倉庫




「……ああ、ようやく見つけました。随分と奥まで入り込んできたものですねえ」

 随分と上の階まで歩き回り続けていた安室は、思わず肩を跳ねさせて、すぐさま振り向いた。聞き覚えのない声。低く、どこか厭味ったらしさを押し込めたような、不安を煽る声色だった。
視界には藍色の、変わった髪形をした男が映った。左右で瞳の色が違うオッドアイが印象的な男だが、安室は彼と会った記憶は無い。

「…僕を探していたような口ぶりでしたけど、生憎貴方と知り合った覚えはありませんが」
「わざわざこんなところまでやってきて、人違いだったらとんでもないことですよ。ウチのトラブルメーカーに日本から連れて来られて、ナポリ行きの途中でエテルノに誘拐された安室透という日本人の男が貴方の他に存在するのなら是非ともお会いしたいものですが」
「ウチの…?エルシオさんのことですか」
「…ああ、そんな名前でしたね、そういえば。ソレです。ソレに頼まれて貴方を迎えに来たんですけど。貴方の探し物の手伝いついでにこの施設の中を調べる役も負っていまして。ここ、三階ですけど、貴方昇ってきました?降りてきました?」
「地下から、昇ってきましたけど」
「そうですか。なら昇りましょう。こんな空気の悪い場所、すぐにでも出ていきたいですからね」

 はー、と重たく息を吐いた男は、そのままスタスタと階段に向かって歩き出す。どうやら安室を害そうとする意志は無いようだった。エルシオの知り合いらしい発言もしていたし、今すぐ敵対することは無いと考えて良いのだろうか。
 ここまで安室が息を殺し足音を殺し慎重に進んできたのが馬鹿らしくなるくらいに、彼は堂々と階段を昇り始める。ひやりと背筋を汗が伝い、問題ないのかと問いかければ、「どうせ気づかれないから問題ないですよ」と返事が返ってきた。そんな訳があるかと顔を顰めたが、その後実際に施設の研究員らしき集団とすれ違っても、視線一つ向けられなかったことから、彼の言うことは事実らしいと理解した。
 相変わらず窓の一つもないフロアは、三階までのフロアよりも更に酷い悪臭が漂っていた。ぴくりと隣を歩く男の肩が震え、苛立ちの伝わってくる舌打ちを零したのが聞こえた。

「……最悪だ。一番見たくもないものを見せられることになったらしい」
「…どういうことです」
「肉が腐った臭いがする。…血や汗や糞尿を流したまま、手当や掃除も碌にされていない、飼い殺しの人間が放り込まれた牢屋の臭いだ」
「…!」
「貴方の探し物はこれでしょう。エテルノの薬物実験の証拠を押さえたかった。そうですよね?」
「何故それを……いえ、彼がわざわざ貴方をここに向かわせたのなら、知っていてもおかしくないか。確かに僕が探していたのは、情報や推測を確信に変えるための証拠です。…ここまで酷い様子だとは、思いませんでしたが」

年端の行かない子供から老人まで見境なく、薬を撃ち込まれてぐったりとした被検体たちを見て、鳥肌が立つ。こんな地獄が、存在して堪るものかと。

「腐れマフィアが。いつまで経っても外道は外道か」

オッドアイを苛烈にギラリと光らせて、男は恨めしそうに言葉を漏らす。見るからに善人側だとは言い難いこの男の外見だが、こういった非道な行いに怒りを抱くとは、案外情のある人間だったりするのだろうか。

「…どちらにせよ今回はこれ以上手出しできません。大人しく調査を済ませて出ましょう」
「……そのうち潰すということですか」
「当然です。…さあ、行きますよ」





 その後、何度も研究員たちとすれ違い、その度に気づかれることなく通り過ぎ、結局何事もなく安室たちはエテルノの研究施設を脱出することが出来た。

「…結局、僕たちが気づかれなかったのはどんな仕掛けだったんです?」
「許可なく話すことはできないので黙秘させてもらいます」

 研究施設の外見は、何の変哲もない集合住宅の見た目をしていた。巧妙に内部が隠された作りだった。どうやら安室自身を狙った誘拐という訳ではなく、単に被検体の補充のような目的だったのだろう。安室が脱走したことに気づかれた様子はなく、最後まで施設内は静かなものだった。

「ところで、この後は一体…」
「そこは問題ありません。どうせ彼が来てますよ」

目の前に、するりと滑らかにブレーキの踏まれた車が停車した。ばこん、と慌ただしく後ろのドアが開き、見慣れた琥珀色が飛び出してきた。
エルシオは安室の姿を認めると、安心したように肩の力を抜いて安堵を示す。

「あああ、よかったぁ、脱出できたみたいで…、骸が居たし見つかることは無いと思ってたけど…透君、何もされなかった?」
「何とか、無傷ですけど…、あの、ムクロとは、この男のことですか」
「うん。……いや、ごめん、透君から目を離すべきじゃなかった。いくら今は落ち着いているとはいえ、見境ない奴は何処にでもいるものだし…」
「あの施設は」
「もう分かってたと思うけど、エテルノの研究施設だね。……その様子だと探し物は大成功したみたいだし…うん、仕方ないよな、この際もうウチに連れて帰っちゃおうか…」
「……エルシオさん、それは…!」

いつの間にか車の運転席から降り、エルシオの斜め後ろに控えていた銀髪に緑眼の青年が、焦ったようにエルシオの名前を呼ぶ。安室の背後に立つ骸は、呆れたように溜息を吐いていた。

「…まあ、一度誘拐されて顔も見られていることですし、ここで放っておいて勝手に行動されるほうが始末がつかないと思いますけど。ああそれから、記憶処理は“彼”の分しか請け負っていないので、与える情報には十分気を付けてくださいよ」
「うん。ありがとう骸、助かった。……請求はいつもの通りお願い」
「ええ勿論、クロームの分まで搾り取らせていただきますよ」
「骸テメェ、少しは遠慮ってものを…!」
「いやいや大丈夫だから隼人。予定にない頼みごとをしたのは俺の方だし、クロームにもいつも頑張ってもらってるし。…ってことで、このまま本部に向かってもらっていいかな」

乗って乗って、とエルシオに促され、安室は車に乗り込んだ。最早半ば自棄だった。これ以上無暗にエルシオ相手に警戒心を高めたところで、勝手にすり減るのはこちらだけなのだから。それに、安室がうっすらと彼らの正体に気づき始めているという点にも、あっさりと車に乗り込んだ理由があった。同業者について最も詳しいのは、やはり同業者である。つまり、恐らくはそういうことなのだろう。


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