42



 グリフィンドールの寮は双子がいなくなったことで、なんだかとても静かになった。人数だけでいえばたった二人なのにね。不思議とすごく寂しい気分だ。

「シリウスに?」
「そうなの、どうしても会わなきゃいけないって」

 夜、ラベンダーたちがまだいない二人きりの寝室でハーマイオニーが顔を顰めて教えてくれる。フレジョが沼地で遊んでいる間、ハリーがアンブリッジの暖炉に忍び込んでいたらしい。「理由は教えてくれなかったけど」ハーマイオニーはクッションをぎゅっと抱き締めた。

「もし見つかってたらと思うと、ゾッとするわ」
「今日アンブリッジの機嫌最悪だったしね」
「ハリー、少し自暴自棄になってる気がする……もうこんな無茶しないといいけど」

 ハーマイオニーは心配そうに瞳を揺らした。
 こんな無茶、なんともう一回あるんですよね。ハーマイオニーはこんなに心配してるのに。可哀想……。
 ていうかなんで今シリウスに会いたくなるんだっけ。そう思ったタイミングでハーマイオニーが「スネイプも閉心術やめるっていうし」とぶつくさ言った。なるほど、憂いの篩。裏切りのペンシーブ事件。見ちゃったんだ。親友にあんまり言いたくないよね、自分の父親が実はヤンチャ“すぎた”なんて。

「エレナ、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「それでロンったら──」

 キッと睨まれたのでハーマイオニーの声に意識を戻す。ハリーもロンも自由だからハーマイオニーは心労が絶えないんだろう。私は止まりそうにない愚痴に大人しく耳を傾けた。

###

 さて翌日、二時になる十分前。
 私は散々扉の前をうろちょろとして悩んだ末、おそるおそる先生の書斎をノックをした。「お入りなさい」という声に扉を開ける。

「(うわいる……)」

 部屋の隅にピンクの座敷わらしが……。どうも今日はガマからエリマキトカゲにジョブチェンジしているらしい。大きなフリルを首に巻き付けたアンブリッジは、薄気味悪い作り笑いを顔面に貼り付けていた。

「おかけなさい、ワイアット」

 アンブリッジに背を向けて腰掛ける。話す間私からはやつの顔が見えないの、すごくありがたいな。

「この面接ではあなたの進路について話します。六年目、七年目でどの科目を継続するか決める指導のためです。卒業後の進路は決めていますか?」
「その……あまり考えたことがなくて」

 顔を伏せて正直に打ち明けると、マクゴナガル先生は少し意外そうに目を大きくさせて、「ふむ」と呟いた。がっかりされてるのかな、いやされてるに違いない。背後から聞こえる羽根ペンがカリカリ走る音もなんだか落ち着かなくてそわそわする。
 先生が「あなたの成績は──」と言いながら用意していたファイルから黒い細身の冊子を取り出した。

「そうですね、全科目を平均して『E・期待以上』つまり『良』を大幅に上回る成績です──魔法史は苦手のようですが──しかしこの調子で努力を続けていれば、どの教科であれあなたはN・E・W・Tも問題なくパスできるでしょう。聞いていますか?」
「はい、聞いてます」

 厳しく見咎められ、慌てて返事をする。いまもしかして褒められた? なんかそう聞こえた気が……気のせいか。

「この成績であれば、『闇祓い』といったような職業を目指すのも一つの手でしょうね」

 斜め後ろから何か言いたそうな咳払いが聞こえた。マクゴナガル先生は慣れきった様子で無視して「あなたの叔父様と同じ職業です」と補足してくれる。

「あなたは『闇祓い』をどう考えていますか?」
「……叔父には向いてないと言われました。私もそう思っています」
「それはなぜ?」
「私は、あまりその──正しい判断ができないので」

 鼻につく笑い声が聞こえた。そういえば私、書き取りの罰則経験者なんだった。全然身に染みてないから忘れてたのに、意図せずして染みてるような答えを言ってしまった。

「判断というものは経験によって培われていくものです」

 マクゴナガル先生は素っ気なく聞こえるくらいの調子で言い切った。昨日のセドリックと同じことを言っている。

「それに、あなたには充分その素質が備わっていると思います」
「けれどその子には大きな障害があるのではありませんか、ミネルバ」

 座敷わらしがとうとう咳なしで喋りだした。それコンプラ違反じゃない? 
 同じことを思ったのか、マクゴナガル先生も眉を少し寄せて「なんの話しです、ドローレス」と目を細めた。

「魔法省は──先日も申し上げましたけれど──犯罪歴はもちろんのこと、出生に関しても調査いたしますのよ」
「それがなんだというのですか? この子の過去にいったいどんな障害があると?」

