chapter9


琴音を連れてデビルメイクライの事務所に戻ったダンテは、そわそわとしていた。それは何故か。答えは簡単だ。琴音が現在シャワーを使用しているからである。事の発端は、事務所へ向かう途中に琴音が盛大なくしゃみをしたことであろう。

よくよく考えてみれば、琴音はつい先ほどまで水のような液体の中に入れられていたのだ。全身びしょぬれである。いくら気候の良いこの季節だとしても、夜風にあたれば風邪もひいてしまうことだろう。そのため、ダンテは遠慮をする琴音に半ば無理やりシャワーを貸したのだ。

「(…ったく、俺は何を動揺してるんだよ。クールに行こうぜ、クールに。俺はただ親切心でシャワー貸してるだけだ。やましい気持ちなんて1つも…)」

そんなことを必死に脳内で弁解している時点で色々とアウトであることに、ダンテは気付かない。

「あの、ダンテくん…」
「うおっ!?」

ギィ、と扉を開けてひょっこり顔を覗き出した琴音。すっかり体も温まったのか、白かった頬の色もすっかり元の桃色に戻っていた。

「ああ、出たか。顔色も戻ったみたいだ…な…、」

琴音の様子にホッとしたダンテであったが、扉から現れた琴音の姿を見て絶句した。当然着替えすらない彼女にダンテは自分の着替えを渡した。身長差が20センチ以上ある分サイズの方は我慢してもらおうと思った。そこまではいい。しかし…、琴音は貸したズボンを穿かずに上のシャツ1枚だけ着て出てきたのだ。絶句の数秒くらいはするだろう。

「す、すみません…。せっかくズボンを貸していただいたんですが…、もはや穿ける穿けないという次元の問題でもなくて…」

ウエストも長さも規格外すぎて、大は小を兼ねるという言葉すら通じなかったらしい。しかも一応穿いてシャワールームから出ようと試みたようだが、足をとられ思い切りすっ転んだというのがまた琴音らしい。

「すみません…お見苦しいかもしれませんが、暫くの間ですので…!」

くっ、と申し訳なさそうにする琴音。逆にこっちの方が申し訳ねぇよ…、と言葉には出さず、ダンテはとりあえずズボンを受け取った。

「(つーか、俺の服ってこんなにでかかったのか)」

ちら、と琴音の方を見れば、彼女はずり下がる首回りを必死に持ち上げているところだった。丈は琴音の膝をすっぽり隠してしまっているため、一見ワンピースのようである。

「(身長よりも肩幅の問題か…。ちっちぇー背中だな)」

琴音がだぼだぼの服の袖をまくっていると、まるで小さな子供が一生懸命服を着ているように見える。童顔を気にしている本人には絶対に悟られてはいけないが、そんな風に思わずにはいられなかった。

「よいしょ、っと。さて、ダンテくん。私もレオンさんに説明しなければいけませんので、今回のご説明の方をよろしくお願いしま、」
『兄者。主が女人を連れて来たぞ。恋人であろうか』
『コイビト?コイビトとは?』

余っていた袖の部分をまくって終わった琴音。ダンテに向き直り今回の出来ごとの説明を求めようとした、その瞬間。どこからともなく2人分の声が聞こえてきた。

「…え?え?」

他に誰かいるのだろうか。声は意外と近くで聞こえたが…。そう思い、きょろきょろと琴音は部屋を見渡すが誰もいない。それでも声がしたのは確か…、と不思議に思っていると、ダンテが無言つかつかと歩き出し2振りの刀を手に取った。そしてー…、

「しゃべるなっつったよな?」

カツン、と二刀の柄の先の部分を叩いたのである。琴音がダンテに近づいてみると、彼が持っている剣は青色と赤色の鋸のような刃をしている面白い形のものだった。柄の部分が顔の形をしているのもまた特徴的だ。

「ん?顔…?え…もしかして、今喋ったのって…」
「あー…コトネ。こいつらは…、」
『我はアグニ』
『我はルドラ』
「喋った!!」

琴音が自分達に興味を持ったことが分かったのだろう。アグニとルドラは、先程ダンテに喋るなと言われたことをすっかり忘れて名を名乗った。

「おい、アグニルドラー…」
「もしや悪魔さんでしょうか?初めまして。琴音と申します」
『礼儀正しい娘ではないか』
『主も良い娘をみつけたものだ。して、今日は何用でー…』

