14



 マクゴナガル先生も、フリットウィック先生同様に授業初めの十五分をたっぷり使ってO・W・Lの重要性について演説した。

「O・W・Lに落ちたくなかったら、刻苦勉励、学び、練習に励むことです」

 要はたゆまぬ努力を惜しむなと。
 先生はそんな脅しもとい事実を生徒たちに突き付け、「今日は『消失呪文』を始めます」と全員に練習用のカタツムリを配った。消失呪文ならできる。得意というほどではないけど、と目の前のカタツムリに向けて呪文を唱える。呪文はいつも通りに効果を発揮し、カタツムリは跡形もなく消え去った。
 それを見たマクゴナガル先生は「まあ、ワイアット!」と大きな声をあげた。えっなに? みんなが私に注目する。つかつかと歩み寄ってくる先生になんだか逃げだしたいような気持ちに駆られた。

「な、なんでしょうか?」
「なんでしょうかではありません! 先程も申し上げた通り、『消失呪文』はO・W・Lでテストされるものの中では一番難しい魔法の一つです。しかしあなたはそれを最初の一回目でこうも簡単に……素晴らしい、グリフィンドールに十五点!」

 マクゴナガル先生にしては珍しいくらいの大袈裟な賛辞に、私は目を白黒させた。そんな私に彼女はどこか誇らしそうな顔で微笑む。その後ろではハーマイオニーが対抗心を燃やした顔をしていた。


 いつだって、授業で初めて習う呪文を一番に習得するのはハーマイオニーだった。私だって前世特典としてそれなりの魔法を知ってはいるけど、それは本当に知っている“だけ”だったから。知っているだけじゃ魔法は使えない。だから難しい呪文はいつもみんなと同じくらいのペースで使えるようになっていた。なのになぜ、今回に限って私がハーマイオニーよりも早くマスターしてしまったのか。理由はもちろん一つ── 一人しかない。




「セドリック! コーチ!」
「エレナ、なんか怒ってる?」
「怒ってない、ありがとね!」

 恒例のランチ会。待ち合わせた湖のほとりで落ち合うなり、私はとんでも鬼コーチの名前を叫んだ。荒ぶる私の心情など知る由もないセドリックはきょとんと小首を傾げる。あなたのおかげでマクゴナガル先生に褒められましたと、語調荒く事実だけを述べると、彼は笑顔で「どういたしまして」と受け答えた。絶対分かってないのによくそんな爽やかな笑顔で対応できるな。こういうスマートさがモテの秘訣なの?

「怒ってはない、怒ってはないよ? でもO・W・L最難関レベルの魔法を去年のうちから教え込まれてたなんて初耳なんですけど」
「ああ、消失呪文の話か。エレナ、あれ結構簡単に覚えてくれたよね。だから他のもいけると思ったんだ」

 簡単ではなかった。そんなことは全然なかった。泡頭呪文の次に教えられた呪文だったから、課題に使えるのかなと思って全力で頑張っただけだ。自主練もかなりしてた。影でめためたに努力した結果なんだけど……つまりあれを頑張ったせいであっさりこなしたように見えてしまって、その後の期待値とハードルがバカ上がりしていったと。どうして私ってやることなすこと裏目にでがちなんだ?

「今年は無言呪文かなぁ」
「え? ……あっレッスン続行してくれる感じですか?」

 はちゃめちゃにスパルタではあれど、首席様直々のご教授はもちろんありがたいと思う。でもセドリックそんな暇あるの? 昨日と今日の午前は空き時間が多くて暇だったらしいけど、そんなこといえるのも今のうちだけのはずだ。なんたって最終学年の彼には『めちゃくちゃ疲れる魔法テスト』の『N・E・W・T──通称イモリ』が控えている。今年は普通にクィディッチもあるし、まさかそれらの合間にやるつもりなのだろうか。え、本気か?

