10



 暗闇の中、何ともなしにパッと瞼を上げる。全身を包む浅い眠りの感覚に、きっと横になってからそんなには経ってないだろうと思った。
 なんとなくベッドを仕切る重たいカーテンを開ける。窓を通して目に映った空は、片隅側から薄明がじわりと滲みはじめていた。わあ、綺麗な夜明け。嘘じゃんと思いながら時計を見ると五時前だった。わあ、結構しっかり寝てる。なのに全然疲れがとれた気がしない。

 授業は今日からあるんだしギリギリまで寝てたほうがいいかな。そう悩んだけど今更眠れる気もしない。私は仕方なく制服に着替え鞄を持って寝室を出た。
 火の気の消えた暖炉の前を通り過ぎ、談話室を横切って肖像画の穴をくぐる。


  図書室は閉まっているし大広間に行っても意味はない。とすれば時間を潰せる場所は自然と限られてくる。

「睨まれない……」

 何百羽ものフクロウが垂木に止まる円筒状の小屋の中でおお、と感嘆の呟きが落ちる。フクロウたちは狩ってきた獲物に夢中だった。ジロジロ見回してみても、一羽だって私を気にかける子はいない。いつも威嚇してくるボス格の黒フクロウも目を瞑って微動だにしなかった。彼──彼女? とはメンチの切り合いがお決まりなのに、えっ無視……じゃない、これが普通なのか。そっか……。

 感動していると天井近くの宿り木に止まっていた小ぶりなフクロウが私の方へ飛び込んでくる。アンブルはぐるりと回り込むように一周してから私の肩に止まった。ガラスなしの窓から射し込む光が斑交じりの灰色の羽を照らした。彼を撫でながら先程よりかは明るくなった空をぼんやり眺める。静謐で穏やかな朝ぼらけだった。

「(今日からどうなるのかな)」

 あと何人、ラベンダーのように訊いてくるのかな。あと何回「イカれてる」って言われるのかな。

「いった……なに?」

 アンブルに耳を噛まれた。肩口のフクロウは『お、どうした?』というとぼけた顔をしている。こっちが聞きたい。もしかしてしんみりしてると思われた? 慰められた? 心配しなくていいのに可愛いね、と頬を擦り付けたら鬱陶しそうに肩から飛び去ってしまった。なんなのこの子ほんと。


 何度も言うけど、去年一年で疑いの視線も糾弾の声も慣れた。そりゃラベンダーくらい仲のいい子にああ言われたのは結構キツかったけど。でもこれ以上のダメージを負うことはないんじゃないかなと思う。だって私の交友範囲はそんなに広くない。正直友達じゃない人になにを思われたって……ねえ? 

「(私にとって『大事』で『大切』な人は、そんなたくさんいないし)」

 なぜか一部の人は私のことをふわふわしたお人好しだと勘違いしているっぽいのが不思議でならない。おかしいね、そんなこと全然ないのに。


 フクロウ小屋の戸が乱暴に開かれる音に、背後を振り向く。肩を上下させたドラコが扉に掴まって立っていた。なぜかあちらまでびっくりした顔をしている。

「おはよう」
「お、はよう……」

 ドラコは荒い呼吸の中で律儀に挨拶を返した。走ってきたのだろうか。急ぎの用事かと思ったがドラコの手には何もない。

「どうしたの?」
「いや、その……なんとなく、いるんじゃないかって」
「私が?」
「……そうだ」
「えっ」

 軽い冗談のつもりで笑いながら言ったのにそんな簡単に肯定されては困る。て、転生人ジョークが伝わりづらいの忘れてたな……驚いてつい固まる私に、ドラコは「なんだよ」と恨みがましそうに口を曲げた。……耳まで赤くなってるくせにどうして目を逸らさないんだ。

「なんだよっていうか、いや……あっそうだこれ」

 赤い顔から向けられるどこか挑戦的な視線が妙に居心地悪くて、私はさりげなく視線を背けた。ごにょごにょ言っているうちに、彼に渡すものがあったのだと思い出す。
 足元に置いていた鞄を漁って、白い封筒を渡す。ドラコは不思議そうに受け取ってシールを剥がし、中身を取り出すと目を見開いた。

