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 悲惨なクィディッチ試合の週末明け、朝食の席に現れたハグリッドを生徒全員が大歓迎したというわけではなかった。それはなにもみんなが森番を嫌っているからじゃない。事実ハグリッドの顔の七割を占める謎の傷を気にしている生徒は多かった。けれどその心配を上回ってハグリッドの復帰をがっかりしてしまう生徒が多かったのは、グラブリー・プランク先生の魔法生物飼育学の授業はあまりにも完璧でみんなの描く理想通りだったからだ。先生の考える面白い授業なら、誰かの頭が食いちぎられる危険性のあるようなものはない。そのことは、ハグリッド過激派のハリーでさえも認めていた。是非もないよね。

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「今日はあそこで授業をするぞ!」

 火曜日、森の端に集まった私たちにハグリッドは嬉々として言った。『あそこ』と言いながら背後の暗い木立、禁じられた森の中を振り返る。生徒たちの群れが明らかに数歩後退した。

「アイツらは血の匂いにつられて来るんだ」

 ハグリッドはにっこりしながら大きな牛の死骸を肩に担いだが、誰一人として笑い返さなかった。笑えなかった。

「今度はなにをやるつもりだろう」

 不安そうなネビルに肩を竦める。記憶通りなら心配する必要はないはずだ。けどもう自分の記憶にはあまり自信がない。去年燃やしちゃったメモには書いてあったのかな……。


 ものの十分も歩くと、木が密生して夕暮れ時のような暗い場所にでた。ハグリッドは木の陰に身を寄せて警戒する生徒たちを励ますように「集まれ集まれ」と声をかけた。

「肉のにおいに敏感だからすぐ来るはずだ……だが俺の方からも呼んでみよう」

 ハグリッドはもじゃもじゃ頭を振って、髪の毛を顔から払い除け、奇妙な叫び声を二度、三度と発した。その怪鳥のような甲高い声がこだまし切った頃、イチイの木の間の暗がりから翼のある大きな黒い骨ばった馬が現れる。私は記憶通りなことに安堵した。セストラルなら胴と頭がサヨナラしてしまう心配はいらないだろう、多分。

「ほれ、もう一頭来たぞ!」

 ハグリッドは自慢げに言ったが、ほとんどの生徒は当惑した表情であたりをきょろきょろしている。周囲から「どこだよ」「アッあれ……じゃないな」というざわめきが聞こえた。そんなことをしている合間にも、セストラルは一頭、また一頭と数が増えていく。セストラルたちはなめし革のような翼を畳みこんで胴体にくっつけ、こぞって肉に頭を突っ込んでいた。

「さーて……手を挙げてみろや。こいつらが見える者は?」

 ハグリッドの呼びかけで手を挙げたのは私含め三人だけだ。ネビルと、スリザリンのセオドール・ノット。ハリーはやっぱりだめか。

「おお、ネビルとエレナか。そんで、ああ、ノットも──」
「なにが見えるって言うんだよ?」

 いらいらとしたドラコからの質問を答えるかわりに、ハグリッドは地面に落とされた牛の死骸を指差した。クラス中がそこに注目し、何人かが息を呑み、パーバティが悲鳴をあげる。

「なにがいるの?」

 パーバティは後退りながら震え声で「なにが食べているの?」と尋ねた。彼女たちからしたら肉が骨から勝手にはがれて空中に消えていくのだから薄気味悪く感じて当然だ。というか見えてても普通に怖いし。でも捕食シーンに可愛さが見い出せないのは肉食動物の運命だ、仕方ない。

「セストラルだ。そんじゃ、誰か知っとる者はいるか? どうして見える者と見えない者がおるのか──ハーマイオニー?」
「セストラルを見ることができるのは死を見たことがある者だけです」
「その通り、グリフィンドールに十点。さーて、セストラルは──」
「ェヘン、ェヘン」

 誰もが『来たぞ』と音の出処を探して辺りを見渡した。アンブリッジが私たちが来た方向に緑の帽子とマントを着て、クリップボードを待って立っている。みんなちょこまかハグリッドの方に歩いていくアンブリッジを見ていたが、ハグリッドだけは違った。近くのセストラルを心配そうに見ている。変な音をだしたのはそれだと思ったらしい。天然ってすげえ。もう一度間近で空咳をされ、ハグリッドはやっと音の正体に気付いた。

