chapter1


「コトネ、君に任務だ」

アメリカ合衆国のエージェントとして動く琴音は、教育係兼先輩であるレオンに呼び出され、そう任務を言い渡された。エージェントとしてはまだまだ新米である彼女は、まだ任務についたことが無い。つまり、今回の任務が初任務となるわけだ。黒い瞳をくりくりと動かし、琴音は口を開いた。

「私に、ですか」

確認するように、緊張しているのか強張った声色だ。そんな琴音の様子に、レオンは安心させるように柔らかく笑った。

「はは、今から緊張してどうする。大丈夫、今回の任務は俺とバディを組んでの任務だ」
「それは、心強いです」
「だろう?」

少し和らいだ琴音の表情。話を続けて下さい、と目で示し、任務内容を話すレオンに耳を傾けた。

これが、3日前の出来事である。

***

琴音は今、任務先である街へと到着した。任務、といってもレオンの話を聞く限りそこまで過酷な内容ではない。彼女の初任務となるその内容は、ある男の行動を見張る、というものであった。男の名前はウィリアム=ホワイト。元・アンブレラの研究員…、かもしれないという曖昧な人物である(だからこそ琴音にこの任務が回ってきたのであろう)。この男を探り、アンブレラの人間として暗躍していると確定したならば、レオンに連絡を入れる、という内容だった。

「え、っとアパートは…」

地図を頼りにこれから暫く世話になるアパートへと向かう。アパートを探しながら、街の様子も同時に観察する。一見賑やかで明るい街であるが、どこか影がある。なんでも1週間前、この街には不気味な塔がいきなり出現し、そして一晩で倒壊したらしい。それだけでも恐ろしいというのに、その塔が出現し倒壊した日を境に行方不明者や殺人事件が多発し始めたのだ。実際これらの事件が例の塔と関係しているのかどうかは分からないが、住民にとってはたまったものではない。昼間とは打って変わって、夜に出歩く人間は現在ほとんどいないらしい。

「(ただ、疑問があります)」

行方不明者の場合も殺された被害者の場合も、年齢、性別、体格と、何1つ統一されていないのだ。無差別だろう、と言われては元も子もないのだが、それにしても被害者に統一感が無さ過ぎる。殺され方も異常だ。ある人は内臓が全て無くなっていたり、ある人は血がすべて抜き取られていたり、とにかく異常なのだ。複数犯なのか、それとも事件に便乗した別人なのか、はたまた捜査撹乱のため起こしたことなのか、例を上げればきりが無い。そこまで考えて、琴音はふるふると頭を振った。

「いえ、私が優先すべきは任務です。ダメですよ、琴音。優先順位を間違えてはダメです」

何より、この街の警官の仕事を邪魔するようなことをしてはいけない。琴音には琴音の、この街の警官には警官の仕事がある。義務と同情を間違えてはいけない。

「…ここですね」

ふ、と立ち止まり地図から顔を上げる。どうやらこれから自分が寝泊まりするアパートに到着したらしい。さっそく渡された鍵を使って部屋へ入ると、全て手配が済んでいるらしく、必要最低限のものは揃っており綺麗に整頓されていた。とりあえず、まずは報告だ。組織の方で配布された携帯電話を取り出せば、番号が1つだけ登録されている。その番号にかけると、2コールほどで相手が出た。

「…お疲れ様ですレオンさん。今、よろしいですか?」
『ああ、琴音か。大丈夫だ。…どうやら無事到着したみたいだな』

電話の相手はレオンだ。彼の声を聞いて、琴音は心なしかホッとする。

「ええ、何事もなく。たった今到着しましたので、ホワイトの姿は確認していませんが…。いかがいたしましょう?」
『そうだな…。とりあえずホワイトは明日にまわして、今は街の地理確認の方を優先してくれ』
「了解しました」
『細かいことでもかまわないから、何かあったら連絡するんだぞ』

それじゃあ、と、通話が切れた。琴音は携帯電話を近くのテーブルに置き、鞄に入っている地図を広げた。確かに地理確認は必要であろう。特に例の塔の付近は入念に調べなければならない。例の塔が出現したせいで周辺の建物は倒壊し、現在手元にある地図とは大幅に違いが生じていることであろう。時計の針は、17時を指している。夜遅く出歩くのはかえって目立つかもしれないが…、今の街の状況を考えて問題はないだろう。琴音は例の塔を中心に、街の地図をチェックする。と、同時に荷物の整理も始めた。

「そういえばこれ、どうしましょう…」

荷物を片づけていると、1つのケースに目が止まる。パチン、と金具を外し蓋を開ければ、ハンドガンとその銃弾が出てきた。地理確認にこのような武器は必要無いと思いはするが、殺人事件が多発するような街だ。持っていた方が心強いか。

「いえ、人の往来がないということは銃声は目立ちますね…。止めておきましょう」

残念ながら、このハンドガンにはサイレンサーがついていない。また後でサイレンサーの用意をしなければと、#NAME1#はハンドガンを元に戻し代わりにナイフを持ち歩くことにした。後は時間が来るまでゆっくりしておけばいい。そう思い試しに冷蔵庫を開けてみれば、食材が入っていた。なんて気が効くのだと関心し、興味本位に冷凍庫の方も開けてみれば、驚くことに琴音の好物であるアイスがご丁寧に入っていたのである。

「…これは、レオンさんの計らいな気がします」

このような粋なことをするのは彼しかいないだろう。逆にこれが組織側の計らいであった場合、嬉しいとか嬉しくない以前の問題となる。正直どのような顔をすればいいのか琴音には分からない。

