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蛇口を止めて、鏡を見つめる。映っているのはいつものもさっとした三つ編み……ではなく、後ろで一つにすっきり纏められた可愛い髪型だった。
「(器用な人)」
スタイリング剤もドライヤーもなしの、櫛一本でよくこうも見事なパーティヘアを作れるものだ。さすがにピンは何本か使ってるぽいけど。……ただ魔法生物飼育学に適した髪型かと言われたらそれは絶対に違う。でも解いていいかと聞いたときは般若顔だったし、これ以上のリテイクは首を捻り倒されそうだから何も言えなかった。
トイレから出て、授業のために外へと向かう。今日はなにやるんだろ。なんにせよ、動物たちに過剰反応されない私を見たら、グラブリー先生きっと驚くだろうな。
前方から複数人の話し声が聞こえてきたのでなんとなく顔を上げる。青いネクタイをした女生徒が数人こちらに向かって歩いて来るところだった。
彼女たちは私を見るなり、楽しそうな様子を一切引っ込めて、素早く目配せをし合った。
「あの子、例の!」
「嘘つきのポッターと一緒の?」
「異常者のエレナ・ワイアット!」
「(ぜーんぶ聞こえてるんですが)」
まあ別にいいんですけど。特に反応せず、私は黙ってその横を通り抜けようとした。
「ちょっと待ちなさいよ」
……が、足を引っ掛けられて転びかける。すんでのところで転ばずには済んだけれど、数歩たたらを踏めば背後から、意地悪い笑い声が聞こえた。口で言ってくれればちゃんと止まるのにどうしてホグ生ってすぐ手が──この場合足か──出るんですか? 治安が地獄の三丁目。
「あなたたち、嘘つきなんでしょ」
「は?」
「だってあんな嘘、誰が信じるっていうの?」
「素直に認めたら、今ならまだみんな許してくれるかもよ?」
「呪いの一つくらいは受けてもらわなきゃだけど!」
きゃははという甲高い笑い声が廊下に響く。すごい、なんかこれいじめのテンプレシチュエーションみたい……。
「ねーえ、黙ってないでなにか言ったら?」
「もしかして怖いんじゃない?」
「やだ、それじゃ私たちがいじめてるみたいじゃない!」
「まあ、なにもしてないのに……ひどいわ!」
口を挟む暇もないほど、彼女たちは自分たちだけでずっと盛り上がっていた。人生楽しそうですね。この茶番なに? 私いる? 帰っていい?
あとこのニタニタ笑い、なんかアンブリッジの影がすごいチラつく。さすがにアンブリッジ×三はキツい。尚更帰りたい。
「もしかしてこの子、『私たちに虐められた』とか言ってまたみんなに“嘘”つくつもりなのかも」
「サイテー! じゃあそんなことさせないようにしなくちゃね」
「もう二度と嘘なんてつけないように、たっぷり“指導”してあげなきゃ」
飛躍飛躍。想像力逞しいな。
彼女たちはそんなことを宣いながら、揃って杖を取りだした。結局そういう感じなのね。はいはいそれならむしろ好都合、分かりやすくていい。見たところ、真ん中の人がボス格ぽいから、端二人を倒さなきゃダメージ入らないタイプのエネミー軍とみた。さてどうしようかな、と私もローブに手を忍ばせる。
「なにをしているの、あなたたち」
真後ろから聞こえた、さっき別れたはずの声に目を瞬かせる。ローブに手を突っ込んだまま振り返ると、呆れ顔のレベッカが腰に手を当てて立っていた。
私の隣に並んだ彼女は、目の前の生徒たちを見据える。お楽しみを邪魔された彼女たちはムッと顔を顰めかけたが、レベッカの胸のバッジを見て途端にまごつきだした。
「別に、私たちはなにも……」
「その杖はなに? 廊下での魔法の使用は禁止よ」
厳しく指摘され、彼女たちはぐ、と黙り込んだ。
「このことはあなたたちの寮監に報告する。分かったわね」
「そんな──」
