51



 私は最後尾を走っていたはずだった。加減なしでめちゃくちゃに呪文ぶっぱなすからね。だから私が列の真ん中にいると味方にも迷惑かけるし、と思って途中からしんがりを走っていた。先頭は多分だけどロンやジニー。途中ルーナがそれを追って、私を抜いて駆けていったのも知ってる。

「みんな、先にここに入ってたんじゃ──」
「きっと道を間違えたんだわ!」
「うそじゃん首席……」

 あの二人、いつはぐれたの。二人がついてるなら安心でもあるけどさぁ……いや、でもだよ。そんな全力で迷子になりにいかなくても。
 私でさえ……と絶望していると、ネビルが「聞いて!」と注意深く囁いた。いま封印したばかりの扉のむこうから、足音や怒鳴り声が響いてきた。

 聞くところ、ルシウス・マルフォイは二人一組になって私たちを探す心算らしい。「ポッター以外は必要なら殺せ」だって。友達のお父さんにこんなこと言われちゃった。

「どうしましょう?」
「扉から離れよう」

 震えて訊くハーマイオニーに、ハリーが素早く決断する。私たちはできるだけ音を立てないように走り、ガラスの釣り鐘を通り過ぎ、待機部屋を目指した。あと少しというところで、背後から、なにか重いものが扉へ衝突した音が追ってくる。

「どいてろ──アロホモラ!」

 扉が開く気配に、私たちは机の下に隠れる。二人の死喰い人のローブのすそが忙しく足を動かして近付いてくるのが見えた。

「やつらは真っ直ぐホールに走り抜けたかもしれん」
「机の下を調べろ」

 死喰い人たちが膝を折る。私とハリーは同時に呪文を唱えた。

「ステューピファイ!」

 ハリーの呪文は命中したが、私の呪文は避けられた。飛び退いた死喰い人は、机の下から這い出そうとしていたハーマイオニーに杖を向ける。

「アバダ──」

 呪文の途中で私が背中から飛びかかり、ハリーもまた男の膝に縋り付く。私たちを振りほどこうと暴れた男の肘が肋のあたりにめり込み、私は後ろに転がされた。背後にあったガラスの棚は、私がぶつかるとガシャンと喧しい音を立てる。棚に仕舞われていた中のものが衝撃でかたかた揺れた。棚を背にし咳き込む。お腹も背中も痛い。

「ステューピファイ!」

 痛みに蹲っていると、赤い閃光が右肩のすぐ上を掠めた。ガラス戸棚が壊れ、大小さまざまな形の砂時計がこちら目掛けて落ちてくる。私は慌ててその場から半ば四つん這いの状態で逃げ出した。二発目の閃光が飛んでくる寸前で、机の陰に身を隠す。

「ステューピ──」
「ステューピファイ!」

 ハーマイオニーとネビルの声がする。男の声が聞こえなくなり、かわりに杖がカラカラと床に落ちた音がした。終わったみたい。「予言の間」の扉前まで這ってきてしまった。

「エレナ? どこに──」

 ネビルがそう言いかけたとき、近くの部屋で叫び声がし、衝撃音と悲鳴が聞こえた。ハリーが仲間の名前を大声で呼ぶと、そのすぐあとに、「予言の間」から荒っぽい足音が近付いてくる。今ので場所がバレてしまったんだ。

「来るんだ──こっち!」

 三人を追って私も机から飛び出そうとした──ら、足がもつれて激しくコケた。顔面から床に倒れ、鼻から嫌な音が聞こえる。静かに起き上がった。じんじんと熱を持ち出した鼻にそっと触れると、ぬるりと指先が滑る。……床に物が散乱してるのが悪い。つまりその元凶を作った死喰い人が悪いよ。断じて私の運動神経の問題ではない。ギルティ死喰い人、許さねえ!