「おう、やあ!」
「今朝、あなたの小屋に送ったメモは、受け取りましたか? あなたの授業を査察しますと書きましたが?」
「ああ、うん。この場所が分かってよかった!」

 ハグリッドは負い目を感じさせず笑う。朗らかだった。査察くるの分かってて待ってなかったんだ……。つよい、天然しか勝たん。

「見てのとおり、──はて、どうかな──見えるか? 今日はセストラルをやっちょる!」
「え? 何? なんて言いました?」

 嫌味たらしく聞き返すアンブリッジにハグリッドは戸惑った顔をした。手をパタパタ大きく動かして、「おっきな、あー、翼のある馬だ!」と説明する。アンブリッジは感謝の一つも示すことなく、ブツブツ言いながらクリップボードに書きつけた。

「原始的な身振りによる……言葉に頼らなければ……ならない……」
「さて、とにかく……、む……俺はなにを言いかけてた?」
「記憶力が弱く……直前のことも覚えていない……」

 今ほど、今ほど無言呪文が使えていればと思ったことはない。シレンシオしてやるのに。ワンチャンかけてやってみようかな。そう杖を取ろうとしたらネビルに腕を掴まれてて取れなかった。

「あっそうだ、俺が言おうとしてたのはどうして群れを飼うようになったかだ。最初は雄一頭雌五頭ではじめた。こいつは──」

 クリップボードを見ないようにしながら、ハグリッドは一番最初に寄ってきたセストラルを優しく叩いた。

「テネブルスって名で、俺が特別可愛がってるやつだ。この森で生まれた最初の一頭だ──」
「ご存知かしら、魔法省はセストラルを『危険生物』に分類しているのですが?」

 パンジー・パーキンソンが顔を輝かせた。愉快そうにドラコを小突いている。ドラコは彼女に向けて曖昧に口元を緩ませつつも、ハグリッドをどこかハラハラとした様子で見ていた。当のハグリッドは「セストラルが危険なものか!」とおおらかに笑っている。

「そりゃ、散々嫌がらせすれば噛みつくかもしれんが──」
「暴力の行使を……楽しむ傾向が見られる……」

 アンブリッジの独り言に、「そりゃ違うぞ!」と弁解しながらハグリッドは少し心配そうな顔付きになった。バックビークのことを思い出しているのかもしれない。

「セストラルは死とかなんとかで悪い評判が立っとるだけだ──こいつらが不吉だと思い込んどるだけだろうが? 分かっちゃいなかったんだ、そうだろう?」

 ハグリッドの言うことは最もだ。というかそれならボウトラックルだって同じくらい危険でしょ、目玉をくり抜いてくるんだから。
 しかしアンブリッジはハグリッドの真っ当すぎる言い分を都合よく無視した。メモを書き終えてハグリッドを見上げ、「授業を普段どおり続けてください」と大きなゆっくり声で話しかける。

「わたくしは歩いて見回ります」

 アンブリッジはハグリッドには身振り手振りをしなければ言葉が通じないと思っているようだった。意味が分かるかしら、と小首を傾げながら滑稽に歩く仕草をしてみせる。続けて「生徒さんの間をね」とクラスの一人一人を指差した。指差すなゴラァ。

「むむむ……とにかくだ、セストラルだ。こいつらには色々ええとこがある──」
「どうかしら、あなた」

 アンブリッジは声を殺して笑いこけていたパーキンソンに近付くと、声を響かせた。

「ハグリッド先生が話していること、理解できるかしら」
「いいえ」

 パーキンソンは笑いすぎで涙を浮かべていた。「だってあの……話し方が……いつも唸ってるみたいで……」ヒィヒィ喘ぐパーキンソンの言葉をアンブリッジがクリップボードに走り書きする。いや笑いすぎでそっちのがなにを言ってるのか理解できないんだが? 

