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ハリーの無罪が確定したあとからは慌ただしくもあっという間に日々はすぎ、気が付くと九月一日の背中が見え隠れしはじめていた。
「さっきママが怪しんでたわ」
「次はヘドウィグたちが餌の取り合いで喧嘩したことにする?」
新学期が近いということは、同時に騎士団の企みを盗み聞ける機会ももう残りわずかということも指している。私たち学生組もその焦りから、かなり躍起になってきていた。連日『邪魔よけ呪文』チャレンジとして会議室の扉を汚すクソ爆弾をクルックシャンクスのせいにするのはもはや限界だ。
「伸び耳をさ、もっと遠隔で使えるように改良とかできないのかな。片方をこっそり部屋の中に隠しておく感じで。無線通信機器的な」
「無線? よく分からないけど、それだと『伸び』てないんじゃない?」
「あったしかに……」
ジニーの指摘にハッとする。いやでも距離が『伸び』てるってことでありにならないかな。だめ? とにかくBluetooth的なものがあったら絶対使えると思うんだけど。
「青い歯ってなに? それより私はハリーがいるんだから透明マントで潜入するのが確実だと思うの。……ただムーディさえいなければね」
「誰か一人が会議中ムーディを足止めするとか?」
「あの目の届かない範囲まで? それってどのくらいかな」
「さぁ……軽く二、三百キロくらい?」
「……ねえ、なにか聞こえない?」
ハーマイオニーが警戒するように囁いた。すぐさま声を潜めると、たしかにすすり泣きのような声が耳に入る。聞こえてくるのは空き部屋からだ。
この屋敷がいくら綺麗になったとはいえ、十何年間で住み着いた生物たちを一匹残らず追い払うのはさしものクリーチャーでも無理だった。ボガートだったり駆除の手から命からがら逃れたドクシーだったりがそこかしこに潜んでいる。
「誰か呼んでくるべきかしら」
「とりあえず確認してみよ」
私たちは、僅かに開いたドアの隙間から薄暗い室内をそうっと覗き込んだ。部屋の奥に蹲る影をつぶさに見つめる。
「……ソフィア?」
「えっ? ……ああ、あなたたち……」
泣いていたのはソフィアだったらしい。床にぺたんと座り込んでいた彼女は、私たちに気が付くと目元をぐっと拭ってなんでもないように振舞おうとする。杖を振って部屋を明るくすると「また悪巧みでもしてるの?」と笑おうとした。
「そんなことは──……ねえ、大丈夫?」
「え? 大丈夫よ、別に私──」
「……シリウスが原因なの?」
彼女の痛々しい笑顔に耐えきれなくなったジニーが恐る恐る聞く。『シリウス』という単語に、再びソフィアの瞳は涙で潤いだした。
さっきのシリウスは気が立っていたのかいつも以上に荒れていたけど、まさかそれが理由なのか。
あまりに予想外だったので私とハーマイオニーはたじろいで目を丸くさせる。けれとジニーだけは「ああ!」と悲しそうに叫んでソフィアに抱き着いた。
二人の喧嘩は──喧嘩というよりシリウスが一方的にいちいち噛み付いて怒鳴っていることの方が多いが──この一ヶ月の間で日常となりつつあり、もはや気にしてる者はいなかった。シリウスがどれだけ意地悪なことを言おうとも、ソフィアはいつも平気な顔でのらりくらりと躱していた。
だからこんなふうに人知れず泣き濡れているなんて、私は知りもしなくて。
「さっきのシリウス、どうかと思うわ。あんな言い方はないわよ……ねえ、二人とも」
「そうね、あんまりだったわ」
「ほんとにあの……ね。ジニーの言う通り」
未だに唖然と口を開いたまんまの私たちにジニーが軽く睨む。慌てて同意すると、ソフィアは弱々しく「ありがとう」と言った。
ジニーに守られるように、その胸の中で涙を流すソフィアは完全に萎れてしまっている。普段の気丈とした態度は見る影もなく、前に見た押しに弱そうな“ソフィー”が戻ってきているようだった。
その姿に冷静さを取り戻すとともに、ちょっとずつシリウスに対する怒りが沸いてくる。そりゃあソフィアが泣くほど傷ついているなんて思いもしなかったけど、それでも彼の態度も前々からどうかとは思っていたんだ。
「追い掛けてきてくれた恋人にちょっとひどいよね。もっと言い方ってものがあると思う」
「あら、私たち、別にそんなんじゃないわ」
「え?」
「恋人なんかじゃないの」
呆けた私に、ソフィアは「手だってダンス以外で繋いだことないのよ」と自嘲しながら続ける。
これにはさすがのジニーも驚愕の表情を浮かべた。だって多分、団員のほとんどが二人は恋人なのだと認識しているはずだ。
ハーマイオニーが「じゃあただ好きだから追い掛けてきたの?」と聞けば、ソフィアはまた力なく笑って頷いた。
「シリウスはね、私が憧れと恋情を勘違いしているだけだと思ってるんだわ」
「そんな!」
非難するジニーの声を聴きながら、私とハーマイオニーは二人にバレないように目配せした。たまたまだけど、シリウスがそんなようなことをボヤいているときに居合わせたことがあったからだ。
「だから私にここに居てほしくないのよ……自分に酔ってるとか、若気の至りがどうとかって」
「でも……私、団員になるのはとても危険なことだから──だからシリウスはソフィアに関わってほしくないのかと……その、心配だから」
遠慮がちに口を挟むと、ソフィアはまた泣き出しそうに瞬きを繰り返した。
「そうだったら嬉しいけど……きっと違うでしょうね」