「それ、毎年九月近くになると何日かだけ庭に咲く花なの。この髪飾りと同じ花なんだよ」
「……そう、か」

 そう笑えば、ドラコは口をほとんど動かさないで返事をした。

 私が渡したのはムネモリアを押し花した栞だった。上部に穴を開けセレストブルーのリボンを結んである。八月下旬、叔父さんがワイアット家の様子を見に行くというので摘んできてもらったのだ。あとついでに色褪せない加工もお願いした。

「監督生おめでとう!」
「ああ、それで」

 一応名目としてはそれが理由だった。でも作ったのは夏休みの間だから怪しまれるかな。
 けれどドラコはなにも聞かず、ただじっと栞をみつめていた。何を考えているのか……と思いかけてハッとする。お祝いがこれではしょぼかったかもしれない。

「ごめんこんな手作り感満載の……いやでももちろんこれだけのつもりはないよ! これは取り急ぎ用意しただけというか、あの、追い追いもっとちゃんとした物を渡すので!」
「何言ってるんだ。……これでいいよ」

 慌てて捲したてると、ドラコは息を吐くように自然に笑った。

「“これ”が嬉しいから」
「──……そう。なら、いいけど」

 ああ、と言いながらドラコは手の中の栞をそっと撫でた。ほんとうに大事だというように、優しく、慎重に、そして幸せそうに。

「……でもお祝いもしよ、また今度」
「本当にいいって……でもまあ、ありがとう」
「……いいえ」

 渡した身でありながらも、『たかが栞なのに』と思ってしまう。マグル式で作ったから周りのフィルムは剥がれやすいだろうし、リボンの形も歪。気持ちしか込められていない、芸術的価値は無いに等しい代物だ。

「ところでお前、大丈夫なのか?」
「なにが?」
「夏の間の記事のこととか、なにか言われたりしてないか?」
「ああ、『異常者のエレナ・ワイアット』」

 特に気にしてなかったため、なんなら笑いながら軽い調子で言った。「やめろ」と睨まれたので笑いを引っこめる。

「……ロングボトムはなんて言ってる? お前のことを信じてるのか?」
「ネビルには夏前から話してて……うん、信じてくれるって」
「……そうか」

 私の返答を聞くと、ドラコは満足げに鼻を鳴らした。神経質にひそめられていた眉から微妙に力が抜ける。その様子に今度は私が眉根を寄せた。

「あの、二人ってなんなの? 友達なの?」
「僕と? あれが? 友達?」
「あれとか言わないの」
「フン、冗談じゃないね」

 彼は「誰がロングボトムとなんか」とぶつぶつ言っていた。なんかとか言わないの。

「でもこの前謎の意思疎通を交わしてたじゃない」
「あれは別になんでもない。……ロングボトムに訊けばいいんじゃないか?」
「……ネビルも同じこと言ってた」

 そう、結局ドラコとどういう仲なのかと訊いたがネビルも『マルフォイに訊きなよ』の一点張りだった。またここでも交わしてるじゃんか、謎の意思疎通を。なんとなく、ハーマイオニーがたまにボヤく『男の子って!』という気持ちが分かった気がする。

「とにかく、大丈夫ならそれでいい。……でも今年はあまり目立つ真似はするなよ。ドローレス・アンブリッジがいるんだから」
「知ってるの?」
「ああ。あの人は大臣の忠実な部下で、父上の話にもよくでてくる」

 ドラコは一瞬逡巡してから、躊躇いがちに続ける。

「彼女はスリザリン出身ということもあって純血思想だ。だから僕たちスリザリン寮生を悪いようにはしないだろう。だが、お前は──」
「『マグル』で『グリフィンドール』で『当事者』だもんね」

 クリーンヒット、役満だ。ドラコは苦い顔で頷いた。「だから、絶対に変なことはするなよ」と念押しするちょうど彼の頭上で、雪のように白い誰かさんのフクロウが陽光を反射させる。変なこと、変なことね……反アンブリッジ同盟とかね……。

「うーん、うん、まあ、うん……」
「……しでかすならせめて僕の目の前でしろ。それなら少しはなんとかしてやれるから」
「……ありがと」

 絶対にドラコにだけは見つからないようにしなきゃ。彼は本当になんとかしようとしてしまいそうだ。たとえ、周りに誰がいようとも。そんなことはさせないと、内心で固く決意する。

