9



 最悪、ほんとうに最悪。最悪すぎる。
 ついにこの日が来てしまった。

 ただでさえハグリッドの不在で沈んでいたのに、大広間に踏み入れた瞬間私の胃はさらに重く落ち込んだ。

「あの人、誰?」

 グリフィンドールのテーブルに着き、ハグリッドの所在についてあれやこれや議論する中、ハーマイオニーが鋭く言った。教職員テーブルに真ん中、ダンブルドアの隣に腰掛ける魔女にみんなが注目する。ハリーが少し見つめたあと、ハッと声を上げた。

「アンブリッジって女だ! 僕の尋問にいた、ファッジの下で働いてる!」

 けばけばしいピンクのヘアバンド。ふんわりとしたピンクのカーディガン。ずんぐりした手で金のゴブレットをむんずと掴んでうっそり凶悪そのものな笑顔を作る、その女。思わず口がひん曲がった。

「最悪」
「エレナ、知り合いなの?」
「違うけど、魂がそう言ってる」

 あの意地悪で禍々しい、史上最悪のピンク女がホグワーツで教鞭をとる日が、とうとうやってきてしまったのだ。これを最悪と言わずして、なにを最悪というのだろうか。




 ばかばかしい空咳で、食後に行われるダンブルドアの話が遮られる。校長の話を遮るって社会人として正気か? そんな、信じられないくらい厚顔で愚かな女は、不自然に甲高いため息を混じえて話しだした。

「ホグワーツに戻ってこられて、ほんとうに嬉しいですわ! そして、みなさまんの幸せそうなかわいい顔がわたくしを見上げているのは素敵ですわ!」

 どこ見てんの? どこに幸せそうな顔がある? 彼女の目にはなにが見えてるのか不思議でたまらない。私たちとこの人とでは『幸せそう』の定義が違うのかもしれない。
 五歳児に語りかける口調のまま、アンブリッジは「みなさんとはきっとよいお友達になれますわ!」と続けた。双子が「「だろうね」」とニヤついている。


 彼女はまた「ェヘン、ェヘン」という独特の咳払いをする。次に話しだしたときには、取って付けたような少女らしさは消え、無味乾燥な話し方になっていた。

「魔法省は、若い魔法使いや魔女の教育は非常に重要であると、常にそう考えてきました。みなさんが持って生まれた稀なる才能は、慎重に教え導き、養って磨かなければなりません」

 しかしいくら無機質であっても、本性が垣間見える声音だ。どちらの声も甲乙つけがたく耳に障るなと思った。どうやら私は思っていた以上に、この女を生理的に受け付けないらしい。

「魔法界独自の古来の技を、後代に伝えていかなければ、永久に失われてしまいます。我らが祖先が集大成した魔法の知識の宝庫は、教育という気高い天職を持つものにより、守り、補い、磨かれていかねばなりません」

 アンブリッジはここで一息いれ、同僚の教授陣に会釈した。へえ、そのくらいの礼儀はあるんだ。まあたしかに、単身で敵地に乗り込んで好き勝手できる度胸と図太さだけは認めてもいいのかもしれない。それをホグワーツで発揮してほしくはなかったけど。

「ホグワーツ歴代校長はこの歴史ある学校を治めるにあたり、なんらかの新規なものを導入してきました。進歩がなければ停滞と衰退あるのみ──しかしながら、進歩のための進歩は奨励されるべきではありません。古きものと新しきもの、恒久的なものと変化、伝統と革新……」

 この辺りから生徒たちの集中が切れはじめたらしく、さざめき声が波打ち出す。真剣に聞いていそうなのはハーマイオニーやセドリックなどの一部の生徒だけだった。あ、セドリック首席のバッジつけてる。

「……──古き慣習のいくつかは維持され、当然そうあるべきですが、陳腐化し、時代遅れとなったものは放棄されるべきです。保持すべきは保持し、正すべきは正し、禁ずべきやり方と分かったものはなんであれ切り捨てようではありませんか。断固として」

 そうして演説の最後をとびきりの笑顔──と本人は思っていそうな極悪スマイル──で締め括り、アンブリッジは席へ座った。え、終わった? あっそう、みたいなパッとしないまばらな拍手のなか、ダンブルドアが「まさに啓発的じゃった」と会釈する。