「それより早く食べようよ。大広間から適当に取ってきちゃったけどいいよね?」

 頷いて、彼の隣に敷かれたハンカチをありがたくお借りする。連日のぐずついた天気のせいでじめじめと湿っている中庭の中、この一角だけはカラッと乾いていた。

「アンブリッジ先生と喧嘩したんだって?」
「私じゃなくてハリーがね」

 そこ間違わないでほしい。きっちり訂正するとセドリックはくすくす笑った。けれどすぐに真面目な顔を作る。

「言うまでもないと思うけど、僕は『例のあの人』の復活を──きみたちのこと信じてるからね。友達よりあんな新聞記事を信じるほど馬鹿じゃない」

 念を押すように「分かってるよね」と続けられて、私はちょっと苦笑した。
 セドリックが信じてくれるだろうというのはもちろん分かっていた。去年のあれは、ほら、私としても完全に想定外だったのと、セドリックも代表になりたがってたからっていうので弱気になっちゃっただけなんだけど……なんか、結構信用ないんだな私。

「分かってるよ。……あっそう、実はシレンシオ使ったのも死喰い人に対してなんだよね。死の呪いかけられそうになってさ〜いやその節はほんと改めてお世話になりました」
「えっ死喰い、死の……そ、そう。役に立ったなら本当によかったけど……」

 この際だからと濁していた真実をはっきり伝えれば、彼はギョッとした顔をした。ちょっと引いてるじゃん。「死の呪いをシレンシオで……?」と解せない顔のセドリックに、「色んな事情が重なった上での特例でね」と補足するのも忘れない。絶対に真似しないでください。

「……あ。ねえ、チョウと私の話とかする?」
「え? しない──こともない、けど……どうして?」
「なんとなく気になって。チョウ、なんて言ってる?」
「うーん、あの……チョウ、チョウはね、えーっと……」
「フラれたのよね、あんた」

 小馬鹿にするような冷たい第三者の声に顔を上げた。私たちを見下ろしていたのはスリザリンの七年生、レベッカ・スミルノフだった。その胸に燦然と輝くHGの文字に安心する。よかった、首席とれたんだ。ゴブレットの件のせいで危うくなってたらどうしようかと……あれ、ていうか。

「髪切ってる」
「……別にいいでしょ。なに、髪を切るのにあんたの許可が必要なの?」
「いや要らないけど。似合ってる似合ってる」

 捻くれた言い回しをする彼女の言葉を流してキャッキャと手を叩いて喜ぶ。約二ヶ月ぶりのレベッカは腰あたりまであった髪をバッサリ切っていた。後ろはうなじが見えるくらいに短く、前髪や横部分を少し重めにした髪型は、元々涼やかに整った相貌だった彼女を中性的に魅せている。なんなら前より幼く見えるかも。きゃわかっこいい。風で膨らんで舞う長い髪も綺麗だったけどこれはこれで素敵。いまのレベッカは世界一ベリショが似合う女だ。

「きみのことは呼んでないんだけど?」
「私がどこに居ようが私の勝手だと思うんだけど?」
「喧嘩腰で話すのやめようよ二人とも」

 けれどセドリックは彼女のそんな変化にも興味ゼロだった。バチバチ睨み合う二人をどうどうと収める。いつになく険悪だ。その語尾やめよ。

 わざわざ声掛けてきたってことはなにか用なのかな。断られる前提で「一緒に食べる?」と訊いてみれば、彼女は小さく頷いて私の隣に腰を下ろした。あ、食べるんだ。意外に思っていると、セドリックが声を潜めて叱るように私の名前を呼んだ。

「なに誘ってるんだよ。こいつ、きみの名前をゴブレットにいれた張本人だろ?」
「私がお願いしたんだってば」
「信じないぞ」

 信じなさいよ、嘘だけど。本人が言ってるのに、とセドリックを見るが、当の彼はレベッカを睨めつけている。彼女は私を胡乱げに見下ろし、深いため息を吐いた。『本当のことを言えばいいのに』という声が聴こえる気がする。


 レベッカの件──私の立候補の真実はほんとのほんとに極秘で、知ってる人は教師勢とあの日医務室にいた面々くらいだ。私とハリーの立候補は、ゴブレットの誤作動ということになっていた。他の生徒たちには、余計な混乱を避けるためクラウチが化けていた事実自体伏せられている。セドリックにはお世話になったからと叔父さんたちに伝えたほうの建前だけは話したけど……こんな感じになるなら話さなきゃよかったかも。

 とりあえず敵意剥き出しの彼を宥めようと、私はレベッカの腕に自分の腕を絡めてしなだれかかる。頭の上から降ってきた「うわっ」とかいう声を無視して空いてる手でピースをした。