「ありがたくいただきましょう」

バニラのカップアイスを手に取りスプーンを握った琴音の表情は…、それはそれは幸せそうな表情をしていた。

***

「さて、そろそろいきますか」

時刻は19時を回ったばかりの頃。黒いジャケットを羽織り、黒いロングブーツを履いて、琴音は部屋を出た。彼女の漆黒の髪と瞳は暗闇に上手く同化している。それにしても、まだ19時を少し過ぎた時間だというのに静かだ。昼間の街の面影もない。琴音はグルリと辺りを見渡す。家々の電気が全て付いている、ということは、住民は大人しく家にこもり夜を過ごしているのであろう。あたり前だ。この街の住人は今、夜出歩けばいつ殺されるか分からない状況下にいるのだから。今の琴音には、住民達のそのような不安の種が早く無くなればいいと、そう願うことしかできないのだが。

とはいえ、静まり返っていた街も裏の通りにいけば多少違っていた。主に例の塔の付近というのは歓楽街が密集しており、それなりに人が往来していた。まるでスラム街と歓楽街をごちゃまぜにしたようなその場所は、人がいるというだけで、静まり返った表の通りとはまた違った異質さを感じさせた。しかし、やはりというか何というか、明るいのは今琴音が立っている場所辺りまでであり、塔の方を見やると恐ろしいくらい真っ暗である。都合が良いといえば良いのだが、何となくあの塔には近寄り難い雰囲気が出ているのもまた事実だった。

「ち、地理確認だけです。通れる道があるか確認するだけです。別に塔に入るわけじゃないんですから、」

と、誰に言うでもなくぶつぶつと呟き自分を落ち着かせる。そう、自分に用があるのは塔などではない。塔が出現したせいで通れなくなった道はないか、それを確認しに来ただけなのだ。そうして始めた地理確認。幸いにも、特に何も起こらずその作業は終えようとしていた。

「ふう…やはり塔が出現したせいか、周りの建物の倒壊が激しいですね…。ここから表に出られる道は2本だけですか…」

そう呟きながら、地図に赤ペンでチェックを入れる。細い路地の多くが通行止めになっているぶん、街のストリートは現在持っている地図よりもずっと分かりやすいものとなっていた。さて、思ったより早く作業が終わった。今日は大人しく帰ろうか。そう思った刹那、

「…っ!?」

恐ろしいくらい真っ直ぐな殺意を感じた。慌てて振り返ってみると、3つの人影。手には、大きな鎌らしきもの。いや、シルエットからして鎌で間違いないだろう。ゆらゆらと揺れながら近づいてくるその影に、琴音は冷や汗をかいた。相手が自分を殺す気でいることが、手に取るように分かってしまったからだ。

「(どう…しましょう)」

じとり、と嫌な汗が出る。自分が持っているのはダガーナイフただ1つ。対する相手は柄が長い鎌を手に持っている。明らかにこちらが不利だ。逃げた方が得策かとジリジリ後退するが、鎌を持った3つの影が一斉に琴音へと襲いかかってきたのだ。

「な、」

その時彼女は見てしまった。遠くからではシルエットしか確認することができなかったが、今は月明かりのおかげで相手の姿がしっかりと確認できる。黒いボロボロのローブを身にまとい、そのローブから伸びる四肢は骨と皮だけでできている。そしてその顔というのは、まるで作り物のような髑髏。ゾッとするようなその姿に、琴音は一瞬動きを止めてしまった。大鎌をもったその腕を大きく振りかぶり、こちらに振りおろしてくる。それを間一髪でかわし、慌てて走り出した。

「な、な、何ですかあれ何ですかあれ…!死神のコスプレですか、あなたの魂頂いちゃうぞ☆みたいなノリですか!冗談じゃないです、こんなの聞いてません!」

混乱してしまい、自分でも何を言っているのか分かっていないのだろう。琴音はとにかく走った。が、明らかに背後から先ほどの奴等が追いかけてきているのが気配で分かる。琴音は先ほど確認した地図を頭に思い描いた。まさか地理確認が、すぐさま生かされるとは思ってもいなかった。とにかく、なるべく人が通らない所を選びながら走る。下手に大通りに出て他人を巻き込むわけにはいかないからだ。

それから一体どれ程走っただろうか。さすがの琴音も息が乱れ始めた。

「…っは、しつこい殺人鬼さんですね…!」

これ以上逃げ回るのは体力的に無理だ。それならばと、琴音は近くにあった鉄パイプを蹴りあげ手にとった。相手を怯ませ、逃げるしかない。今はこれが最善の策だと判断したのだ。

「か弱い女性に手をあげるなんて、お仕置きですよ」

ぶん、と鉄パイプを一振りし、構える。目の前には先ほどと同じようにゆらゆらと動いている死神達の姿。3体の死神が大鎌を振り上げながらこちらへ襲いかかってきて、琴音が間合いに入ろうとしたその瞬間。ドンッ、と鈍い音が辺りに響いた。それから続いて、ドンッ、ドンッ、ドンッ、と連続して鳴り響いた。聞き覚えのあるこの音は、間違いなく銃声。ハッとして先ほどの死神達を見ると、ザラザラと砂となってしまっていた。

「人間、じゃ、ない…?」

それは何となく分かっていたことだったが、いざ口にしてみると何とも言えない気持ちになる。いや、それよりも先ほどの銃声は何だったのか。鉄パイプを片手に持ったまま、辺りをサッと見渡した。

「お嬢ちゃん、こんな時間にこんな所をほっつき歩いていたら、悪い悪魔に食べられちまうぞ?」

唐突に響いた声。それは上から聞こえてきて、慌てて視線を上にやると…、何かがブワリと落ちてきた。その何か、は人であった。月明かりに照らされたその人は、銀色の髪に赤いロングコートを着ており、まだ年若い青年であったのだ。

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2012/11/10