 だって人前で『マグル』で『グリフィンドール』の『私』を気遣う素振りなんて見せれば、彼が寮内で浮いてしまうだろうということは分かりきっている。スリザリンは家同士の繋がりも深いし、ドラコの奇行はすぐさま実家まで伝わってしまうだろう。上司が復活した今尚更不味いことになっちゃうよね。私なんかを助けたせいでドラコの立場が悪くなるような思いはしてほしくは──……。

「……ドラコこそ、なにかあったら言ってね」
「僕がか? いったいなんの話、──お、おい!」
「耐えられないってことがあったら頼ってほしいの。私は絶対にドラコの味方だし、なにかあったら助けたいと思ってるし」

 『大変な思い』で芋づる式に思い出したのは、“今年の終わり”だった。
 死喰い人逮捕──要するにルシウス・マルフォイの逮捕。

 正直、それを止める気はさらさらない。祖父母の件を知ってから、私の死喰い人に対する意識は、なにも知らなかった以前とはかなり変わってきている。きっと、死喰い人に家族を殺された、または傷付けられたという人間は私が想像している以上に多いはずだ。それを考えれば考えるほど、死喰い人は然るべき場所で罪を償うべきだという思いが強くなっていた。

 ただ、ルシウスが逮捕されてしまえば、ドラコはヴォルデモートからその罰を科せられてしまう。ひどい話だ。齢十六の子どもに親の失敗の尻拭いで殺人をさせようとするなんて。しかもできないだろうということ前提。本当に外道。最低。ヴォルデモートまじあの木魚頭。

「些細なことでもいいから、なにかちょっとでも悩んだら相談してほしい」

 ルシウスの逮捕を回避するつもりはない、ということはドラコへの命令を防ぐことはできない。
 だとしてもせめて、一人で抱え込んで泣いてしまうことがないようにしてあげたい。少しでもその重荷を軽くしてあげたかった。


 たしかドラコはダンブルドアの『家族ごと保護してあげよう』という誘いに迷いをみせていたはず。だから今のうちから、“味方はちゃんといるよ”という認識を彼に刷り込んでおかなくちゃ。“頼っても大丈夫だよ”ということを伝えておかなくては。

「とにかくドラコはひとりじゃないから。私はほんとうにずっと傍にいたいって──」
「そ、れは、どういう意味で?」
「……え?」
「『ずっと傍にいたい』って、どういう意味で言ってるんだ?」

 上擦った、緊張した声で問いかけられてはたと口を噤む。どぎまぎとしたような赤らんだ顔が間近にあった。いつの間にかかなり近い距離まで詰め寄ってしまっていたらしい。後ろが壁だからこれ以上逃げれなかったんだな、可哀想に……熱が入りすぎてて気付かなかった、ごめんね。
 私は数歩下がって距離をとり、咳払いをする。にっこりと笑顔を作れば、ドラコの口許が綻ぶように緩みかけた。

「もちろん、そのままの意味だよ」
「それじゃ──」
「“友達”として、傍にいたいなって!」
「…………ああ、そう」

 『友達』を強調する。それ以外の理由なんてない。他の理由なんてある? と首を傾げると、疲れた顔をしたドラコは「別に、なんでもない」となんだかやさぐれた調子で言った。





「僕は一度寮に戻る」
「それじゃあ、またね」

 太陽も朝と言いきれるほどに高くなってきたので私たちはフクロウ小屋からでた。分かれ道でドラコと別れる。その姿が完全に見えなくなったころ、私はようやく止めていた息を一気に吐き出した。力のままに壁へ手をつけば、ドンという音が早朝の静かな廊下に響きわたる。

「なにあれ?!」

 いやまじでほんとうに心の底からなに??
 誰? いやあの……誰?!

