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凍りついたドラコの手から、弄んでいた杖がぽとりと落ちた。その音に気付いたアンブリッジが「ドラコ!」とヒステリックに呼び付ける。
「なにをしているの?」
「す、すみません先生」
ドラコはハッとして謝りながら、絨毯の上に転がった杖を拾い上げた。まだ髪を掴まれたままのハリーが恨めしそうにそれを見ている。ああ、それハリーの杖か。見覚えあると思った。
暴れ続けているジニーを眺めながら、アンブリッジは「さて」と意地悪く笑った。
「まもなくホグワーツは『非ウィーズリー地帯』になりそうだわね?」
えっおもんな……溜めてわざわざ言うことがそれなの? クラッブがあげたひきつけのような笑いを中心にスリザリン生がニヤニヤした。沸点浅いよ。
ちょろ甘オーディエンスの反応に機嫌を良くしながら、アンブリッジはお気に入りの肘掛椅子に座る。ゆっくり私たちを見回した。目をぱちくりとさせてなぜかぶりっ子している。
「さて、ポッター。お前は私の部屋の周りに見張りを立て、この道化を差し向けて──」
言葉の途中でロンを顎でしゃくった。「ポルターガイストが『変身術』の部屋を壊しまくっていると言わせたわね」ゴイルがブーブーと故障したラジカセみたいな奇怪な笑い声をだす。
「わたくしはね、そいつが学校中の望遠鏡を真っ黒に塗り潰すのに忙しかったというのを知っていたのよ。フィルチさんが教えてくれたばかりだったからね」
みんなしてなにしてんの? 情報過多だ。こんな感じだったっけ……。
ていうかそれよりクラッブ、ネビルの首締めるのやめてくれないかな。そんな締める必要絶対ないと思うんだけど。杖さえあれば助けられるのに……。マイフレンドであるところの私の杖ちゃんは、私を殴った名前も知らないスリザリン生によって油断なく握り締められている。拘束されている今の状態ではとても奪い取れそうにない。しかしその間にもネビルの赤らんでいた顔からは色素が抜けていっていた。
くそと歯噛みをしたその瞬間、視界の端で杖が一瞬震えた気がした。
「お前が誰かと話すことが大事だったのは明白だったわ。アルバス・ダンブルドア? 半ヒトのハグリッド? ミネルバ・マクゴナガルではないわね。まだ弱っていて誰とも話せないと聞いていますから──」
「誰と話そうが関係ないだろ!」
下卑た笑い声の中、ハリーが噛み付くように怒鳴った。アンブリッジが「いいでしょう」と甘ったるく話す。
「けっこう、ミスター・ポッター。自発的に話すチャンスを与えたのにお前は断った……強制するしか手はないようですね。ドラコ、スネイプ先生を呼んできなさい」
突然指名されたドラコは僅かに肩を跳ねさせたが、すぐに足を動かして部屋から出て行く。アンブリッジも口を噤んだので、一気に部屋がシンとなった。みんなが抵抗している音だけがする。
ロンはワリントンの羽交い締めに抵抗して唇からだらだらと血を流していた。ジニーもネビルもハーマイオニーも、それぞれが全力で拘束から逃れようと反抗している。しかし、ルーナだけは全員の無言の攻防なんてどこ吹く風で大人しく窓の外を眺めていた。
私はというと、瞳を目尻限界まで動かして、後ろの生徒が持っている杖を凝視していた。もしかしてこれ、動かせるんじゃない? だってさっき絶対動いたよね。アクシオ! ウィンガーディアム・レヴィオーサ! ロコモーター! ちんから──ああだめだピクリともしない。
廊下から二人分の足音がして、扉が開いた。ドラコがドアを押さえてスネイプ先生を部屋に招き入れる。先生は「校長、お呼びですか?」と揉み合う生徒たちを一切無視して呼びかけた。
「ああ、スネイプ先生。『真実薬』をまたひと瓶欲しいのですが。なるべく早くお願いしたいの」
「それなら校長が最後のひと瓶をポッターを尋問するのに持っていかれましたが」
口振り的に、かなり強引に奪われたっぽい。あれってすごく貴重なものじゃなかったっけ。「“まさか”、あれを全部使われたということはないでしょうな?」ばか丁寧に尋ねるフリをしながら、先生はしっかり『まさか』を強調した。
「三滴で充分だと申し上げたはずですが」
「もう少し調合していただけるわよね?」
「もちろん。成熟するまでに満月から満月までを要するので、大体一ヶ月で準備できますな」
赤くなっていつもの危険信号をみせるアンブリッジに、スネイプ先生はフフンと唇を歪めた。「一ヶ月?」アンブリッジが信じられないとオウム返しする。『できますな』じゃねえよ、と弛んだ頬に書いてあった。
「一ヶ月? わたくしは今必要なのですよ、スネイプ! ポッターがわたくしの暖炉を使って誰だか知りませんが、一人、または複数人と連絡していたのを見つけたんです!」
「ほう? まあ、驚くにはあたりませんな」
先生はそこでやっとハリーに興味を示したが、しれっと「ポッターはこれまでもあまり校則に従う様子を見せたことがありませんので」と続けた。冷たくハリーを見据えている。
「こいつを尋問したいのよ!」
アンブリッジが癇癪を起こして甲高く叫んだ。僅かに開いた唇はわなわなと震えていて、荒い息が絶え間なくもれている。
