35



日が沈み、闇が横浜の街を包み込む。


ポートマフィアの本部周辺は大勢のマフィア構成員が暗闇に紛れ、一人の人間を探していた。


「おい、いたか」
「此方は見ていない。向こうの裏路地に回るぞ」



繁華街、裏道、路地裏。
一般人に紛れ、ひたすら行き交う人々の顔を確認する。


「全く、一条さんが逃亡なんて信じられないよなァ」
「首領への反逆行為ってのがまず驚きだ」
「はぁ…、こんな時に太宰さんは別件の任務で出てるなんて」
「…兎に角探すぞ」



数人の男たちが路地裏の奥へ進んでいく。

その様子を、廃ビルの陰から見ている人物がいた。



「…流石にこの時間になると容易に動けないなぁ」


その奥で座りこむ、もう一人の人物に近付く。



「そろそろ動くよ、立てるかい?…ナマエ」



太宰に促され、ナマエはゆっくりと顔を上げた。





















____数時間前。



マフィア本部地下、特別収監房。

その冷たい床にナマエは横たわっていた。



(…こんな状態でも体調に変化は出るのね)


投与された薬の影響により未だ異能が使えないナマエ。
異能が抑えられているのであれば、定期的に起こる体調の変化も無いと考えていたが、何時ものように頭痛と眩暈を感じそのまま横に倒れ込んだ。

身体を動かすとジャラリ、という音が響き改めて自分を拘束している物を実感する。



(昔と何も変わらない)



研究所に居た時も常に付けられていた鎖。
選ばれた存在、変えられない価値等と散々云われていたが、結局はあの人間達に飼われていたのだ。

そして、その全ての根源はこのポートマフィアだった。




(…私は今まで、何の為に)



騙されていた事に対しての怒りや悲しみの感情が無い訳では無い。

マフィアとして生き残る為に犠牲にしてきたものは数えきれない。
人を捨て、女を捨て、心を捨て。
それでも此処に残り続けたのは、研究所を設立した人間を探す為だった。


それらの日々が全て無駄だと判った時、ナマエの中で首領やこの組織に対して憎しみの感情が一気に膨れ上がった。
その振り切れた感情をコントロール出来ず、この手で首領を殺そうと、衝動的に身体が動いたのだ。

しかし冷静になった今、ナマエの中で感情の矛先が変わっていた。




これが、マフィアなのだ。


見返りなど期待してはいけなかった。
成立する筈の無い契約をしてはいけなかった。


森鴎外という人間を信じてしまった、自分が一番愚かだったのだ。




「…さくのすけ、」



まだ、死に際の彼の顔が脳裏に焼き付いている。

しかしもう、その名を呼んでも返事をしてくれる存在は居ない。



瞳から溢れる涙が顔を伝った瞬間、入口の外の物音にナマエは気付いた。



(誰か、来た…?)



起き上がろうとするが、予想以上に身体が重くそのまま倒れこむ。

最早逃亡の意思など無いナマエにとっては、部屋に来る人間が誰であろうと関係無い。
拷問をされようが死刑宣告をされようが、何の関心も無かった。



そして重い音を立てて扉が開く音がする。

入口に背を向け横になっているナマエは振り返る事無く目を閉じていた。



靴音が近付き、鉄格子が開く音が聞こえる。
嗚呼矢張り死刑宣告か、と考えていると足の枷を外された。

予想外の展開に目を開け振り返ると、此処には居ない筈の人物が居た。




「ナマエ」

「此処から逃げよう」



其処に居た人物___太宰の言葉に、ナマエは目を見開いた。


突然の、しかも衝撃的な一言に何も言葉を返せずにいると、太宰は素早く手枷も外しナマエを抱き起こした。


「急ごう。私は今任務で此処を離れている事になってるんだ、時間が無い」
「ちょ、…待って!…何で、」
「此処にいても君の運命は変わらない。組織の裏切り者の末路は嫌という程見てきただろう?」
「…判ってる。それでもあの行動に後悔は無いし、待っているものが死であっても何も怖くない。だって、」



作之助が待ってるから、



静かに呟いたナマエの言葉に、太宰の動きが止まった。

そしてナマエの肩に手を置き、視線を真っすぐ彼女に向けて話始めた。



「いいかいナマエ、よく聞くんだ。私の予想が正しければ、君が殺される事はまず無い」
「…え、」
「けれど何も無いという事もあり得ない。如何云う事か判るかい?」
「…な、に…?」
「…中也が爆発に巻き込まれた時に見たという君の夢。あれからずっと調べていたんだ。そして、最近漸く原因が判明したよ」


