25
眩しい程の青空が広がる今日の横浜は、気象予報士の言葉を借りるならば正にお出かけ日和という言葉が似合う日である。
洋食屋の窓から見える景色を見ながら、ナマエはそう思っていた。
外は極めて穏やかな天気だが、室内の空気は重く、そして会話の内容も頭が痛くなる程暗い内容だった。
ミミックの正体、目的。
太宰の口から伝えられる内容は、ナマエが調べたものとほぼ同じものだった。
英国の異能機関”時計塔の従騎士”に追われ、逃亡。たどり着いた先が日本、そしてこの横浜である。
「…そんな奴らがわざわざ日本に来てまで、何をしようとしている」
織田の尤もな質問に、今度はナマエが口を開いた。
「流れ着いた先は異国の地、そしてそれなりの戦闘スキル。まぁ必要なものを手に入れる為の奇襲っていう所ね」
「品のない云い方をすると先立つ物がいるという事だ。……ところでナマエ、」
「いつ迄そんな所にいるんだい?」
名前を呼ばれビクリとナマエの身体が揺れる。
この洋食屋で太宰と鉢合わせしてからというもの、ナマエは未だ太宰の顔を見れていなかった。
既に着席していた太宰の隣に織田が座った後も、敢えて窓際の席に移動し出来るだけの距離を保って話を聞いていた。
「やだなあ、もう怒って無いから私の隣においで」
「…そういう事はそのドス黒いオーラを消してから云って」
「ええ?織田作、私からそんなもの滲み出てる?」
「少なくともまだ目が笑っていない」
「そうなの?まぁでもそんなに離れていたら話しづらいから、ほらおいで」
と、隣の椅子を引いて着席を促す太宰に、ナマエは未だ残る若干の震えを隠しながら席を立つ。
笑みを浮かべながらナマエの動作を見ている太宰の視線を無視しながら、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
普段はナマエが常識外れな事をする太宰に対し小言を云う事が多い。
しかし、過去に一度太宰を怒らせた事があり、それ以来あの恐怖が身体に染み着いたのか、太宰が怒る事に対しナマエは異常に反応してしまっている。
そんな二人の関係性を、織田はやけに冷静に見守っていた。
「で、話の続きだけど」
太宰が再び話を始めると、室内の空気が張り詰めたのを感じた。
「織田作が気にしている敵の兵の練度の高さについてだ。…彼等は軍人崩れだよ」
その言葉に、織田は心の中で妙に納得した。
坂口安吾の部屋を狙撃した狙撃手の腕、路地裏で交戦した敵の様子から、その様な予感はしていたからだ。
「組織の司令官は強力な異能力で、兵を統率して動かしているみたいよ」
ナマエの言葉に、織田が眉間に皺を寄せる。
「強力な異能力?」
「私が調べた限りでは…多分、作之助と相性が悪い」
「相性、か」
「…ナマエ、また裏ルートでデータベースにハッキングをかけただろう」
ジトリとした目線を送られナマエは冷や汗をかいたが、織田に情報を伝えるという今日の目的を果たす為にもカウンターテーブルの下で拳を握り、言葉を続けた。
「敵の手際の良さを見る限り、相当な訓練を積んでいるだろうし、何度も死線をくぐってきてる。それに…何か別の狙いもあるような気がする」
「別の狙い?」
「…何かは、分からないけど」
太宰からの問いかけに、ナマエは目を伏せる。
過去の欧州の政治、経済、裏社会の全てを調べ、ミミックについての情報を全て調べたナマエは何か違和感を感じていた。
その違和感が何かは分からなかったが、彼等がただの不法入国組織とは考えられなかった。
「首領はこの件の事を知っているのか?」
「報告したよ。そうしたら、対ミミックの戦略立案と前線指揮を仰せつかったよ」
織田の質問に、太宰は冷静に答えた。
その様子に、ナマエは表情を曇らせる。
