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ハリーの様子がおかしい。
それは水曜の朝──正確には火曜の夜からだ。
ハリーは人目につく場所では疲れきった不機嫌な、むっつりとした態度を貫いていたけれど、私には泣くのをグッと堪えているように見えた。その理由はわざわざ彼の口から教えてもらわずとも分かっている。
“僕はうそをついてはいけない”
授業中、たまたま見えてしまった手の甲の赤い文字列。やっぱり夏休みのうちからフレッドたちに例の件打診しておくんだったな……後悔しながら、私は羽根ペンを一心に動かした。
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魔法省の介入は想定していたよりずっと早かった。
「『魔法省、教育改革に乗り出す ドローレス・アンブリッジ、初代高等尋問官に任命』」
朝食時、近くの席で座っていたリーがテーブルに新聞を広げて声を張り上げた。読み上げられる内容のとんちきさに、みんなザワついている。「『女史はたちまち成功を収め、『闇の魔術に対する防衛術』の授業を全面的に改革するとともに──』」誰も彼も大変異議ありといった様子だ。どうでもいいけど、第一回で頓挫する企画に『初代』とかつけてあるの、後から見るとめちゃくちゃお笑い草だよね。
「(まだ一週間しか経ってないのに)」
魔法省くんったら案外手が早いのね。やだぁ、余裕のない男はモテないぞ、まじで。
私たち五年生がファッジの『教育令』が牙を向いた瞬間に同席したのはその日の午後、『占い学』のときだった。
「こんにちは、トレローニー先生。わたくしのメモを受け取りましたわね? 査察の日時をお知らせしましたけど?」
トレローニー先生はいたくご機嫌斜めの様子で素っ気なく頷くと、アンブリッジから冷たく背を向ける。やーい袖にされてやんの。見なさいよ、トレローニー先生の嫌そうな顔を。あんな俗々しい先生の顔滅多に見れないんだからね。それだけでもう充分な収穫でしょ、だからもう帰りなさい、カエルの巣に。
他人の気持ちを汲み取れない高等尋問官(笑)のアンブリッジは、ひじかけ椅子を教室の一番前、トレローニー先生の椅子の隣まで引っ張っていった。どっかりと腰かけて花模様のバッグからクリップボードを取り出し、準備万端と満足そうににんまりといつものカエル笑いを浮かべた。分かりやすく嫌がられてるのによく真隣に座ろうとできるね。すごい根性。すごいから廊下に立ってなさいアンブリッジ。
「今日は予兆的な夢のお勉強を続けましょう。二人組になってくださいましね。『夢のお告げ』を参考になさって、一番最近ごらんになった夜の夢幻を、お互いに解釈なさいな」
トレローニー先生は自分の椅子に戻りかけたが、アンブリッジが座ってるのを見ると華麗なUターンをきめた。あんな俊敏なトレローニー先生初めて見たな。
「どう? あれからお祖母ちゃんの夢は見た?」
「見てない。あの一度きりっていうのも怖い」
ネビルはそうしんみり言ってテーブルに肘をついて顔の前で手を組んだ。そうだね。
「エレナはなにか夢見てないの?」
「見てな、あっやばい来る……」
トレローニー先生がスイーッとこちらへ向かって来ていた。当然背中には初代殿がおられる。慌てて必死にページを探している風を装って『夢のお告げ』を開いた。
「ミス・ワイアット、貴女は最近どんな夢をごらんになって?」
「えーと、そうですね……」
ぎょろりと覗きこまれた。先生の身に付けたカーディガンの毛玉が目に入る。
「洗濯で縮んだセーターに巻き付かれて絞められる夢です」
「まあ……! 夢を見た日はいつですの? その日付に貴方の年齢を加えて──ああ、それから夢の主題の字数も……夢の主題は『絞める』、いえきっと『洗濯』ですわね」
あ、ちょっと嬉しそう。悲壮感に充ちた顔に僅かな喜びが滲んでいる。やっぱり悪夢にして正解だったらしい。嬉々として夢の解説をするトレローニー先生の背後では、アンブリッジがなにやら熱心にメモを取っていた。
「──さてと」
そうして数人の見回りが終わると、アンブリッジが落ち着き払って声を上げた。満を持しての一言に、みんなはただでさえ大きくなかった声のボリュームをさらに下げる。
「あなたはこの職に就いてから、正確にどのくらいになりますか?」
トレローニー先生は、査察などという侮辱から抵抗するように暫く腕を組み、肩を丸め、しかめっ面を浮かべている。しばらく黙ったのち、しぶしぶ口を開いた。
「……かれこれ十六年ですわ」
「相当な期間ね。で、ダンブルドア先生があなたを任命なさったのかしら?」
「そうですわ」
淡々とした口調で、先生はアンブリッジの質問を苦行に耐えるような表情で答えていた。けれどアンブリッジのある言葉で身を強ばらせ、信じられないとついに表情を崩し聞き返した。
「お──おっしゃることが分かりませんわ」
「わたくしのために、予言を一つしていただきたいの」
「『内なる眼』は命令で『予見』したりいたしませんわ!」