否定するように首を振った彼女は、「どうすれば分かってもらえるのかな」と呟く。ぼんやりとしていて、幼く感じる喋り方だった。
「ただ好きなだけの、なにがいけないの? 傍にいて、守りたいだけなのに」
「ソフィア……」
「憧れなんて、とっくの昔に通り過ぎてるのに」
ジニーがソフィアを尚更強く抱き締める。ジニーは自分のことのように辛そうな顔をして、ソフィアの頭を撫でていた。
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総評して、今年の夏休みは今までの人生の中で一番快適だったといっていいだろう。
宿題で分からない箇所はルーピン先生やキングズリーさんといった大人たちが教えてくれ、時間さえ合えばトンクスやムーディ先生は関わった事件を話してくれる。
けれど一番大きな理由はクリーチャーだ。
彼のおかげでこの広い屋敷は清潔で完璧な状態を常に保っていたし、なにより彼の作る料理はとっても美味しかった。クリーチャーはロケットを壊し、さらにはシリウスに『そのロケットはクリーチャーにあげるように』と口添えした叔父さんに心からの感謝の念を抱いていた。
そのおかげか、この夏の間クリーチャーが私やハーマイオニーのことを『穢れた血』と呼び嫌悪するなんてことは一度としてなく、それどころか宿題がひと段落ついた頃合をみては、毎日違うおやつを持ってきてくれるくらいに気を使ってくれていた。酸味の効いたサマープディング、あれ美味しかったなぁ。毎日でも食べれる。
「そりゃ、去年一年暇を見て遊びに来てたが……」
ここまで態度が変わるとは思ってなかった。
叔父さんは、自分に向かってにこにこするクリーチャーに、ちょっと渋い顔でそう語る。アフターケアまでしてたんだ。それは仲良くもなっちゃうでしょうね。当然の帰結だ。なにを予想外みたいな顔してるの。全幅の信頼を送ってくる妖精の瞳に、叔父さんは少し気まずそうにした。
そんな優しく明るくなった妖精を、みんなが好きになったのに、シリウスだけは違った。
「騙されるなよ、何を心変わりしたか知らんが、あいつは昔からくさったいやなやつだったんだから」
ぶつくさ言うシリウスを横目に叔父さんは肩を竦めてみせた。弟さんのしたことを話すつもりはないらしい。教えてあげたいけど……私にもどうやったら怪しまれずに話せるか分からないな。いずれ機会があればいいけど。
クリーチャーの件だけでなく、ソフィアの件でもシリウスは頑なだった。
毎日毎日、小姑のような意地悪い小言を彼女に言い続けていた。よくもまあ飽きもせずにと誰もが思っただろう。毎回ルーピン先生に宥められてやっと口を閉じるが、かなり長いこと無視をしたり事務的にしか話さなかったり。シリウスはもうちょっと自分を客観視することを覚えた方がいいと思うな。何を考えてるかは知らないけど、傍から見るとものすごく大人げないよ。
どれだけひどい態度をとられても決してソフィアはめげず、シリウスやみんなの前では泣きそうな色をちらりともみせない。
そんないじらしい彼女の姿を見て、同情しないわけがあるだろうか。いいやない。
つまり、私たち──私とハーマイオニーとジニーのシリウスに対する態度が変化するのも自明の理だった。
「護衛ならじゅうぶん足りてると思うけど」
「そうよ、家で大人しくしてたら?」
「それとも二人っきりになるのが嫌なのかしら」
「……何の話だ?」
九月一日、『犬になって駅まで見送ろう』という提案を冷たく突き放す私たちに、シリウスは困惑顔だった。その後ろでソフィアが苦笑しているが、シリウスを助けるつもりはないらしい。
「なんでそんな余計なこと言うんだ?」
「これ以上の護衛は邪魔でしょ。……それにシリウスは目立たないほうがいい」
憤慨するハリーに、私は落ち着き払って事実を伝えた。
シリウスは今年の夏になってから、なぜか再びマグル大量殺人事件の容疑者としてあげられていた。『二年前に発表したピーターの件は実は誤報でした、真犯人は本当の本当にシリウス・ブラックです』、となんともバカバカしい記事だ。ダンブルドア派閥をとことん貶めたいのは分かるけどここまで意見ころころさせたら世論下がるでしょ普通。なんで下がんないの逆に。なんで信じちゃうの魔法界。純粋かよ。
「だから犬に──」
「ヴォルデモート側にはピーターがいるんだよ。シリウスが黒い犬になれることくらいきっと割れてるよ」
周りがぎくりとしてからあっと思ったが、まあいっかと気にしないことにする。次からは検索避け気を付けるね。
ハリーはそれを聞いて不自然なくらい大人しく引き下がってくれた。意外、もっとごねるかと思った。もしかしてなにか企んでる? そう訝しんだけど、そんなわけでもなさそうで、さらに不思議になる。まあ納得してくれてるならいいんだけど……。
「……エレナの言う通りだな。とりあえず私も今は大人しくしておく──だがハリー、きみも今学期はあまり目立った行動を起こすんじゃないぞ? 分かったな」
「え? うん、分かってるけど……」
シリウスは保護者らしく、真剣な顔で噛んで含めるように言った。ハリーは戸惑いながらも返事をしたが、名付け親が見てないところで不服そうに難しく顔を顰めていた。明らかに、『脱獄してきた人がいうことか?』と言いたげだった。
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