倉庫




:氷面鏡に灼熱


「こないだの報告書読んだんだけどさ。…綱吉の術式反転のこと、詳しく教えてもらえたりする?」
「別にいいですけど、どうかしたんですか?」
「保身に必死な腐れミカンに、悠仁の死刑以外の道を示してやろうと思って。綱吉ならそれができるんじゃないかってね。どう?僕の共犯者になるつもり、ない?」




 事の始まりは、伏黒を引率に釘崎と虎杖が三人で任務に赴き、それを一人寮で待っていたところに、伏黒からの連絡が飛び込んだことからだった。
伏黒にしては珍しく焦りの滲む声。必死に押し殺そうとしてはいるようだったが、隠しきれないそれに綱吉は何が起きたのか問いかけた。
既に二級術師となり、単独任務や引率側を請け負う任務が増えた綱吉は、神宮家の意向もあり、同期と共に任務に赴く機会は少ない。そのために何か危険があったときにすぐに駆け付けられず、今までにも何度か悔しい思いをしたことがある。だからこそ、彼らが任務に出ている際に掛かってきた電話には極力応じるように気を付けているのだが、今回はそれが活きたようだった。
伏黒たちの現在地は八十八橋であるらしい。今回の任務内容から原因を探るうちにその場所へ辿り着き、なんとその件には伏黒の姉も巻き込まれていたらしいと言うのだ。
突然知らされた同期の姉の存在に驚きつつも、なるほど普段冷静な伏黒が焦りを見せるわけだと綱吉は納得した。
お姉さんは無事なのかと問いかければ、伊地知に既に護衛を依頼したと返答があった。であるならば、綱吉への連絡は何の目的があったのだろうかと首を傾げる。
「…任務の危険度が上がった。二級術師には手に負えない、らしい。…虎杖と釘崎は今から帰らせる。…でも、今回の件は、……時間が無いんだ。だから俺は今から一人でもこの件を追う。沢田には、帰らせた二人が勝手にこっちに戻らないように見張って__」
「伏黒くん、本気で言ってる?俺や、虎杖くんや釘崎さんが、危ないからって遠ざけられて、それで一人でお姉さんのために危険なところに向かっていこうとするのを、黙って見送るような薄情者だと思ってる?」
伏黒の言葉を聞いたときには既に、綱吉は補助監督を呼び止め、その車に飛び乗り、八十八橋へ向かい始めたところだった。
「俺もすぐに向かう。あんまり無茶はしないでね」
やや法外な速度で車を飛ばしてもらい、辿り着いた八十八橋には彼らの姿は無かった。それはいい。車内で既に、辺りを見回るとの連絡があったからだ。待てと言ってもきっと無理だっただろうから、連絡を入れてくれただけまだマシだったと言えよう。意識を集中させて呪力の流れを読むと、どうやら三人は橋の下へと向かったらしい。飛び降りてしまえないことにもどかしさを覚えながらも急いで下へ降りる途中、突然現れた大きく禍々しい気配に背筋を震わせる。
これは知った気配だ。両面宿儺の指に違いなかった。
突然のことにもつれた足に力を入れて体勢を立て直し、綱吉は走るスピードを上げる。
「!伏黒くん!!」
橋の丁度真下、大きな気配の元をその手に握りしめた伏黒が横たわっているのを見つけ、綱吉は急いで駆け寄る。呼びかけても反応が無いことに一瞬焦ったが、どうやら寝ているだけらしいと悟り、ほっと息を吐く。それから虎杖と釘崎の姿が見えないことに気が付き、再び辺りの呪力の流れを感知するために目線を走らせた。
「…途切れてる?」
ぷつりと、二人の呪力の残り香のようなものが、鋏で裁ち切ったかのように不自然に途切れているのが分かった。それも、途切れた場所は地面ではなく中途半端な空中。
それならば考えられるのは、ワープのようなものだろうか。どくどくと早鐘のように鼓動を打つ心臓が、早くしろ、早くしなければと綱吉を急かす。
一度深呼吸をして、呪力を追うのではなく、近くに見知った気配が無いかを探ることにする。
自然の環境音に交じる微かな音や声、戦闘音。彼らが返ってきていないということは、きっとどこかで戦っている途中のはず。呪霊が領域を作り上げているのであればそれはすぐにわかるし、そうでないのならば気配を探ることは不可能ではないはずだった。
鋭敏に尖らせた神経と超直感を頼りに、微かに耳に届く音に従って綱吉は森の中を走り続ける。
次第に音はクリアになり、虎杖と釘崎がその場に居ること、かなり強い呪霊二体と戦っていることが情報として得られるようになった。
転がるようにして森から飛び出した綱吉の視界に飛び込んだのは、なんとも個性的な見た目をした呪霊が、その背に血の羽根を背負った瞬間だった。