ガツンッ!今度は先ほどよりも強く、ダンテはアグニとルドラの頭の部分を叩き合った。

「しゃ・べ・る・な!」
『…………』
『…………』
「よし」
「え、あ、すみません…」
「コトネは気にすんな。ほら、説明するからそこに座れよ」

黙ったアグニとルドラにダンテは満足気に頷いた後、今回のことを話す為琴音にソファーに座るよう促すのであった。

***

「――…大体のことは分かりました」

ダンテから説明を受けた琴音は、彼が話している間口を挟むこともなくただ静かに、そして時折相槌を打ちながら聞いていた。

「私…殺されるところだったんですね…」
「相手は悪魔だからな。持ってる能力も三種三様だ。今回はコトネの話を聞く限り、催眠に近い能力でも持ってたんだろ。他の女も似たような形であの屋敷に連れ込まれたんだろうな」

自分が殺されかけたこと、相手と対峙する暇さえ与えられなかったこと。それを思い出して、琴音は冷や汗をかいた。レオンが少し前に言っていた言葉を借りると、『攻撃が効かないものは苦手だ』である。まだ、極悪非道な犯罪者を相手にしている方がよっぽど楽だと思えてしまう。

「…ダンテくん、」
「ん?」

神妙な顔つきの琴音。立ち上がりダンテの目の前に来ると、彼女は深々と頭を下げたのである。急なことで、これにはダンテも驚きだ。

「お、おい、コトネ?」
「助けていただいて、ありがとうございました」
「な、なんだよ改まって…」

琴音はゆっくりと顔を上げ、くすりと笑う。

「ダンテくん、顔が赤いですよ」
「ばっ、コトネが急に礼なんてするからだろ!?」

琴音に指摘され余計羞恥心を煽られたのか、右手で顔を押さえるダンテ。このように面と向かって、それも頭を下げられてまで礼を言われることなどなかなか無かったからであろう。それでも琴音はいいえ、と首を横に振りダンテの手を取った。

「ダンテくんは、私の命の恩人です。ですから、ちゃんとお礼を言わせてください。ね?」

屈託の無い笑顔で言われ、もうダンテの方が折れるしかなかった。素直な彼女の礼を、こちらも素直に受け止めよう、と。琴音の素直な姿を見ていると、こちらまでもが素直な気持ちになれるから不思議だ。

「…コトネが無事で本当に良かった。けどな、コトネ―…俺的に礼はこっちの方が嬉しいんだけどなァ」

そうすると、気持ちの方にも余裕ができたのか。ダンテは琴音の手を握り返し、空いている方の手で自分の片頬をとんとんと指で叩いて見せた。最初はきょとんとしていた琴音も、意味を理解したのかみるみると頬を赤く染め上げる。

「え、あ、あの…、」
「ん?」

顔を真っ赤にしてしどろもどろになる琴音に、ダンテはにっこりと笑う。からかい半分、そしてもしかしたら、という期待半分の気持ちで琴音を見つめる。

「えと、そ、それは、お礼になるんでしょうか…」
「俺はすげぇ嬉しいけど?」

一歩足を引く琴音であるが、ダンテががっちりと琴音の手を握っているためそれ以上身を引くことができない。それにしても、だ。なにやら琴音の様子がおかしい。顔を赤らめているのはただ恥ずかしさからくるものかと思っていたが、表情を見るとどうもそれだけではないように思われる。

「(…これ、意外と押したらイケるんじゃねぇ?)」

コトネ―、と、ダンテが琴音の名前を呼ぼうとしたその刹那。キィ、と音をたてて事務所の扉が開いた。

「お待たせ。思ったより事情を説明するの長くなっちゃったー…、って、あんた達何やってんの?」

入って来たのは、先程いったん別れたレディであった。彼女は事務所に入って来るやいなや、ダンテと琴音が手を握り合っている(正確にはダンテが琴音の手を握っているのだが)様子を見て、訝しげに眉を寄せたのである。

「え、いえっ、別に何もしてない、です!」
「レディお前な、タイミングってものを考えろよ」

赤い顔のまま首を勢いよく横に振る琴音に対し、ダンテはぱっ、と琴音の手を離してやれやれといった様子で肩を上げた。しかしその表情は何とも残念そうである。レディはふん、と鼻を鳴らして笑った。

「逆にタイミング良く入って来たと思うけど? コトネ、大丈夫?ダンテに何かされてない?あら、ちょっともしかしてこれダンテの服…?」
「おいレディ、俺を軽蔑した目で見るのをヤメロ」

