それは突然だった。

「探偵に依頼しようと思う」

医院長室へ呼ばれたかと思えば、父は神妙な面持ちでそう言った。
兄を探す、と。

「でも、兄さんは自分から姿を消したし、父さんだって好きにさせてやろうって…」

兄さんが医者の道を外れ姿を消してから、父はあいつにはあいつの人生があるんだろうって捜索するようなことはしなかったのに、何故今更になって探そうとするのか。
正直兄が居なくなったことに関してはホッとしてしたし、犯罪組織に入ってるのを知ってからも父とは関わろうとしない兄に安心していたのに、なんでそんな危ない事に首を突っ込もうとするんだ。
父だけは、何がなんでも関わらせたくないのに。
危険に晒すような真似はしたくないのに。
何がなんでも阻止しなくてはならない。

「お前も来てくれるな、名前」

けれどそんな辛そうな顔をされてしまっては、首を横に振ることはできなかった。
なんとか、しなくては。


向かったのは毛利探偵事務所だった。
今メディアを騒がせているその男は、父の提示した依頼料に目を輝かせた。

「では、息子さんの特徴や写真などはお持ちですか?」

その言葉に父はアルバムから引き抜いた写真を数枚提示し、兄がどのような性格なのかを思い出を慈しむように語った。
6歳で母を亡くし、産まれたばかりの妹の面倒を見てくれるとても心優しい子供だった。
仕事で中々帰れない自分にかわり、妹と二人で家のことをしてくれた。
父が語る全ては、兄の表向きの姿だった。
兄もまた、父や周りの人間に対しては好青年のふりをしていたのだ。
それに関しては私も人のことは言えないので黙って父の言葉を聞いていた。
そう、私もまた、父の期待に応える娘を今もなお演じ続けている。
父は上部だけを信じてくれればいい。
真実は知らないままでいて欲しい。

「ねぇ、お姉さんは何か思い出や思い当たることないの?」

ふと、横から質問をする子供に言葉を詰まらせる。
いかにこの依頼をなかったことにするかを考えていたため、反応が遅れた私を子供は首を傾げながら言葉を待っていた。

「こらクソガキ、お前はまーたしゃしゃり出やがって」
「でもお姉さんの方がお兄さんといた時間は長かったと思うし、お姉さんのお話も聞きたいなって」
「名前、優は何か言ってなかったか?」

優。
それは優しくあれと母と父がつけた兄の名前だ。

「…医者になるのが辛いってことしか聞いてないよ」

嘘である。
なんの前触れもなく消えた兄の言葉などある筈がない。
ただこの言葉で父が諦めてくれたらと微かな希望を込めて言って見たが、父の意志は固い。

「それと、これが一番最近のもので、大学のサークルに参加していた時の息子の写真です」

そう言って最後に父が出したのは、高校二年の夏、私をレイプした男たちの写真だった。

「…っ!?」
「名前!?」
「名前さんっ!?」

蘇る記憶と込み上げる吐き気にトイレへと駆け込む私の異変に、父と毛利探偵の娘である蘭さんが声を上げたが、今はそれところではない。
途端にフラッシュバックする記憶。
こころの準備ができないまま、突然見たせいかトラウマが呼び起こされる。
ああしまった、これでは父を心配させてしまう。
もしあの連中を調べて私がレイプされた事実を突き止められてしまっては、それは、それだけは、父に知られるわけにはいかない。
どのみちこの依頼はなかったことにするしかないのだ。

「あの、名前さん、大丈夫ですか?」

気遣わしげにドア越しに声を掛けてくれる蘭さんに、短くはいと答える。
大丈夫、大丈夫。
もう大丈夫。

「すみません、最近仕事続きで疲れていたようで」
「本当に大丈夫なんですか?顔色が優れないようですし、よかったら少し横になっていってください」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、疲労からくる吐き気なので」

未だ心配そうな視線を向けてくる蘭さんに微笑んで、何事も無かったかのように父の元へ戻る。

「名前、大丈夫なのか?」
「うん、心配かけてごめんね父さん。どうも最近オペ続きで自分でも気づかないうちに疲れが溜まっていたみたい」
「やはりお前は暫く休むべきだ。他から腕の立つ医師を借りるから、明日からまとまった休みを取るといい」
「…じゃあお言葉に甘えようかな」