あの血は危険だと超直感が訴える。
まだ誰も、呪霊の背後に飛び出した綱吉の存在には気づいていなかった。
「…術式、反転」
呪霊が血の羽根をざわりと動かす。虎杖と釘崎が、ものすごいスピードで迫ってくる血から逃げるために走り出す。血の一端が、背を向けて走る釘崎の髪の先にほんの少し触れたのと同時だった。
『!!な、に…!?』
ぴしり、ぱきん。
空気を割くように、小さく細かな破裂音がなる。血の羽根が、ほんの一瞬のうちに不思議な輝きを放つ氷によってその動きを封じ込められていた。
「…沢田!?」
「アンタなんでここに…!」
「伏黒くんに連絡貰った!これが八十八橋の呪霊なの!?」
「これは別件、正直俺らもわかんねえ!」
「!!二人とも後ろ!!」
綱吉に二人の意識が向けられた瞬間、二人の背後に現れたもう一体の呪霊。人の形はしていなかった。人のような顔と歪な丸い動体、そこから生えた四本の腕。口を膨らませ、何かを吹きだそうとしているようだった。綱吉は咄嗟に二人に呼びかけたが、さすがの反射神経を有する虎杖でも、釘崎を吐き飛ばすので精いっぱいだったらしい。虎杖は恐らく血であろう液体を頭から被ってしまっていた。
そちらに気を取られた瞬間、固まった血はそのまま捨て置き、一度その形状を崩すことで綱吉の氷から逃れた血の羽根が、釘崎と綱吉を襲った。途端に走った衝撃と痛みに、思わず呻き声をあげる。
なるほど、この血に触れると危険だというのは、融けてしまうからなのだと理解した。
『突然血を固められたことには驚いたが…私たちの術式はここからです』
綱吉たち三人の皮膚に入れ墨のように薔薇が広がる。加えて術式が開示され、身体を蝕む痛みがさらに強まっていく。
綱吉は自らの未熟さに歯がゆい気持ちを覚えた。綱吉の術式は調和だ。きっと、もっと繊細な呪力操作や拡張術式を生み出せていたのであれば、毒の類も打ち消すことができていたのではないだろうか。
けれど今悔しがったって仕方がないのだ。できることをしろと気を持ち直す。
綱吉の術式反転は呪力を固定するところから解釈を広げることで呪力そのものを凍らせている。先ほどの血の羽根を完全に凍らせることができなかったところで気が付いたが、どうやらこの呪霊たちには肉体があるらしい。故にその血は本物の血で、つまり呪力以外の物質も混じっている。だからこそ、血に交じる呪力だけが凍り付き、その他はすぐに呪霊が操作可能な状態に戻ってしまった。まだまだ発展途上の術式反転。可能性は腐るほどある。綱吉にしか融かせない、他の何者の干渉も受け付けない状態にするにはどうするべきか。
ずるりと水が流れるように呪力を地面に這わせる。同時に釘崎が自らの腕に共鳴りを打ち込んだ。
既に仕舞われていたが、血の羽根を出していたほうの呪霊の足元を綱吉の呪力が覆う。呪霊がそれに気づいた瞬間にはもう遅く、綱吉以外に融かすことのできない氷がぱきりと音を立てて呪霊の足元から瞬時に氷の折を形成し始めた。それを壊そうと呪霊が身体を動かそうとすれば、釘崎の共鳴りによる痛みが行動を縛り付ける。
『同じ手を飽きずに…』
「どう、かな。その氷はその血でも融かせないと、思うけど」
綱吉の言葉通り、壊すことも融かすこともできない氷にたじろく内に、這い上がる氷に飲まれてしまう。
綱吉の呪力は調和の属性を持つ。加えて術式反転により、その状態は固定される。外部からどんな干渉を受けても調和という状態で固定された氷は、綱吉がその意思を持って崩さない限り、何者の干渉を受けることもかなわずその状態を保ち続ける。加えて、呪力を順転させれば、氷はそのまま呪力の炎となる。一度綱吉の氷に囚われてしまえばその瞬間、閉じ込められた呪霊の命は綱吉の意のまま、燃やし尽くされて砂になるか、永遠に氷漬けか。
「待ちなさいよ沢田、まだソイツ、殺んじゃねえぞ」
「大丈夫、わかってるよ」
釘崎の背後では、毒に蝕まれているはずの虎杖がそんなもの始めから無かったとでも言うかのように身軽に身体を躍らせ、もう一体の呪霊を殴り飛ばしていた。
『兄者……兄者ァァアアア!!』
最期の力を振り絞るようにして飛び上がった呪霊は、血を介した共鳴りの衝撃に一瞬その身体を縮こまらせる。その一瞬を、虎杖が見逃すことは無い。
滑るように地を駆け、呪力を込めた拳を握り込み、ごめんと一言。
虎杖の拳が振り抜かれるのと同時、綱吉は術式を順転させる。
橙の火柱が立ち昇り、綱吉たち三人を蝕んでいた腐食の毒が、体内から消え去っていくのがわかった。




