■ヴァーム―スの陶酔
サンブーカはベルモットの子飼い、お気に入りの薬箱である。
組織幹部の間では、随分有名な話である。サンブーカが従順にベルモットの依頼を受け付けるのは、大きな恩があるからだとか、彼女の色香に魅せられているからだとか、噂は数々あるが、どれもベルモットをサンブーカよりも優位に置いた内容のものばかりである。
しかしそれは事実ではないと、ベルモットは断言できる。決して他の幹部になど教えてはやらないが、魅せられているのは間違いようもなく、ベルモット自身の方であるのだ。
きっとどう足掻こうが足を洗うことなどできないよう裏社会の深みに嵌っていながら、わずかに残された日常を精いっぱい楽しむ彼の生き方に、ベルモットは純粋にあこがれた。
彼は老いなど恐れない、時間経過は負の感情をもたらさない。そんな彼の精神のありようが、ベルモットには酷く眩しいものに見えた。彼の側にいるだけで、自分も少しだけ、そんな風に前を向いていられるような気がするから。
サンブーカがサンブーカになる前、彼とベルモットが初めて会ったのは、とある北国の廃墟であった。
当時、まだ組織の仕事を受けるようになったばかりだったエルシオは運び屋の仕事を主に、時折組織の幹部を何も事情を聴かずに送迎する足の役割を担っていることが多かった。 その当時からエルシオの顔を見知っていたベルモットは、彼を側においていたらさぞ毎日が楽しかろうと、周りの幹部たちの驚きを他所に、エルシオを本当の意味でこの組織に縛り付けるべく、ボスに彼を紹介した。そうして彼女の思惑通りボスの眼鏡にかなったエルシオは組織の中枢へ足を踏み入れることとなり、そんな彼をベルモットはあちらこちらと様々な任務に連れまわした。
そんな気まぐれを繰り返すうち、ベルモットはいつのまにか、彼の懐に飲み込まれ、心地よい温かさに心を安らげることを覚えてしまっていたのだ。
だから、気づいてしまっても暴くことが出来なかった。このまま知らないふりをしていれば、温かいまどろみをずっと感じ続けていられると思ったから。
「ベルモットってさ」
「何かしら」
「俺がこの組織の人間じゃないこと、わかってて放っておいてくれてるよね」
ああ、まさか彼から終わりを突き付けられるだなんて。いつか来ることだと、わかってはいたけれど。彼はこの悪の蔓延る黒の組織を、その眩さでもって溶かし尽くす希望になりえるだろうか。
ベルモットはもう、今更後戻りが出来るような場所には立っていない。このままこの組織と命運を共にし、組織の悲願が達成するか否かの二つに一つだ。
「…いっそ何も言わなければ、そうかもしれない、のまま終わらせることが出来たかもしれないのに。どうして」
「ベルモットは、この組織が永らえることを、望んでいないだろ」
「まさか。ここまでずっとボスの研究に賛同してやってきて、どうして私が今更否定する必要があるのかしら?」
「だめだよ、ベルモット。そういう嘘は特に、俺にとって見破りやすい。貴女は自分の意思に嘘をついている。…違う?」
勘の鋭い男であることは、ずいぶん昔から知っていた。資金稼ぎにカジノに赴かせれば負けは無いし、彼の嫌な予感も良い予感も、思い返す限り外れた記憶はない。
「…今更よ。私はもうここから離れられない。随分長く居ついてしまったもの。もうどこにも行く場所は無いし、組織の研究が達成されなければ、生き続ける理由もない」
とろりと、蜂蜜のようにとろけた琥珀がベルモットを射抜いた。ほんの一瞬、その瞳が鮮やかなファイアオパールのように苛烈に輝いた気がした。
ベルモットのあこがれた、裏社会の深みに存在しながら強く眩しく生命力を迸らせる瞳。それはまるで魔眼のようだった。こんなにも人を魅了してやまない怪物のような男を、この世に生みだしたのはいったい誰だろうか。
「しがらみなんてこの際関係ない。貴女が本当にそうしたいと願うなら、…俺と一緒にイタリアに行こうか?」
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