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全員分の署名が恙無く終わると、ハーマイオニーは羊皮紙を回収し、慎重に自分の鞄に入れた。にっこり笑ってみんなの顔を見回す。
「とりあえず今日はこれで終わり、解散です。みなさん、集まってくれてありがとう。これから一緒に頑張りましょう」
ハーマイオニーが満足げにそう言うと、みんなは三々五々に立ち上がる。生徒たちが続々と店を出て行く中、私はネビルに「ちょっと待ってて」と言って彼を店に残し、真っ先に外に向かった彼女を追って人の群れを掻き分けた。
「レベッカ!」
レベッカは顔だけで振り返ると、面倒くさそうに顔を顰めた。けれどそんな顔をしながらも、私が追い付くのを律儀に立ち止まって待っている。そういうとこなんだよあなた、と切れ長の瞳に自分が映っているのがはっきり見えるくらい近くまで来て思う。
「なに?」
「なにってこっちが訊きたいんだけど。どうして来てくれたの?」
「……強いて言うなら、あそこにいるしつこい男のせい」
レベッカはそう言って私の頭上を冷たく睨んだ。視線の先にはセドリックがいる。こちらに気付いた彼は小走りで向かってきた。
「セドリック、なんでレベッカを?」
「うーん……まあ、スミルノフも戦いたいんじゃないかなって思ったから」
曖昧に答えながら、セドリックは意味ありげにレベッカを見る。彼女は視線を拒絶するように顔を背け、ふんと鼻を鳴らした。二人の中でしか分からないなにかがあるような意味深な雰囲気だ。
ついこの前までお互いあんなに嫌い合ってたのに。お互いのフェチを認めあったの? 髪フェチシンパシーでも交わした?
彼らの変わりように困惑していると、セドリックは「でも苦労したよ」と愚痴をこぼした。
「スミルノフ、天邪鬼で頑固だから。さっきも直前になって『やっぱり行かない』とか言い出すし。全力で帰ろうとするから引き摺るのほんと大変だった……」
「あなたの貧弱を私のせいにしないでって言いたいところだけど大目に見てあげるわ。シーカーは腕力関係ないから貧弱でも仕方ないわよね」
喧嘩しないと会話できないのかな。ていうか本当に引き摺って連れてきたんだ。……ということは。
「本当は来たくなかった?」
「……別に、そうは言ってない」
心配になって聞いてみると、レベッカは瞳だけで私を一瞬見つめる。顔を私の方へと向け、短い横髪を耳にかけた。
「本気で嫌だったらディゴリーの拘束ごとき簡単に振り払ってたわよ。ただホッグズ・ヘッドが汚くていやだっただけ」
「え、そんな理由?」
「とにかく、参加するからにはちゃんと取り組んであげるから安心しなさい」
汚くていやとか言ってるわりにバタービールごくごく飲んでましたがそれは。あの埃を纏った瓶は許容できるんだ。わっかんね〜と首を捻る私をよそに、レベッカは「ま、アンブリッジの授業がゴミなのは確かだしね」と軽く肩を落とした。
セドリックはそんな彼女に「素直になりなよ」と言って白けきった冷たい表情を浮かべる。
「本当は参加したくて仕方なかったくせにさ」
「それこそ一言も言ってない。ていうかさっきからなに? 恩着せがましくてウザいんだけど。そっちこそチャンと対面するのが気まずくて私を盾にしたかっただけのくせに」
「そんなわけないだろ!」
喧嘩しないと会話できないらしい。彼らなりのコミュニケーションなのね、多分。
パブに戻ると残っているのはハリーたち三人とネビルのほかもういなかった。店内は先程までの熱気はさっぱり消え去り、がらんとしている。きっとこれがこの店のいつもの姿なんだろう。バーテンもこころなしか肩の力が抜けたように見えた。
店に入ってきた私に、ハーマイオニーが「ねえ」と縋るような声で呼び掛ける。
