「先生今何徹目ですか?」
「…に…嘘です四徹目です」
「おかえりください」

有無を言わせず無言の圧力でナースステーションの外を指差す婦長。
背後に般若の姿が見えたのは気のせいだろうか。


「いいですか苗字先生。難しいオペは貴女でなくてはならないのは分かります。しかし専門以外の科にまで貴女が出る必要はありません。あとは私が先生方にきつく言っておきますので帰りなさい」
「…ハイ」

ぐるりと回れ右をして、大人しく病院を出た。
まずったな、仕事で病院にいる方が楽だからって引き受けすぎたな。
トイレの鏡に映った顔は、確かに婦長が怒るだけのものだった。
小児科回ってたら確実に泣かれる程度には悲惨だ。


「…そして公園にきてしまった…」

平日の真昼間から、缶コーヒー片手に公園のベンチに座る私の姿は、側から見たら不審者だろうか。
はぁ、と重いため息を吐き出して缶コーヒーを横に置く。
まずい、一気に疲れが押し寄せてきた。
このまま少しだけ寝てしまおうかとぐったりと項垂れていると、とんとん、と軽く膝を叩かれ顔を上げる。

「おにーさん、大丈夫?」

ガッデム。
お兄さんときたか。
そういえば私今スッピンだ…
徹夜で化粧なんかしてられないとスッピンで仕事してたからか。
くっきり刻まれたクマに緩く後ろで纏めた髪。
丁度上着の襟で隠れてしまってるせいでショートヘアーに見えたのかも知れない。
ダボダボの上着で体型も隠れてるし、そうね、おにーさんに見えますよね。
これで本当に髪が短ければ兄そっくりなんだろうか。まぁあの人はクマ一つない綺麗なお顔だけど。

「おーいあゆみ!なにしてんだよ!」
「元太くん!ごめん、ちょっと先に行ってて!お兄さん大丈夫?」

遠くから目の前の少女を呼ぶのは、この子のお友達だろうか。
成る程、今日はお休みか。

「おにーさんちょっと疲れてるだけだから、大丈夫だよ」
「でも…」
「ありがとう。ほら、お友達が呼んでるよ?」

心優しい子なんだろう。
こんな小さな子供に心配される程、参った顔をしてるのか私は。
…まぁ四徹だもんな。そりゃ疲れるよ…まともにご飯も食べてなかったな…エナジードリンクでは腹は膨れない。

「あゆみ?どうしたんだ?」
「あ、コナンくん!」

コナン?なんつーキラキラネームだ…
最近の子って漢字でどう書くんだよって名前の子多いよな。
そういえば休み明けの問診で小児科行った時も読めない名前の子とか多かったし、そういうのが今の流行りなのかもしれない。


「ねぇ、お姉さん大丈夫?」

ぼんやりと数日前のことを思い出していれば、コナンと呼ばれていた男の子が私を気遣わしげに見上げていた。

「違うよコナンくん、この人お兄さんだよ?」
「でも時計を内側につけているし、上着から見えてるシャツも女性物だからお姉さんだよね?」

なにこの子、洞察力凄いな。

「うん、ごめんねこんな酷い顔と格好のせいでお兄さんに見えちゃったね…ほんとはお姉さんなんだよ」
「だから男の人にしては声が高かったんだぁ」
「ちょっとお姉さんお仕事で疲れてて、化粧すらできなくてね…」
「お姉さんは何のお仕事してるの?」
「お医者さんだよ」
「すごぉい!お姉さんお医者さんなんだぁ!」

ああ、眩しい。
キラキラと尊敬の眼差しでこちらを見る女の子、あゆみちゃんの純粋無垢な眩しさに、身も心もボロボロな先生は直視できません。
子供っていいなぁ。私もそんな純粋無垢な心が欲しかったよ。

「何のお医者さんなの?」
「君、お医者さんに興味あるの?」

さっきから質問をしてくるのはコナン君で、何となく問えば少しだけ!とこれまたキラキラした笑顔で言われる。
ま、眩しい…

「専門は外科でオペ…手術ばっかやってるけど、助っ人で色んな科を走り回っているよ」
「もしかして寝てないの?」
「コナン君は鋭いね。実は四徹目です」

うわ、子供に引かれたんだけどちょっと傷付いた。
私頑張ってお仕事してたはずなんだけどな。
…まぁ半分は無理やり詰め込んだ私のせいでもあるけど。

「おいコナンもあゆみも何やってんだよ」
「サッカーやるんじゃなかったんですか?」
「この人がどうかしたの?」

コナン君とあゆみちゃんを呼びに来たのか、続々と現れた少年少女。
ああ、なんかもう存在だけで眩しい。
なんか若いしキラキラしてるしボロボロのお姉さんにはあまりにも眩しいよ…

「うわ、すげぇひでーかお」
「げ、元太くん!初対面の方に失礼ですよ!」
「でもよぉ光彦、この兄ちゃんゾンビみてぇな顔してんぞ」
「お兄さんじゃなくてお姉さんでしょ」

お、このちょっと大人びた子も鋭いな。
コナン君が言っていた事と同じことを少年二人に聞かせる少女は灰原哀というらしい。
灰原さん、哀ちゃんと言われてるところからして、あゆみちゃんはかなり哀ちゃんが好きなようだ。
まぁこんだけ大人びてる子相手だと、男の子は名前で呼びにくいんだろうな。

