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 とはいっても。ノー勉でO・W・L様に挑むほど私は愚かでも図太くもない。だって二週間だよ。午前は理論試験で午後は実技試験。これを繰り返し九日。やばくない? いや本当に頭おかしい。その上毎日結果がボロボロとかなったらもうまじで気が狂っちゃう。
 そんなわけで、自分へのメンタルケアのためにもテスト準備は必要だった。

「ドーニデモナレェエドーニデモナレー……」

 しかし試験が前日まで迫れば、もはや同級生のほとんどの気が狂いだしていた。
 明日のテストである呪文学のノートを読み返しながらディーンが日本語の歌を慣れた調子で口ずさんでいた。それに合わせてシェーマスも無意識の内にか足を小刻みに動かしている。最近ずっと五年生が歌っている歌だ。ネビルが『基本呪文集』から顔をあげて少し首を傾げながらディーンを見る。

「アレ、なんて言ってるんだっけ」
「……“前だけ向いておこう”みたいな」
「前向きだけど、なんだかちょっとやけっぱちな意味よね」

 ハーマイオニーはかなりうんざりした表情だった。最近グリフィンドール生がこのフレーズをひっきりなしに繰り返しているから、それが煩わしくてピリピリしているのだ。彼女からじろりと恨みがましい視線が突き刺さる。小言まで飛ばされてはたまらないと、私は急いで呪文学の教科書へ顔を隠した。
 言うまでもなく、この歌を流行らせたのは私だった。耳に残るよね、このリズム。


 そんな試験前最後の夜の夕食は、誰も彼も勉強のし過ぎで疲れきった顔をしていた。
 私もみんなと同様疲れてはいたけど、一日中勉強していたから、食事だけは無理やりにでも胃に詰め込むようにしてしっかりとった。試験期間限定メニューのシロップ漬けドーナツを小さく切り分けて口に運ぶ。相変わらず脳が痺れるくらい甘い。一欠片でインドゾウも気絶するレベル。今回も一個ですら食べ切れる気がしない。グラブジャムン・チャレンジまたしても失敗。

 ハーマイオニーが突然ガチャンとフォークを落とした。玄関ホールのほうを打ちひしがれた顔で見つめている。

「ああ、どうしよう。あの人たちかしら? 試験官かしら?」
「近くに行ってもっとよく見ようか?」

 ロンの言葉にハリーとハーマイオニーが立ち上がり、玄関ホールへとこそこそ歩いていった。向かった先には、大広間につながる扉を通して、アンブリッジとそのそばに立っている老いた魔法使いたちの集団がいる。アンブリッジは珍しく緊張していて、いつもより笑顔が硬かった。そんな感情あったんだ。

「あ、マーチバンクス先生だ」
「お祖母様のお友達の。挨拶してくるの?」
「しないよ」

 ネビルがとんでもないとおっかなそうに身を震わせる。彼はブンブン首を振ると、グラブジャムンを三個一気に口に放り込み、その甘さに激しく噎せた。

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 私とネビルは話し合った結果、試験の存在を終わった先からなかったものとすることにした。答え合わせとか頭痛くなるだけだからね。前だけ向いておこうね。

 そんなふうに毎日記憶を消して生活していれば、気が付くと試験も残り二つとなっていた。

「それでは、はじめ」

 マーチバンクス教授の合図でみんな一斉に望遠鏡を覗く。「天文学」の試験は星座図を書き写さなければいけないので夜中に行われるのだ。天文学は苦手じゃない。望遠鏡と星座図を交互に確認して手早く書き込んでいく。思ってたほどの難問はなさそう。この調子ならすぐ終わるだろうな。

 そんな予想通り星座図を埋め終わるのはあっという間だった。おかげで終了時間まではまだかなり余裕がある。私は手持ち無沙汰に望遠鏡を覗いて雲一つない夜空を眺める。あれがデネブアルタイルベガ。君が指さす夏の大三角。

 疲れて望遠鏡を置いたタイミングで、真っ暗だった校庭に突然一筋の光が射し込む。正面玄関の扉が開いたらしい。五、六人の影が伸びていた。

 私は校庭へと目を凝らす。集団の先頭を居丈高に歩くあの人間は恐らくアンブリッジだ。こんな夜中に人を引き連れて一体どこに。そんな疑問が浮かぶ間にも、奴らは迷うことなく校庭を横切っていく。その先にあるのは、禁じられた森と──

「あっ」

 思わず小さく声を上げると、背後でトフティ教授が咳払いをした。慌てて視線を校庭から無理やり剥がし、星座図へ顔を戻す。しかし当然、もう見直しなんてとっくに終わっていた。
 そのとき、大型犬の吠える声が静かな夜闇を伝って耳鳴りのようにわぁんと響いてくる。音につられて視線を戻すと、ハグリッドの小屋に明かりがつき、扉が開いたところだった。アンブリッジたちが小屋の敷居を跨ぎ、ハグリッドの小屋へと押し入っていく。

「みなさん、気持ちを集中させるんじゃよ」

 トフティ先生が優しく言う。みんなが星座図へ体を戻すのを見ながら、「あと二十分」と告げた。意味もなく握っていた羽根ペンが震えて星座図に染みを作る。私はこれから何が起こるかを思い出しつつあった。

 バーンという大音響が鳴る。それからすぐに小屋の扉が勢いよく開き、ハグリッドとファングが飛び出した。漏れ出た部屋の明かりを遮って、五人の魔法使いが彼らへと杖を向けているのが見える。赤い閃光が一気に発射され、ハグリッドの体へと真っ直ぐ吸い込まれていく。しかしそれらはひとつ残らず跳ね返った。