 アンブリッジは明確には答えず甲高く笑う。マクゴナガル先生の眉間のシワが濃くなり、不愉快そうに歪んだ。あ──……マグルだから? そっか、まあどうせ私が大人になるころにアンブリッジは魔法省にいないんだから関係ないけどね。
 険悪になった空気を変えるために、私は「気になってる職業はあるんです」と先生を見た。先生は「言ってごらんなさい」と少し表情を緩める。

「マグル関係の仕事とかどうかなって」

 先生は「なるほど」と言って机の上に散らばっている案内書をいくつか手に取った。下の方から先日見かけた小冊子がでてくる。

「マグルと連携していくにあたっては、そうたくさんの資格は必要とされません。しかしいくらあなたがマグル生まれだとしても、こういった仕事に就くためにはマグル学のO・W・Lは必須になります。あなたはマグル学を受講したことはありませんね?」
「はい。本当に最近になって気になりだしたので……」

 お母さんに魔法界への理解を示してもらえたらな、なんていうところから興味がでた。ウワー、我ながらふわっとしすぎ。引くわ。しかも先生にどんどん計画性のなさが露呈していく。上っ面優等生だったのがバレる。恥ずかしくて肩身が狭い。いっそ消えたい、消してくれ。
 先生は何冊か本をパラパラし、やがてひとつのページを開いて私に向けた。

「マグル学予備試験というものがあります。O・W・L合格者と同等の学識を有しているか判定する試験です」
「どこでいつ受験できるんですか?」
「各地に会場があり、年に二度行われています。去年のうち一度はホグズミードで行われました」

 先生は冊子を閉じて私に渡す。「差し上げます」と言って、机の上で両手を重ねた。

「マグルと関わる仕事はそう希望者が多くはありません。ですから挑戦する機会は多くありますし、志すにあたって敷居は低いでしょう。しかし慢心はしないように。マグル学のチャリティ・バーベッジ先生にお話を聞きに行くのもいいと思いますよ」
「分かりました」

 参考書とか過去問とかあるか聞いてみよう。冊子を抱きしめる私に、マクゴナガル先生は口元をちょっと動かし、笑顔と思しきものを見せた。

 立ち上がって後ろをむく。気に食わないといった顔付きでアンブリッジがこちらを見ていた。あ、まだいたんだ。



 
「忍びの地図貸してくーださいっ」
「……いつもなにしてるの?」

 その日の夜、キャピりながら両手の平をハリーにむけると、彼はとうとう疑問を口にした。一回や二回じゃないもんね、こうも定期的にやり取りしてればそりゃあ気になるはずだ。

「(申し訳ないけどハリーには教えられないんだよなぁ)」
「DAだってバレて危ういことになったんだから、あんまり危険なことしちゃだめだよ」
「……なんか、それハリーに言われるのちょっと……」
「ちょっと、なんだよ?」

 心外だなあって。ちょっとっていうかかなり。ついこの前のことを忘れたのかと言わんばかりにハーマイオニーがうしろからハリーをじっとり睨んでいる。彼女は大きく息を吐き、ハリーが後ろ手で持っていた忍びの地図をパッと抜き取った。ハリーは「あっ!」と振り向いてハーマイオニーに気付く。取り返そうと手を伸ばしたが、それより先にハーマイオニーが地図を私へとパスした。

「なにするんだよ!」
「大丈夫よ、そんな危険なことはないはずだから」
「どんな根拠があってそんなこと──」
「それよりハリー、魔法薬学のレポートは終わったの? 今なら気分がいいから書き出しだけ手伝ってあげるけど」

 ハリーがものすごい速さで鞄を取りに男子寮へ走っていった。ハーマイオニーの『書き出しだけ手伝う』や『確認』は宿題の八割を終わらせてくれるのと同義だからだ。
 ハーマイオニーが男子寮の方を見ながら「調子がいいんだから」と呟き、私の方に向き直る。

「じゃ、気を付けて。くれぐれもアンブリッジに見つからないようにね」
「……うん、いってきます」

 何も聞かれないことをありがたく思いながら、私は肖像画の穴を這い出て羊皮紙を開いた。片手で杖を羊皮紙の真ん中にトンと置く。

「我、よからぬことを企む者なり──」



 教室に入り、机に浅く腰掛ける姿を見て双眸を見開く。いるのは知ってたけど、正直地図の間違いかと思っていた。

「来ないかと思ってた」
「……そっちこそ」

 驚いている私に、ドラコは少し気まずげに返した。怒ってはなさそう。机から体を離して佇まいをなおす彼に、内心で胸を撫でおろした。

 今日はDAバレ後初めての集まりだった。あの日もなあなあで微妙な別れ方をしたし、そもそもあれ以降ろくに話していなかった。それにしばらくは私の顔なんて見たくないかなって思ってたけど……。そっか、来てくれたんだ。

 ドラコはトッと机から降りて軽い靴音を鳴らすと、「遅かったな」と私を見た。その胸には親衛隊の証であるクソダサピンズが光っている。周りに怪しまれることもなくちゃんと信頼されてるってことだし任命されてよかった……のかな。なんか複雑。それダサいんだもん。

