倉庫




 ベルモットからサンブーカの存在を知らされてからすぐ、安室は調査を開始した。サンブーカとは一体どんな人物か、どんな見た目をしているのか、組織内での立ち位置はどのようなものであるのか。ジンに一目置かれている時点で、よほど安室より立場や発言力などは上と考えて間違いは無さそうである。
 調べ初めて分かったことは、名前や功績といった情報に対して、サンブーカの容姿に関する情報がほとんど残っていないということだった。鬱陶しがられながらも幹部たちに探りを入れたところ、ネームドであればサンブーカについての視覚情報を記憶しており、それ以下になると途端に霧がかかったように思い出せなくなるようだと判明した。何か特殊な薬でも使っているのだろうか。そういえば、ベルモットが、「あまり情報を残さない」と言っていたが、それはこのことを示していたのだろうか。
 視覚的な情報以外は、それほど苦労せず集めることが出来た。対して隠そうともしていないようで、どうやらサンブーカとは、天涯孤独の、イタリア人と日本人との混血であるようだった。シチリアに住む一家の一人息子として生まれるも、一家の人間はとある事故により不審死。生き延びるため意を決してマフィアになろうとするも、混血であることを理由にファミリーに所属することが叶わず、その日暮らしで命を繋いでいたらしい。そこに舞い込んだ運び屋としての仕事が、黒の組織に繋がるものであり、一度組織に関わったため簡単に逃げることが出来なくなった彼は腹を決め組織での仕事を始めるようになったようだ。その身に悪事の才があったせいかお陰か、彼は着々と地位を高め、コードネームを与えられるに至った。本名を知ることはできなかった。彼がコードネームを与えられたのは、安室が同じようにコードネームを与えられるよりも前のことで、ちょうどすれ違う形でイタリアに飛んでいたようだ。確かに会うことが無かったのも頷ける。
 そのサンブーカと、今日初めて安室は対面することとなる。幾人ものNOCを屠ってきたサンブーカと安室を引き合わせることにしたのはジンで、おそらくは安室が黒か白かの選別にかけているつもりなのだろう。もちろんそれはジンの個人的な目的であるはずで、表向きの目的はまた別に存在する。とある研究施設へ侵入し、研究データを複製し持ち帰ることだ。黒の組織が長年続けている研究が人体の老いに関するものであることは、安室の数年来の潜入捜査によって明らかになっている。おそらく、その研究を進めるために必要な何かが、その研究施設が保持するデータの中にあるのだろう。
 ジンを介して伝えられた集合地点に車を走らせる。街灯も人気も少ない道路の一角に、サンブーカらしき人影は立っていた。
 車を降り、暗がりの中の姿にじっと目を凝らす。
 着ているのはスリーピースのスーツのようだ。それも相当、仕立ての良い、おそらくオーダーメイドの。黒の組織に相応しく、それは黒だった。スラックスも、ジャケットも、ベストも、シャツやネクタイすら墨を垂らしたような黒。
 視線を上げていけば、少し日本人離れした黄味の弱い白い肌。そうして琥珀の両目にたどり着いたところで、気づきたくなかった事実に、安室は一瞬呼吸を忘れた。

「…エルシオ、…さん」
「Ciao、バーボン。透君と呼んでもいいかな?サンブーカ改めエルシオだよ。今日もおいしいお昼ご飯をありがとう」

 毎日昼時にポアロを訪れる、平和を体現するような眩さを持つエルシオ。
 からりと明るい大空のような笑顔は、表情の作り方こそ今日の昼間とちっとも変わらなかった。けれど今は、あまりにも変わりのないその笑顔が、やけに背筋を凍らせる恐怖となって安室に襲い掛かってきた。

「……一体、ポアロには何が目的で?」

 浅くなった呼吸を整え、安室は静かに尋ねた。どことなく悲しそうな表情をしたサンブーカは、そりゃそうか、と何かに落胆したように溜息を吐くと、肩をすくめて見せた。

「めちゃくちゃ純粋に、ポアロのエスプレッソとご飯が好きで、ただの客として行ってるよ、俺」
「…は?」
「信じてって言うのも難しいと思うけど、そんな驚く?俺にだって日常生活くらいあるよー」
「日常…もしかしてあの女性は一般人なのですか?」
「凪のこと?そりゃ、凪との時間も大切だし、他にも普通においしいもの食べ歩きしたりするし、ゲームセンター行くし、テーマパーク行ったりするよ」

