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ハリーが襲われたというニュースが飛び込んできたその三日後。
私は、玄関ホールに飾られた肖像画ときっちり三メートル距離を開けて向き合っていた。額縁の中の彼女は私の姿を捉えてはいるが、上品なレースカーテンのせいで何者かまではしっかり認識できていないらしい。まだ辛うじて穏やかな笑みを携えていた。
「──『会議には参加してなかった』。だからどうだって言うんだ! 君たちはここで一緒にいた、そうだろう? 僕は、一ヶ月もダーズリーの所に釘付けだった! 四週間もだぞ!」
「アッ」
無言の時間を、上階から響いてきた綿毛を一瞬で丸坊主にしてしまうような声が切り裂く。彼のお優しい声は、当然眠れる蛇を叩き起した。シャッと素早くカーテンが開き、恐ろしい形相の夫人が金切り声をあげる。美しかった顔が一瞬で禍々しく豹変した。
『穢らわしい! ここから立ち去れ! わが祖先の館を、よくも──』
「おああ、し、鎮まりたまえ鎮まりたまえ!」
「あらまぁお義母さま、お目覚めかしら?」
怨嗟の声と慌てふためく声が交差する中に、突然場違いに明るい声が割り込んだ。
『消えろ、血を裏切る者! このクズの、塵芥め──』
「昼間は暑かったですから、よくお眠りになれなかったのね」
彼女は歌うような口調で「でも今夜はきっと素敵な夏の霜がおりるわ」と続けながら、絵画の中の夫人が長い爪を振り下ろす寸前に杖を振ってカーテンを閉めた。
「ありがとう、ソフィア」
「いいえ、お義母さまにご挨拶できてよかったわ」
シリウスの母親を『お義母さま』と呼ぶ彼女──ソフィア・キャンベルはにこやかにそう言った。
彼女は自力で騎士団の場所を──というよりシリウスの居場所を見つけ出し、団員になることを志願した、つい先日ホグワーツを卒業した魔女だ。
夏休みが始まって二週間ほどした頃、屋敷前の通りを彷徨いているところを叔父さんが見つけさりげなく声をかけた。そして事情を聞いた末、彼女をこの屋敷へと連れてきたのだ。
「シリウスの傍にいたかったから」
なんのためにここに現れたのか。
それを問われた彼女は、臆面もなくそう言ったらしい。
「どうやってここを見つけた?」
「あなたに愛の魔法をかけたの」
厳しく訊くシリウスに、ソフィアはこれまたしれっと答えた。その言葉にヒューッと双子が茶化して口笛を吹き、ルーピン先生でさえもちょっとニヤッとして親友を窺う。けれどシリウスは「そんな魔法はない」とからかいごと冷たく一蹴した。普段の気の良いお兄さんのような雰囲気は、一切鳴りを潜めていた。
「あるわ。“あなた”が私のことを好きだから、私はここを……あなたの居るところを見つけることができたのよ」
「そ……そんな──そんなことはない。ありえるわけが──」
「ない。ええそう、実はもちろん“うそ”なの。そんな魔法はなくて、私はただあなたとの会話を思い出して虱潰しで探しただけ──でもそんなに動揺してくれるなら、私にもまだツキはあるみたいよね?」
一切悪びれず、なんなら悪戯っぽく笑うソフィアにシリウスが顔をサッと赤らめた。ひどいしかめっ面だ。私たちにはその色が怒りなのか羞恥なのか判断がつかなかったけれど、ただ一つ分かったのは、明らかにシリウスが負けているということだった。
味方は多い方がいい。
ほとんどの団員はそう結論づけ、ソフィアを歓迎した。なにより自力でこの場所を探し当てるような彼女を野放しにはしておけない。シリウスは最後まで反対していたが、ダンブルドアまでもが彼女の意思を尊重させると言ってしまえば、諦めるほかなかった。
「(……まだ隙あらば脱退させようとしてるけど)」
「──何が起こってるかなんて、どうせ僕に知らせる必要はないよな? 誰もわざわざ僕に教える必要なんてないんだ──」
「それにしても、ハリー・ポッターって結構激しく怒るのね」
ソフィアが未だに怒鳴り声のする上の階をしげしげ見上げた。のほほんとしてる。
「意外な一面だわ、少しシリウスに似てるかも」
「あー、確かに」
「あとで挨拶しなくちゃね」
彼女は「クリーチャーとモリーのお手伝いをしてくるわ」と言って厨房へ降りていった。
最初彼女があの怒り狂ったご夫人を当たり前のように『お義母さま』と呼んだときはご夫人ですらぽかんとしてたなぁ。それ以降はソフィアが玄関ホール通るたびに瞬間湯沸かし器と化してるけど……それでも呼び続ける勇気すごい。やっぱアメリカの名門校──イルヴァーモーニーといったか──の新任引き抜き蹴ってシリウスを追い掛けてきた女は一味違うや。あの強かさ、見習わなきゃ。
「(シリウス、なんで彼女に冷たく当たるんだろう)」
前見たときはすごく優しく接していたのに。シリウスは彼女に対していっそ嫌っていると言ってもいいような態度ばかりだ。その違いなに? 弄んだと訴えられてもおかしくないよ?
