「殺せ」
帰宅早々呼び出されたかと思えば、兄はにたにたと笑って私に銃を握らせた。
小学生の頃男子に混じって遊んだ時に握ったモデルガンなんて比じゃないくらい、ずっしりと重く冷たいソレは人の命を奪うだけの重みがあった。
いくら兄の命令であれど、そればかりは心身ともに否定を叫んで居た。
普段であれば恐怖で震える体も、声も発することすらできなくなる喉も、今ばかりは嘘みたいに静かだった。
穏やかでないのは精神だけで、私は人を殺すために生きて居るのではないと心が叫んで居た。
望んでなった職ではない。
けれど腹を決めてついた職だ。
私は医者である限り、この手で直接人を殺すことだけはしない。
それになより、兄が犯罪組織の片棒を担わす際にした約束では私に人殺しはさせないと言っていたはずだ。
実行部隊の俺が完璧に暗殺をこなす為にお前は情報だけを弄り、そして集めろ。と。
これでは話が違う。
「アースエイク、幾ら何でも素人には無理なんじゃないですか?」
大方面白いものでも見せてやるとか言って連れて来たのだろう。
最近兄のお気に入りらしい探り屋とも呼ばれる男は、兄の名を呼んで呆れたように口を挟んだが、兄は笑ったまま首を横に振った。
「お前は今日何人をその手で救った?」
出勤する度にオペを抱えて居ると言っても過言ではない私を知ってか、そんな質問が投げかけられる。
「…オペは三回。うち一人は死んだよ」
「これはこれは、聡明なる凄腕の先生でも失敗はするんだなぁ?」
医者は命を繋ぐ為に全力を尽くすが、万能神ではない。
救えない命だって存在する。
「今日一人殺してるんなら、今更一人増えたってなんてことないよな?」
ふざけくさっている。
「それは聞けない」
初めて発したノーに、兄の顔から笑みが消えた。
「母親や患者は殺せてお兄様の敵は殺せないのか?あ?」
怒りを露わにした顔が近づいてくるが、どうやら今ばかりはこの体は、心は、抵抗を示して震えずに真っ直ぐ立っている。
「っ、私の仕事は情報収集だけでしょ。人殺しはやらない」
「…ほんと、テメェは使えねぇな」
するりと奪われた拳銃は、私に殺せと指示した男に見向きもせずに発砲された。
「最近はいい子だったから殴るだけでいいにしてやったのに、ああ、本当に残念だよ」
思っても居ないくせに、その銃口は私の脇腹に押し当てられる。
「アースエイク、余計な仕事はするなとジンに言われてるはずでしょう。ターゲットは始末したんですから行きますよ」
「まぁ待てバーボン、俺は兄としてできの悪い妹を躾けなきゃならねぇ」
「彼女は明日もオペをかかえている医者でしょう?出勤できずに周りに不審がられてバレたらどうするつもりで?」
「大丈夫だよ、こいつは凄腕のお医者様だぜ?自分の手当てくらい朝飯前だ」
兄を止めようとする男の言葉など届くわけがないのだ。
そんな言葉でこの男が去っていくのなら、私は暴力を振るわれることなどないのだから。
「…いいよ。それで今日は手を引いてくれるのなら、好きなだけ撃てばいい」
「その生意気な口を塞げ愚図」
発砲音が二つ、人気のない廃墟に響いた。
「…ったく、銃で殺さず痛めつけるってのは難しいなぁ?」
右脇腹に一発。
次いで右腿をわざと掠めさせた銃弾に倒れ込めば、そのまま頭を踏まれる。
コンクリートとの熱烈なキスをプレゼントしてくれてどうもありがとうクソ野郎。
「痛そうだなぁ?でもお前はちゃあんと準備してあるもんな…あ、そう言えばお前が常備してんのはアフターピルと痛み止めだけだからここじゃあ縫えねぇか」
知ってんなら撃たなきゃいいのに白々しい。
「でもまぁどうせお家にはちゃあんと処置用の道具があるんだろう?ごめんなぁ、お兄ちゃんとしたことが撃つなら家で撃つべきだったなぁ」
尚も愉快に回る口。
「バーボン、そいつの事家まで送るついでにデータ受け取っといてくれ」
「その為にわざわざ僕を呼んだんですか?」
「俺の車に血をつけるのは御免だからな。それにお前も集めたい情報があるんだろ?送り賃として情報集めさせればいいじゃん」
じゃあ俺はもう行くから。と踵を返した兄はクソ野郎である。
ハナから私を撃つつもりで呼び出したのだろう。
「今止血しますから大人しくしてて下さい」
「いい、触るな」
寄ってくる男を手で制してから、着ていたカーディガンで止血をする。
昔はカッターや包丁で切られることもあったからか、自分の応急手当ては慣れっこである。
「…随分と手慣れていますね」
「物心ついた時からだからそりゃあもう」
ていうか医者だし当たり前だろ。
何か考えるよに顎に手を当てている男は、不意に不思議な質問をしてきた。
「高校生の頃もされていたんですか?」
「…なんで急にそんな質問を?」
「いえ、彼は昔に家を捨てたと言ってましたから、いつ頃だったのかと思いまして」
「私が高校三年の頃に出て行きましたよ」
あれから再会するまでは兄とは会っていなかったというのに、いきなり現れたかと思えばサンドバッグ再開と共に犯罪の片棒を背負わすのだから碌な人間じゃない。
あの人がクズなのは知ってたけど。
「…いいって言いませんでしたっけ?」
「流石に怪我を負った女性を一人で歩かせる程人間捨ててませんから」
「…では遠慮なくお借りします」
するりと腕を掴まれ肩に回されてしまえば、大人しく借りるしかないだろう。
「組織の人間って全員兄みたいなクズの集団だと思ってたけど、案外そうでもないんですね」
「彼が少々特殊なだけだと思いますけど」
「成る程、同感です」
会話らしい会話をしたことがあるのはライくらいだったけど、確かに兄が特殊なだけなのかもしれない。
だからといって他の奴らと会う気もないし、会いたくもないが。
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