人間の順応力ってやつは案外高いものらしい。
貴女は記憶喪失ですと言われてハイそうですかと納得したし、ここが貴女の家ですと案内されてもすんなりと受け入れた。
あとテレビ横に見つけた戦隊ヒーローのレッドらしきフィギュアに関してはちょっと頭を抱えたくなった。
知らぬ間に特撮にまで手を出していたとは。
ちらりと見えたブルーレイボックスにいかにガチ勢だったかを思い知る。ついにそこまで道を踏み外したか。
…後で全部観よう。
「荷物どこに置きましょうか?」
「でしたらそちらにお願いします。自分でも持てるのにわざわざすみません」
私を此処まで送ってくれたのは、安室さんだった。
どうやら彼は何度か来たことがあったらしく、快く荷物運びまで買って出たイケメンだ。
もう彼との関係性については考えるのをやめた。
どうせ彼も言わないし、周りに聞いてもたいしたことは分からなかったし、深い仲という訳でもないんだろう。
どうせ思い出せもしない過去なんだ、そんな事を考えるくらいなら、今からどう生きて行くかを考えた方がいいに決まってる。
とりあえず今は親切なイケメンとして覚えておこう。
「お時間大丈夫でしたらコーヒーでもいかがですか?」
まぁインスタントですけどね。
手伝ってもらっておいて帰すわけにもいかず、台所に見つけたそれに声をかければ、彼は「ではお言葉に甘えて」と爽やかスマイルを見せてくれた。
イケメンって笑うだけで爽やかさアピールできるから得だよなぁ。
「そういえば私の着替えは安室さんが持って来てくださったんですか?」
「いえ、流石に女性のクローゼットを開けるわけにはいきませんし、蘭さんにお願いしました」
確かに、勝手に異性のクローゼットを触るとかできればしたくないもんな。
後で蘭さんにはお礼を言わなければ。
…後日でもいいか。どうせいつも行っていたらしい喫茶店で会うだろうし。
「確か安室さんがバイトされてる所でしたよね、ポアロって」
「ええ。まぁ探偵の仕事もしているので毎回いる訳ではないんですが」
探偵業もバイトしなきゃやって行けないとは随分と大変なようだ。
身近に感じない職業だけに、想像すらつかない。
じっちゃんの名にかけて、も探偵だったか?…いや、あれはフィクションだから参考にするのは駄目か。
「お店の上の階は有名な毛利探偵事務所もあるんですよ」
「そちらで働かれてるんですか?」
「いえ、僕自身はフリーの探偵なんですが、一応毛利探偵の弟子もやらせてもらってるんです」
探偵に探偵の弟子に喫茶店のアルバイター。
「よくやってられますね」
思わず溢れでた言葉にハッとしてももう遅い。
…やってしまった。
「気にしないで下さい。それに以前同じような事を言われましたから」
「…どうやら学習能力もないようですみません」
「そんな、気にしなくていいですよ。その毛利探偵の娘さんが蘭さんなんです」
コナン君は一時的に預かっていて一緒に暮らしているということや、園子さんは大財閥の孫娘という話までしてくれた。
すっぽりと抜けた私の記憶を気遣ってか、分かりやすく説明をしてくれる安室さんは悪い人ではないらしい。
何かを隠されているとはおもうけれど、実害はないし親切にもしてくれるし、ここは大人しくその親切を受け取っておいた方がいいだろう。
「お仕事はどうなりましたか?」
「医療知識も抜けているので事務作業メインになるみたいです。数日休んでましたし、明日から行きますと伝えてありますよ」
「病みあがりですしあまり無理はしないで下さいね」
そういえば職場の人も言っていたな、まだ休んでていいんだよ?無理しないで!と。
このブラックが騒がれる中、あんなホワイトに勤めていたとは過去の自分を褒め称えてやりたい。
そして親切な職場の方々にも感謝したいくらいだ。
「なら明日も会えますね」
「安室さんも朝から出勤ですか?」
「ええ、雫さんが来る時間に入ってるので、働く楽しみが増えましたよ」
…このイケメン、普段からこんな感じなんだろうか。
人によっては勘違いしそうなことをさらりと言うのはどうなんだろう。絶対人生で数人は勘違いさせてそうだ。
勿論言うまでもなく苦手なタイプだ。
「これで記憶が戻ればいいんですけどね」
医者の話では以前と同じ生活を送る事で記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。との事らしく、以前の自分と同じルーティンを繰り返すよう言われている。
出勤時は毎朝喫茶店で朝ごはんとか、あまり料理をしない私らしい。
「戻りますよ、必ず」
心強いというよりは、プレッシャーなんですけどね。とは言えまい。
誰だって知り合いが自分のこと忘れていたらいい気はしないだろう。
「そう言われると心強いですね」
嘘じゃない、これは誤魔化しだ。
にこりと浮かべた笑顔の下で、そう自分に言い聞かせた。
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