 ハグリッドの怪我をしていない僅かな部分が赤くなる。それでも彼は、パーキンソンの声が聞こえないように振る舞いながら声を張り上げた。

「セストラルのええとこだが、えーと、ここの群れみてえに一旦飼い慣らされると、みんなもう絶対道に迷うことはねえぞ。方向感覚は抜群だ。どこへ行きてえってこいつらに言うだけでええ──」
「もちろん、あんたの言うことが分かればの話だろ?」

 クラッブの大声にパーキンソンがまた発作的にクスクス笑いをした。えっどうしたのクラッブ。そんなキャラだったっけ。大丈夫? シレンシオする? だめだまだ腕掴まれてる……。
 茶々をいれた彼らに向けて寛大に微笑みながら、アンブリッジが今度は私とネビルの方へと近寄ってくる。

「セストラルが見えるのね、二人とも?」

 ぶすくれる私の代わりにネビルが頷く。けばけばしいピンクの唇がにんまりと吊り上がった。

「誰が死ぬところを見たの?」
「えっと……僕の──」
「なんであなたにそんなこと答えなきゃいけないんですか?」

 苛立ちのまま、おずおず答えようとするネビルの声を遮る。みんなの視線が突き刺さるのを感じた。

 あー、悔しい、反応しないようにと思ったのに。でも仕方ないよ。だってこいつがムカつくこというから。神経を逆撫でする無神経な口調に、お前に関係ないだろという気持ちが一瞬で沸騰してしまった。薄々思ってはいたけど、私ってもしかしてハリーやレベッカを笑えないレベルで短気なのかもしれない。やだ、ショック……。
 
 森の奥の方から、バサバサと鳥が羽ばたく音がした。烏がカアカア鳴いている。「簡単なことです」アンブリッジはぬけぬけと答えた。ネビルから視線を外し、しっかりと私を見て『理解できるかしらお嬢ちゃん』と困ったような笑顔を浮かべている。わ、腹立つ〜なにこの怒りを煽る天才。

「わたくしは先生で、あなたは生徒だからですよ。さ、教えてちょうだい」
「言いたくありません」
「話せないということは、なにか疚しい事情でもあるのかしら?」
「言いたくありません」
「……もう一度だけ聞きましょう、ミス・ワイアット。あなたは、誰が死ぬところを見たの?」

 アンブリッジは薄っぺらい笑顔を取り払い、最終通告だというように静かに聞いた。口を固く結び、鼻を膨らませている。分かりやすい危険信号だ。鼻で笑いたくなる衝動をぐっと堪えた。簡単にこんな顔しちゃうくせしてこれまでやってこれたって、この人の世界どれだけ小さいの?

 私は苛立ちを隠そうともしない目の前の幼稚な女を見据えて、慇懃に、それからはっきりとした嫌悪と軽蔑を織り交ぜて微笑む。笑顔には定評があるのだ──主にロンからの。

「言いたくありません」
「──よろしい。グリフィンドール十点減点。罰則です、ミス・ワイアット」




「エレナ、さっきはどうしてあんなに拒否したの?」
「“どうして”だって?」

 授業終わり、ネビルが眉を下げてそんなことを訊ねてくる。流れで先程のことを思い出してついムッと顔が歪んだ。いいよね、もういないし。ね、ね? 周囲にあの不快な物体がないことを確認してから、私は大きく息を吸った。

「そんなの、あいつがウザすぎたからに決まってんじゃん!」
「ウザ、え?」
「だってあのガマが私たちを嘲弄の的にしようとしていたのは顕然としてたし! なんで私たちがあいつの慰み者にならなきゃいけないの? 『生徒』だから? だからなんなのそれほんとにきっしょいんだが!」
「ガ、ガマ……」

 呆然としたネビルの声にハッとする。たまたま近くを歩いていたいつもの三人組が、ロンを筆頭にドン引きした顔でこちらを見ていた。間近であられもない愚痴をぶつけられたネビルも当然困り切っている。いやそれはそう、ごめん。いけないね、怒りに呑まれて周囲への注意が疎かになっていた。今の、教育上大変よろしくなかった。年長者としてもっと品行方正に淑女らしく振る舞わなくては。手を扇に見立てて口元を隠し、にこっと微笑む。

「許せないと思いませんこと?」
「ほら、ほら! ニコニコしてるよアイツ! こわっ!」

 ダメだった。こうかは ないようだ。その反応傷付くっていうか、なんか年々失礼さが増してる気がする。ほんとに怖いと思ってる? 実は面白がってない?
 過剰に怯えるロンを華麗に無視して、ハーマイオニーが「でも」と心配を含ませた声をあげる。

「あんなにカッとなっちゃいけなかったわ。罰則ってきっとハリーのと同じやつよ」

 彼女の言葉に合わせてハリーが手の甲を私に見せつけた。傷自体は癒えてるようだけど、跡としては残ってしまっているようだ。『僕は嘘をついてはいけない』と、はっきり読み取れてしまうほどに。罪悪感で胸がチクチクする。間に合わなくてごめんという後悔に蝕まれつつも、私は「大丈夫」と拳を強く握り締めた。