「マブだからゥチらまぢで。ね。ズッ友だょ。一生の友だち。出逢えたウンメイに感謝☆ 一期一会サイコー」
「ねえ、この子たまに頭おかしいわよね」
「くっ否定できない……」
「セドリック?」

 そんな悔しそうな『くそぅ』って顔するなら否定してくれていいんだよ。ていうかレベッカはなんで私のフォロー台無しにしちゃうの。
 妙な連携をとったことで彼らの険悪さは多少緩和されたらしい。セドリックはレベッカの同席についてそれ以上何も言わなかった。私の心が若干傷付いたけど、まあいいや。よかったよかった。いやよかったのか?

「邪魔、離して」
「あっはい」

 素っ気なく言われ、手を離す。解放されたレベッカは持っていた包みを膝の上に広げた。特に他意なくレベッカが広げたナフキンの上の食事を見る。アボカドとゆで卵のサンドウィッチ一切れに小ぶりのオレンジのみ。えっダイエット中? これ以上細くなってどうするの、ボウトラックルになっちゃうよ。

「大丈夫? 焼きそばパンでも買ってこようか?」
「ヤキ……なにそれ」
「えっなんだろ。日本の食べ物で、……炒めた麺を挟んだバンズ、かな?」
「不味そう」

 一刀両断だった。惣菜パンは日本の伝統ともいえる文化なのに。でも文にするとあんまり美味しさは伝わらないのはたしかだ。美味しいのに。

「そもそもエレナは日本の食べ物なんてどこで調達してくるつもりなの?」
「厨房行ってお願いしてみるとか──アッうそうそ冗談!」

 セドリックに訊かれるがままに答えてしまったのを慌てて取り消す。あそこって生徒は基本的に立ち入り禁止、らしい。この前フレッドにそう脅された。あっぶね〜首席二人の前でボロをだすところだった。

「もし食べたいって言われたらトーストにパスタでも挟んで持ってくるつもりだったよ」
「どちらにせよ不味そうだし要らないわ」
「え〜……とにかく焼きそばパンっていうのは後輩が買ってくるものなんですよ。日本の伝統芸能」
「変な国ね……」

 しみじみ言われてしまったが正直その評価は否めない。ジャパン、傍から見るとおかしな所は多いよね。ニューイヤーにベルを百八鳴らすとか。宗教じゃん。いや宗教か。
 第二の母国に残念なレッテルが貼られたところでふと思い出す。そういえばさっき『フラれた』とか言われてなかったっけ。フレらた……フラれた?

「別れたの?!」
「なに……あっチョウのこと?」

 セドリックはいきなり話が戻るな、と困ったように首裏をかいた。ごめん、常に衝動で生きてるから……。話の二転三転はお手の物なんです。

「あんなに仲良さそうだったのにどうして?」
「まあ、うん……いろいろ、その──ね」
「びっくりするほどなんにも伝わってこない……」
「はっきり言いなさいよ、この子が理由だって」
「スミルノフ!」

 言いたくないなら、と思いかけたところでまた爆弾が落とされた。セドリックの怒った声がそれを真実だと裏付けてくる。私? なんで? ていうかレベッカはなんでセドリックの恋愛事情にそんな詳しいの?

「耳に入ってくるだけ。私だって別に知りたくないわよディゴリーのことなんか」
「じゃあ忘れればいいだろ! ほんとに余計なことばっかり……」

 ぶつくさ文句を垂れながらも、セドリックは重い口を開けてくれた。未成年代表の、明らかに怪しい私の擁護。また付きっきりの個人レッスン。加えて無事に戻ってきた私に対する態度……諸々を含めて学年末にひどい喧嘩した挙句、別れてしまったらしい。ア、ア、ウワー! 地雷女だ! 彼氏に近づく地雷女だ私! たしかにそう、彼女持ちということを考慮すればもっと遠慮すべきだったのに……最悪だ。ごめん、頭が足りなくて……。チョウには本当に謝っても謝りきれない。睨まれて当然だった。

「でもエレナのせいではないよ、僕がチョウの不安を解消してあげられなかったのが悪いんだし……」

 その不安の元凶なんだよなぁ。真っ青になった私の顔色にセドリックが慌ててフォローしてくれるけど、いや全然、なんか……もう本当にごめんなさいという気持ちが拭えなかった。逆転時計でなんとかできないかな? ほぼ一年だし無理か……。

