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 浅い眠りに予想外の早起き。そんな私が二時限続きの魔法史が終わったあと紡げる台詞は一つだった。

「ノート見せてください……」

 半分以上ミミズがのたくったような黒墨で埋まった私のノートに、ネビルは苦笑いしながら自分のノートを渡してくれた。

「僕も途中あんまり聞いてなかったから……抜けてるところはハーマイオニーに聞いてみて」
「うう、怒られる……」

 すすり泣きしながら魔法史の教室を出る。中庭には細かい霧雨がさあさあ降っていた。昨日からころころ安定しない天気だ。朝は晴れていたのに。



「今日は、普通魔法使いレベル試験にしばしば出てくる魔法薬の調合をする。『安らぎの水薬』。不安をしずめ、動揺を和らげる。注意事項。成分が強すぎると、飲んだ者は深い眠りに落ち、時にそのままとなる。故に、調合には細心の注意を払いたまえ」

 魔法史二時限を犠牲にしたおかげで魔法薬の授業はちゃんと集中できそうだった。ほら、ビンズ先生はうつらうつらする生徒を減点することないけどスネイプ先生はがっつりするからね。そう考えるとさっき寝たのは謂わば正しい選択。ふ、これが大人の取捨選択……やっぱり今の発言はなかったことにしてください。めためたに怒られる、ハーマイオニーに。

「成分と調合法は──黒板に」

 いつもと変わらない冷たい顔でスネイプ先生は杖を振る。黒板に長ったらしい手順が現れた。さらに続けて「必要な材料はすべて──薬棚に」と再び杖を振ると、薬棚がパッと開く。最後に先生が「一時間半ある。始めたまえ」と言うと大人しく傾聴していた生徒たちは一斉に立ち上がり、薬棚へと向かった。これまでは全部口頭説明だったのに、ややこしい薬だから板書してくれたの? ホグワーツに来て初めてスネイプ先生の教師らしい配慮と優しさを感じた。

「……僕今何回混ぜたっけ」
「多分右に二回半……あっやばい入れ過ぎた」

 ヘレボルス液を三倍くらい入れてしまった。うっかりうっかり……いやうっかり言ってる場合じゃない。どうしよ、この薬正確さが命らしいのに。今からリカバリーきくかな。全部の分量三倍ずつしていこうか。

「薬から軽い銀色の湯気が立ち昇っているはずだ」

 追加の材料取ってこようかなと薬棚に向かいかけたが、スネイプ先生の声がかかった。ということは残り十分くらいしかないらしい。今回はもう諦めよう。そう思って自分の鍋を見たら軽い灰色の湯気が揺れていた。

「エレナのそれ、できてるんじゃない?」
「これ銀色なの?」

 ちょうどそう言ったとき、スネイプ先生が私たちのテーブルで立ち止まる。先生は私の鍋の中身をじろりと覗き込んだが、何も言わずに通り過ぎた。つまりそういうことらしい。あっそう、これ銀色なんですね。やったラッキー。でもあそこで三倍いれてセーフだったってことは途中もどっかでミスってたんだろうな。

「課題をなんとか読むことが“できた”者は、自分の作った薬のサンプルを細口瓶に入れ、名前をはっきり書いたラベルを貼り、我輩がテストできるよう教壇の机に提出したまえ」

 ハリー以外はたとえ薬が腐った卵のような臭気を発していても、セメントぐらい硬くても指示通りコルク栓をした瓶を提出しにいった。ハリーは……手順を一行読み飛ばしてしまったらしい。なんでもヘレボルス液を入れ忘れたとか。スネイプ先生はそれをたったの一瞥で見抜くと、杖の一振りで彼のここ数十分の努力をなかったことにした。ハリーの凄いところはどんなときでもめげずに睨み返せるところだと思う。煮え滾る鍋が並ぶ教室の中であの一角だけ吹雪いていた。ネビルはそれを遠目に見て、「提出できるだけよかった」と身震いしながら唾を飲んだ。


 地下牢教室をでて大広間へと向かう。外の雨はますます激しさを増していた。魔法の天井も重たく灰色の雲を空一面に並べている。
 ネビルはローストポテトをよそいながら、ハリー、ハーマイオニー、ロンが座っている方を見た。

「ハリー、ずっと機嫌悪いね」
「うん……低気圧だからかな」
「違うと思う」

 気象病の辛さを説こうとしたとき、「あーあ」という不機嫌な声が聞こえた。そのやけに大きい声に、私たち含め周りの何人かがそちらを見つめる。

「二人とも、いいかげんやめてくれないか? お互い角付き合わせてばっかりだ」

 固まっているハーマイオニーとロンに、ハリーは「頭に来るよ」と吐き捨てて乱暴に席を立った。鞄を肩に引っかけ、二人を残してその場を離れていく。

「……うわ、ご覧になりました?」
「まあまあまあ……」

 反抗期ハリーを改めて目の当たりにして率直にドン引きしてしまった。ソフィアに意地悪するシリウスを見た気分だった。ネビルは「気が立ってるんだよ……シェーマスのこともあるし」と困り眉でフォローをする。
 いや気持ちは分かるし展開も分かってたけど。ひっどいなこれは。ショックを受けた顔のハーマイオニーと目が合ったので私たちは二人の近くへと席を移動した。