 痛みで呻いている合間にもハリーたちの足音が遠ざかっていく。どこかの扉が閉まる音がした。えっうそでしょ私置いてかれたの? 外からの光源が絶たれ、暗くなった部屋で絶望する。無理、心も折れそう。背後の扉がダメ押しとばかりに大きく震える。はい折れた。ハンカチで鼻を抑えながら立ち上がると、今度は足が痛んだ。うわ足も折れてるんじゃない、これ……。心身がボキボキ、つらい。


 目の前の「予言の間」へ続く扉を凝視したままじりじり後退る。さすがに一対二は無理だ。今からホールへは間に合わないからとりあえずここで隠れてやり過ごそう。

 なんて考えが至極甘いものだと気付かされたのはほんの一秒後だ。

 適当な棚の陰に身を隠した直後、爆発音が耳を劈く。隠れた場所から、さっきまで目の前にあった扉がくの字に曲がった形になり、風を切って反対の壁まで吹き飛ぶのが見えた。ぶつかった振動で部屋全体が激しく揺れ、あちこちの机や棚が崩れる。全ての反響が止んだころ、静かになった部屋に、床を強く踏みつけるような靴音が響いた。

「(……え、やば)」

 両手で口を抑え、震えながら壊れた扉を見つめる。なにこれやだこれ、やべー奴が入ってきたんだけど。ワンターンで格の違いを見せつけられた。
 でも足音的に一人しかいないのかな。この死喰い人は二人組になって行動してないらしい。そっか、この人もぼっちなんだ……。一瞬親近感が湧いたけどいやこいつやべーー奴だしなとすぐ考え直す。サシ勝負ならなんとかなるかもって思ったけどこんなやべーーー奴なら無理。絶対『お前も扉みたいにしてやろうか』ってされちゃう。心がガクブルする。私は少しでも存在感を消そうと丸めた身をさらに縮めた。結構うまく隠れてるから変なことしなきゃバレないはず──

「ホメナム・レベリオ」
「(あああああ!)」

 この死喰い人、賢い! 賢いっていうか魔法使いなら普通の考えだけども。でも扉といい、この死喰い人は完全に脳筋かと思ってたのに。余計なフラグ立てたせい? ひぃ〜勘弁してクレメンス……。しかしここからは確実に脳筋戦法でくるに違いない。

 隠れているのはバレてしまった。それならもう仕方ない。私は床を這って横に回り込んだ。近くに転がっていた赤く発光する丸い時計を掴み、死喰い人へ向けてぶん投げる。

「そこに──ッ?!」
「エクスペリアームス!」

 移動していたことには気付いていなかったのか、死喰い人は死角からの時計に反応が遅れた。ぶつかった時計が、顔を庇うようにあげられた片手を照らし上げる。その手元の杖を狙って呪文を唱えたが、こちらは僅かに狙いが逸れてしまった。杖のかわりに仮面が外れ、カランと床に転がる。死喰い人はなにもなくなった顔を緩慢に片手で触り、「ああ」と喉奥から絞り出したような低い声を落とした。

「……先生に向けてなにをするんだ? ワイアット」

 顎元に手を添えたまま、狂気的な光を宿した眼をぎょろりとこちらへ向ける。男は歪んだ唇へ舌を素早く蛇のように走らせた。

 呼吸が止まり、耳が塞がるような感覚に襲われた。けれどすぐに気を引き締めて、後退りかけた足に力を込めその場に留める。顎を引いて、人をこけにしたような笑顔の男を睨みつけて杖を振るった。

「でたなバーテミウス・OL・クラウチ・Jr!」
「俺をJrと……忌々しい父の名を呼ぶな!」

 啖呵を切りながら飛ばした呪文は怒りの声とともに跳ね返される。OLはいいのかよ。
 無言呪文を思いついた端から打っていく。飛んできた邪悪に光る縄を、手近な椅子を掴ませて避ける。OLの背後の鏡を狙って呪文を放ち、反射で足元を陥没させようとしたがすぐに気付かれてしまい、呆気なく躱された。
 部屋を走り回って対応してる私に対し、相手は初期位置からほとんど動いていない。怪我も息切れもしておらず、実力差は一目瞭然すぎた。でも絶対倒す、こいつだけは相打ちになってでも倒してやる。

「無言呪文だと? 調子に乗るなよ、穢れた血が!」
「生徒相手に磔の呪文? 大人げないですね!」

 カラフルな呪文が飛び交って乱反射する。ねえこれ、かなりめちゃくちゃにしてるけど魔法省から損害賠償請求されたらどうしよう。神秘部って特別研究機関って感じだし貴重なものがわんさかありそう……。現にさっき壊れたガラス張りの戸棚がバラバラに砕けては逆再生のように元に戻り、また壊れて……を繰り返している。多分あそこには逆転時計が収納されてたんだと思う。え、何億ガリオン? やばすぎて逆に笑えてきた。もう全部OLのせいにしちゃお。ちょうどまた弾けた呪文がガラスの戸棚に的中した。死体蹴りなんよ。

