33



織田の遺体は太宰の連絡を受けて到着した構成員によって運ばれた。

運び出される寸前、織田の服から愛用していた燐寸が落ち、太宰はそれを拾うとそのまま静かに仕舞いこんだ。




「…ナマエ、」


依然、座りこんだ場所から動けずにいるナマエに、太宰は出来る限り優しく声を掛けた。


「動けるかい?」
「………」
「一旦、本部へ戻ろう。君の怪我の治療もしなくてはいけない」
「………」
「……ナマエ」
「…判ってる、」


太宰が支える前に、ナマエはスッと自分の力で立ち上がった。
もう足は大丈夫なのか、と聞こうとした太宰だったが、覗き込んだナマエの表情が視界に入ると思わず言葉を飲み込んでしまった。





「首領に、話がある」




そう口にしたナマエの瞳に光は無く、悲しみ、絶望そして憎悪が入り混じった表情をしていた。



















本部に移動し、森が居るであろう最上階の執務室へと向かう。

その間、太宰は勿論ナマエも一言も言葉を発しなかった。



「失礼します」



声と共に重い扉を開く。

其の広い部屋には予想通り椅子に座っている森と、今後の任務についての確認に来ていた中原が居た。



中原は扉の前に立つナマエの姿を確認し目を見開く。


「ナマエ…っ?お前何で、イタリアに行ったんじゃ…?つーかその怪我っ、」
「成程、矢張り結果は同じだったようだね」



中原の言葉を遮り、森は笑みを浮かべたまま声を発した。
イタリアに行っている筈のナマエが、しかも大怪我をして此処に現れた事に対しての驚きは無く、その表情は何時もと変わらず笑みを浮かべている。




「…敵の頭目は織田作が倒しました。貴方の、計画通り」
「うん、その様だね。これで異能特務課との交渉も成立した訳だ。しかしまぁ…マフィアとして惜しい人材を亡くしてしまったね」


森の言葉を聞き、太宰は必死に漏れ出る殺気を抑えようとしていた。



まさに一触即発、そんな空気の中、凛とした声が室内に響いた。



「…首領、お聞きしたい事があります」



太宰の横をすり抜け、数歩前に出たナマエが静かに口を開いた。



「何だね?」
「…首領が今回の件について私を遠ざけようとしていた事も、その理由も、理解しているので今となってはどうでも良い事です」
「そうだね、現に今君が此処にいる時点で私の計画は失敗している」
「失敗、ですか」
「嗚呼。しかも大事な一条君に怪我までさせてしまった。私とした事が、詰めが甘かったよ」
「…首領、」



「私の怪我が治癒していない事に、何の疑問も持たないのですか?」




ナマエの一言に、その場の空気は一変した。


その言葉の意味を理解し、中原は再度ナマエの身体を確認する。

爆発にでも巻き込まれたのか、ナマエの身体には無数の傷が残っており、銃で撃たれたと思われる箇所からは未だに血が滲んでいた。
その怪我が何時負ったものかまでは判断出来ないが、通常の彼女の治癒力であれば直ぐに完治しているような傷でさえ残っている。
この状況に、中原は動揺を隠せなかった。




「首領は私がこの状態になる可能性があると、初めから判っていたのではないですか?…否、判っていた筈です。なぜなら、」




ナマエの言葉一つ一つが、その場に居る全員の心臓に突き刺さるようだった。





「私の異能を抑える薬をミミックに渡したのは、首領…貴方ですよね」




その言葉に、森は何も答えずに沈黙を貫いている。

太宰、中原、そして後ろに控える部下の男達は言葉の意味を理解し、信じられないといった表情をしていた。




「私の身体に作用する薬を生成する事が出来るのは首領だけです。いくらミミックが強大な敵とはいえ、私の身体についての知識を持たずに薬を作る事はまず不可能。そして、ミミックの長のあの言葉、」




"それは計画外だ"





「私を捕らえても敵は私を"殺さないように"した。私に死なれては困るから。だから私との戦いは避け、作之助のみを標的にした。それは首領、貴方との計画の中で"私には手を出さない"という契約をしていたからではないですか?だから、貴方はあの薬を作ってミミックに渡した」
「………」
「いくら私をこの案件から遠ざけた所で、作之助の為に私が動くと予想していたから。ミミックに辿り着き、対峙した時の保険としてあの薬を使うように首領が差し向けた。…違いますか?」
「…否、素晴らしい推理だ。矢張り、私の見込んだ通り。流石はポートマフィア唯一の特別幹部だ」
「…貴方のせいで、作之助が死んだ。あんな薬さえ無かったら、ミミックの長等、望み通り私が殺してやったのに、」
「そう、それだ」
「っ!?」



