倉庫




 安室透名義で契約している、バーボンとしての仕事用の携帯に、一通メールが入っていることに気が付いた。件名も何も無いそのメールの送り主はジン。やたらとNOC相手に鼻が利き、常に安室の正体を疑ってくる、油断が許されない相手だ。
 せっかく和んだ心も、バイト終わりに見つけたメールのたった一通で台無しになってしまったようで、安室は思わず小さく舌打ちをした。
 ジンはどうやら、NOCを一人炙り出したらしい。気づかれたことを悟ったNOCは、ジンに殺される前に逃げ出した。つい三十分ほど前のことのようで、おそらくまだこの周囲に隠れているだろうとのことだった。見つけ次第即座に殺せとの指令だった。了解とメールを送り返してすぐ、今度はベルモットからの着信があった。彼女からもたらされた情報によれば、現在逃げ続けているNOCは、元は末端の構成員であり、功績が認められたため、あと一か月もすればコードネームが与えられる予定だった男だったようだ。おそらく、コードネームを与える前に詳しく身辺調査をされた際に、何かしら尻尾を掴まれてしまったのだろう。
 組織の幹部はネームドになった時点で上下関係は存在しなくなるはずなのだが、ジンはいつまでたっても安室への疑いを解こうとはしないし、当然のように指令を下し、NOCを見つければ始末をさせようとしてくる。NOC同士、情をかけて逃がしたりするとでも思っているのだろうか。同じ目的を持つ者同士で命を削りあうなど、なんと非効率的なことだとは思うが、それよりも安室は、今これ以上の疑いをかけられるのはごめんなのだ。助けてやろうなどとは考えられなかった。
 安室は愛車に乗り込んで、ジンから送り付けられてくる位置情報を確認しながら標的を探す。人気のない路地が多くなってきたあたりで、車を降り、細い道へと入り込んでいく。ベルトに拳銃を挟ませていつでも構えられる用意をし、足音を聞き逃さぬよう耳をすませる。
 安室も、コードネームを付けられる前にこうなる未来があったかもしれないのだと思うと、嫌な汗が背中を伝っていくような気がした。
 ジャリ、と砂を靴底で踏みつけた音を耳が捕らえ、安室はそちらに視線をやる。暗闇に走り去っていく男の姿であることを認識すると、メールで手早く位置情報を送りながらその背を追いかけた。弁明も何もなしにひたすらに逃げ続けるところを見ると、疑いを晴らすことは諦めているのだろう。おそらくその情報を自らの仲間に届けるため、彼は追っ手を振り切ろうと走り続けている。いつかの、幼馴染の姿を思い出した。
 NOCは我武者羅に走り回るというよりも、何かを探しているように感じられた。時折背後ではなく左右に視線をやりながら、苦しそうに乾いた咳を漏らしながら。この辺りの入り組んだ路地は、公安関連の諸々の事情があって安室は詳しく道を把握している。だから分かっていた。この先は行き止まりで、大した広さもなく、左右に逃げることもできないということを。
 遠くから複数の足音が聞こえてくるから、おそらくはジンやウォッカ、ベルモットあたりが到着したのだろう。ここから殺す前に、どこからのNOCであるのかを聞き出す必要があるのだ。

「フン、逃げ出した割には随分早く捕まったもんだ。バーボン、そのネズミから所属を聞き出せ」
「…僕は貴方の部下でもなんでもないのですがね。…まあ良いでしょう。貴方、顔立ちからおそらく日本人ではないように見えますが、どちらの国の方でしょう?」

 日本人は欧米人の顔を「どこの国の人だ」と見分けるのは苦手だ。欧米人が中国人と日本人を見分けるのが苦手であるのと同じことである。おそらく北国の方ではないだろうと観察を続けながら、安室は拳銃を構え、答えなければ撃つぞと、言外に示した。