休ませてくれるというのなら、それが一番いい。
疲れてるのも事実だし、このまま手術台の前に立つのは不安だったのでちょうどよかった。

「名前さんはとても優秀な医師なんですなぁ」
「ええ、私の期待に応えようと誰よりも努力を惜しまなかったお陰で、今では優秀な医師として働いてくれています」
「手術ってことは外科が専門なの?」
「ああそうだよ。でも沢山勉強したから他の科も診れるんだよ」
「へぇ、すごぉい!沢山お勉強したんだね!」

父の説明に大袈裟なくらい驚いて尊敬の眼差しを寄越すコナン君。
どうにもわざとらしさを感じるあざとさに、笑ってありがとうと返すだけに留めた。

「では何かわかり次第まだご連絡差し上げます」
「宜しくお願い致します」

互いに頭を下げて事務所を出る時、思い出したように父へと声をかける。

「ごめん父さん、そういえば別件で毛利さんにお願いしたいことがあったから、先に帰っててもらえるかな?」
「ああ、私は構わないが、一人で大丈夫か?」
「大丈夫、友人の猫探しだから」
「ならいいんだが…」
「ほら、下で秘書の方も待っているから、私のことは気にしないで」

時間を見て呼んでいた秘書が到着したらしく、それに連れられて去っていく父を見送ってから事務所へと戻る。

「確か猫探しの依頼、でしたかな?」
「いえ、あれは嘘です」
「嘘?では本当は…?」

毛利探偵には悪いが、ここは手を引いてもらう他ない。

「…父の提示した金額の倍払います。なのでこの件は無かったことにしてください」
「え!?でもお兄さんの行方気にならないんですか?」

毛利探偵の代わりに声を上げたのは蘭さんだった。

「兄は医者になるのを捨て、父との縁を切ることを選んだので、私はその兄の覚悟を通したいんです」

全くの嘘八百だが、どうしてもこれだけは阻止しなくてはならない。

「しかしお父さんはかなり心配されていたようですが…」
「私が説得します。どうか毛利探偵はお気になさらず、この件は無かったことにしてください」
「名前さんはお兄さんのこと嫌いなの?」

無邪気な子供の声にどう答えたものか。
正直あれを好きと言えるほど歪んだ感情は持ち合わせていないし、なんならさっさと捕まってくれとさえ思っている。
死ねとまでは思わないけど、来えてくれと切実に思う程には嫌いだ。
しかしそんな事を言えるはずもなく、どう誤魔化そうかと頭を悩ませていると、事務所のドアが開いた。

「あれ、もしかして依頼人ですか?」

ひょっこりと顔を覗かせたのは、バーボンだった。
その手にはサンドイッチが盛られた皿。

「安室か、見ての通り依頼人が来てんだから邪魔すんな」
「すみません、差し入れをと思って持ってきんですが…あれ、苗字先生じゃないですか。お久しぶりです」

しれっとした顔で私に挨拶をしてきたバーボンこと安室と呼ばれた男。
成る程、話を合わせろと。

「安室さん、お久しぶりですね。まさか探偵事務所でお会いするなんて思ってませんでしたよ」
「ええ、その節はお世話になりました」
「安室の兄ちゃんと名前さんは知り合いなの?」
「そうだよ。といっても以前診察してもらっただけなんだけどね」

コナン君に合わせてしゃがんだ安室さんがそう言うと、彼はそうなんだぁ。とこれまたあざとく答えていた。
最近の小学生の猫かぶりってこんなことになってんのか。

「そうだ、以前診察してもらったお礼に、よかったら僕が依頼をひきうけましょうか?」
「…よろしいんですか?」
「ええ、勿論。先生のお役に立てるのなら任せてください」
「名前さんおじさんには依頼を無しにしてくれって言ったのに、安室さんにはお願いするの?」
「すみません、実は見ず知らずの方に家族のことを調べられるのが嫌だったもので…安室さんは以前診察の際に色々お話した際にとても真面目で信頼できる方だと思ったので…」

言うまでもなく嘘である。

「先生もこう仰ってますし、依頼料は毛利先生に全てお渡しするので任せてもらえませんか?」
「そこまでいうのなら、まぁ仕方ねぇな。名前さんのご指名もありますし、この毛利小五郎の助手である安室に任せましょう!」
「ありがとうございます毛利さん。こんなに器の大きい方の元でお仕事ができるだなんて、安室さんが羨ましいです」

こんな簡単なおだてに乗ってご機嫌に笑ってるのだからさぞ扱いやすいのだろう。
ああ本当、面倒な事ばかりで嫌になる。




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