「文句を言える立場かしら? 罰則を科されたくなかったら、さっさと散りなさい」
「……レベッカって全方位にそんな感じなんだ」
悔しそうに走り去っていくレイブンクロー生たちの背中を見ながらそう呟けば、「は?」と言われる。どうもなんのことだか分かってないらしかった。いやね、てっきり私とかセドリックとかに対してだけガラ悪いのかと思ってたんだけど、別にそんなんじゃなかったんだねって。分け隔てなく平等にオールタイムで傲岸不遜なのねって。でもそっか、無意識で。面白いから言わないでおこう。
「もしかして助けてくれた?」
「仕事をしたついでってだけよ。……それに、一応オトモダチだし」
「律儀だなぁ」
ぼそぼそと付け足された言葉に呆れるやら感心するやら。別にあんなの建前みたいなもんなんだから気にしなくてもいいのに。
「……ていうか、お昼のときも思ってたんだけど、レベッカ、私と一緒にいていいの?」
「なにが」
「ほら、新聞の件とかあるじゃん。あと私、グリフィンドールだし」
彼女のお家は闇のなんちゃらだと前にセドリックが零していた。てことは一応、立場上敵になるわけだ。ドラコ同様に。それならば、やっぱりいくら形式上の友達とはいえあんまり人目につくのはよくないんじゃ。
私の心配を聞くと、レベッカは頭の悪いものを見る目で見下ろしてくる。あ、鼻で笑われた。
「エレナ・ワイアットの頭がおかしいことなんて前から分かってたことじゃない」
「それどういう意味?」
「やっと時代が追いついてきたのね、おめでとう」
「なにがおめでとう??」
嫌味が止まらないよこの子。フルスロットルじゃん。友達ってなんだっけ。
「で、『グリフィンドールだから』なんなの? なにが言いたいわけ?」
「いや……私みたいなのと仲良さそうなとこ見られたら、寮で浮くんじゃないかなって。あとまずいんじゃないの、おうちに知られでもしたら」
「スミルノフ家は『例のあの人』に直接仕えてるわけじゃないわ。ただ昔から、……純血思想の貴族の方々と交流があったとか、まあそんな程度」
あ、そうなんだ。思ってたよりライト……でもお家がそういう感じなら、やっぱりこの先対立しそうなものだけど。「今後うちの親がどうするかは知らない。あの人たち、日和見の臆病者だから」至極どうでもよさそうな口ぶりだった。あまり家族仲は良くないのかもしれない。
彼女のおうち事情を勝手に考察していれば、「だいたい」とレベッカが私をきつく睨みつけた。
「そんなの余計なお世話だわ。こっちはあんたとオトモダチになるって決めた時点でそのくらいとっくに覚悟してんのよ」
きっぱり強く言い切られ、驚いて彼女をまじまじと見る。海の底を思わせる静謐な青の瞳が、ほんの刹那パッと燃え上がるかのように煌めいた。
「寮も家もどうでもいい。私はもう誰かの言いなりにはならないし、友達も将来も自分の好きにするって決めた」
「レベッカ……」
「……これまで生まれでしかあんたを見てなかったのは、本当に愚かなことだったと今は理解してる。……気付くのが遅かったけど」
そんな言葉とともに紺青が揺らぎ、ふ、と伏せられて影が落ちた。レベッカは眉間にぎゅっと皺を寄せ、「悪かったわ」と消え入りそうな声で囁く。一見して泣いているようにもとれるその表情に、ギクリとする。え、泣きそうなの? 私のせい? えこれ私が泣かした?
「や、遅いなんてことないよ、全然……むしろ考え直してくれてありがとうっていうか……あの、だから泣かないで、怒ってないから私……」
「は? 別に泣いてないけど」
あっほんとだ、全然そんな顔してなかった。完璧杞憂だったみたい。なんなら今は不可解そうな顔になっている。『何言ってんの?』のなの字は見えるが涙のなの字は全く見えない。いやあんな険しい顔されたら誰だって勘違いするでしょうが。なんで私がおかしいみたいになってんの?
