20


夜の海を見ていると、何処までも深く暗い水面に吸い込まれてしまいそうで、一人で港に行く事をナマエは避けていた。

だが今日は自ら呼び出した人物に会う為、ポートマフィアの領域である港に足を運んだ。
カツリ、とナマエのヒールの音が静かな其の場所に響くと、既に待っていた人物が隣接する廃工場から姿を現す。



「…まだ本調子ではないのに、無理云って申し訳なかったわ、北原」



額に巻かれた包帯に視線を向けながら、ナマエは眉を下げる。

そんな彼女の表情を見て、北原はどこか期待に満ちた顔で声を発した。



「一条様の部下として当たり前の事です。それに、この怪我は私の責任。貴女様が気を病む事ではありません」
「そう云ってもらえるなら有難いけど」
「当然ですよ。…それで、私に頼みたい事とは何でしょう?」


北原の言葉に、ナマエは表情を曇らせ俯向く。



「もう…どうしたらいいか、分からないの」


ポツリと呟いたナマエの言葉に、北原は口角が上がるのを必死に抑えていた。



「中也が、負傷して動けない」
「…聞いています。爆発に巻き込まれたそうですね」
「私のせいで皆が傷ついてる。もうどうすれば良いのか…分からなくて」


北原に擦り寄り、縋るような目で見つめる。
見上げた北原の表情は、漸く欲しい玩具が手に入った子供のような目をしていたが、一瞬の内に高揚した気持ちを押し殺していた。
そしてナマエの肩に手を添え、静かに口を開いた。



「私は貴女から離れません」
「北原、」
「マフィアに入った時から、私は貴女に尽くすと決めています。何があってもお守りすると」
「…」
「一条様」



小さく細いナマエの身体を自分の腕の中に収めると、いよいよ北原は緩む表情を抑えられずにいた。

雲の上の存在だったナマエが、こんなにも近くに居る。
夢にまで見た光景。ここまでくる為にどれだけの時間と犠牲を払ったか。


漸く、この時が来たと言わんばかりに強く抱きしめた彼女の存在を身体に染み込ませる。




「私と生きて、私と死んでください」




北原の言葉にナマエは目を見開く。

しかし直ぐに表情を戻し、北原のスーツを握りしめ声を発した。




「じゃあ…私のお願い聞いてくれる?」
「ええ、勿論」



北原の返事を聞き、ナマエは彼の顔を見上げ微笑む。

ナマエの綺麗な笑みを見て、北原はこの先彼女のこの表情が自分だけに向けられると信じ、ナマエの言葉の続きを待った。






「北原」


「死んでくれる?」




紡がれた言葉と共に、静かな港に発砲音が鳴り響く。

やけに遠くに感じたそれを認識したのは、腹部から感じる熱さと激痛、そして流れる自分の血だった。




「…っ、な、何っ…?」


慌てて押さえた腹部からは、止めどなく流れ出る赤。

手の平にべっとりと付いた血を見ても、北原は状況を理解する事が出来なかった。
しかし、目の前にいるナマエの手に握られた拳銃が視界に入ると、そこで漸く自分が撃たれた事に気付く。




「なっ何故…、何が、」
「全部、貴方”達”が仕組んだ事でしょう。私の任務に横槍を入れたのも、執務室を荒らしたのも」


「中也に手を出したのも」



中原の名前を口にしたナマエは、今まで見た事も無い程に恐ろしく冷たい目をしていた。
想定外の出来事、そして彼女の鋭い眼光に射抜かれ、北原は膝を付いた。



「私の周りに手が及ばないのなら、と思って放っていたけど。貴方…誰に手を出したのか分かってる?」
「…爆発、は…私は知りません…!あれは、」
「ああ、あのお姉さんがやった事?」
「!!」



誰も知らない筈の事をさらりと口にするナマエを、北原は改めて恐ろしいと感じた。



「そんな事はどうでも良い」



銃口を北原の額に向ける。



「貴方達は中也を傷付けた。それだけで十分な理由」



引き金に指をかけたナマエのこの後の行動を理解した北原は顔を歪めて叫ぶ。



「何故…何故です…!私は、ただ貴方を…!」
「貴方は部下としてよく働いてくれた。そこに関しては感謝しているわ」
「私っ…私は!っ…愛して、いるんです…他の誰よりも…貴方っを…!!ナマエ様を、ゲホッ!」



