安室とエルシオの休暇は、表向きは十分満喫したことにし、予定の一か月が過ぎるのを待たずに二人は日本へと帰国した。安室は帰国早々に舞い込んだ公安としての仕事に忙殺されつつ、来るときに向けた準備を着々と進めていく。
諸伏はまだイタリアに滞在している。彼は死人となった身であるため、余計な混乱を招くことが無いよう、生存していたという事実は、今は伏せられたままだった。
エルシオは今日も、変わらずポアロを訪れていた。時間があれば昼食をとり、安室に取り留めのない世間話を持ち掛けてきて、エスプレッソを頼んで店を後にする。随分と馴染んでしまったものだと自分自身に呆れてしまった。
「ああ、そういえば透君、今日の夜はお仕事かな?」
「……いつもいつも、一体貴方、どこから情報を持ってくるんです?組織の中でも今日のことを知っている人間は少なかったかと思いますが」
「企業秘密―。正直あんまり細かいことは分かんないんだけどさ…」
「まあいいですけどね…。ところで、その話を知っているのでしたら一つ聞きたいんですけど。彼女と会ったことは?」
「直接会ったことは無いな。見たことはあるけど。なんていうか、立ち姿で分かる。めちゃくちゃ強いと思う。筋肉のつき方が半端ない。普通に細身だしムキムキってわけではないんだけど、こう……チーターとかそのへんの動物みたいに、使える筋肉がきれいについてる感じ。スピード勝負も正面から戦うのも、あんまりお勧めできないかも」
「なるほど…」
「嫌な予感がするんだよね。NOCリストが組織の手に渡らなかったのだとしても…、ここだけの話、ウチの国の諜報機関の人間に、一度手を引かせて隠れてもらっているくらいには」
「…覚えておきます」
*
「どうかしたの?…そちらのお姉さん、小さいけど傷がたくさんあるみたいだけど…」
少年探偵団が新しくできたテーマパークで出会った、記憶喪失なのだという怪しげな女性。彼女の周りに集まって、一通り彼女の現状を聞き出し、何か身元の分かる物を持ってはいないか、これからどうしようか、ああでもないこうでもないと話していたところに、ほんの少し首を傾げて心配そうな表情をした青年が話しかけてきた。
とろけるような琥珀の両目が、真っ先にコナンの視界に映り込んだ。ふわりと風に揺れている同色の髪も、染めたような人工的な色はしておらず、恐らく地毛なのだろう。優しげな柔らかい雰囲気を持つその青年によく似合う色合いだと感じられた。
突然話しかけられたために警戒したコナンだったが、確かに今の状況は目立つだろう。よくよく見ればガラスの破片の引っかかる服を纏い、いくつもの傷を負い、ベンチに座って小さな子供たちに囲まれている。何でもかんでも始めに疑ってかかるのはよろしくない癖だと内省しつつ、心配そうな表情でこちらを窺ってくる青年に返答した。
「このお姉さん、どうしてここに居るのかわからないんだって。それでお話を聞いてたんだ。多分記憶喪失になってるんじゃないかなって。よく見るとガラスの破片は車のフロントガラスみたいだし、事故にあったのかもしれないなって話をしてたんだけど……ええと、お兄さんは?」
「あ、ごめんね、自己紹介もしないで。俺はエルシオ。イタリア人なんだけど、半分日本人だよ。こっちには仕事で、まあまあ長く住んでるんだけど…人との予定がキャンセルになっちゃってね。ふらふらしてたら君たちを見つけて、思わず声を掛けちゃったんだ。もしかして、これから警察に行く予定だったかな」
「ボクは江戸川コナン。ううん、知り合いの刑事さんにお姉さんのこと調べてもらってるから大丈夫。今からこの辺を歩いてみて、お姉さんが覚えてることが無いか探してみようって」
「え、警察の知り合い?」
「あ、ボクたち何回か事件に関わってて…」