トレローニー先生はビーズや腕輪をじゃらつかせながら、ぐっと背筋を伸ばした。彼女は不躾なアンブリッジに対して、毅然とした態度で言い放つ。そんな先生に、失礼なガマガエルは「けっこう」とクリップボードにメモを取りながら静かに言った。
今のは先生結構カッコよかったな。
そう思った直後、トレローニー先生が突然「お待ちになって!」と叫んだ。普段なら神秘さを演出するはずの霧の彼方の声は今や消え去り、ただただ怒りで震えている。
「あたくし、あたくしには何か見えますわ……何かあなたに関する、何か暗いもの……何か恐ろしい危機が……」
あ、あー……結局そっち路線で……いやあながち間違ってはないけどね、この予言も。結果的にはそうなるから。でもこういうときくらいよいしょしとけばいいのになぁと思ってしまう。信念なのかな。ならばしょうがないけど。
アンブリッジは眉をきゅっと吊り上げたまま、「そう」と感情のないニッコリ笑いをした。
「まあ、それが精一杯ということでしたら……」
独り言のようでいて、明らかに教室中に聞こえる音量での呟きだった。
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翌日行われた変身術の査察の様子で分かったことは、マクゴナガル先生も私たちと同じくらいに尋問官殿を嫌っているということだ。「いったい」と先生はばかばかしい咳払いを繰り返すアンブリッジを厳しく見据えた。
「そのように中断ばかりなさって、私の通常の教授法がどんなものか、お分かりになるのですか?」
眉と眉がくっついて長い線に見えるほどきつく眉間に皺を寄せたマクゴナガル先生は、空咳女に冷たい怒りを放った。
「私は通常、自分が話しているときに私語は許しません」
「アンブリッジに癇癪を起こすな、なんてよく僕に説教できるな!」
アンブリッジは横面を張られたように顔を強ばらせた。ぴしゃりとやり込めたマクゴナガル先生に、ハリーはロンを小突いてニヤニヤ笑う。いやハリーはほんと控えたほうがいいと思うけどな。アンジェリーナの血管のためにも。ハリーはもう二週間はクィディッチの練習に参加できないことが確定してる。ウッドに代わった新キャプテンであるアンジェリーナがそのことで爆発したのはまだ記憶に新しかった。
そしてなにより、手の甲がもう見てられない。今学期ずっと罰則受けるつもりなのかな。
変身術の授業中、アンブリッジは、占い学のときとは違って、生徒たちに質問して回ることもなく、ただ厳しい形相でクリップボードに書き込み続けていた。
査察の最悪なところは一日に何度もアンブリッジと対面しなければならないところだと思う。時代はリモートなのに。お役人様がそんなんでいいの? 帰ってくれないかな。
魔法生物飼育学の査察のため、森に現れたピンクをみて自然と悪態が湧いてでてくる。けばけばしいピンクにそろそろ胸焼けがしてきていた。
魔法生物飼育学の模範的な授業を行うグラブリー先生にさしものアンブリッジもケチをつけることはできなかった。加えてグラブリー・プランク先生は非常勤講師だ。ヴォルデモート云々に関しては恐らく一切関係ない。彼女はダンブルドア側でもなく、魔法省側でもない、完璧な中立を保っていた。
教師に文句のつけようがない──もといこの教師からは魔法省に有益な情報を引き出せそうにないと判断したアンブリッジは、向ける矛先を生徒へと変えた。
「このクラスで誰かが怪我をしたことがあったと聞きましたが?」
アンブリッジはゴイルに向かって優しく問いかけた。全員がなんのことを指しているかすぐに察知し、グリフィンドール生は威嚇するように顔を顰め、スリザリン生はにたにたと厭らしい笑みを浮かべる。しかしそんな中で、ドラコだけはできるだけ存在感をなくすように、息を潜めているように見えた。アンブリッジの質問が聞こえていないはずはないのに、ボウトラックルに集中しているふりをしている。
「それはドラコです。ヒッポグリフに切り裂かれました」
「ん、ああ、まあ……」
「ヒッポグリフ?」
クラッブにニヤニヤと話題を振られ、ドラコは居心地悪そうに歯切れ悪く返事をした。アンブリッジはそれで充分だったらしく、慌ただしく羽根ペンが動く。
「それは、そいつがバカで、ハグリッドの言ったことをちゃんと聞いていなかったからだ」
素早く噛み付いたハリーに、アンブリッジはゆっくりと彼を見る。ハリーは怒って睨んでいるけど、その後ろではロンとハーマイオニーが呻いていた。
「もう一晩、罰則のようね」
アンブリッジは鼻にかかる、高い笑い声をあげた。
『教育令』や査察に加え、変わったことはもう一つ。ハリーの寮内での風向きだ。
大半のグリフィンドール寮生は、ハリーの手の甲──アンブリッジのあくどい罰則の真相に気付きだしていた。教師陣には隠せても、寮生たちにはそううまくいかない。ハリーへのひそひその色合いが、いい意味で変わったのは明白だった。
残念なことにハリー本人は気付いてなさそうだけど。ハリーって変なところで鈍感だ。
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