「……まあとにかく分かった? “私が”あんたとオトモダチするって決めたの。だからあんたが変な気を回す必要はないってこと。ウザいだけだからそういうの」
「うん、分かったよ。私のこと大好きなんだなってことが」
「耳も頭も馬鹿なのね」
レベッカは『どうしてくれようかなコイツ』という顔つきで考え込む素振りをみせた。やめてどうにもしないで。調子に乗ってすみませんでした。余計なこと言うんじゃなかった。私ってばいつもこう。誰も私を愛さない。
空は、昼頃一瞬覗いた晴れ間が嘘のように暗く落ち込んでいた。冷たい風とパラパラと時折気紛れに降る雨の中を小走りで抜けていく。
「どうしたのその髪型」
「友達がやってくれたの」
ハグリッドの小屋近くで授業待機していたネビルと合流すると、彼は私の頭を見て目を丸くした。「後ろとかすごくない? 私からは見えてないんだけど」と頭の後ろ部分を見て見てと自慢する。ネビルは「すごいね」とにこやかに言ってくれた。でしょ。
「あらエレナ可愛い!」
「わあ、ここの編み込みどうやってやったの?」
「なんかパーティにでも行くみたいだな……」
……でもちょっと恥ずかしくなってきた。最初は誇らしかったけど、だってこんなに声かけられると思わなかったし。普段もっさり三つ編みだから? あれそんなにだめですか? レベッカに禿げない且つもうちょい地味なヘアアレンジ教えてもらおうかな……。この髪型はちょっと、ロンのいうとおりなので。気合いが入りすぎてる。スネイプ先生だったら『TPO弁えてないこの阿呆め』って五十点くらい減点されそうだし。
「ちゃんとムネモリアの髪飾りもついてるのね」
「ね、よくできてる」
後頭部の真ん中辺りにはいつものつるりとした花弁が咲いている。どうもこの花中心に纏められているらしい。ほんと器用だ。
レベッカ渾身の髪型を真面目に調べていたハーマイオニーが突然くすくす笑いだした。あまりのいきなり加減に噎せたのかと思った。真剣な声で「ここはこう捻ってるのね」とか言ってたのにどうしたの急に。
まだくすくす笑いの発作に襲われながらも、彼女は「あのね」と私の耳元で声を潜めた。
「マルフォイがこっち見てるの」
「……へ、へえ」
なるべく淡々と返す。『あっそうですか〜』くらいの反応をすることを意識して。それでもハーマイオニーはまだ笑いながら「さっきからずっとよ」とまた一つ余計な情報を付け加えた。
私は不自然に思われない程度に、視線を動かす。視界の端、緑のフードの集団。その中でこちらを微動打にせず見つめている一人──ドラコと、目が合った。目が合うと、ドラコはハッと反応して勢いよく反対側を向いた。
「(まじで見てたんだ……)」
「あ、逸らした。エレナ、目合ったの?」
「えー、うん、まあ多分……」
ちょっとなんか、反応しづらいんだけど。なにこの空気。ハーマイオニーどうしたの。
さりげなく彼に背を向け、話自体を曖昧に流そうとしても、「見蕩れてたのね、きっと」だなんてやたらと確信を持って言われる始末。
「いや、そんなことないと思うよ」
「あるわ。だって顔も赤かったし」
そろりとハーマイオニーを見る。いやにニンマリとした顔をしていた。わあ、ハーマイオニーのそんな顔初めて見たなぁ。引き攣った笑顔と一緒に、現実逃避のそんな感想が零れた。
ハーマイオニーとジニーには、『ドラコとは二年から友達になった』と言ってある。説明がややこしくて面倒臭いなとか思ったからじゃないよ。別にそんなの全然違いますよ。ただ出会いについてはあんまり聞かれなかったし省いてもいいかなって考えただけだ。
ちなみに忘却術をかけられていたことはネビルにも教えてない。『なんか忘れちゃってたんだよね』としか。おかしな体質だったらしいことを鑑みれば、余計なこと言わなくてよかったなと思う。賢明な判断だった。
閑話休題。
だからハーマイオニーは昔の縁なんて知りもしないはずだ。ネビルにも口止めしている。そも、私がドラコの好意に気付けたのだって好意が作られたであろう切っ掛けを思い出したからなのに。それを知りもせず気付いてしまうなんて……。
「ハーマイオニー・グレンジャー……おそろしい子!」
「なに言ってるの?」
右手の甲を左頬に添え、背景に雷を光らせる気持ちでカッと目を見開く。畏怖を込めて呟く私に、ハーマイオニーの冷めた視線が突き刺さった。氷のようだぜ。