「啓発的だったの? 僕、あんまり頭に入ってこなくて──」
「気にするなネビル。ありゃ、最高につまんない演説だったよ。パーシーと暮らした僕がそう言うんだぜ」
「面白いと啓発的は別です。ほんと、色んなことが分かったわ」
「ほんと?」

 ハリーが驚いた。「中身のない無駄話ばっかりに聞こえたけど」と言う彼に、ハーマイオニーが深刻な面持ちになる。

「たとえば、『進歩のための進歩は奨励されるべきではありません』はどう? それから『禁ずべきやり方と分かったものはなんであれ切り捨て』は?」
「なにが言いたいんだ?」
「“これ以上の新たな力は必要ない”。“なにを禁ずるべきかを判断するのは我々である”」

 ハーマイオニーが提示した部分を私がやや乱暴に訳す。ロンが顔を険しくしかめて「どういう意味だよ?」と訊いた。

「教えて差し上げるわ──つまり、魔法省がホグワーツに干渉するということよ」

 不吉な知らせを告げるようにハーマイオニーが言った。

 突然周りがガタガタ騒がしくなる。ダンブルドアがお開き宣言したらしい。ハーマイオニーが大慌てで飛び上がった。

「ロン、一年生の道案内をしないと!」
「ああそうか。おい──おい、おまえたち、ジャリども!」
「ロン!」
「だって、こいつらチビだぜ……」

 ハーマイオニーが叱るようにロンの名前を呼びつける。当の“ジャリども”はというと、結局どうすればいいのか分からず辺りを見回してはもじもじしていた。初日から夫婦漫才を見せてごめんね。

「僕たちも行こうか──あれ、ハリーがいない」
「ほんとだ、いつの間に」

 ネビルは「合言葉知ってるのかな」と呟いた。どこかそわついているその態度が不思議で、私はネビルをじっと見つめる。彼はちょっと照れくさそうに手に持ったサボテンを振って見せた。いやそれ、列車でてからずっと持ってるよね……テーブルにあってすごい気になってた、心配的な意味合いで。双子がうっかりつつかなくて本当によかった。

「僕、合言葉知っててさ。それも絶対に間違えない自信があって──実は、これなんだ!」
「えっと……ダンブルドア」
「違うよ、ミンビュラス・ミンブルトニア!」

 そう、それそれ。ちゃんと覚えてた、ほんの少し間違えただけ。誤魔化すように笑えば、がっかりした顔をされてしまった。

「ごめんて。でもネビルが覚えててくれるなら安心だな」
「ほんとうに素晴らしいものなのに……」

 ブツブツと落ち込まれてちょっと困る。だってそうは言われても覚えづらいし……。きっと、もっと成長したら私でも良さが分かるんだろうね。でも私はネビルほど薬草学が得意じゃないんだから、仕方ないと思わない? なんて言い訳すれば、ネビルは満更でもなさそうな表情を浮かべた。



 グリフィンドール塔に向かうと、ちょうど「太った婦人」の前で立ち往生させられていたハリーに追い付いた。ネビルが自信満々に合言葉を伝え、開いた肖像画の後ろの穴をよじ登る。

 ハリーは談話室でくつろぐ気分ではないみたいで、掲示板になにかを貼りつけているフレッドとジョージにおやすみと言うだけ言ってまっすぐ男子寮へと向かっていった。疲れた背中をネビルと二人で見つめ、顔を見合わせる。ハリーは、新学期初日からかなり参ってるみたいだった。

「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ──それで二人はなにしてるの?」
「よくぞ聞いてくれた」

 少し慌ててハリーを追い掛けていったネビルと別れ、私は双子に近付いた。双子はドヤ顔で「「これだ」」と言って掲示板を同時に指差す。貼ってあったのは【ガリオン金貨がっぽり!】と見出しからはじまる求人広告だった。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ商品のモニターを探してるらしい。うわぁ、危険そう。

「私は許そう。だがハーマイオニーが許すかな?」
「ふん、監督生がなんだっていうんだ?」
「俺たちがそんなの気にするとでも?」
「なんでもいいけど、応募してくれた人にはちゃんと依頼内容の説明するんだよ? お菓子の試食だけでお小遣いが稼げると思わせるのは詐欺だからね」
「アー……おっけ、分かった」
「スポンサー様のご意見には従うよ」
「だからやめてよそれ……」