「わたしたち、少年探偵団なの!」
「何度も事件解決してるんだぜ!」
「お姉さんの記憶に残っている場所も、きっと僕たちが一緒に見つけてみせますよ!」
ぱちぱちと目を瞬かせたエルシオはやけに幼く見えて、仕事で日本に、と言っていたにも関わらず、学生くらいの年齢のように見えてしまう。
ひとしきり驚いて見せたエルシオは、すごいねえ、と朗らかに笑っていた。
「ここまで知ってしまったし、よかったら俺にも協力させてもらえないかな?」
*
「あ、こらあんまり走っちゃだめだよ!お姉さんのこともそんなに引っ張らないで、怪我してるんだからー!」
「はーい!」
警戒心を抱けないというか、お人好しと言うか、不思議な人だと思った。
探偵団の子供たちは、あっというまにエルシオに懐いた。エルシオのほうも小さい子供の扱いに慣れているのか、彼らに多少の自由は許しつつも危ない場面ではきちんと注意をしたり、世話を焼く手際がやたらと良いのが印象的だった。彼の職業は保父か何かかと思いかけて、仕事で海外から日本に移住していると言っていたのだからそれは無いだろうと気付き、ならば元からの彼の気質なのだろうか、と雑な人間観察をしながらコナンは女性の記憶の手掛かりを探していた。
「エルシオさんって、お人好しって言われたりしない?」
「え。………まあ心当たりは…、多分悪い意味で言われることのほうが多いけど…」
「だよねえ」
「なんでそんな達観した顔して…」
「だって普通、初対面の記憶喪失の人に着いていって助けようって、あんまり思わないんじゃない?」
「それすごいブーメランじゃない?」
「…それに、この好奇心旺盛な探偵さんが全く疑おうとも思ってないんだから、貴方のお人好しは本物だと思うわよ」
くすりとシニカルに笑った灰原を見て、珍しい、とコナンは声を上げずに驚く。
基本的に初対面の得体の知れない人間には深く関わらず静観しているのが常である彼女が、たった数時間でここまで心を開いているなど、今までにあっただろうか。
「…まあ、楽しく遊んでいられる間にたくさん、遊んでほしいからね。俺にも弟と妹みたいなのがいるけど、小さい子のことは似たような気持で見ちゃうからなあ」
*
観覧車のいたるところに取り付けられたプラスチック爆弾。配置から、実際に爆破されてしまえば観覧車だけではなくパーク内への被害があまりにも甚大になってしまうことを察したコナンは、それぞれの爆弾から繋がる配線を追った。
結果、何十本もの線が集まる箱の元へ辿り着いたは良いものの、無暗にその箱を開けることはできなかった。
コナンの爆弾解体の知識は基礎的な物しか無く、それこそ配線の先に何十と取り付けられているプラスチック爆弾一つ一つであれば解体は可能かもしれないが、それを一からやってたのではいくら時間があったとしても間に合わないだろう。大元であろうこの箱の中身を弄らなければ、恐らく爆弾は全て爆発してしまう。
「っくそ、…これは俺じゃ…」
「わ、さすがに俺も無理かなあ…」
悔しさに悪態を吐いたコナンの隣に、突如として現れた気配と声に驚いて視線をやると、そこには配線の繋がる箱をしゃがんで覗き込むエルシオの姿があった。
なぜ。いつのまに。
「え…エルシオ、さん?何でこんなところに」
キュラソーの記憶の手掛かりを探して歩き回った後、彼とは何事もなく、連絡先の交換すらもせずに和やかに手を振って分かれたはずだった。
彼に対して抱きようもなかった警戒心が、一気に膨れ上がる。こんな場所に、爆弾があると分かっていて留まり続けるなど、どう考えてもただの一般人などではない。