「助手の件、本当にだめ?」
「本当にだめです……」
まだ言ってるよこの子ったら。堪忍して。
困ったもんだぜと男子勢に助けを求める。特にロナウドさん、いつものズバッとした一言を今こそ頼むよ。
「なんで? いいじゃん」
「イイジャン?」
ロンはきょとんとした顔でけろっと言い放ち、口元の泡を袖口でぐいっと拭った。
「きみが手伝ってくれるなら僕、すごく心強いと思う」
「ココロヅヨイトオモウ?」
ハリーが瞳をキラキラさせてこちらを見た。期待に満ちたその目に、自分の頬がピクピクとひくついたのが分かる。
「頑張ってね」
「ガンバッテネ?」
最後の頼み綱であるネビルでさえも、突き放すようにそう言った。なにこの裏切り。『マラソン大会で一緒にゴールしようね』って約束したのに置いてかれた気分だ。
「ネビルまでなに言うの……」
「そんなことよりエレナ、さっきのどういうつもり?」
「え、ネビル……?」
突然ネビルが音を立てて立ち上がった。その衝撃で座っていたボロいスツール椅子がひっくり返って転がる。ロンがまた髭を作ったまま度肝を抜かれた顔をしてネビルを見た。ハリーとハーマイオニーも仰天している。
ネビルはきゅっと眉を吊り上げて強く私を睨み、私に対して明確に怒っていた。静かで、それでいて苛烈な強い怒りを感じる。驚いて名前を呼んだ声は、自分で思っていたよりずっとおろおろしていて、なんとも情けない声だった。だって初めてなんだもの、ネビルの怒るところ……いや、ネビルが私に怒るなんて。
「どうしたの?」
「『どうしたの』だって? きみこそどうしてあんなこと言ったんだ」
「あんなことって、」
「『死んでればよかった』なんて!」
ネビルの大声に部屋の空気がびりびりと震えた。びくりと肩が跳ねて心臓が喉元近くまで迫り上がった心地になる。
「あ──あれは別に、なんでもないよ。ただスミスを説得したかったから言っただけで──」
「本気で言ってたって、僕が分からないとでも思うのか?」
声を詰まらせながら弁解するが、じろりと、さらにきつく睨まれる。有無を言わせない態度の彼に怯んで唇を噛み締めた。「ネビル」ハーマイオニーが宥めすかそうとするようにネビルの名前を呼ぶ。
「あんなのが本気だなんて、そんなわけないじゃない。考えすぎよ」
「いーや、絶対そう思ってたね」
ネビルは剛情な言い方をした。まさか、と確かめるように三人も私を見つめる。私は四対の瞳に臆しながらも笑おうとして口角を上げた。
「思ってないよ」
「だよなぁ」
「ごめんなさい、ネビルが正しかったわ」
「エレナ、どうして……」
額面通りに受け取ってくれたのはロンしかいなかった。どうして……? 信用ゼロなの?
ハーマイオニーは一瞬で寝返ったし、ハリーはショックを受けた顔をした。ロンだけが不服げに「エーッ?」と声を上げてくれる。ほんと、私も同じ気持ちだよロン。うーん、あれってそんな迂闊な発言だったかなぁ……。ここまで突っ込まれるとは思わなかった。思いもよらない展開だ。アドリブ弱いんだけどな、私。
「なにか言うことは」
「……弁解いいですか?」
挙手をすれば、ネビルが頷いた。むっつりした顔には『できるものならやってみろ』と書いてある。
「ほら、私がもし──もしだよ──死んでたらさ、まあスミスに言った通りなんだけどヴォルデモート復活の分かりやすい証明になるし、世間がここまで敵にまわることもなかったかなって」
「裁判官」
「有罪、閉廷」
「そんな!」
ハーマイオニーに促され、ネビルが厳しく判決を下した。私の嘆き声が埃っぽい法廷に響く。味方のはずのロンまでもが腑に落ちたというふうに「こりゃたしかにだめだな」と呟いた。なに納得してるのさこの裏切り者!