腹部を抑えながら血を吐く北原を、ナマエは何の感情も無く見下ろす。




「だから私の周りを掻き乱して、貴方に縋り付くように仕向けたと?…私がそんな事をすると思っていたのなら、貴方の目は節穴ね」
「…は…、違う、貴方はっ…私と共に生きるべきなんだ…!」
「へえ」
「……横浜、総合研究所」
「!」



血と共に吐き出した北原の言葉に、ナマエは思わず反応する。

かつて、自分を狂わせた場所。
望まぬ力を植え込まれた場所。

家族を、奪われた場所。



自身が闇に葬った筈の施設の名前を、何故北原が口にしたのかナマエは問いかけた。




「…何故貴方がそれを口にする」
「ふ、ふふ…、矢張り貴方にとって、あの場所はトラウマでしか、無いようですね」



北原の言葉を遮るように、容赦無く放たれた弾丸は北原の脚を撃ち抜く。

断末魔のような呻き声を上げ、北原は更に身体を低く倒した。



「あ、あッぐう…!!」
「余計な事は喋らなくて良い。何故その施設が今出てくる」
「は、は………私、はッ…元、研究員…!貴方の事は…貴方以上に知っている…!!」
「……だから?」
「貴方の…!異能ッ…についての情報…を持っています、ゲホッ、…きっと…貴方の身体をッ治せる…!」


「だから…私と一緒に…!」




息も絶え絶えに這いつくばり言葉を紡ぐ北原を見下ろし、ナマエはゆっくりと近付く。

そして側に膝を着き、蹲る北原に静かに声を掛けた。




「ひとつ、貴方に教えて無かった事がある」



コンクリートに広がった北原の血が、段々と赤黒く変色し乾いていく。

靴底が汚れる事も気にせずに、ナマエはその上を踏み込んだ。




「私が何故、"特別"幹部なのか、知ってた?」
「…ッ……?」



元来組織というものは統率をとる為に掟やルールに厳しいもの。

その中でも幹部職は構成員を動かし、首領を支える重要な役職。基本的には特例な存在等存在しないのだ。
しかし、ナマエは女性でありながら特別幹部という地位に居る。彼女の能力をもってすれば幹部になっても何の問題も無い事であるが、わざわざ”特別”幹部という役職を作った理由は誰も知らなかった。


「貴方が研究所に居たのが何時なのか知らないけれど、あの研究所を壊した事で私の研究が終わったと思っているのなら大きな勘違いよ」
「…な、に…っ…?」



ナマエの云う言葉の意味が分からず、困惑の表情を浮かべる北原。

彼の目線に合わせ腰を落とすと、ナマエは歪んだ瞳の中に映る自分を見つけた。




「私は、ある目的があってマフィアに居る」



ポツリとコンクリートに水滴が落ちる。

次第に広がるそれを横目に、雨が降り始めた事に気付いた。




「その目的を達成するまで、首領と契約を結んでいるの」
「…ッ、!!ま、さかっ…!??」



言葉に隠された意味を理解したのか、北原は目を見開いた。






「…マフィアに居る間、私は被験体として生かされている」






静かに発したナマエの言葉が雨に混じり流れる。

北原は呼吸すら忘れてただ震えていた。



「この身体の研究は終わってない。だから、私の異能の謎を解こうとすれば即座に貴方はマフィア上層部に消される。意味が無いのよ、分かる?」
「何故ッ…何故、その様な事を…!一条様ッ…!?」
「何故?それは貴方が知る事では無いわ」



それに、と再び引き金に指をかけ銃口を北原の額に付ける。





「私が共に生きる人も、死ぬ人も、もう決まっているの」




北原が最後の声を発する前に放たれた弾丸は額を貫き、彼の身体と共に海の中へ沈んでいく。


暗い海を見つめ、ナマエは手にしていた拳銃を海に投げ入れた。
小さな音を立て消えていく拳銃と北原の身体が見えなくなると、ナマエは空を仰ぐ。


海と同じ様に暗く黒い空から降りしきる雨が、何もかも流してくれるようでその場から動く事が出来なかった。





強くなる雨音を聞きながら、ナマエは静かに目を閉じた。




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