「私たち、そこまでひどい喧嘩をしてるつもりはなかったのよ」
「そうだよ、この程度の言い争い日常茶飯事なのに」

 ハーマイオニーがしょげかえりながらハリーが去った方を見る。ロンも不服そうにしつつ、やっぱり不安そうに出入り口へ視線を向けていた。

「ハリーはロンたちに甘えてるんだね」
「え?」

 ロンたちは私の言葉に困惑して目を丸くしたが、ネビルは「ああ、分かるなそれ」と頷いた。

「私たちにはあんな風に八つ当たりしないし」

 夏からずっとそうだ。ハリーはどんなにロンやハーマイオニーに怒鳴り散らしていても、その場に第三者が現れればむすりとした顔をしながらも怒りを収めていた。三人以外はみんなそれに気付いている。関係性が見えていいねと裏でニヤニヤしてたくらいだ。

 まあ、だからといってその甘えを全部二人が引き受ける必要はまったくないので。

「いやなことはいやって言っていいと思います」
「……そうね。ロン、次占い学でハリーと会うでしょ? それなら八つ当たりするのはやめてほしいって伝えておいて」
「ええ、僕が? いいけど」

 いいんだ。ロンは「だって僕もいやだしね」と肩を竦める。ハリーの親友たちは思ってたよりずっと強かだった。ハリーの親友なだけある。変な心配をするまでもなかったな。



 昼食を終え、ハーマイオニーと別れた私たちは占い学のために三人で北塔のてっぺんへ行く。銀のはしごを登って教室に入ると、ハリーは既に部屋の隅の薄暗い場所で隠れるように座っていた。

「あら、あなた……」
「げっ」

 いつもの霧の彼方から聞こえるような声に、ロンが嫌そうな声をあげそそくさとその場から逃げていく。入れ違いになるように、トレローニー先生が現れた。なにやら怪訝そうな表情をしている。

「こんにちはトレローニー先生」
「ええこんにちは……あなた、どうなさいましたの?」
「はい?」

 彼女は私のことを、じろじろとつま先から頭までしっかり三往復はした。一、二、と視線を動かすなか、彼女の顔は流れるように歪んでいく。なに? ファッションチェックですか? 先生は「なんてこと……」と嘆くように呟いた。先生的にこの格好零点だったのかな。いやでも普通の制服なんだけど。

「ついこの前までは本当に、とっても、興味深い魂をお持ちだったのに……今のあなたは……」

 最後まで言わず、先生は物悲しそうに首を横に振った。分かりやすくガッカリしている。制服の着こなしが気に食わないというわけじゃないらしい。

「まあ、そうですわよね……生きていればそういうこともありますわよね……」

 先生は「非常に残念ですけれど」ともう一度憐れむように私を見つめる。名残惜しげに視線を外すと、また深いため息を吐いてするすると部屋の奥へと戻っていった。

「え、なに……?」
「どんまい?」

 洗礼、とは違う。なんかもうシンプルにがっかりされた気がする。「なんだったんだろうね」というネビルにねー、なんて返しながらも先生の奇行の理由に察しはついていた。最後に占い学を受けたときと今との違いは、『二魂持ち』の件しかない。先生よく『運命が重なってますわ』とかはしゃいでいらしたし。だから今まで私のことを多分結構お気に入りに──というか一学者として興味があったんだろう。変に死亡予告されず、ただ真っ当に占いをみてもらえる生徒は貴重だったと思う。今年はそれがないと思うと、ちょっとばかし残念な気もする。

 と、おセンチになりかけたけれどやたら話しかけられない占い学はぶっちゃけ平和だった。残念なのは思い違いでした。


「一ヶ月間ずっとばあちゃんの一張羅を着た文房具の夢を見たらどうしよう」
「一ヶ月はさすがにネビルの精神状態が心配なるかな……」

 廊下を歩きながら、ネビルと今日だされた宿題について話す。『巨人の戦争』五十センチのレポート、『月長石の用途』三十センチのレポート、夢日記一ヶ月。初日からどっさりだ。ネビルの夢はほんとになんの暗示なんだろうね。トレローニー先生、ネビルの夢こそぜひ詳しく解説してほしかった。

「ビンズ先生って私たちのレポート読んでるのかな」
「読んでくれてなきゃ困るよ」

 私の素朴な疑問にネビルが尤もなことを言う。けれど、けれどだ。正直私はあの先生が本当に生徒たちの試験やらレポートやらを確認しているのか疑っている。
 自分が死んだことにも気付かないあの先生が。魔法界史実の朗読さえできればいいというような先生が。四年経っても六年経っても──これはセドリック談だ──生徒の名前をまったく覚えてないあの先生が。果たして本当に生徒たちのレポートや試験を一つ一つ確認して、自分で成績なんてつけるのか?

「つまりゴーストのゴーストライター……!」
「それっきゃないね」

 ネビルはハッとこちらを見る。私は重々しく厳格さをもって頷いた。魔法史の成績評定の裏には何者かがいるに違いない。


 そんな会話で盛り上がっていればあっという間に本日最後の教室に辿り着いてしまった。辛い。教室へ入るなり視界へ飛び込んできた色に涙がでそう。

 教壇にどっかり座する一際派手なピンクは、今日は黒いリボンもお召になっていた。あっピンク以外の色もご存知だったんですね先生。
 

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