「それについては安心して。もう二度とそんなことさせないから」
「なにか策があるの?」

 みんな不思議がったけれど、私は意味深に笑うだけにとどめた。一応まだ社外秘なので。今日の結果次第では公表できるけど。


 少し遅くなったけど、これに関しては対策なら練ってあるのだ。それに初回授業で声をかけられたとき、遅かれ早かれ私に接触してくるだろうということは想定していたし。来ると分かってて備えないほど間抜けじゃない。いやそんなこと言って別に毎回備えられてるのかと言われたらそうでもないけど……。

「モーマンタイ、よ!」

 とにかく、今回に限っては堂々受けて立つ準備は万端だ。覚悟はいいか? 俺はできてる。みてろアンブリッジ、やったらぁよ!

 グッと親指を立てて意気込む私に、ネビルたちはなぜか不安そうに顔を見合わせていた。




 夕食後、四階のアンブリッジの部屋の扉をノックする。「お入りなさい」と甘ったるい声がした。少しわくわくしながら扉を開き、私は思わず感嘆のため息を吐いた。

「(だって“観た”とおり!)」

 壁や机は、ゆったりひだを取った薄いピンクのレースカバーや布で覆われていた。ドライフラワーをたっぷり生けた花瓶が数個、その下にはそれぞれかわいい花瓶敷。一方の壁には首にリボンを結んだ子猫が描かれた飾り皿がたくさん並べられている。

「(この人、絶対ドールハウスすき)」

 しげしげと部屋を見回しつつ勝手なことを考える。部屋の片隅では、アンブリッジが花柄のローブを着て、それが溶け込むテーブルクロスをかけた机の前に座っていた。顔だけが浮いているように見える。パッと見完全に生首だな、と思いながら私は口を開いた。

「こんばんは、アンブリッジ先生」
「こんばんは、ミス・ワイアット。さあ、お座りなさい」

 アンブリッジは立ち上がってレースのかかった小さなテーブルを指差した。机の上には羊皮紙が一枚用意されている。

「あなたもきっと書き取りの罰則がふさわしいでしょう。さあ、わたくしの特別な羽根ペンを貸してあげますからね」
「自分のありますけど」
「だめだめ、これを使って! それで、そうね──」

 アンブリッジは、異常に鋭いペン先のついた黒い羽根ペンを私の手に握らせながら、わざとらしく考える素振りをみせた。

「『今後は立場を弁えます』と、その身に染み込むまでたっぷり書いてちょうだい」
「……インクがありません」
「インクはいらないの」

 アンブリッジは堪えきれず吹き出すように、言葉の最後に小さな笑いを零した。楽しそうでなによりですよ先生。ほんと倒錯してんな〜趣味嗜好が。何食べて生きてきたらこんな罰則思い付いちゃうんだろ。教えてほしい、食べないようにするから。

 私は鞄を机の脇に置き、椅子に浅く腰掛けた。渡された羽根ペンを紙の上で動かせば、赤いインキで書かれたような文字がてらてらと羊皮紙に現れるのと同時に右手の甲が光りだす。浮かび上がった傷に、つい手を止めて口内をきつく噛む。そうでもしないと口元が弧を描いてしまいそうだった。

「どうかした?」
「いいえ」

 こちらの反応を楽しもうとしているアンブリッジに、私は何事もなかったように書き取りを再開した。



「こっちへいらっしゃい」

 窓の外がとっぷりと暗くなった頃、アンブリッジに呼ばれて立ち上がる。手を見せろと促され、ずんぐり太った手が伸びてくる。いくつも嵌められたゴテゴテした指輪に、趣味合わないな、やっぱりとぼんやり考えた。

「、……」
「まだまだのようね?」

 アンブリッジが表面ばかりは残念そうに手の甲の文字列を撫でた。反射的に体が強ばって、緊張で僅かに息が詰まる。

「明日の夜もいらっしゃい。今日は帰ってもよろしい」
「分かりました」

 私の動揺を気取ることができなかったアンブリッジは、にたにたと満足気に笑った。彼女の様子につい内心でほくそ笑んでしまう。私は極力従順に、殊勝に聞こえるよう心がけて返事をした。
 

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