「こいつに、無理やりにでも真実を吐かせる薬が欲しいのっ!」
「すでに申し上げたとおり、『真実薬』の在庫はもうありません。ポッターに毒薬を飲ませたいなら別ですが──また校長がそうなさるなら、我輩としてはお気持ちはよく分かると申し上げておきましょう」
まーたこの人、縛りプレイしようとしてるよ。いや、話術なのか? 一度肯定してみせることで味方だと印象づけたいみたいな……分からない、日頃の行いのせいでガチにも聞こえちゃうね。
「しかしお役に立てませんな。問題は、大方の毒薬というものは効き目が早すぎ、飲まされた者は真実を語る間もないということでして」
「あなたは停職です!」
話術の呆気なさすぎる敗北。不意打ちすぎて笑いが誤魔化せなかった。笑っていい状況じゃないのに笑いが止まらない、むり。ああ、猿轡されててよかった。フーフーという呼吸の合間に笑いを紛れさせて吐き出す。猿轡が頬に食いこんだ。擦れて痛い。
「あなたはもっとマシかと思ったのに! ルシウス・マルフォイがいつもあなたのことを高く評価していたのに! さあ、わたくしの部屋から出ていって!」
アンブリッジは妙なタイミングのおかしな咳を気にかける冷静さを失っているらしく、まだスネイプ先生に対してキーキーわめきたてていた。助かる、その調子で頼んだ。
初めて純粋な気持ちでアンブリッジを応援していると、ハリーがスネイプ先生に向けて「あの人がパットフッドを捕まえた!」と切羽詰まった縋り声をだす。スネイプ先生は部屋のドアの取っ手に手をかけた中途半端な体勢で動きを止めた。
「あれが隠されている場所で、あの人がパットフッドを捕まえた!」
「パットフッド? パットフッドとはなんなの? 何が隠されているの? スネイプ、こいつは何を言っているの?」
スネイプ先生の視線は、矢継ぎ早に質問をするアンブリッジへは全く向けられていなかった。ハリーだけをただじっと見つめている。
「──さっぱり、分かりませんな」
たっぷり間をもたせて、スネイプ先生は口を開いた。らしくもなく眉を高く上げ、目を眇めている。いつもの低くなだらかな声に独特の強弱がついていて、滑稽なほどひょうきんだった。あれここ笑ってはいけない二十四時会場だったっけ。二回目の咳はさすがにできないので猿轡の布をぎゅっと噛んで耐える。やばい噛み切れそう、もうその顔やめて先生。
「(あ、目が──)」
「……クラッブ、少し手を緩めろ。ロングボトムが窒息死したら、さんざん面倒な書類を作らねばならんからな」
スネイプ先生は目が合ったと思った次の瞬間には、すぐに顔をいつもの仏頂面に戻した。そう言い残して今度こそ部屋から立ち去り、ピシャリとドアを閉める。
拷問部屋の中に妙な間が生まれる。アンブリッジは「いいでしょう」と声に苛立ちと混乱を含ませながら杖を取り出した。
「しかたがない……ほかに手はない……この件は学校の規律の枠を超えます……魔法省の安全の問題です……」
アンブリッジは机に置かれたファッジの写真をちょっと恐れたように見遣った。頭を振って視線を外し、「そう、そうだわ……」なんて暗示のようにぶつぶつと喋り続ける。そして深呼吸をしてハリーを睨むと、片手に持った杖で、空いているほうの手をパシパシ叩いた。
「あなたがこうさせるんです、ポッター……やりたくはない。しかし、場合によっては使用が正当化される……ほかに選択の余地がないということが、大臣にはきっと分かる……」
落ち着かない様子ではあるものの、女はすでにおぞましい覚悟を固めているようだった。
「『磔の呪い』なら舌もゆるむでしょう」
「やめて! それは違法です!」
そんなトーンで喋れたんだと思う程の低い声で告げるアンブリッジに、ハーマイオニーがすぐに叫ぶ。しかしアンブリッジはひどく興奮しているのか、聞こえていなそうだ。口角が異常なほどつり上がった不気味な笑顔をしていた。
「アンブリッジ先生、大臣は先生に法律を破ってほしくないはずです!」
「知らなければ、コーネリウスは痛くも痒くもないでしょう……この夏──」
静かに大臣の写真が伏せられる。アンブリッジはハリーのどこを狙おうかと、いまにも舌なめずりしそうな表情だった。「吸魂鬼にポッターを追えと命令したのはこのわたくしだと、コーネリウスは知らなかったわ」熱に浮かされて舌がゆるんだのはこっちが先だった。
「それでも、ポッターを退学にするきっかけができて大喜びしたことに変わりはない」
「“あなたが”? あなたが僕に吸魂鬼を差し向けた?」
「誰かが行動を起こさなければね」
ハリーの額に短い杖の先が当てられる。
「誰もかれも、お前をなんとか黙らせたいと愚痴ってばかり──ところが、実際に何か手を打ったのはわたくしだけだった……」
囁き声が誇らしさで揺れる。「でもお前はうまく逃れたね、ポッター」残酷な醜さをもってして、アンブリッジの目が細まった。
「今日はそうはいかない。今度こそ……クル──」
「やめてーっ!」
ハーマイオニーの身を裂くような沈痛な悲鳴が、部屋に甲高く木霊した。
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