 三年のとき、ドラコが素直で可愛いと浮かれたことがある。けれど今の彼ときたらどうだ? あの時の比じゃないにも程があるでしょうよ……。別人を疑うレベルで徹頭徹尾素直だった。


 私はその場で頭を抱えて蹲ると、はあぁぁと大きな大きなため息をついた。

 全てを思い出してしまった今、私は“あれ”を供給だとか甘っちょろいこと言っていられなかった。

 これまでだってなぜかやたらと好かれてるなとは思っていた。不思議だな〜気まぐれかな〜なんて呑気なことを。しかし今はもうその理由に説明がついてしまう。これまでの態度及び今日の様子でかなり確信してしまった。


 “ドラコは私が好きなのだろう”ということを。


「……アイタタタタ」

 自分で考えたくせにその場で肋辺りを抑えて身悶えた。聞く人が聞けば石を投げるだろう。私も自分に投げたいもん。なるべく尖ったやつがいいな。

 いやでも、彼は幼い頃からの刷り込みも含め、私に対し所謂『初恋』──の、ような感情を抱いてしまってる、のだろう。……自分で言ってて恥ずかしくなってきた。私だってあんまり断言したくなかったよ。なかったけど、だってこれ、この、あの感じはさぁ……。

「(ある種の執着を恋慕と勘違いしてる、みたいな……)」

 おそらくそんな感じだと思う。仲良くなった異性の友達とある日突然会えなくなり、劇的に再会。すったもんだの末に再び友達に。こんなの、十代の少年少女であれば運命(ああむず痒い言いたくない!)と思ってしまってもおかしくはない。円満にお別れできならまだしも、ある日突然というのがまたダメだ。尚更記憶に濃く残ってしまったことだろう。

「ほんと、どうしたもんかな……」

 近くの甲冑にもたれて困り果てる。


 私はドラコと友達以上の仲になるつもりは微塵もない。
 友達としてなら末永くお付き合いしたいとは思っているけど、それ以上は有り得ない。


 だって全てが終わったそのとき、ドラコの隣にいるのが“エレナ・ワイアット”ではないことは、ずっと前から決まっている。

 ドラコ・マルフォイは“彼女”と素敵な恋をして愛を育み“彼”と出会うのだ。変に私が挟まったらどうなることか……想像するのさえおぞましい。私は昔“読んだ”あの幸せな家庭を絶対に壊したくない。


 だから私は彼の好意を認めるわけにはいかなかった。
 ドラコ・マルフォイの幸せな未来のためには、彼が抱く淡い好意──エレナ・ワイアットのことが『好き“かも”しれない』という想いは到底受け入れてはいけない。


 それにそもそもドラコの“それ”は恋情なんかじゃないんだ。ただの気掛かりとか執着とかの成れの果て。気の所為や勘違い。きっとそんな程度のもの。


 だからただの栞なんかでそこまで喜んじゃいけない。

 お祝いの予定だけでそんなに眦を下げないでほしい。

 期待を込めた瞳で見つめないで。


──『“これ”が嬉しいから』


 あんな表情を、私に向けてはいけなかった。



「……早く気付いてくれないかなぁ」


 身勝手な想いが口から溢れ落ちる。

 そうすれば、心置きなく友達でいられるのに。
 


 まあ、もし。もしだよ。もしほんとうに最後の最後のギリギリまで彼の勘違いが解けなかったら──そのときはしょうがない。切り札を使おう。彼の好意をまるっと消してしまえるだろうという切り札を。

 なにを隠そう、それは彼の父、ルシウス・マルフォイだ。

 ドラコは頭がいいから、私が忘却術をかけられていたことは気付いていると思う。でも忘却術って本来なら解けないものらしいし、私が思い出したことはまだ分かっていないはずだ。昔からの友達だったって知れたのが嬉しくてこの前から思い出したことを匂わせてしまってるが。でもそろそろやめておこう、調子に乗りすぎるとバレる。


 私がなにを言いたいのかというと、ドラコはきっと私に忘却術をかけたのが誰かまでは知らないだろう、ということだ。


 もし思い出の忘却が自身の父親の意向だと知っていたら、ドラコは私に関わろうとはしないはずだ。彼が父親を誇りに思っていることはよく知っている。直接話されたことはないけど、教室とかでもしょっちゅう声高々で友達に自慢してるし。

 ドラコが知る由もないであろうこの事実──“ルシウス・マルフォイに忘却術をかけられた”という事実が、私の最後の切り札だ。

 それを知れば、ドラコが私に関わってくることはもうないに違いない。


 言ってしまえばもう『友達』であることすら許してもらえないだろうから、なるべく伝えたくは、ないけれど。

「(まあ、いざとなったら)」

 仕方ないよなぁ。
 だってそれがドラコの未来のためだもの。
 

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