「何でと言われると困るなぁ。実はあんまり細かいことまでは分かってないんだよね、俺も。今日はベルモットの送迎でくっついてきただけだし、嫌な予感がするから隙見てパークに忍び込んでみれば観覧車は爆弾だらけだし……、多分ジン辺りがキュラソーを奪還するために動いてるんだと思うけど。このパークがめちゃくちゃになったら、いろんな人が傷ついちゃうだろ?それは困るから来たんだけど…」
「待って、ちょっと待って!エルシオさん、どこからどこまで、何を知ってる!?アンタ、組織の人間なのか!?」
目に見えて血の気を引かせるコナンが今にも何かを仕掛けてきそうな勢いだったために、エルシオは思わずぶんぶんと顔を横に振って両手を挙げる。
「いや待ってちが、いや違くないんだけど、あああ待ってそのなんかヤバイ気配のする腕時計しまって!!お願い!ちゃんと話すから!待って!!」
「…」
「まず、俺と透君は黒の組織ではない立場の人間同士として繋がりがある、って言ったら落ち着いてくれる?」
「…本職のほう、ってこと?」
「そう、そうそう。俺は正真正銘イタリアで仕事をしてるイタリア人で、詳しくは言えないんだけど諸事情あって黒の組織を潰さなきゃいけないから日本までやってきて潜り込んでたの。コードネームはサンブーカ。一応ベルモットの子飼い?みたいな立場に居て、そこそこ信用度はあるからバーボンみたいなギリギリ綱渡りはしてないかな…、どう?もう大丈夫?」
コナンが強張らせていた肩から力を抜いたのを見て、ほっと胸をなでおろしたエルシオは、さらに言葉を続ける。
「透君にも言ってないことだけど、コナン君の正体についてもまあ、大体予想は着いてる。とはいえこちらとしてはあまり重要なことでもないから、わざわざ誰かに言いふらしたりもしないし、これを使って君を脅すようなこともしない」
「…分かった、信じるよ。それに今はこの爆弾をどうにかしないといけないし…、そうだ!」
*
激しい肉弾戦の音が響き渡り、エルシオは思わずうわあ、痛そう、と声を漏らした。「赤井さんが来ているはず」と言ったコナンは急いで階段を昇り始め、その後を追ったエルシオの耳に入って来たのがこの、聞いているだけで痛みのうつってきそうな打撃音だった。
激しく殴り合う二人の男のうち、片方が安室であることは、エルシオにはすぐにわかった。コナンは恐らくもう片方の男の物であろう名前を大声で叫び、殴り合いを中断させる。
観覧車に爆弾が取り付けられていること、それには恐らくトラップが取り付けられており、自分には手が出せないものであること。端的に、しかし的確に状況を伝え終えると、頭を冷やしたらしい二人はコナンとエルシオの元へと降りてくる。
「エルシオさん!?貴方なんでここに」
「そりゃベルモットがここに来てるからね。いつも通りの送迎役だよ」
「…彼女は?」
「少し離れた見通しのいい建物にでも居るんじゃないかな?この辺りには居ないよ。昼頃送った後しばらく自由行動って言われたから、今までふらふらしてた」
「…それでコナン君と?」
「最初にコナン君と会ったのはキュラソーが記憶喪失になってすぐだからその前。パーク内でキュラソーがすっかり記憶をなくして彼らといたもんだから。ここには嫌な予感がしたから来てみたら案の定。…で、そちらは?」
「…ボウヤに同行していたところを見ると一先ずはこちらに敵対心は無いと考えて良いのだろうな?」
「俺はエルシオ。コードネームはサンブーカ。黒の組織の幹部だけど、透君の味方だと言ったら少しは信用してもらえるかな?」
「それは彼個人の味方ということか」
「……まあ俺自身の気分的にはそうなんだけど、彼”ら”に協力している、と言ったほうが安心してもらえるのかな」
互いに相手から視線を逸らすことの無い二人の間を、じとりと重たい空気が数秒間流れ、沈黙が落ちる。
「…分かった。俺はFBI捜査官の赤井秀一だ。よろしく頼む」