太宰の言葉一つ一つでナマエは心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。

自分の知らない何かに押し潰されてしまいそうな、そんな圧迫感があった。



「君の生まれた眞神神社だけれどね、代々守り巫女に受け継がれる力の一つとして"夢見"というものがあるらしい」
「ゆめみ…?私、そんなの聞いたこと、」
「無いだろうね。きっと、誰かが君に教えないようにしていたんだ。その夢見という力は、簡単に云うと"予知夢"の様なものなのだよ」
「予知夢?」
「そう。眞神神社…つまり一条家は昔から政府との繋がりもある。その夢見の力を利用とする政府の人間達から守る為に、ナマエが力を自覚しないように隠してきたんだろう」


確かに太宰の話は辻褄が合う。
中原の時も織田の時も、予知夢と云っても過言では無いような出来事だった。


「でも、私がその力を有しているとして、如何して殺されないの?」
「…恐らくだけど、その事に首領は気付いている」
「!」
「そして君が首領に襲いかかった時、床が凍りついていた事に気付いていたかい?」
「…凍り…?どうして…」
「君の炎の力の根源は眞神の守り神の空狐の力だ。あともう一つの守り神である龍神の力。君が理性を飛ばした瞬間に、この力が君の中で覚醒した」
「そ、んな…嘘。だって、眞神の巫女は加護を受けても一つの力しか受け継がないって母様が、」
「それだけ、君の力は強大なんだ」
「…?待って、じゃあ、もしかして私、」
「…一人の人間が二つの異能を持つ事は無い。つまり、」


「君は、異能力者ではない」




改めて知らされた事実に、脳が追い付かずナマエは言葉を失う。

そんなナマエの反応を見て、太宰は言葉を続けた。



「研究所での研究は成功していた。君の炎も、もう一つの力も、加護を受けた君の身体に付け加えられた"人工的な異能力"。唯一の適合者なんだ」
「……」
「…きっと、私が触れた事で治っていた体調も、何かしらの力が干渉して起きた現象だ。そう考えるのが、今は最も理論的だよ」
「…私、とうとう人間じゃなくなったのね」
「悲観的になるのも理解出来るが、今は聞くんだ。夢見の力に、二つの人工異能力を持つ身体。首領が君を再び利用しようとするのは容易に想像出来る。君はまた、モルモットに逆戻りだ」



そう云うと、太宰はナマエの身体を担ぎ上げようとする。

そこでナマエは慌てて太宰に向き直った。



「待って…!でも、逃げるなんて…っ。そんな事したら、治まで反逆者になるじゃない…!」
「問題無いよ」
「あるわよ!」
「私は、もうマフィアの人間じゃない」
「っ!?」
「抜けるよ。この世界から。…そして、」





織田作との約束を守りたいんだ。





















そうして、太宰とナマエはマフィアの監視の目を掻い潜り、本部から逃亡。


太宰の考えにより、敢えて遠くへは逃げずに敵の盲点を狙い近場に身を隠していた。



「まだ身体が熱いね」
「…へいき、」
「あまり長時間同じ場所に留まる訳にもいかない。…辛いだろうけど、耐えられるかい?」
「うん」
「…じゃあ、出るよ」



そして二人は走り出した。

頬に当たる水滴で、雨が降っている事にナマエは漸く気付く。
その感覚に、何故か泣いてしまいそうな自分がいた。



このまま何処まで走れるのか。

本当に逃げ切れるのか。


どうして私を置いて逃げなかったか。



声に出したい想いが胸に溢れて、ナマエは呼吸もままならない状態だった。
それに気付いているのかいないのか、太宰は振り返りもせずにひたすら走り続けた。

次第に強くなる雨に体温を奪われる。
繋がれた手だけが二人を結ぶ糸の様に感じた。





「ナマエ、こっちだ」


太宰の声に反応し、路地裏に身体を寄せる。

距離的には本部から少し離れた場所ではあるが、きっと直ぐに追手が来るだろう。



「大丈夫かい?」
「…ん、大丈夫よ」
「こんな時に強がらなくても良いよ。おいで」



腕を広げる太宰に素直に従うナマエ。背中に腕を回し、二人の間の距離を埋める。

ほんの少しの雨の匂いと、太宰の香りに包まれナマエは大きく息を吐いた。



「…ナマエ、」



酷く優しい太宰の声。

縋るようなその声と強く抱きしめられる感覚に、ナマエは云い様の無い不安に駆られていた。




"織田作との約束を守りたいんだ"




太宰のその言葉が、ずっと頭から離れなかった。




(治は、作之助との約束を守る為に、)



しかし、収監房で見張りを殺したのはきっと太宰である。







(このまま私の側にいれば、治は____、)









ナマエの中で、一つの結論に辿り着いた。







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