chapter5



先日、琴音はダンテから魔剣士スパーダについての話を聞いた。今日もスパーダの像が立つ公園へとやって来ているわけだが、スパーダについて話を聞いた前と後では彼の像もなんだか違った風に見えてくる。

「さて…」

先日と同じように売り物のキャンバスを並べ、イーゼルを立てそこにキャンバスを置く。今までと違うことといえば、今日からこのキャンバスに色をのせることであろうか。

本当は昨日のうちに色をのせることもできたのだが、あの後結局ダンテと長く語らってしまいそこまで作業は進まなかった。ダンテは少しだけ申し訳無さそうにしていたが、もちろん琴音は絵を描くことが本業ではないので琴音自身は全く気にしていないが。

そんなことよりもダンテが話す情報の方が、ずっとためになったと琴音は思うのだ。おそらく外から来た琴音を気遣ってのことだろう。悪魔が出やすい場所や、色々な意味で危ない店、危険区域等々教えてくれたのである。

厄介ごとにはなるべく巻き込まれたくはないが、彼女のターゲットの行動によっては面倒な場所へと赴かなければならない場合も出てくるかもしれない。

「(うーん、もしや私、結構ダンテくんに気に入られているんですかね?)」

丁寧に色々なことを教えてくれたダンテに、そんな感想をもった。それはそれで嬉しいものである。年下であるダンテは琴音にとって、そう、まるで弟のような存在になりつつあるのだ。

それは学生時代、自分の後輩達に対する気持ちに似ているなあと思い出す。自分を慕ってくれている後輩達は、可愛い妹弟だった。勉強を教えたり、一緒にランチをとったり、相談にのったり、後輩との関わりは多かったと思う(それは琴音の人柄によるものでもあるのだが、琴音はそのことに微塵も気が付かなかった。そこも彼女の良いところでもあるのだろう)。

そこで、はたとあることに琴音は思い至った。

「(レオンさんも、こんな風に思ってくれているのでしょうか…?)」

現在は、自分が『後輩』の位置にいる。レオンは『とある事情』を琴音と共有する人物であることも大きいが、それとは関係無く琴音はレオンが好きだ。尊敬する先輩だ。それと同時に、兄がいたらこんな感じなのか、と思うことも多い。

「(だったら嬉しいですけど…、こんなこと、ご本人には聞けませんね)」

ちょっとだけ想像して、照れてしまった。しかし、機会があれば言ってみるのもいいかもしれない。「レオンさんは、私にとって兄のような方です」と。にやける口もとを押さえ、そして気合いを入れるために自分の頬をぺちぺちと叩く。よし、と意気込んだその時。「こんにちは」と声をかけられた。

「え、あ、こんにちは!」
「いきなりごめんなさい。少し、絵を見せてもらってもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」

声をかけてきたのは、琴音より少し年下かと思われる女性だった。顔に横一文字の大きな傷があり、オッドアイの瞳が目を引く。それでもあまりジロジロ見るのは失礼だと思い直し、琴音はキャンバスに向き直った。

そして数分経ちー…ジッと1枚の絵を見つめる彼女が気になり、琴音は思い切って話しかけることにしたのだ。

「その風景、日本に住んでいる祖父母の家の近くのものなんです」
「あら、道理で見慣れない風景だと思ったわ。…それじゃあもしかして、このピンク色の花はサクラかしら?」
「はい。特にこの場所は桜が植えられている関係で、お花見をする人も大勢いますよ」
「オハナミ?」

会話にテンポがついたようだ。にこり、と微笑み、琴音は話し始めた。

「親しい友人や家族と美味しいものを食べながら、桜の花を愛でるんです」
「…ふふ、素敵な文化ね。なんだかこの絵、気に入っちゃった。買い取りたいわ。いくらかしら?」
「ありがとうございます」

値段を言い、女性からお金を受け取る。自分の絵を、しかも母の故郷である場所の絵を気に入ってもらえて、琴音はとても嬉しかった。なんだか暖かい気持ちになるなぁと、のほほんと思っていると、絵を受け取った女性は琴音にまだ用事があるのか、すぐには立ち去らなかった。おや、と琴音が首を傾げると、女性は意を決したように口を開いた。

「…また、ここに来てもいいかしら?あなたから、もう少し日本について聞きたいわ」

琴音は目を瞬いて、女性を見直した。少し照れた頬が、何とも可愛らしい。琴音は、コクリと笑顔で頷いた。

「ええ、もちろんです。私もそこまで日本に詳しいわけではないんですが、私にお話しできる範囲であればぜひ。−…私は、##NAME1##といいます。お名前を窺っても?」
「−…レディよ」

スッと伸ばされた手を握り、2人は微笑み合った。

***

「(女の子のお友達ができました…!)」

ぺたぺたと、目の前のキャンバスに色をのせながら琴音は嬉しげに顔を緩ませた。しかも彼女は自分が大好きな母の故郷の風景も気に入ってくれた。ただ純粋に嬉しかったのだろう。今度彼女に、レディに会うのがとても楽しみだと浮かれているのである。