まあぶっちゃけ『ドラコがかなり分かりやすい』に三千ペリカ。バレバレらしいですよドラコさん。私が言うことじゃないけど、もうちょっと隠した方がいいんじゃないですか。……というかなんかこっちが居た堪れない気持ちになるから隠してほしい。いやほんと私が言うことじゃないんだけど。
「みんな集まったかね?」
ハグリッドの小屋の戸口から十メートル足らずの所で生徒を待っていたグラブリー先生が、大声で生徒たちを見回した。その声に、みんな少しだけ先生の方へと近寄る。
先生は、軽く点呼をとったあと、「ここにあるのがなんだか、名前が分かる者はいるかい?」と架台に積まれた小枝を指さした。もちろん我らがハーマイオニーが真っ先に手を挙げたが、先生が彼女を指名する前に小枝の一つがぴょんと宙に跳ねる。そのピクシー妖精にも似た小さな生き物に、私はおっと目を見張った。多分あれはボウトラックルだ。やはりハーマイオニーもすぐに「ボウトラックルです。木の森番で、普通は杖に使う木に棲んでいます」と答える。
「グリフィンドールに五点。ミス・グレンジャーが答えたように、大体は杖品質の木に棲んでる。何を食べるか知っている者は?」
「ワラジムシ。でも手に入るなら妖精の卵です」
「よくできた、もう五点。さあ、こっちに集まって、ワラジムシを少しとボウトラックルを取るんだ──三人に一匹はある──授業が終わるまでに一人一枚スケッチし、体の部分に全部名称を書き入れること」
そう言って、先生は最後に「怒ると指で人の目をくり抜くから、目玉を近付けるんじゃないよ」と注意をした。そういえばそんな設定あった気がする。ただの可愛いマスターキーじゃないんだった、こわ。
クラス全員が一斉に架台に近寄っていくと、あっという間に列ができた。
「僕取ってくるね」
「え、いや私が──……行っちゃった……」
「……エレナ」
言い終える前にネビルは列の方へと走り去ってしまう。昨日見ててねって言ったのに。引き留めようと中途半端に伸ばした手をゆっくり下げる。あーあ、と落ち込みかけてたところで名前を呼ばれ顔を上げ、声の主を見て目を瞬かせた。
「ラベンダー? どうかしたの?」
「……別に。ただ、これが落ちたから」
昨日一日、私を避けまくっていたはずのラベンダーは、こちらを見ないまま手を差し出す。彼女の手のひらの上には白いピンが一つ転がっていた。頭に手をやる。落ちたってことはどこかのが取れたのかな。え、どこのだろ。落ちた感覚なかった……全く分からん。毛量バカ多い弊害がこんなところで。しょうがない、適当に止めておくか。
受け取ろうと手を伸ばす。が、触れる前にサッと引っ込められた。
「えっ」
「……やってあげる。どうせ分からないんでしょ」
「あ、うん……ありがと」
ラベンダーは私の後ろに回って手でそっと支えるように私の頭を固定した。どこのピンか見ているらしい。暫くして、頭の付け根あたりにぐっと細いものが押し込められる。
「──出来た。もっとお淑やかにしなさいよね」
「はーい」
「せっかく似合ってるんだから」
ボソリとした小声に思わず振り返る。けれどそのときにはラベンダーはもうすでにボウトラックルの列へ小走りで向かっていた。いまの、すごく普通なやりとりだったな。前みたいな。
ぼうっとその先を見ていると、列に並んでいたシェーマスと視線がかち合う。そういえば、彼も『例のあの人』の件でハリーと喧嘩したらしい。シェーマスは少しの間なにかを葛藤するように目をあちこちへと泳がせていたが、結局最後には顔ごと逸らしてしまった。
「……四年だもんね」
そう簡単に『はい絶交!』とはできるわけないよね。むしろ四年もあれば喧嘩くらいして当然だ。
「ハリーとシェーマスさ、早く仲直りできるといいよね」
「……そうだね」
ボウトラックルとワラジムシの入ったボウルを持って戻ってきたネビルにそう言う。彼は少し目を丸くしてシェーマスの方を見て、頷いた。
「エレナとラベンダーもだよ」
「こっちはね、そう遠い話じゃないと思うんだ」
ふふふと笑う私に、ネビルはきょとんとしている。うまく言えないけど、なんとなく、そんな確信があるんだ。
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