琴音に近づき彼女の安否を尋ねるレディであるが、琴音が例の屋敷で見た時と服装が違うこと、今着ているシャツのサイズが明らかにあっていないこと、そしてシャツ1枚しか着ていないこと、という事実を全て照らし合わせ、結果ダンテに軽蔑の視線を送ることに結論づけた。じとり、とした視線がダンテに容赦なく突き刺さる。

「あ、これはダンテくんがシャワーを貸してくださったんです。危なく風邪をひきかけましたので、とても助かりました!」
「…そう、ならいいけど…」

問題はそこでは無いのだけれど…、と思うレディであったが、とりあえずそれは口に出さず胸にしまっておいた。それよりも、彼女は琴音に渡したいものがあったがためにこの事務所に留めていたのだ。それを渡さなければ、何のためにここに来たのか分からなくなってしまう。

「コトネ、渡したいものがあるの」

そう言うと、レディはポケットから小さな小瓶を取り出した。綺麗に装飾された丸い小瓶の中には水であろうか、無色の液体が入っている。それを見たダンテは、あからさまに顔をしかめた。彼にはこれが何であるのか分かったのであろう。

「レディさん、これは…?」
「これはホーリーウォーター。いわゆる聖水ね。これを悪魔にぶっかけちゃえば、下級悪魔ならまずお陀仏できる代物よ。上級悪魔でも怯ませることは可能ね。いつ今回のようなことがあるか分からないから、これをコトネにあげるわ」

そう言って、小瓶…もといホーリーウォーターを琴音に差し出したレディ。琴音はそれをそっと受け取り、電気にかざして見つめてみた。見る限りでは、ただの水である。これが悪魔を屠れるなんてにわかには信じがたいが、琴音はありがたくこれを頂戴することにした。

「こんな便利なものがあるんですね…。レディさん、ありがとうございます」
「私が持っててもそんなに使うことは無いから気にしないで。…ああ、それに、もしダンテに襲われるようなことがあったらこれをぶっかけちゃいなさい」
「え?」

きょとんとした琴音の表情に、レディは、おや、と目を見開いた。もしかしてとダンテの方を見れば、ダンテはやや不機嫌な様子でそっぽを向いている。これは、もしかすると失言だったのだろうか。レディは1つ苦笑して、「不意に水でもかければダンテだって怯むわよ」と、つけ加えておいた。

レディの先程の発言と自分が見せた反応による驚き方がやや気になった琴音ではあるが、どうもあまり聞いてはいけないような気がして、その場は笑って流されることにした。

***

「お世話になりました」
「ああ、気を付けて帰れよ」

ぺこり、と琴音はダンテに頭を下げた。服の方も無事乾き、レディが家までバイクで送ってくれるというのでその好意に甘えることにしたのだ。なんと例の洋館に忘れていたと思われた荷物も、全てレディが回収してくれており琴音は感謝してもしきれない、と再び頭を下げるわけだが。

そんな中、ふと琴音は動きを止め、ダンテを見上げる。20cm以上身長差があると、近すぎると少し話しにくいものだが、彼の前髪で隠れたブルーの瞳がよく見えることに琴音は今気づいた。

「どうした、コトネ」
「あの、ダンテくん。少し屈んでもらってもよろしいですか?」

ちょいちょい、と手招きをしてダンテにかがんでもらうよう頼む琴音。ダンテは不思議そうな顔をするも、大人しく膝を折って体勢を低くした。と、その時。ダンテの頬に、柔らかいものが一瞬だけ触れた。

「え、」

驚いて、目を見開くダンテ。目の前には顔を俯かせている琴音の姿が。顔は見えないが、それでも髪と髪の間から覗く耳が真っ赤であったため、顔も真っ赤なのだろうなと容易に想像できる。

「コトネ、今、」
「お、おやすみなさいダンテくん!レディさん、お願いします!」

顔を上げないまま琴音はレディの方へと振り向き、バイクに飛び乗った。「え、いいの?」と尋ねるレディに琴音はこくこくと首を縦に振った。

「じゃあね、ダンテ。そういうことみたいだからもう行くわ。また仕事の話、持ってくるからその時はよろしく」
「おい、ちょっと待てこら!」

ぱちん、とウィンクをしたレディはエンジンをかけ、制止するダンテの声を全て無視してバイクを発進させるのだった。

「―――…おいおい、そりゃねーよ」

あっという間に夜の闇へと消えていってしまった2人。彼女の、琴音の唇が触れた自分の頬を指で撫ぜて、ダンテはくしゃりと笑うのだった。



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2013/10/13