この一件、太宰に任されるだろうとは思っていたが、織田よりと同じ様に太宰の方がナマエにとっては心配だった。
太宰は頭が切れる。彼の予想を超える人間はこの先も現れないと思うし、恐ろしい位に死を恐れない。故にいかなる戦況下でも冷静な判断を下す事が出来る。
並みの組織や戦略で、異能力者であれば彼の異能で十分対処出来るが、今回の相手は元軍人、しかも相当鍛えられた兵団である。異能が無ければ戦闘能力が並以下の太宰にとっては部が悪いと、ナマエは不安を抱えていた。
「…安吾については?」
織田が口にした言葉に、太宰はすぐには答えず目の前のコーヒーを手に取った。
一口啜り、少し息を吐いた後に漸く口を開いた。
「武器庫の暗証番号が、安吾によってもたらされたものだと、ほぼ確定した」
表情には出さないものの、織田の心が揺れているのを感じていた。
「…組織の中で揉め事を避ける為に、其々が違う暗証番号を発行されるの」
「ミミックが倉庫襲撃で使った番号が、安吾のものと一致した、と云う訳か」
ナマエの補足に、織田がやけに冷静に答えた。
「…安吾は組織を裏切ったのか」
その言葉に直ぐに答える事が出来ず、太宰は一拍置いて静かに声を発した。
「そう考えると、全ての辻褄は合う」
そう答えたとほぼ同時に、太宰の携帯電話が鳴り響く。
短い会話が終了し、携帯電話を閉じた太宰は冷たい表情で微笑んでいた。
「鼠が罠にかかった」
太宰が口にする”罠”を事前に調べていたナマエは目を見開く。
予想よりも早く自体が進行している事に少なからず驚いていた。
立ち上がった太宰がナマエの腕を掴む。
ナマエは何事かと不思議そうに太宰を見上げた。
「ナマエも一緒においで」
「私も?だって、この案件関わっちゃいけないんじゃないの?」
「ハッキングまでしておいて何を云っているんだい。大丈夫、捕まえた鼠を吐かせるだけだよ。何も問題は無いさ」
太宰の尤もな言葉にナマエは返す言葉が見つからず、素直に従う事にした。
「作之助」
カウンターに座ったまま、難しい顔をしている織田にナマエが声を掛ける。
「…何処にも、行かないよね?」
そう口にするナマエの表情が、今にも泣きそうな顔をしていたので、織田は目を見開いた。
どのような意図でその言葉を発したのかは分からなかったが、織田は出来るだけ優しく返事をした。
「行かないさ、何処にも」
織田の返事に、ナマエは少し安心したような表情を浮かべ、太宰と共に店を後にする。
後に、この約束が果たされずに終わってしまう事を、まだこの時は知らなかった。
ナマエの運転する車で本部へと向かう。
その車内は嫌に静かだった。
「………」
「………」
ちらりと、助手席に座る太宰を見るが、窓枠に肘を付き外を見ている為表情が伺えない。
ハンドルを握りながらナマエは心の中で溜め息を吐いた。
(嗚呼、まだ怒ってる)
しかし今回彼を怒らせてしまったのは間違い無く自分である。”もう嘘はつかない”と、その昔、半泣きで交わした約束を破ってしまった。
その自覚がある分、この沈黙をどうすれば良いのか分からなかった。
素直に謝ってしまおうか、このまま本部まで我慢しようか迷っていると、意外にも太宰の方から声を掛けてきた。
「さっき織田作に云った言葉、」
「…え?」
「如何いう意味だい?」
”何処にも行かないよね”
窓の外に向けられた顔はそのままに、太宰は静かに問いかけた。
どの様に答えようか少し迷ったものの、ナマエはゆっくりと話始める。
「また、見たの」
「…何をだい?」
「夢」
「作之助が何処か遠くに行く夢」
数日前の夢を思い出し、ナマエは答える。
夢から覚めた時は分からなかったが、時間が経ちはっきりと認識した。
夢で見た後ろ姿は、織田の背中だった。