「“調和”状態を“固定”する、ねえ。綱吉ってほんとに半年前までなーんにも知らない一般人だったの?」
「でもこれ、釘崎さんの共鳴りがあったからこそ閉じ込められたわけで、戦闘中にのんびり呪力垂れ流して凍らせる準備する暇なんてないですよ」
「でもそれが、僕たちのでっかい武器になるわけだ。いやあ、全く。とんだ拾い物をしたもんだよ、神宮家も、僕も、…呪術界も」
「…そんなに、ですかね」
「純粋な戦闘力としてはどうだろうね。でも、僕が探してたのは僕の代わりになるような戦闘力じゃない。僕の代わりに成り得る抑止力なんだよ」
「呪術界で五条先生以上の権力ってあるんですか」
「違う違う。言ったでしょ。綱吉はこれから悠仁を死刑にしたくてたまらない腐ったミカンたちの抑止力になるの。何らかの理由でもしも僕が使い物にならなくなったとき、両面宿儺を止める術がないと判断して上はすぐにでも悠仁を殺すだろう。ようは自分たちの命が大事だから、自分たちを守ってくれる戦闘力が欲しいわけだよね、上は。だから僕の代わりの戦闘力は、既に用意してるんだ」
「…それなら」
「でも残念なことにその子、一般家庭の出な上に、遡っちゃうと遠い遠いウチの血縁だったりしちゃったりするわけね。そうするとどういうことが起こるかっていうと、僕が居なくなった五条家の権力に押しつぶされちゃうわけ。まあついでに言うとその子は呪術界に拾われたようなものだから、あんまり反逆らしい反逆もできない立ち位置だし。そこで君ってわけよ、綱吉」
ずるりと普段の黒いアイマスクを外した五条は、まるで透明度のないサングラスをかけ、さらに歩き続ける。いつだってそうだが、綱吉はそんな五条に小走りで着いていく。
「綱吉が思ってるよりも、神宮家って古いしそれなりに発言権を持ってるんだよね。むしろ三家のしがらみにとらわれていない分自由だ。そんな家の次期当主がそんな術式引っ提げて、抑止力じゃなくて何になるって話」
そうして五条の立ち止まった場所には、物々しい雰囲気を醸し出す一棟の建物。
ここに、呪術界のお偉いさん方、もとい五条が言うところの腐ったミカンたちが揃って集っては自己保身について日々話し合っているのだという。最近は専ら、両面宿儺の器をどう処理するか、といった議題らしく。
「僕はさぁ」
サングラスの奥で蒼い瞳が光ったような気がした。
「綱吉がただの綺麗ごとだらけのいい子ちゃんだったら、こんなこと持ち掛けなかったよ」
「!」
にい、と形のいい唇が吊り上げられる。
「そりゃ、綱吉はいい子だけど。でも案外、身内と他人の境界線ははっきり引いてるよね。初めからそう。今回の報告書だって、綱吉はあの呪霊が肉体を持っていることも、倒せば死んでしまうことも気づいていて躊躇いなく燃やした。殺られるならば殺る。身内に手を出されたら倍以上にして返す。案外冷めててヤクザみたいで血腥いけど、僕は綱吉のそういうところが信用できるね。悠仁が本人の与り知らないところで、死ぬだ殺すだなんて言われてるの、綱吉は腹が立って仕方ないでしょ」
先生らしい声色などどこへやってしまったのか、冷めて鋭いそれが存外抵抗なく綱吉の耳に流れ込む。これは“五条先生”ではないと、この瞬間にはっきりと理解した。呪術界を根本から覆そうと目論む、“五条悟”という一人の呪術師だ。
「……ちゃらんぽらんしてるように見えて、案外しっかり人のこと見てるんですね、五条さんは」
「…あは、サイコー。さ、おじいちゃんたちにゴアイサツと行こうじゃない」



調和する。諧調する。状態を固定する。
「俺の術式は、呪力を調和させることでその対象を石化し、崩壊させます。その反対は」
__固定する。
ビシリ、と音を立てて、綱吉の足元から呪力の流れを追いかけるように氷が這う。氷は生き物のように徐々にその範囲を広げ、綱吉と五条を取り囲むようにして座る顔を見せない老人たちの周囲を固めるように、氷の柱を生み出す。ひ、と誰かが小さく情けない悲鳴を上げたような気がした。
「呪力を扱いやすいから炎の形を取っているだけで、この術式の本質は炎では無いですし、砂や灰みたいになるから燃えたように見えるけど、実際物を燃やせるわけではありません。これは無理矢理術式の解釈を拡大させたことによる術式反転によるものです」
動きを止めた氷は虹色を帯びたような不思議な輝きを放っている。ただ水を固めた氷ではないことは一目瞭然だった。
「もちろん閉じ込めた物をそのまま石化させてしまうことだってできます。でも…、呪力を調和した状態で固定する。これは一種の封印になりませんか。この氷は俺以外の何にも融かすことはできません。俺の術式は、両面宿儺の指を封じる策には成り得ませんか」


 その日、五条と綱吉がその場を後にしてからすぐ。
沢田綱吉を一級術師へ昇格させる旨の決定が下された。





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