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地下牢へ続く階段を降りる度、空気が徐々に冷たくなるのを感じた。


奥に続く通路を進み、特別収監房の前に立つ。

此処で彼女と言葉を交わした記憶はまだ新しい。見張りの部下達の横を通り、錆ついた音を響かせ入口の扉を開ける。
薄暗い室内の奥に鎖で繋がれた人物が視界に入り、いよいよ事態を受け入れざるを得ない状況になった。



ポートマフィア特別幹部、一条ナマエが首領である森鴎外への反逆行為で拘束された。



瞬く間に組織内に広まったこの事実を未だ信じられない者は多い。自分もその一人だった。
しかし、鉄格子の奥に座りこむ彼女の四肢に繋がれた物が視界に入ると、目の前に見えるものが現実なのだと脳が身体に云い聞かせているのを感じた。


格子の前に立ち、彼女を見下ろす。

室内に入る前から自分の存在には気付いてはいるのだろう。それでも彼女は全く反応を示さなかった。




「…"組織として機能しない力はどれだけ強大であっても無駄でしか無い"」




いつか、彼女に云われた言葉を呟く。


静かなその場に響いたその言葉は、冷たい壁に吸い込まれていった。



「貴女が僕に云った言葉だ」



芥川の言葉に、ナマエは何も答えない。

未だ壁に背を預け俯いた彼女に向けて、芥川は言葉を続けた。


「その身を犠牲にしてまで伝えなくては判らない程、僕は出来損ないに見えたのか?」
「……」
「…一条さん。この様な愚行、貴方ならどうなるか、」
「銀は元気にしている?」


突然聞こえた声と脈絡の無い質問に、芥川は一瞬言葉を失った。

依然此方を見ようとしないナマエだったが、会話をする気はあるのだと口を開く。



「…こんな時に何を、」
「兄妹はね、一番近くて一番遠い。私にとっては触れてはいけない存在だった」
「……」
「"目の前に見える事が全てじゃない"、か…。本当に、そうだった」
「…一条さん、」
「芥川」


ゆっくりと此方へ顔を向けるナマエ。

その表情はとても穏やかなものだった。




「強く、なってね」
















































同時刻、


太宰の執務室には尾崎紅葉の声が響いていた。



「一体如何いう事じゃ!!」


対する太宰は尾崎に背を向け、デスクに広がる資料を纏めていた。



「そんなに叫ばないでよ姐さん…耳が痛い」
「何故ナマエが牢に入っている!?」
「聞いた通りだよ。首領を手に掛けようとしたんだ、当然の処罰じゃないか」
「何を悠長な事を…!早くナマエを出す術を考えんと、」
「無理でしょう、それは」
「何じゃと…っ」
「だって、彼女は」


「組織の裏切り者だ」



太宰がそう云った瞬間、肩を掴まれ身体を反転させられると同時に、胸倉を掴まれる。

その動きを予想していたのか、表情を変えずに太宰は目の前の男を静かに見つめた。




「…私は何か間違っているかい、中也」




胸倉を掴み怒りに震える中原に、太宰は冷静に声を掛ける。

まるで敵対組織に乗り込む様に殺気立つ中原の目は、真っすぐ太宰に向けられていた。




「間違いだらけだクソ野郎」



 
地を這うような低い声で中原は声を発した。



「…手前とナマエに何があったかは知らねェ」


太宰のシャツを掴む左腕は抑えきれない感情で震えていた。


森の執務室に入ってきた時、ナマエは勿論太宰にも何かあったと感じていた中原。
互いを毛嫌いしていたとしても、長年相棒を組んできた相手。その変化に、気付かない訳が無かった。


しかし、ナマエが拘束された光景を目の前で見ていた中原は、何も出来なかった自分に対する怒りと、ナマエをただの背信者として処理する太宰に対しての感情をどこに向けて良いか判らずにいた。




「だが手前のその馬鹿みてぇに働く頭の事は理解してる心算だ」



左手と同じ様に拳を握る右手を振り上げない様に、必死に中原は堪える。

見上げた太宰の瞳には相変わらず光が無い。
この眼に、ナマエはどの様に映っていたのだろうか。



「手前なら、変えられたんじゃねぇのか」



中原の声に、太宰は何も答えない。



「ナマエがこうなっちまう前に、手前なら止められたんじゃねぇのか」



声に出さずにはいられないその言葉を、目の前に男に投げかける。

それでも何も答えようとしない太宰に、とうとう中原は抑えていた感情を吐き出した。




「答えろ太宰ッ!!」



中原の叫び声が室内に木霊する。

すると漸く、太宰が深い溜息を吐き言葉を発した。



「…私が何をしてもこの結果は変わらなかったよ」



胸倉を掴んだままの中原の腕を払い、襟元を直す。

納得していない表情の中原と尾崎を、太宰は感情の無い目で見つめる。



「それに、何か勘違いをしていないかい?」



うっすら笑みさえ浮かべる太宰の表情に、二人は背中に嫌な汗が流れる感覚を覚える。



「確かにナマエは優秀な人間"だった"。…でもそれが何だというんだい」
「…何だと?」
「組織としては痛い損失になるだろうが、彼女が背信行為を行った事実は変わらない。そんな彼女をそのまま放っておくのかい。それは組織の掟に反する」
「…っ、何が云いたいんだ手前」
「中也、君だって知っているだろう。組織に噛みつけば如何なるか。ナマエだって知っていたさ、きっと誰よりもね。そんな彼女が自分の意思で動いた結果だよ、誰にも、何も、出来ない。つまり、」