「(はー…それにしても、こんなにも監視のしがいが無い相手というのも珍しいんじゃないでしょうか?)」

ふとホワイトの部屋を見れば、彼は相変わらず3時間ごとの一服中だった。

「(これでは体が鈍ってしまうような…。絵を描くのは好きですが、こうもずっと座りっぱなしだと体を動かしたくなっちゃいます)」

筆を置き、ぐぐぐ、っと腕を伸ばす。

「(駄目だ…集中できません)」

ペシン、と頬を叩きため息を1つ。自分はこんなにも集中力が持続できない人間だったろうか?いやいや、そんなはずは…。そう自問自答するが、集中できないのは事実なわけで。もうどうとでもなれと、琴音は完全に筆を置いてしまったのだ。

「(あー…気持ちいい…)」

さわり、と爽やかな風が琴音の頬を撫でる。近くでは、子供たちがボールで遊んでいるのが見えて、何とも微笑ましい。軽く目を瞑って静かに座っていると、こちらに向かってコツコツと靴の音が近づいてくるのが分かった。

「Hi、今休憩中かい?」

目を開けてみると、目の前に茶髪の青年が立っていた。きっちりと着込んだスーツに、それに合わせたカバンと革靴。見た目からして、社会人だ。今は午後4時。お勤め帰りにしては早くないだろうか、と不思議に思うも琴音は人当りの良い笑みを浮かべ「こんにちは。ええ、そろそろ片付けようかと思って」と返した。

「ああ、それは丁度良かった!」
「あの、私に何か…?」

画材を片付けながら、琴音は首を傾げた。

「君、3日ほど前からここで絵を描いてるよね?」

青年はベンチに腰掛け、後片づけをする琴音の姿を見つめながら話し始めた。

「ええ、まあ…」
「すぐそこにアパートがあるだろう?俺、そこに住んでるから君の姿が部屋からよく見えるんだ」
「え…?」

そこのアパート、と男が指差した方向を見て琴音は驚いた。そのアパートは、ターゲットのホワイトがいるアパートであったからだ。

「ほら、あそこ。3階の、左から2番目の部屋さ」
「(あら…)」

こんなにうまい話があるのだろうか。ホワイトの部屋は1番端。つまりこの青年は、ホワイトの隣人であるということだ。

「あそこのアパート、いいですよね。周りの建物も低いですし、3階となると景色もいいんじゃありませんか?」

琴音の反応に、気を良くしたのだろう。青年は、身を乗り出すようにしてうんうんと頷いた。

「もちろん。俺もあのアパートにして良かったと思ってるよ。ああでも、君みたいな女の子が隣人だったら、もっと良かったんだろうけどね」
「ふふ、お隣さんは男性なんですか?」
「運の悪いことに、両隣共ね。それに…」
「あら、まだ何かあるんですか?」

よくぞ聞いてくれた!という風に、青年の顔は輝いた。どうやら青年は話し好きらしい。

「そう、そうなんだ。右隣は俺とそんなに年が変わらない学生なんだけど、問題は左隣のおっさんだ。もともと愛想の良い人じゃなかったんだけど、最近はそれが特にひどくってね。たまにその人の部屋から物が壊れるような音が聞こえたり、怒鳴り声が聞こえたり…クスリでもやってんじゃないのかってくらい不安定なんだよな」
「それは大変ですねぇ。お引越しの方は考えないんですか?」

相槌を打ち、琴音は青年に話をするよう促す。ホワイトの隣人の証言など、まさかこんなに早い段階から聞けるとは思わなかった。

「そうしたいのはやまやまなんだけど、アパートから会社が近いんだよね。だから今みたいに休日出勤しても、あんまり苦じゃないんだ」

スーツの襟を軽く持ち、青年は苦笑した。なるほど、確かに今日は土曜日だ。青年がなぜこのような時間にこの場にいるのか、何となく分かった気がした。青年を眺めていると、彼はコホンと咳払いを1つして少し微笑み、「ところで」と話を切り替えた。

「話の最初に戻るんだけど、俺、部屋から君のことを見てていいなあって思ってたんだ。一生懸命絵を描いてる姿がなんだか可愛くて…。ね、よかったら今からお茶でも…」

青年の言葉の続きは、紡がれなかった。それは、琴音の人差し指が彼の唇を塞いだからだ。最初からナンパであることは、いくら鈍い琴音でも分かっていた。

「もう、日が暮れてしまいます。今この街は日が暮れてしまうと危ないですから、ごめんなさいね?でも、少しの間ですがお話をしてくださって楽しかったです。また機会がありましたら、そこのアイスクリームを一緒に食べましょう」

にこり、と微笑み言えば、青年は顔を真っ赤にしてこくこくと頷いた。…ナンパと分かっていたくせに、なぜ青年の顔が赤いか分からない琴音は、やはりどこか抜けているのかもしれない。それでは失礼しますね、と青年に軽く頭を下げ、琴音は先ほど青年が話していた内容を反芻しながら公園を後にしたのだった。


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2013/03/12