「アバダ──」
「エバブリオ!」

 細かい泡がクラウチの足元を浮かせ、奴は仰向けにすっ転んだ。やっとまともに反撃できた。大技の前は隙がでるよね。天井に緑の閃光がぶち当たり、パラパラと細かい瓦礫が降る。あいつが立ち上がる前に壊れた棚やテーブルの残骸の陰へ姿を眩ませた。

「(どうしようかな)」

 長期戦になって不利になるのは私だ。呪文をぶつけ合うだけで手がビリビリして体力を消耗するし、ノーダメージってわけじゃない。それに直接的な呪文は当たらずとも、炎や瓦礫の破片やらは体にしっかり当たっていた。特に出血の酷いお腹を抑えると服がじわりと血を吸い込んで滲み、手が湿った。止血、治す呪文……なんだっけ、ド忘れしちゃった。

「でてこい、殺してやる! お前も、お前の祖父母と同じように!」
「(……ああ、エピスキーだ)」

 呪文を乱発しながら上がる残虐に高揚する声。吐き気がする。こいつに殺されるくらいならジャパニーズハラキリだな。玩具にされるのは真っ平御免だし……。とりあえず無言で腹部にエピスキーをかけ、表面の皮膚だけ繋げて再生した。


 は、と小さく呼吸を整えて顔を上げると、目の前の棚に置いてあるものに気が付く。なぜか不思議と目を惹かれた。
 それは平べったい四角錐台の真ん中に赤い五百円玉大の突起物がついている、なにかのスイッチ──ボタン? のようなものだった。台座は固定されておらず、手で持てる。どこかに繋がっているわけではないみたい。後ろの騒音を一旦無視して、ボタンを調べようと台座をそっと持ち上げた。

「(D million years……“押すならば 存在しない苦痛を得る”)」

 台座には中を覗けるような切れ目と、金色の文字が彫られていた。切れ目の中は空洞なのか、真っ暗で何も見えない。存在しない苦痛……ていうか五億年って──「どこに隠れた、穢れた血!」いやまじでうるさいな後ろ。

 飛んできた呪文に当たり、大きな掛け時計が落ちてくる。床に落ちて壊れた時計の破片は、ひとりでに一箇所に集まると、その姿を一匹の大きな蛇へと変化させた。蛇の体は半透明で宇宙を閉じ込めたようにキラキラ瞬いている。蛇は黄金に光りながら、自身の尾を噛んでその場でぐるぐる回り、やがて床の中に溶け込んでいった。ウロボロスが沈んだ床には消えた時計蛇の模様がそのまんま残っている。わあ、さすが神秘部。神秘的〜って和んでる場合か? そうして呆れながらも、私は思い出す。

 そうだ、ここは神秘部。
 世界の神秘を暴かんとする、傲慢不遜な探究心と純真な狂気で満ちた恐ろしい場所だ。


 私は手に持ったままだった台座を見つめ直す。金の文字を三回読み直し、考えた。なんとなく、このボタンの察しはついている。でもいいのかな。きっと、そう安易に使っていいものではない──

「お前だけじゃない、お前の家族だって──ああいや、エドガー・ワイアットだけは最後まで残してやろう。年老いた上に再起不能になった闇祓いなんて、たいした脅威にはならない──お前を始末し、その後あの男の目の前で最後の肉親も殺しておいてやる!」

 台座を持つ手が滑りかけ、危うくボタンを押すところだった。危ない。深く息を吸い込んで、ぐっと飲み込む。落ち着こ、焦りは身の破滅。鬼灯キャンディーを丸呑みするルーナを思い浮かべる。……よし落ち着いた。


 今の言葉のおかげで迷いなんて吹き飛んでいた。覚悟は決まった、もはや躊躇は必要ない。
 お母さんたち──ましてや叔父さんをこれ以上傷付けるなんて、そんなことは絶対に許さない。例えどんな結果になろうとも心が痛むことはないだろう。私は今やそんな冷淡な気持ちになっていた。


 私は間違ってもボタンを押さないように注意しながらポケットにしまう。ゆっくり立ち上がり、後ろを伺った。やつは気付いていない。武装解除……でも薄暗くてサバゲープロ(妄想)の私でも一発でできるかちょっと自信がない。さっきだって失敗したし。