 この話題になると二人は途端に殊勝な態度をとるんだから、らしくなさすぎて居心地が悪くなる。そんなつもりで言ったんじゃないのにとショックを受ける私に、ジョージが珍しく困ったような笑みを浮かべた。

「別にイヤミじゃないんだぜ。ほんとうに感謝してるだけなんだ」
「そうそう、敬意を込めてるのさ、我々は」

 フレッドはそう言って私の頭をぐしゃりと掻き混ぜる。その手つきの優しさに、お兄さんみたい……なんて思ったのも束の間。彼は「随分伸びたなー」とか言って掴んだ髪の先端を、高く上へと引っ張って笑っていた。

「遊んでるよね。敬意とかないよね」
「あるある」
「トロールの知性くらいある」
「それほぼないよね」

 髪ボサボサになるからやめてくれない? フレッドの手を払い、髪を撫でつけているとジョージが「ところで」と声を潜めた。

「ハリーもエレナも大丈夫か?」
「ん?」
「ずっとひそひそチラチラ見られてるだろ? ……今だって」

 ジョージの視線の先を何気なく振り返る。何人かの生徒とばっちり目が合った。彼らは慌てて顔を逸らし、わざとらしくぺちゃくちゃお喋りをしはじめる。

「大丈夫だよ」
「ほんとか?」
「うん、みんながいるし」

 さっきまではネビルがいてくれたし、今だって二人がいたからなんにも気にならなかった。

「ハリーは……まあ、多分大丈夫でしょ」
「……それもそうか」
「心強ーい監督生サマが二人もいるもんな」

 茶化した言い方がおかしくて笑った。なんだかんだ言って、このお兄ちゃんたちが自分たちの唯一の弟をすごーく信頼しているのが伝わってきたから。


 そう、私もハリーも、信頼できる仲間が一人でもいる限り落ち込む必要はない。それに今年は“私”が生きてるから、原作のようにひどい孤立状態にはなっていない、はずだけど──

「(シリウスがちょっと違うんだよね)」

 この前の『子ども扱いしてあげて』というお節介が効いているのか、ハリーに騎士団の内容も必要最低限以上教えたがらなかった。その上、出掛けには『慎重に動け』とすら言っていたし。傍目からみるとどれも保護者として正しい、が、肝心のハリーが……ちょっとそんな名付け親に対して反抗期入ってる気がしてならない。

 まあ、ロンとハーマイオニーがいるんだからなんとかなるだろう、多分。そこが変わってなければ平気平気。シリウスの変化とか些事だよね。シリウスには親代わりとして息子の反抗期を甘んじて受け止めていただくということで……。

「──あ、ねえ、新商品の提案があるんだけど」
「新商品?」

 怪訝そうな顔の双子に口角を上げる。安心してほしい、需要なら確実にあると断言できる代物だ──特に今年のホグワーツには。




 双子から無事「前向きに検討」との言質を引き出し、私は話を終えて女子寮に向かった。
 寝室では、一足早く部屋に戻っていたラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルがなにかを話して込んでいたらしい。彼女たちは私がドアを開けると、急にこちらを振り向いて口を噤んだ。

「どうかした?」
「ううん。えーっと……エレナ、休みはどうだった?」

 かち合った視線を無視するわけにもいかない。自分のベッドに向かいながら笑顔で言葉をかけると、パーバティが私と同じようににこりとした。

「まあまあかな。二人は?」
「私──私もまあ、普通よ。ラベンダーはあんまりだったみたいだけど」

 パーバティが肩を竦めた。さっきからラベンダーは黙ったままだ。お喋りが大好きな彼女がこんなに長く黙ってるなんて、と思っているとずっと俯いていたラベンダーが突然こちらを見た。向けられた猜疑心たっぷりの瞳にたじろぐ。

「ねえ、あなた、本当は違うんでしょう?」
「え?」
「だから……第三課題のことよ。あれ、“本当は”ハリーにやられたのよね?」

 何を言われているか一瞬理解できなくて、唖然としてしまった。ラベンダーは私の態度に、勝ち誇ったような安心したような表情を浮かべる。今にも「やっぱりね!」と言い出しそうな彼女に、慌てて「違うよ!」と声をだした。

「そんなわけない、ハリーがそんなことするわけないでしょ?」
「分からないわ、だって誰も見てないんだもの」
「誰も見てないなら、尚更私の証言に真があると思うけど」
「でも──だって──もし、もしよ? もし仮に、あなたたちのいうことを信じるんだとしたら──……」
「ヴォルデモートが復活した。そういうことになるよ」