「ちゃんと弁護してよ!」
「無理だよ、余地ないもん」
ズバッとした一言が時間差で襲ってくる。今やない、今やないんや……。
「エレナが死んで世間の信用が得られても、僕は嬉しくない」
ハリーが静かに言った。それは、まあ、ハリーの性格ならそう言ってくれるだろうけど。
「僕たち、きみが生きててくれて本当に嬉しかったんだ。きみが目を開けたとき、信じられなかったけどそれ以上に嬉しかった。なのにエレナ本人がそれを否定するの?」
詰られるだけなら──むしろ詰られたほうがずっとマシだった。ハリーの問いかける声から悲しみとか失望とか、そういった類の感情が伝わってきて後ろめたさから視線が床へ下がる。
ハリーが口を閉じると、パブ内に元の静けさが戻った。時折奥に座る黒いベールに身を包んだ魔女が鼻をスンと啜る音だけがする。
なにも言えないでいると、ネビルが「エレナは」と小さな声を落とした。
「もし僕が同じことを言ったらどう思う?」
「同じ?」
「『死んでればよかっ──」
「え?! やだやめてよ何言ってんのネビル!」
「……ほら、そうなるだろ?」
とんでもないことを言おうとするネビルに顔がぐにゃあと歪む。怒られてるのも忘れて動揺する私に、彼は責め立てる目付きをした。「まあ“僕”は言わないけどね」ネビルは『僕』の部分をやけに強調して肩を竦める。
「でも、これで僕たちの気持ちが少しは分かっただろ?」
「……はい」
やっとなんで怒られているのか理解出来た。私は仮の話でこんなに絶望してしまったのに、実際に言われてしまったらどうなるのか。胸がズタズタに張り裂けるかもしれない。想像するだけでゾッとする。まさかネビルもこんな心地だったのだろうか。遅ばせながら考えが至り、血の気が引いていく。
青い顔になっているだろう私を見て、ネビルはやっと吊り上げていた眉を下げた。
「分かってくれたなら、良かった」
「ネビル……」
「大きい声出してごめんね」
ネビルは、きっと知らないのだろう。そう言って笑う自分の顔が今や泣きそうなものへと変わっていることに。私はようやっと、彼が怒った顔でそれを無理矢理隠していたことに気付いた。
「ごめん、ごめんなさい」
ネビルにこんな顔をさせてしまった。痛々しいその表情に自分の軽率さをますます切に感じた。首元に手を伸ばし、やんわり引き寄せて彼の背中を摩る。謝罪を繰り返していると、頭にポンと手が置かれた。
「いいよ。……でもあんなこと、もう二度と言わないって約束して」
「えっと──」
「エレナ」
「約束します」
一瞬返事に窮したが、その声の低さにネビルの胸の中で何度もこくこくと頷いた。言わない、絶対言わない。言いません。
「──まあ、ともかくエレナ。助手の件についてはそこまで気負う必要はないから」
「うん……うん?」
ハーマイオニーが急に朗らかな声で空気を変えた。……あれ、助手になること決定してない?
「ハリーの右腕として、これからよろしくね」
わ、決定してる……。ハーマイオニーの完璧な笑顔からは、もう決定を覆せるだなんて未来は到底窺えなかった。くっ……こいつには、やると言ったらやる……“スゴ味”があるッ! 黄金の精神を感じ、呻き声をあげて戦慄する。
「は──……なら、ならせめて左手程度に思ってほしいな……」
「左利きだから?」
私は完全に気圧され屈服しながらも、往生際悪くぼそぼそ零した。きょとんとしたネビルの言葉に首を横に振る。私が左手にこだわる理由はそんなんじゃない。
「左手だったら添えるだけだから」
当然意味が通じた人はいなかった。叔父さんなら理解してくれたんだろうな。先生、バスケがしたいです。
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