「(ネビュラス)」
「……なんだ? これは……なにをしている?」

 横向きの8をなぞるように杖を動かし、少しずつ霧を深くしていく。クラウチが静かに困惑する声を頼りに私はひっそり背後まで回った。霧の奥にキョロキョロと辺りを見回す影が見える。私は背筋を伸ばし、霧を揺らさないくらい慎重に腕を上げる。

 この一年、レベッカコーチに教えてもらった呪文……これがちゃんと発動すれば隙をつけるはずだ。上がってきた心臓を押し戻すように唾を飲み込む。杖を握り締めると、爪が手に食いこんだ。
 思い出せ、訓練の日々を。キャンキャン口喧嘩をしていたセドリックとレベッカを宥めてノイローゼになった日々を。片目できゅうっと狙いを定めた。

「――コンファンダス デュオ」
「なっ、ぁ……?」

 頭に呪文が直撃したクラウチの腕がだらんと下がり、力の抜けた手から杖が転がる。アクシオで杖を呼び寄せ、すぐにインカーセラスを発動させてクラウチの体をロープで縛りつけた。あんまり強くすると意識が戻ってしまうから気持ち緩めに。

 クラウチの杖をしっかりローブにしまい、縛られて床に座り込んでいる奴のもとへ歩を進める。フリーになったクラウチの手の中にポケットから取り出したボタンを持たせた。この人の手が大きくてよかったな。親指がちょうどボタンに届くから助かる。これなら力をほんの少し込めるだけで押せてしまうだろう。手とボタンをくっつける呪文をかけておく。
 錯乱の呪文はかなり強く効いているのか、クラウチの目は開いているが、なにも捉えていないらしく、夢見心地でとろんとしていた。大きく開いた口の端から涎がつうっと垂れる。やり過ぎたかも……まあいっか。全身を縛られ、床に座り込む無様な男を無感情に見下ろす。

「(みっともない顔)」

 命乞いして泣きじゃくっていたピーターよりもずっと情けない面だなと思った。鼻で笑ってやりたいけど、残念なことにまったく愉快な気分ではない。この人は今どんな気持ちなのかな。こんなあっさり倒されてるくせに、『殺す』だなんだってよくも言えたもんだよね。この現状、どうかな。さぞかし愉快なんじゃない?

 惨めな醜態を晒している男に、再び腹の底がぐつぐつと煮えたぎってくる。再燃した怒りを隠すように「クラウチさん」と明るく呼びかけた。だらしなく寝ぼけた瞳が僅かにこちらへ動く。

「叔父さんから聞いたんですけど、計画、バレバレだったんですってね」
「ぁ……?」
「ご主人様にはちゃんと報告したんですか? 『実はマグルの、穢れた血の手のひらの上だったんです』って」
「……、う、貴様……ッ?」
 
 カチッ。
 クラウチの意識が戻るのと握らされた物に気付くのはほとんど同時だった。反射的にか、クラウチはボタンを押し、部屋に小気味よい音を響かせる。そのすぐあとに、台座の切れ目からジャラジャラと十数枚のガリオン金貨が溢れていった。
 目じりが切れそうなほど瞳が見開かれ、一瞬虚ろとなった。しかし潰れたボタンが再び押し上げられると、光が戻る。

「なんだこ──れは……? ──手が離れな──い。しか──し、こん──なもの──」
「それじゃあ、また後で。Jrさん」
「俺をJr──と呼ぶな──」

 カチッカチッカチッ。
 喋る度にボタンが押される。クラウチは惚けて、すぐにハッとして、また惚けてを繰り返した。私はクラウチに背を向けてホールへの扉へと足を動かす。こんな途切れ途切れじゃお話にならない。もとより談笑するつもりもないし。

「(五億年を繰り返してればいい、アズカバンに戻るその時まで)」

 握らせたあのボタンは恐らく『五億年ボタン』だ。一度押せば大金が貰える代わりに、虚無の世界で五億年を過ごさなければならない。しかし現実世界では一秒ほどの時間しか経っていないし、過ごした五億年の記憶も抹消される。五億年の苦痛は自分すら知らない──というこれまた有名な思考実験。魔法省、マジで怖い。神秘部の独断だとしてもほんとうに怖い。


 まあやばい奴にはやばいブツをぶつける。これ常識なんですね。相・殺ッ! いえーい完全勝利S。さ、早くみんなと合流しないと。
 

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