫さんは時間になったら蘭と待ってて」
「あ、それなら雫さんと上で待ってるよ。その時間は依頼の予定も入ってないから」
「オッケー。明日は遅れないでよ?」
「本当にすみませんでした。お詫びに此処は私が奢らせていただきます…」
「いえ、そんな!気にしないでください…!」
「ならお言葉に甘えて、その代わり明日は好きなだけ楽しんでね!」

少しだけ強引な所もあるけど、気を遣わせないようにさらっと言える園子ちゃんていい子だなぁ。

「じゃあ私たちもう行くけど、雫さんはゆっくりしてきなよ」
「私もそろそろ行くよ」
「雫さん、折角ならこのままお夕飯食べた方がいいんじゃないですか?」
「なら二人とも一緒に食べない?」
「雫さん待ってる間にケーキ食べちゃったらそんな余裕ないわよ。明日会えない分、安室さんとごゆっくり〜」

やっぱりいい子って思ったの訂正したい。
にやにやと笑って蘭ちゃんの腕を引きながら出て行く園子ちゃん。
去り際に小さくごめんなさい。って申し訳なさそうに呟いた蘭ちゃんに免じて気にしないであげよう。
明日美味しいものご馳走になれるし。

「僕ももう直ぐ上がりなので、待っててください。送っていきますよ」
「…じゃあ、お言葉に甘えて…」
「ええ、その様子の貴女を一人で帰すわけにはいきませんから」

にっこり貼りついた顔が少し怖かったのは気のせいではない。
多分お説教される。
降谷零に。






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