『違う』といえば、彼女もそう。学校で見た時は大人しそうな人だったのに。今ではシリウスにどれだけ突き放されてもまったく堪えた様子を見せない、強い女性へと様変わりしている。恋をしてすごく変わったみたい。よきかなよきかな。可愛いね。え、何歳差? いや気にしたらだめか。
「──君たち、さんざん僕を笑い物にしてたんだ! みんな一緒に、ここに隠れて──」
「……行くかぁ」
強かさを見習う第一歩として、まずはハリーのところへ。
私はなるべくゆっくり時間をかけて階段を上がった。
ああもう目前だ、やっぱ自室戻っちゃおうかな、と考えかけたところで、不機嫌なハリーの声が耳に飛び込んできた。
「そうだ、エレナは? エレナも最初からここにいるんだろう? まさか彼女だけ会議に参加して──」
「そんなわけないでしょ!」
ハリーが恐ろしい仮説を立てようとしていたので、私は慌てて部屋に入った。
「私だって当然なんにも教えられてないよ、変なこと言わないで……久しぶり、ハリー。元気そうでなにより」
「これのどこが元気──」
「元気ハツラツじゃないか、そんなに“小さな”あまーい声をあげて、なあ?」
「ああ、耳に穴が開いて蕩けたんじゃないかってくらい甘かったぜ」
バシッという破裂音が二回したと思えば、フレッドとジョージが部屋の真ん中に立っていた。二人は、ハーマイオニーが「それやめてって言ってるでしょ!」と注意するのを無視してベッドに腰掛ける。ちょっとは『聞く耳』も持ってほしい。彼らに言うには今更すぎるけど。
「君たち二人とも、それじゃ、『姿あらわし』テストに受かったんだね?」
「もち、優等でさ」
「ところでエレナ、ソフィアと話してたか? あとついでに鬼婆の声も聞こえたけど」
ジョージが伸び耳を振りながら聞いてきた。
「うん、下でどのくらい近付いたら夫人に怒られるか試してたから」
「ほんとに変なことばかりするわね……」
「俺は気になるけどな。どうだったんだ?」
「三メートルは余裕だと思う。まだ検証の余地あり」
ジョージにそう言いながら、何気なく棚に並んだ三匹のフクロウを見る。小柄で幼いフクロウ二匹に囲まれ、ヘドウィグはどこか遺憾そうに見えた。
「ソフィアって誰?」
「ソフィア・キャンベル、レイブンクローの元首席サマ」
「そんで今は俺たちと“たった一歳違いの”騎士団員サマ」
「……待って、その名前どこかで──シリウスのダンスパートナー!」
「聞いて驚け、なんと彼女はその“愛しの”シリウスを追いかけてやって来たのさ──」
ニヤニヤ笑って話し込みだした男子勢に、ハーマイオニーが軽蔑した顔つきをして私の隣に移動した。後からやって来たジニーも、内容の下世話さに顔を顰める。ウィーズリーおばさんそっくりだった。ジニーは今マイケル・コーナーと付き合ってるらしい。この兄貴たちには絶対に知られたくないね。
「(そういえば、ハリーとチョウって……)」
恋バナで盛り上がるハリーを見ながら思い出す。今のところセドリックとチョウが破局する理由はないから誰とも付き合わないのだろうか。残念、必要の部屋のシーン、ロマンチックで好きだったんだけどな。
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夏休みは概ねほとんどが順調に進んだ。
ハリーは二体の吸魂鬼に襲われることも、無罪放免になることも、全ては滞りなく。
……まあ御屋敷が美しすぎたりクリーチャーが従順だったりシリウスを追いかけてくる熱烈な女性がいたり──あれだいぶ違うな、大丈夫かな今年。
「ソフィアさんって、もしかしてさぁ……」
「違うぞ」
ハリーの無罪放免が決まった日。久しぶりに叔父さんとゆっくり話す機会ができたので、夕食前に誰もいない部屋で密談を交わす。西陽が洒落た猫脚テーブルの影を伸ばすのを見つめながら、気になっていたことを切り出すと、全部言う前に否定された。
「なんで言い切れるの?」
「開心術かけたからな」
「ああ開心術ね……開心術?!」
いいのそれ。よくない気がする、倫理的に。
「彼女はただシリウスが好きなだけの女性だよ──それにしても、よかったじゃないか。これで助けやすくなる」
「え? ……いやだめでしょ巻き込んじゃ!」
なにをナチュラルに。事情を話して手伝ってもらうってこと? なんにもよくない。絶対反対だ。彼女が『シリウスを大好きなだけの女性』と知った今、それは尚更のこと。
それにシリウスの件についてはその場にいるだけでかなり変わると思っている。だって一番危険なのが誰かは分かってるから。
「叔父さんもいるし……二人で頑張ろ!」
「そううまくいくとは思えんがな……」
元気づけるように明るく言っても、叔父さんはまだ不満げだった。私が楽観的なのか叔父さんが心配性なのか。うーん、どっちもか。
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