「…誰が、答えるものか」

 男のヘーゼルブラウンの瞳が、悔しそうに歪みながら安室達を睨みつけてくる。額に汗を浮かばせながら、かすかに声を震わせても堂々と否と答える男に、安室はほんの一瞬眉をゆがませて、両の肩を撃ち抜いた。こちらに拳銃を向けられることが無いようにだ。
 くぐもったうめき声をあげてその場に膝をつく男は、それでも口を割らなかった。
 酷い罪悪感を感じた。「バーボン」と低めた声でベルモットに急かされ、膝と太腿に弾丸を撃ち込んでから、ジンに視線をやってゆるゆると首を横に振る。「話せば助けてやる」とは言えない。ジンにその気がないからだ。話しても死ぬ、話さなくても死ぬ。それなら、安室も確実に口を閉ざすほうを選ぶだろう。
 苛立たし気に舌打ちし、ジンは数秒沈黙した後、殺せと一言吐き捨てた。間違っても疑われることの無いよう、安室は間髪入れず引鉄を引き絞る。放たれた弾丸は寸分のずれもなく額を撃ち抜き、男は悲鳴の一つも上げずに一瞬で絶命した。

 現場は血の匂いに溢れ、地面は真っ赤に塗れていた。きっと意識が朦朧とするくらいの激痛があっただろうし、血を流したに違いない。それでも固く口を結んで開かなかった男に、安室は心の中でぽつりと謝罪をした。

「…思っていたより、血だらけになってしまいましたね。掃除屋を呼ぶべきでしょうか」
「…ああ、そう言えば、もうあの子がこっちに戻って来ているはずよ。呼び出したら片付けてくれるんじゃないかしら」

 ベルモットがひややかに死体を見遣りながら、口元に手をやって呟いた。彼女は“あの子”といったが、安室には何一つ思い当たるものは無い。一体何のことを示しているのだろうか。ベルモットが殺しの任務を請け負うことはそう多いわけではないし、懇意にするような掃除屋の存在など無かったはずだが。

「あ?…ああ、テメーのお気に入りの薬箱のことか」
「米花に入っているはずだから、近くにはいると思うわ」
「なら任せる。アレが来るなら他の掃除屋は要らねぇだろう。オレは先に戻る」

 重苦しい黒いコートの懐から煙草を取り出し咥えつつ、ジンはウォッカを引き連れて去っていった。ベルモットは携帯を取り出し、薬箱と呼んだ誰かに位置情報と掃除の依頼をメールで送ったようだった。

「貴女のお気に入りの薬箱…なんて、初めて聞きましたが」
「ああ、貴方がネームドになった頃にはもうイタリアを拠点に仕事をしていたから、知りようもないでしょうね。そもそもあまり情報を残さない子だから」
「ジンに認識されているということは、ネームドということですよね?」
「……ま、今後会うこともあるでしょうし教えてあげるわ。あの子のコードネームはサンブーカ。可愛い顔をしているから、一目でこんな組織の人間だとはわからないかもしれないけどね。何でも卒なくこなすけど、中でも得意なことはネズミ捕り。今回は帰国直後だったからかこの男を追ってはいなかったみたいだけど」

 バーボンよりも古株のネームド。そんな存在があっただなんて、今までほんの少しも耳に挟むことは無かった。だからこそ恐ろしい。ジンに認められるほどの実力を有している幹部であるのに、何一つ情報が入ってきたことが無いということが。
 胃が痛むような気持ちになりながら、安室は愛車の元へ戻ると、どうやらジンの車に同乗してきたらしいベルモットを指定の場所まで送り届け、帰路に就いた。










「…いやあ、一度現場は見たし聞いてもいたんだけど、ジンは本当にNOCを泳がせるって選択肢が無いよね…」
「…前もって指示を出しておかなかったら、間違いなく殺されていたと思う…」
「おっかないったらもう…それよりも、二人ともお疲れ様。君は良くここまで逃げてきた。安室透はとても優秀だから、追われながらこの場所にたどり着くのは大変だったろ。あとは本国に帰ってゆっくり休んでくれ」
「この人の死体はいつも通り偽装できたわ。…ボス、そろそろ“サンブーカ”の仕事に移動しないと」
「そうだ。…まったく、いくら万能の薬箱とはいっても、もうちょっと気づかいが欲しいよなあ。俺一応、帰国直後って伝わってるはずなんだけど…」

 ぼやく青年の声が途切れたのと同時に、血だらけの死体の側に立つ、死体と同じ顔の男と一人の女性、それから琥珀色の髪と目をした青年の三つの人影が、空気に溶け込むようにするりと解けて消え去った。



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