ナマエの言葉を遮り、森が口を開く。




「確かに君は強い。その頭脳と力をもってすればミミックの長とも十分渡り合えただろう。…だが一条君、」






「君は…、自分が”特別幹部”であるという事を忘れているようだね」






非道く冷たいその一言に、ナマエは目を見開く。

太宰、中原も二人から滲み出る威圧感、プレッシャーを全身で感じており、指一本すら動かせない状態だった。




「君は組織の中で重要な鍵を握っている。今や君の存在、その身体は君だけのものでは無いのだよ」



真っ暗な闇のような森の眼に囚われ、ナマエは背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
一つ一つの言葉が心臓に突き刺さり、指の先まで氷のように凍てついている。




「君に変わる存在はいない。”一介の構成員”には比較するに値しない、価値がある」



(駄目、駄目だ、耐えろ)



「それに、君が奴等を倒せたという保証は無いだろう?そんな無駄な事に、その血を流させる訳にはいかない」



(耐えろ、耐えるの。初めから判っていた事じゃない。こんな扱いには慣れてる、)

(マフィアになると決めた日に、条件として契約を結んだ。マフィアに飼われる覚悟を決めたのに)




口内に血が滲む。

震える手を握り締め、ナマエは必死に自分を奮い立たせた。




(何の為に此処まで来たの、
奴等を探す為に私は_________)



真の目的の為に闇に生きると決めた。

そう自分に云い聞かせ、この感情を収めようとしていたナマエだったが、



森が口にした言葉が脳に響き、身体の動きが完全に止まった。







「”才能がある人間には責任がある”」







ナマエから全てを奪ったあの牢獄で、何度も何度も聞いたこの言葉。



何故、この言葉を森が口にしたのか、




「…ま、さか、」




ナマエの中で最悪の結論に辿り着く。



(嘘、嘘、嘘だ)




「真逆、…研究所を、作った、のは」




身体の震えを抑えきれず、様々な感情が溢れ出る。


今、私はどんな顔をしているのだろうか。






「横浜総合開発研究所、」

「……”先代の”研究は実に素晴らしいものだった」






その言葉の意味を理解した瞬間、ナマエは何かが砕ける音を遠くに感じた。











「中也ッ!!!」




太宰が叫ぶ声で漸く動いた身体。

森の執務机の前に居た中原は、一瞬で間合いを詰めた”彼女”の背を掴み、反射的に身体を反転させ、異能を使い真下の人間を押さえつけた。




「…ナマエ、」




「何してるか、判ってんのか」






中原に押さえつけられているナマエの手に握られていたのは拳銃。

身体の動きを封じられる寸前まで、
その照準は森の額に真っ直ぐ向けられていた。




「…此れは立派な背信行為だ」



ゆっくりと背後から近付き、至極冷静な声で太宰は声を発した。




「ナマエ、幹部である君は、その行動で自分がどんな結末になるか判った上で動いたんだろうね?」



その言葉に感情は無く、組織に反する人間を遮断する、ポートマフィア幹部としての声だった。

太宰の声にナマエは何も答えず、中原に捕らえられてからは身体から力が抜け、抜け殻のようになっていた。




「拘束しろ」
「し、しかし…」
「もう彼女は幹部でも何でも無い、ただの反逆者だ。それに今は異能が使えない。腕を拘束すれば問題無いだろう」



太宰の指示により、控えていた部下達に拘束される。

その、驚く程冷静な太宰を見て、中原は腕の震えを抑えるのに必死だった。




そしてその時、視線を床に落とした時に中原は気が付いた。




(床が、凍っている)




広いこの執務室が全て薄い氷に包まれていた。



「連れて行け」



その声に中原は咄嗟に後ろを振り返った。

部下の男達に抱えられ、ナマエは立ち上がる。
魂が抜けた様に歩くナマエの後ろ姿は、今までに見た事の無い光景だった。






ナマエが連れ出され、執務室の扉が重い音を立てて閉まる。



部屋に飾られた花の花弁が一枚床に落ちた。


凍りつき、水分を失った花びらは
音もなく砕け散った。





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