「ごめん、ちょっと色々と。……あの、ドラコ」
「いい、何も言うな」

 矛盾していたけどうそをついたつもりはなかった。
 そんな言い訳しようと口を開いたが、強い口調で止められた。

「お前が僕の立場を考えて何も言わなかったのは理解してる。それにあの会について話した奴はひどい目にあうらしいし──僕に話すことなんてできなかったよな。悪かった」

 彼は悔いるように顔を顰める。思わず「でも」という宥める色を含んだ否定が口をついてでた。

「心配してくれたのは嬉しかったよ」

 ドラコは心配していたからあんなに怒っていたのだろう。あのときは怖かったけれど、あとから落ち着けば怒りの理由もちゃんと考えられた。怒りは二次感情!
 ドラコは私の説明に目を瞬かせて、「そうか」とほんのり眉尻を下げた。まだどこか不安そうにも見えるその顔に、私は静かに覚悟を固めた。

 ドラコにはたくさん心配をかけてしまった。それは今年だけの話じゃない。バジリスクのときも、ボガートのときも。それに去年の件もだ。

 やさしい彼をもう二度不安な気持ちにさせないために、私は強くならなきゃいけない。

 もっとたくさん勉強して、もっと呪文も練習して、そうしてドラコに安心してもらえるように。

 私のことで不安に思うことなんてないんだよと。私を心配する必要なんてないから大丈夫だよと。


 そう自信をもってドラコに言えるくらい強くなろう。


 喋らなくなった私に、ドラコがどうかしたのかと目で問うてくる。私は緩く微笑みながらなんでもないと首を振った。とりあえず筋トレしよう。全力で抵抗しようとしたのにビクともしなかったのは、正直悔しかったし。

「そういえば面談やった?」
「ああ、昨日な」
「そっか。私、マグル関係の仕事したくてさ……ドラコは? やっぱりクィディッチの選手を目指すの?」
「嫌味か? 僕はお前らに勝てたことだって──……」

 皮肉げに上がっていた口角からゆっくりと力が抜けていく。ドラコは声を途絶えさせながら、瞬きとともに視線を床へ落とした。黙ってしまったことに戸惑って呼びかけるが、彼は思考に耽っているのか反応は返ってこない。
 やがて考えが纏まったのか、ドラコが顔をあげる。向けられた眼差しは、誰か知らない人を見るような疑心を孕んでいた。

「どうして僕がクィディッチ選手になりたかったことを知ってるんだ?」
「え?」
「お前に話したことないだろ?」

 ザァッと血の気が引き、自分の体が急に重く感じた。そうだ、聞いたのは昔のドラコからだ。だめだ、早くなにか喋らなきゃ。焦燥感に駆られて「そうだっけ」と首を傾げる。

「ああ、将来の話も今日が初めてだ」
「でもどこかで聞いたと思うんだけど……」

 顔を逸らし、顎に握った手を寄せて考え込む振りをする。目をつぶり、うーん、なんてわざとらしく唸って、それから「あっ」と声を上げた。

「ごめんこれハリーだ、ハリーの話だった!」
「はあ?! お前、よりにもよって」

 コイツという怒りの表情にごめんねと軽く笑いながら髪の結び目をいじる。
 疲れた溜息のあと、ドラコは「その話で思い出したんだが」と真面目な顔をした。

「え、ハリー?」
「違う。将来のことだ──ほら、もうすぐO・W・Lだろ? だから集まるのはこれで最後にしないか?」
「あっそれ、私も言おうと思ってたの。ドラコももう完璧だし今日で終わりでもいいかなって」
「……まあ、そもそもこんな魔法出来たところで──」

 ドラコは無機質にそう言いかけてハッと口を噤む。緊張したその顔をじっと見つめると、彼は逃げるように顔を逸らした。

「……悪い、忘れてくれ」

 返事をした、つもりだったがしっかり声がでなかった。仕切り直すように大きく息を吸って「じゃあ!」と改めて声を上げる。

「今日は特にみっちりやらなきゃね、最後だし!」
「もうチョコレート飽きてきたんだが」

 糖分ならなんでもよくないか? と言いながらドラコはなにか用意してきたのかポケットをまさぐった。次から次へとお菓子がでてくる。どれだけ持ってきてるの。

「えー……テオブロミン入ってるやつある?」
「テオ……多分全部入ってる」
「……そんなにチョコレートやだ?」
「夢にでてくるほど」

 真剣なドラコに笑う。しかし並べられたお菓子を手に取りながらも私の心中は穏やかじゃなかった。

「(ドラコはこの呪文をどうでもいいものだと思っているんだ)」
 
 練習している最中も、そんな考えが頭から離れなかった。
 

- 143 -
 ←前 次→
 back
 >>HOME