「前に中也の夢を見た事があったでしょう?…あの時と少し似ていたの。何となく、夢の中の雰囲気とか、見え方とか」
「……」
「…治?」
「…ナマエ、」
黙り込む太宰に違和感を感じ、ナマエは太宰の顔を見やる。
すると漸く太宰が視線を此方に向けるが、その表情は何故か緊迫したものだった。
「その夢の事、誰にも話してはいけないよ」
やけに胸に響くその言葉に、ナマエは何も云えなかった。
如何して?何か知ってるの?聞きたい事がある筈なのに、今の太宰は問い詰める事を許さない雰囲気を醸し出していた。
そうして車は本部の地下駐車場へと着いた。
車が停まると同時にシートベルトを外し、直ぐに出ようとする太宰の腕を掴み、ナマエは静止を訴える。
「ねえ治、」
「何だい?早く行かないと尋問が出来ないよ」
「…まだ、怒ってる?」
「何故?その事はもう話がついたじゃあないか」
「嘘。だって、目を見てくれない」
その言葉に、太宰はゆっくりとナマエを振り返る。
不安でいっぱいのその表情が、自分の事だけと考えて作られたものだと思うと、口角が上がるのを我慢出来なかった。
「…ごめん、なさい」
か細いナマエが静かな車内に木霊した。
「大人しくしていようとは思ってたの。でも、あの夢を見てから作之助が何処かに行ってしまう気がして」
「中也の時と同じ後悔は絶対にしたくなかった。だから、私に出来る事をしようと思って、今日も彼処に」
だから、嘘吐いてごめんなさい、と謝罪の言葉を口にするナマエは視線を下に向けたまま身体を小さくした。
未だ掴んだままの太宰のコートを見つめ、ただ太宰の反応を待つしかなかった。
「…ナマエ」
やけに優しく名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げる。
「昔、君が吐いた嘘で死にかけた事、忘れたのかい?」
「…二度と忘れません」
「そうかい、じゃあ今のこの状況は何故起きているんだろうね?」
「う、」
言葉に詰まるナマエに、太宰は大きな溜め息を吐いた。
「マフィアの特別幹部である君に無茶をするなという事が無理だというのは理解しているよ」
「…うん」
「戦闘能力、戦略、全てにおいて申し分無い。その気になれば何でも出来る。…ミミックの件も安吾の件も、前線に出れば解決出来るのかもしれない」
けれど、と太宰は言葉を続ける。
「今回の敵は一筋縄ではいかない。そして首領の考えも分からない。何時もと状況が違うんだ。私の予想が追いつかない事もあるかもしれない」
ナマエの頬に手を添え、上を向かせると不安に揺れる瞳と目が合った。
自分だけを見ているこの時が、ずっと続けば良いと太宰は頭の隅で考えていた。
「ナマエが後悔をしたく無いように、私も後悔をしたく無い。これは分かってくれるかい?」
「……はい」
「まぁ、君が織田作をどれだけ想っているかは理解しているし、正直今回はナマエの情報が必要だ。私に隠れずに動くのであれば構わないよ」
「うん…分かった」
「で、コレは謝罪の証という事で」
「!ん、…っ」
ナマエの後頭部を押さえ唇を重ねる。
シートベルトを外した分太宰の方が動きが早く、いとも簡単に座席のシートに縫い付けられた。
「はっ、ちょっ…と、誰か見てたら…!」
「これくらいは許してくれ給えよ。約束を破られた私の心は酷く傷付いているのだよ?」
と、ナマエからの非難から逃げるように車から出て行く太宰の後ろ姿を見て、ナマエは熱くなった頬を押さえる。
取り敢えずは許してもらえたのだろうか、と安堵したが、これから向かう場所で行われる事を考えるとゆっくりはしていられないと急いで太宰の後を追った。
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