 きっぱり言い切ると、ラベンダーは突然私にぶん殴られたというような顔になった。

「まさかラベンダーはあんな馬鹿げた新聞記事、信じてないよね?」
「わ、私は──でも、あの記事は、だって──」
「何度だって言うけど、私を襲ったのは死喰い人だし、ヴォルデモートは復活した。これが真実だよ」

 正面切ってそう告げると、ラベンダーはなにか言おうと、口をパクパクとさせた。やがて、なんとか掠れた声を絞り出す。

「イカれてる」

 痛いほどの沈黙の末、ラベンダーはそう呟いた。パーバティが息を呑む音がする。ラベンダーはもう一度「イカれてるわ」と今度はしっかり私の目を見て繰り返した。

「やっぱり、新聞が正しかったんだわ──あなたたち、どうかしてるんじゃない?」
「怖いからって信じないほうがどうかしてるよ。占い学って恐ろしい現実と立ち向かうためにあるんじゃないの?」

 ただ怯えたいがためだけにあるのかな? そんな軟弱者の教科とは知らなかった。思い違いをしてたみたいと口端をあげると、ラベンダーは忌々しく睨んでくる。私も負けじと睨み返した。

「どうかしたの?」

 お通夜のように静まり返った部屋に、新たな声が割り込む。戸口を見れば、ジャリの引率を終えて戻ってきたハーマイオニーが驚いた顔をしていた。

「その人が──」
「“その人”?」
「自分を襲ったのは死喰い人だとか、──『例のあの人』が復活しただとか、そんな馬鹿なことばっかり言うのよ!」

 ラベンダーは私を不躾に指差し──しかも『その人』だなんて言い方までして──ハーマイオニーに訴えかける。優等生で、しかも監督生であるハーマイオニーならば、自分にとって公平で真っ当な判断を下してくれると信じている顔つきだった。
 ハーマイオニーはそんな状況をすぐさま読み取った。

「その通りだわ。ハリーもエレナもなにも間違ってない。『例のあの人』は復活したのよ」

 彼女はスタスタと戸口から自分のトランクの方へと歩いて行きながら、さらりと言ってのける。そんな監督生の姿にラベンダーが顎が外れるんじゃないかというくらいに口をぽかんと開けた。

「あなた、あなたまでまさか本気で信じて……?」
「当たり前でしょう。それにねラベンダー、ハリーとエレナに関してお節介な大口を叩くのはやめなさいよ」

 ラベンダーは顔を真っ赤にした。乱暴にベッドのカーテンを引いて私たちからの視線を遮断した。なにか「偉そうに」というようなことをブツブツ言っているのが聞こえる。

「あなたもなにか言いたいのかしら」
「私は──分からないわ。エレナがうそをつくとも、狂ってるとも思わないけど……でも、『例のあの人』が復活したなんて信じたくないもの」

 ハーマイオニーに睨まれたパーバティは、迷いながらも正直に身のうちを語る。眉を下げ、情けなさそうに言った。

「……まあ、それが普通だよね」
「エレナ──」
「私はラベンダーのこともパーバティのことも大事な友達だと思ってる。大切だって。だから真実を知っておいてほしい。そうじゃないと対策とかできないし、なにより信じてほしいからそう思うん、だけど──」

 話しているうちになにが言いたいのか自分でもよく分からなくなってきてしまった。あれなんだっけ結局。この話の終着点どこ? 自信のなさから、終いには掠れて頼りない声になってしまった。ああこれ完全に滑ったな。誰もなにも言わない中、私もラベンダーにならい、静かにカーテンを引いて二人の視線から隠れた。

「(なるほどね)」

 これがハリーの味わった“孤独”ということか。ベッドの中で暗い天井を見つめながらそんなことを実感した。いや滑ったことに対して言ってるんじゃないからね。信頼の話ね。

 四年も過ごした、気心知れてるはずのルームメイトに疑われる。こんなの十五歳にはかなりキツいだろう。倍以上生きている私でさえこんなにショックなんだから。歳食っててよかった。ハリーの方はなにもないといいけど、たしかシェーマスが信じてなかったような気がする。お互い、毎年絶妙にしんどいね。生き辛。

 

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