す、と右手を差し出した赤井に、にこりと微笑んだエルシオは慣れたように同じく右手を差し出して握手に応じる。左手を出されなかったのだから、こんな状況での初対面同士の空気感としては及第点だろう。
名前はしっかり日本人なのに、FBIなのか、と少し疑問に思いながら手を離したところで、ふと脳内で何かが引っかかる。
「……あれ、そういえば、赤井…あかい?赤色の赤に井戸の井で、あかい?」
「そうだが、何か?」
数秒じっくりと赤井の顔を眺めたエルシオが、きゅるりとその琥珀の両目を輝かせて納得したように頷いた。
「務武さんは元気にイタリアで過ごしてるよ」
「!?」
「赤井さんはもしかしてお母さんに似てるのかな。目元はそこまで…?でも全体の雰囲気が務武さんによく似てる」
「おい、待て、……どういうことだ?父が生きているだと?」
「俺がというより、俺の親戚が彼を間一髪救ったというか、そんな感じ」
「信じられるか、何年前の話だと…そんな、」
緩みかけた糸が再び張り詰めそうになったところで、微妙な表情をした安室が赤井に視線をやって緩く首を横に振る。
「待て赤井。…僕は信じていいと思う。そう言う類の嘘をわざわざ吐くタイプではないですよ」
「疑り深い君が信じるというなら、それなりの証拠が有って言っているんだろうな?」
「…スコッチが生きていました。同じように、彼に助けられて。この前イタリアで実際に会ったから、確かですよ」
「スコッチが…?」
詳しく聞かせろ、と会話が続きそうになったが、コナンによって話の筋が戻される。とにかく今は爆弾を解除することが何よりも重要なのだ。
そうこうしている間にも四人の聴覚は観覧車の外のプロペラ音を捉える。組織の所有するオスプレイで間違いないだろうと安室とエルシオが肯定すると、詳しい事情を聞きたがっていた赤井は素早く切り替え、工具を残して外を見に行くと走り去った。
残った三人でトラップの仕掛けられた箱の元へ向かう。外から箱の中を覗き込んだ安室が、たらりと冷や汗を頬に伝わせて唇を歪めた。
「…開けなかったのは正解だね、コナン君。面倒なトラップが仕掛けられているみたいだ。…そういえば、貴方はこれどうにかできなかったんです?」
「そういうのはウチの右腕の得意分野だから…」
「ああ、あの…」
コナンが持っていた工具を取り出し、いざ解体をと箱に手を掛けたとき、辺りに電子音が響き渡った。がばり、と安室が音の発信源であるエルシオに振り向く。あと少し遅かったら集中の妨げになったぞとでも言いたげな刺々しい眼差しをしていた。あわててスマートフォンを取り出したエルシオは眉を下げてさらに謝ると、口元に人差し指を立てるジェスチャーをして見せた。
「ごめん、すごいタイミング……ほんとごめん、ちょっとだけ。……Si, elcio…あー、ベルモット。仕事は終わったの?……うん?どこに居るのって、時間つぶしにテーマパークふらついてたけど、……危ないから戻れってどういうこと?………何?観覧車に爆弾?そんなのつけてたの?オスプレイ見えてるけど、ジンが上からゴンドラごと持ってくだけって話じゃなかったっけ?ええ…ほんとそういう大事なこと教えてくれないよねジンは。わかったよ、離れる。場所は変わってない?うん、はい、じゃあまた後で。………」
小さく息を吐いてスマートフォンをしまい込むと、エルシオは申し訳なさそうな表情を安室とコナンに向けた。
「…ベルモットですか」
「聞いての通り、お迎えに呼ばれちゃったみたいだ。ここまで来ておいて最後まで手伝えなくてごめん。あんまり遅くなると疑われちゃうから、そろそろ。
…君たちなら、きっと何とかしてくれるって信じてる」
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