「えっと、元太くんに光彦くん哀ちゃん、だね。ごめんね、二人を呼びに来たんだよね?私は大丈夫だからみんなで遊んでおいで」

子供たちに精一杯の笑顔を作れば、びくり、と怯えたように震えてコナンくんの影に隠れてしまった哀ちゃん。
え、嘘、結構小児科で通る笑顔のはずなんだけどな。
やっぱクマ?クマが悪いの?こわかった?
…おとなしくご飯買って帰ろうかな。
なんて思っていると、タイミングよく鳴り響いたお腹。

「…ダメだ、ごめんねお姉さんお腹空きすぎて我慢できないから帰るね」
「あ、じゃあ僕この辺の美味しいお店知ってるから案内するよ!」
「いや、でも君達遊ぶ予定だったでしょ?お姉さん大人だから大丈夫だよ」

ありがとう。と続けたものの、コナン君はどうしてもオススメのお店を紹介したいらしい。
自分たちも案内する!と声を上げる他の子に、お前らは先に遊んでてくれ。
と言い残して私の手を引いて歩き出してしまった。
この子可愛い顔して大分推しが強いな。

「えっと、コナン君、他の子達はいいの?」
「うん、あいつら連れてったら騒がしくなるし、お姉さんゆっくり食べたいでしょ?」

何この気遣いのできる小学生。
ちょっと泣きそうになった。

「そういえばお姉さんのお名前ってなあに?」
「ああ、そういえばまだ言ってなかったね。お姉さんは苗字名前です。よろしくね」
「そっか、僕は江戸川コナンだよ!よろしく、名前さん」

江戸川ってこれまた凄い苗字だな。
どんな家系なのかちょっと気になってしまった。
あとで調べてみようかな…ってまずいまずい、これでは変質者である。
疲れてるとダメだな。思考力が落ちる。

「おや、コナン君こんにちは」
「こんにちは安室さん」

たどり着いたのはポアロという喫茶店だった。
花壇に水を撒いていた店員と知り合いなのか、笑顔で良い子のご挨拶をするコナンくんと店員の安室さん。
学生時代の思い出が、一瞬頭を過る。
…何処と無く見覚えのある顔に思わずガン見していれば、ことりとかしげられた首。

「こちらの方は?」
「名前さんはお医者さんで、お腹減ってたみたいだから連れて来たんだ!安室さんの作るサンドイッチ美味しいから」
「それは嬉しいな。僕は安室透です。ここでバイトしながら上の毛利探偵の弟子もやってるんですよ」

そう言って名刺を差し出した安室さんに、慌てて自分の名刺も探したが、そうだ私名刺は持ち歩かないんだった。

「あー…すみません、名刺病院に忘れてたみたいで…苗字名前です」
「気にしないでください。ご注文はサンドイッチと飲み物はどうされますか?」
「じゃあアイスコーヒーで。コナン君は何がいい?」
「じゃあ僕はオレンジジュース」

にこにこと愛想のいい安室透さんと握手を交わし席に着けば、ちらちらと安室さんに向く女性客の視線。

「…すごいなイケメンパワー」
「名前さんも安室さんみたいな人好きなの?」

無意識の内に声に出ていた言葉はばっちりコナン君に拾われていたらしい。

「いや、胡散臭いイケメンはちょっと…むしろ苦手なタイプかな」

他のお客さんのとこ行ったりしてるし、どうせ聞こえちゃいないだろう。
黄色い声が上がった気がするのは気のせいではない。
ひくり、と頬が引きつる。

「…かなり苦手なんだね」
「ごめん、あの分かっててやってそうなとこがね、苦手なんだ」
「ううん、僕こそ変なこと聞いてごめんね」

おいこらこの空気どうすんだ。
子供に気を使わせてしまった罪悪感は大きい。

「そういえば名前さんって兄弟とか居るの?」
「いるよ。どうして?」
「んーん、なんか似た人を見たことがあったから」

え。
その言葉に一瞬で血の気が引いていく。
いや、別にあの人がそこらを歩いていてもおかしくはないけれど、心の準備もないままに目撃情報を聞くと、動揺が隠せない。
それに下手に関わって欲しくない。
なんたって奴は犯罪組織の人間だ。
いくら外面が良くても何をするかわからない。

「…うん、兄が一人居るんだけど、昔家を出て行ったきり会ってないからびっくりしたなぁ…」
「そうなんだぁ」
「うん。因みに何処で見たの?」
「結構前の話だから忘れちゃった。ごめんね」
「謝ることじゃないし気にしないで」

あの人が家を出て行ったのは嘘ではないし、別にいいだろう。
本当はあってるけど。ばりばりあってるけど。なんなら徹夜開始前に一発蹴られてるけど。

「お待たせしました。ハムサンドとアイスコーヒー。それとコナン君のオレンジジュースです」
「ありがとうございます」
「ありがとう安室さん!」

ことり、と置かれたハムサンド。
空腹すぎて輝いて見える。
固形物食べるのは2日ぶりだ。

「…名前さんすっごくお腹減ってたんだね」
「え」
「すごく嬉しそうな顔してるよ」
「2日ぶりのまともなご飯だからね」
「え」

多分また引かれただろうけど、私の意識はハムサンド一直線なので気にしない。
いただきます。と手を合わせてから2日ぶりの食事に手をつけた。




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