「結末にあるものが死であろうと、ナマエが望んだ事だ」




やけに饒舌に話す太宰の言葉に、中原も尾崎も何も返せなかった。

静寂に包まれた空間。
太宰は再び口を開いた。



「却説、私も忙しい。ミミックの件の報告やら彼女の穴埋めやら、やらなくてはならない事が山積みなんだ。用が済んだら出ていってくれるかい?」



くるりと背を向け、書類の束に手を伸ばす太宰。

その後ろ姿に、中原は何も声を掛けずに扉を壊さん勢いで部屋から出て行った。
何か云いたげな表情を浮かべながらも、尾崎も部屋を後にする。

一人残った太宰は短く息を吐くと、小さな声で呟いた。




「少しだけ、待ってくれ」







































太宰の部屋を出た後、中原は自分の執務室に戻った。

収まりきらないこの怒りを鎮めようと、椅子に座り煙草を吸おうと腕を動かす。
その瞬間、腕に痛みを感じ確認すると、塞ぎかけていた傷がぱっくりと開き、血が流れていた。

冷静になってみると、腹部もじくじくとした痛みが走り包帯に血が滲んでいる。


その光景を見て、熱くなっていた頭がスッと冷えていくのを感じ大きく息を吐いた。



(ナマエ、)



怒りで我を忘れているナマエの姿を、中原は初めて目の当たりにした。

自分が止めていなくても、首領には手が届かなかったのかもしれない。
それでも、あの時の彼女の顔は正に獲物を狩る獣そのものだった。"此方に戻さなくては"という思いが頭をよぎった。



"ナマエが望んだ事だ"



「んな事あってたまるか畜生…ッ」




共に生きると約束を交わしたあの日、中原は誓った。
何があっても彼女の生きる道を作ると。




「…チッ、」



煙草を灰皿に押し付け、中原は立ち上がる。

流れる血を乱暴に拭うと、執務室を出て治療室を向かう。
今はこの開いた傷口を何とかしなければならない。



「アイツに見られたら小言云われそうだ」



無理をするなと話したナマエを思い浮かべ、血で汚れた右手を見て苦笑する。


廊下の窓から外を見るともう夜明けが近いのか、薄っすら明るくなり始めていた。


























翌日、組織内は未だナマエの事で話が持ちきりだった。

彼女と中原との関係を知る組織の数人は、何があったのか、処罰はどうなる等、次々と中原に詰め寄ったが、中原自身も判らない事が多かった為、適当に理由をつけてその場を後にしていた。


(まぁ、無理も無ェか)


本人はあまり自覚していなかったようだが、彼女を慕う部下は多かった。
年齢、性別に関係無く、組織の幹部として女として強くあろうとした彼女に心酔する者は多く、今回の一件を信じられずにいる様子だった。

そういった部下達からナマエとの面会を希望する声が多く、中原は対応に追われていた。
この事態に、ナマエの処罰が決まるまでの間彼女との面会は一切禁止にするよう指示が出た。幹部以下の構成員に至っては、収監房のある地下室へ近付く事すら許されなかった。


この内容を知らせる前に、一度ナマエと話をしようと中原は一人地下へ通じる階段を降りていた。



(今顔を見て、何を話す心算なんだ俺は)


そんな事を自分に問いかけながらも、ナマエの囚われている収監房へ向かう足は止まらない。

中原自身、まだ気持ちの整理がついた訳では無かったが、どうしても今会っておかなければ、という思いに駆り立てられ身体が動いていた。


何を云っても慰めにはならないし、救いにもならない。
それでも、ナマエの顔を見て話がしたい。


その一心で、中原は動いていた。





収監房のある階に降り、長い通路を進む。

特段、歩き慣れた道では無いが、中原は何か違和感を感じた。



(血、の匂いか)


拷問が行われるこの場所で血の匂いを感じても何ら不思議では無いのだが、やけに濃く感じるその気配に中原は心臓の音が早くなっていくのを感じていた。


やがて、特別収監房が視界に入ると、その違和感の正体が明らかになった。



「…ッ、こいつ、は」



如何いう事だ、という言葉は声にならず喉に張り付いた。





特別収監房の見張りであっただろう部下三名が、
頭から血を流して死んでいた。





「っ!…クソッ」



一瞬で状況を理解した中原は、収監房の扉を蹴り飛ばし中に入る。

そして目の前の光景に、言葉を失った。








鉄格子の奥に繋がれていた筈のナマエの姿は跡形も無く消え


鎖だけが、冷たい床に転がっていた。





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