「気にすることないわよ。チャン、今はポッターにご執心らしいじゃない?」
「チョウにも詳しいんだ」
「耳に入ってくるだけよ」

 黙りなさいというようにオレンジを一つ口に突っ込まれた。恋バナ嫌いじゃないタイプなのね。結構乙女なとこある。意外な一面を知った。
 オレンジを飲み込んで毛先を摘む。今日も今日とてムネモリアの花はいつも通りに綺麗に輝いていた。

「髪切ろうかな、私も」
「はあ? なんでよ」
「断罪の気持ち」
「……そんなんで切るもんじゃないわよ。ほら、頭貸しなさい」

 そう言ってレベッカは私の三つ編みを解くとなにやらいじり始めた。頭ごともがれるのかと思って一瞬身構えたけどこの手付きならそんな心配もなさそうだ。眠くなるほど優しい触り方に目を閉じる。しばらくすると「動いていいわよ」と満足気な声がかけられた。セドリックが感心した声をあげる。

「可愛い、似合ってるよ」
「ディゴリー、あなたそんなんだからチャンにフラれたって分かってる?」
「うるさいな」

 そっと指先で後頭部を触ると何本もの編み込みやらで、私の頭は今までにないくらい凄くゴテゴテしていた。半分おろされてるからハーフアップの豪華なバージョンかな。鏡がないからよく分からんけど、多分めちゃくちゃ凝ってくれたんだろう。でもそれでいて無理に頭皮を引っ張らているような感覚もない。もしかしてハゲ配慮もしてくれてる? ありがとうございます。

「あんた、髪だけは綺麗なんだからもっと大事にしなさいよ」
「『だけ』……あ、でもそれ前も言ってたよね。うわ、ガチだったんだ」
「うるさいわね馬鹿じゃないの」
「なんで今怒られたの私」

 急なんよ、disが。ツーンと顔を逸らされた。そんな彼女に、セドリックがちょっと不服そうに「でも」と言う。

「それを言うならきみだって髪だけは綺麗だったと思うけど」
「(うわ……)」

 で、でたー天然タラシ奴……。セドリックそういうとこある。不満そうなのが尚更本気で褒めてる感でてるし。これにはさすがのレベッカも……と彼女の顔を見れば、とんでもなく苦いものを食べたときのように盛大にしかめられていた。「ああそうだった」レベッカの端正な顔がおえっと嘔吐くような仕草とともにぐしゃりと歪む。

「あんた黒髪フェチだものね。たしか随分前に噂になってたハッフルパフの上級生も黒髪だったわよね」
「えっそうなの?」
「ちがっ別にそんなフェチとかじゃ……スミルノフ!」
「なによ、事実じゃない。認めなさいよ気持ち悪い」
「きっ……そんなこと言って、実はそっちこそ金髪フェチなんじゃないのか?」
「はあああ?! 馬鹿じゃない? ばっかじゃないの?」
「あっそうなんだ……」

 顔を真っ赤にして声を荒らげるレベッカに納得する。たしかにドラコも私も系統は違えど金髪だ。へえ、そう。また意外な一面を知ってしまった。

 私の頭上で顔を赤くしてレベッカに怒るセドリックからは、いつもの頼れるお兄さん然とした態度は見る影もない。私からしたら珍しすぎる様子だった。

「(生きててよかったなあ)」

 生きていなければ、こんな風に同級生と年相応に言い争うセドリックなんてきっと拝めるはずがなかった。ああ、どちらかというと“生まれてよかった”の間違いかも? 


 到底手に入るはずのなかった光景をぼんやり眺めて噛み締める。灰色の雲の隙間からは底抜けに明るい晴れ間が覗いていた。

 未だギャーギャー言い争っている声をBGMに、木の幹に背を預けて目を瞑る。草の香りを含んだ、のどやかな秋風が前髪を柔らかく擽った。
 

 平和な日常だ。
 ほんと、泣きたくなるくらいに。





「……でも次魔法生物飼育学だから結び直していい?」
「あ? 舐めてんの?」
「こ、こわ……」
 

- 114 -
 ←前 次→
 back
 >>HOME