 確かに、よく考えるとおかしいことではないと思う。
 安室透とて、組織に属する人間でありながら、ポアロで働き、時にはポアロの上階に住む小五郎やコナンと出かけるなどの、おおよそ犯罪組織の人間らしくない日常を送っていたりするのだ。だから、それがサンブーカに当てはまらない理由もない。

「別に組織の仕事中じゃなければ、どこに遊びに行こうが俺たちの自由じゃない?ネームド同士がプライベートで仲良くするもしないも、同じように俺たちの自由だと思うんだけど」
「それは…そうですけど…」
「まあ、そんなことよりもまずは仕事だよね。研究データのコピーを持ち出せば良いんだよね?」

 納得できない表情をしたままの安室を置いて、サンブーカはさっさと歩き始める。
 仕方がないのだ。安室は、エルシオを平和の象徴のように捉えているところがあったから、あまりのショックに頭が追い付かなかった。どうして、よりによって彼が。昼間の彼のような、明るく幸せそうな人々を守るために、安室は頑張ろうと思えていたのに。どうして彼は、犯罪組織の、しかも幹部などという、どうしようもないほどの悪人なのだろう。

「俺が組織の人間だったのが、そんなにショックだった?」
「…なぜ?僕自身も同じ組織の人間ですし、ショックの受けようがないと思いますが」
「…そんな顔しておいて?」
「……あんなに幸せそうな顔をした人が極悪人だなんて、思わないじゃないですか。それなりに驚きもしますよ」

 失念しかけていたことだが、恐らくサンブーカはジンに安室がNOCかそうでないか見極めろと指示を受けているはずであり、こんなところで感情を駄々洩れにして感づかれるわけにはいかないのだ。無理やり任務に意識を切り替え、拳銃や代えの弾倉の確認を行う。
 それ以上安室が何か話すつもりが無いことを悟ったのか、サンブーカも同じようにジャケットの内ポケットから拳銃を取り出し、軽く確認を終えると再びしまい込んで、研究所の裏口に視線をやった。

「セキュリティが全部生体認証って、ある意味パスワードと併用されるよりも簡単に突破できちゃうよね。だって施設の人間一人分のデータが手に入っちゃえば、全部の鍵をもらったのと同じじゃない?やっぱり物理的な鍵もまだまだ必要だよねえ」

 サンブーカがおもむろに取り出した機械が何なのか、安室には分らなかった。
 その機械が扉に向けて翳されると、まるで正規の手段でパスを入力したかのように、扉はすんなりと二人を通した。ぞわりと背筋が粟立った。こんな人材を、組織は抱えていたのだ。そして自分は今まで、そんなことを知らずに潜入捜査を続けていた。こんな危険なことがあっていいはずがなかった。

 組織が彼に与えた、“万能の薬箱”の名は、正しく彼に相応しいものであると言えよう。
 気配を限りなく潜めた隠密行動はもちろん、素早く身軽に動くことも彼は軽々とこなして見せた。何より安室の心臓を凍らせたのが、瞬きよりも素早い彼の早撃ちだった。
 データの保存されている部屋が近づくにつれて増えて来た見回りの研究員に、どうしても隠れる場所が無く遭遇してしまったその瞬間には、研究員は呻き声の一つも上げずその場に倒れ伏していた。データを盗み出すまでは、気づかれる可能性があるため、いくら消音器をつけていたとしても拳銃を使いたくないと、サンブーカは麻酔弾を装填した手のひらほどのサイズの麻酔銃を使用することを安室に伝えてきていた。もしも、これが本物の拳銃であったら。その拳銃が、自分に向けられていたら。冗談抜きに、血の気が引く思いがした。
 もちろん、データはさほど苦労なく手に入れることが叶った。
 結局、施設に侵入してから再び外へ出るまで、二人合わせて撃った弾数はあの麻酔弾一発のみ。それに気が付いたとき、思わず安室は肩の力を抜いていた。

「…透君は、優しい人だよね」
「……なぜ、急に?」
「俺が麻酔弾を使うって言った時も、結局一発しか撃たずに任務が終わった今も、ほっとした顔してる」
「…」
「心配しなくても、ジンに何か報告したりはしない。俺はそういう、優しい人は好ましいと思うし、あとは個人的に透君とは仲良くなりたい。誇りを譲らない人はとても好きだ。わざわざそんな相手が殺されるかもしれないような報告はしないよ」

 それじゃあまた、明日のお昼に。
 手を振ってからりとした笑顔を見せたサンブーカは、まるで友人と遊んだ後で別れる時のように自然に、「また」の約束をして去っていった。


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