「やめて!」
「慎みなさい!」

 ハーマイオニーの嘆き声をトフティ教授が咎めた。しかし今や教授たちの言うことなど誰も聞いていない。全員がハグリッドたちを見つめていた。

「おとなしくするんだ、ハグリッド!」
「おとなしくがくそくらえだ。ドーリッシュ、こんなことで俺は捕まらんぞ!」

 ハグリッドを守ろうと動き回っていたファングが光線の一つに当たる。ファングはビクンと一度体を跳ねさせて地面へ倒れた。ハグリッドが恐ろしい雄叫びをあげ、ファングを失神させた犯人に掴みかかる。その身体を持ち上げて振り回すと、魔法使いは数メートル先の大木に体を打ち付け、そのままぐったりと動かなくなった。

 私たちはおおらかで優しいハグリッドしか見たことがなかった。みんなが恐怖で黙りこくる中、パーバティが「見て!」と正面扉を指差す。誰かがハグリッドの元へ疾走していた。

「ほれ、ほれ! あと十六分しかないのですぞ……」
「──なんということを!」
「マクゴナガル先生だわ!」

 トフティ教授が気を揉んだが誰も気にしない。ハーマイオニーですら、もう羽根ペンを机に置き、窓から身を乗り出していた。
 マクゴナガル先生は閃光が飛び交っているのも気にせず近付いていく。「おやめなさい、やめるんです!」先生は声を枯らして叫んだ。

「なんの理由があって攻撃するのです? 何もしていないのに、こんな仕打ちを──」

 怒りと困惑で満ちた、それでも毅然としていた声がぷつりと途絶え、冷たい夜の中へと消えていく。赤い光線が四本、マクゴナガル先生の胸に突き刺さった。
 何人もの女子生徒が悲鳴をあげ、私も息を呑んだ。赤い光が余韻を残す中、マクゴナガル先生はばったりと仰向けに地面へ倒れ込む。

「不意打ちだ! けしからん仕業だ!」
「卑怯者!」

 試験のことなどすっかり忘れたトフティ教授が怒り心頭で声を荒げる。それよりもずっと大きなハグリッドの声が空気をびりびりと震撼させた。塔のてっぺんまで轟いた声に、城中の明かりがぽつぽつと灯り始める。

「とんでもねえ卑怯者め──これでも食らえ──これでもか──!」
「捕まえなさい、捕まえろ!」

 ハグリッドが近くにいた二人の魔法使いを引っ掴み、めちゃくちゃに殴る。あっという間に二人はくしゃりと崩れた。アンブリッジはただ一人安全圏から叫んだが、残った仲間の一人はハグリッドの拳の範囲に近付くことを恐れているらしく、動こうとしない。
 敵を完全に戦意喪失させたハグリッドは、肩にファングを背負う。そして追ってきたアンブリッジの失神呪文を避けながら、全速力で遠くの校門まで走り、闇の中へと姿を紛れさせた。
 
「うむ……みなさん、あと五分ですぞ」

 たった今巻き起こった怒涛の出来事に、全員が呆然とする。トフティ教授は元気のなくした声のまま、なんとか試験官としての役割をこなそうとしていた。


 試験が終わり、望遠鏡をケースにしまい、螺旋階段を下りていく。生徒たちのほとんどは誰も寮に戻らず、階段の踊り場でいま見たことを興奮して大声で話し合っていた。話している生徒は大体緑や黄色、青色のネクタイをしている。いいよね、他人事で。アンブリッジの卑劣さを目の当たりにして、私の神経はささくれだっていた。

「マクゴナガル先生、どうなるんだろう」
「誰かが城へ運んで行ってた。マダム・ポンフリーならきっと、きっと……」

 ネビルの萎れた声に答えはしたが、最後まで言い切れなかった。“結果的”には大丈夫なことは分かっている。でもだからって穏やかでいられるわけない。怒りで逆に体温が冷えていた。手先が震える。

「ハグリッドにぶつかった呪文、全部跳ね返ってたように見えたな」
「多分巨人の血がはいってるからだ」

 もう日付が変わっているというのに、談話室は人で溢れかえっている。先程の話でもちきりだった。

「だけど、どうしていまハグリッドをクビにするの?」
「アンブリッジは半ヒトを憎んでるわ」

 アンジェリーナが腑に落ちないと首を振る。ハーマイオニーが肘掛椅子に沈み込みながら答えた。

「前からずっとハグリッドを追い出そうと狙っていたのよ」
「それに、ハグリッドが自分の部屋にニフラーを入れたって思ったのよ」
「ゲッ、やばい」

 ケイティが補足すると、リーが口を覆った。ニフラーをぶち込んだのは彼らしい。このニフラー達もフレッドとジョージの置き土産だった。

「アンブリッジはどっちみちハグリッドをクビにしたさ。ダンブルドアに近すぎたもの」

 みんなはまだ話し足りないとばかりに口を動かし続けていて、談話室から動く気配はない。疲れかストレスか、なんだか頭が痛くなってきた。私は一人談話室をあとにして女子寮へ続く階段を上がっていく。がらんとした寝室を真っ直ぐ横切り、自分のベッドにダイブした。

 閉じたまぶたの裏には、不気味な赤い光を纏って輝いた先生の姿が、まだ鮮明に焼き付いていた。
 

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