52



 戻った最初の円形の部屋では二つの扉が開いていた。そのうち一つの扉へ、見慣れた二人が飛び込んでいくのがタイミング良く見えたのでそれを追いかける。私ら扉脇の壁に背をつけて横目で中の様子を見遣った。この部屋はアーチの部屋だ。ということはもう決戦が始まる……隙をみて乱入し──「ネビルを離せ!」えっネビル? 
 セドリックの声につい部屋の中を思いっきり覗き込む。迂闊すぎたと後悔したけど幸運なことに誰も私に気付いていなかった。

 部屋の中心の台座を背に、何人もの死喰い人に囲まれたハリー。そのすぐ近くで大柄な死喰い人に羽交い締めにされたネビルがいる。顔が血塗れだ、少し離れただけなのにどうして。それから、階段上部から杖を構えるセドリックとレベッカ。ルシウス・マルフォイが「勇敢なことだ」とせせら笑った。

「この人数相手に、たかが学生二人が敵うとでも?」
「耄碌気狂い集団相手には充分なハンデだと思いますわ、ミスター・マルフォイ」
「……スミルノフ嬢? どうしてきみがここに──ああ、なんにせよ、きみの家とは今後ともいい関係を築いていたかったのだが……残念だよ」
「だめだ……みんなはやく逃げて──」
「見せしめが必要なんじゃないか? 私はそこのロングボトムの坊やがちょうどいいと思うが?」

 ベラトリックスが生き生きと提案する。「両親と同じように気が触れるまで、どのくらい持ちこたえられるか、やってみようじゃないか」女の落窪んだ目が爛々と光っていた。こいつが今からなにをするつもりかは、分かりきっている。目の前がチカチカと光って白んでいく。私は全身の筋肉や血管がピンと張り詰め、浮き上がるのを感じた。今日一日で何回頭に血が上ればいいの。血圧おかしくなる。

「ポッターが予言をこっちへ渡すというなら──」
「わだじじゃだみだ!」

 ネビルが我を忘れて足をバタつかせて喚いた。そんなネビルにベラトリックスが卑らしい笑みを浮かべて杖を構えて近付いていく。

「ク──」
「インペディメンタ!」

 当たる寸前に飛び退かれて呪文を避けられる。くそ、叫ぶんじゃなかった。でも威力ほしかったから仕方ないか。私は舌打ちついでにネビルのすぐ近くの地面を爆破させてから、ベラトリックスに向けてすぐに次の呪文を飛ばした。目線をベラトリックスへ釘付けにしたまま石段を数段抜かしで駆け下りる。私はただベラトリックスだけを見ていた。だって鬼コーチが揃っているのだから、他の死喰い人を気にする必要なんて無い。私の意図を汲んでくれたのか、二人が周囲を牽制して呪文を叫ぶのが聞こえる。

 最後の数段を一気にジャンプしてアーチの前に着地し、視界の端でネビルが死喰い人から投げるように解放されたのを確認する。ごめん、雑で。彼の周りに盾の呪文を張り、その流れでベラトリックスへ杖を向けた。ベラトリックスは、巻き付いて拘束しようとする私の縄を燃やして黒い消し炭にしていく。

「穢れた血が、よくも──」
「死喰い人ってそれしか言わないよね、馬鹿の一つ覚えみたいにさぁ!」

 近くの瓦礫に魔法をかけてベラトリックスを襲わせる。数打ちゃ当たるしこんだけあれば盾にもなる。怒り狂ったベラトリックスから放たれた赤い光線が私の脇を掠めた。やーいエイム雑魚。

「ワイアットだな? じーじとばーばは元気かい?」
「痴呆なの? 性根ごと聖マンゴで治してもらえば?」

 緑の光が迫ってくる。けれどそのなにもかもスローに見える。対処できると分かっていた。近くの瓦礫を集めてギュッと一纏めにして盾にし、転がりながら次の呪文を放とうとベラトリックスに杖を向ける。次は凍らせてみる? 眼球が凍ればさすがにこの女も隙ができるんじゃ──



 唐突に肺も凍るほど恐ろしい冷気が部屋に充満する。私はまだなにもしてない。ベラトリックスでさえ動きを止め、石段を見上げた。部屋を取り囲む入口という入口が黒く染まっている──吸魂鬼がいた。

 我先にと部屋に押し入ってきた大量の吸魂鬼たちは──百体以上はいる──、ベラトリックスや死喰い人だけを守るように飛び回る。ベラトリックスが醜い勝利を確信した笑みを顔にのせ、両手を広げて黒い風を歓迎した。甲高く不快な笑い声が鼓膜にこびりつく。

「(どうしてこんなところに吸魂鬼が……)」

 ベラトリックスはもう私に手を下す必要はないと判断しているのか、杖を向けてくる様子はない。とりあえず吸魂鬼に集中してもいいってことか。状況に困惑しながらも杖を振るう。大丈夫、守護霊の呪文ならもうずっと──。

「──えっ? え、エクス、エクスペクト・パトローナムッ……!」

 何度も杖を振っても、呪文を唱えても守護霊は来てくれなかった。銀のフクロウは一向に姿を現してくれない。どうして──いつもは助けてくれるのに。いつもはできるのに、なんで?

 予想外の出来事が連続して起こり、とうとう頭が真っ白になってしまった。そんな惚けてる暇は、余裕はないのに。

 頭が痛い、ベラトリックスの笑い声が木霊する。うるさい消えてと頭を振った。その場に座り込んで、混乱したまま闇雲に叫び続ける。一筋の霧が流れ出たが、霞のように漂って消えた。喉奥が裂けて血の味がする。朧になる視界の中、セドリックのラブラドール・レトリバーも、レベッカのサーバルキャットも、そしてハリーの鹿も消えてゆくのが見える──見えてしまった。

 絶望が目に焼き付く。手の感覚がなくなり杖が滑っていくのが、他人事のように映った。吸魂鬼は喜ぶようにマントから灰白色に光る手を突き出すと、頭巾から透ける眼窩をこちらに向けてくる。彼らがゆっくり長く息を吸い込むと、ガラガラと悲鳴のような音が反響した。胸がつまる、息ができない、寒い……。血管に冷水が流し込まれ、頭のてっぺんから足の指先まで一遍に凍る。

「(だめだ、せめてネビル──ネビルだけでも──)」

 ネビルが杖を手から落とし、大きく身震いしてひっくり返った。地面に横たわりぴくりとも動かなくなり、その顔は死人のように青白い。彼に向けて震える手を伸ばしたが、私より先に二本の腐敗した手がネビルの顔を無遠慮に掴んだ。いやだ、ネビルに触らないで──。
 振り払おうとした手を、どこからか伸びてきた別の灰白色の手が捕らえる。さらにまた別の手が私の首に巻き付いた。顔に冷たい息を感じる。もう目を開けていられない……。



 そうして暗く狭まる視界に、銀色の羽が柔らかく煌めいた。

 気力を振り絞って、目を開ける。銀色の、昔馴染みのフクロウがネビルを襲う吸魂鬼を穴を開ける勢いで激しくつつき回していた。フクロウは吸魂鬼を退けると、今度は私にのしかかっていた吸魂鬼に嘴を突きつけていく。

 陰鬱な冷気が去ったことで、ままならなかった呼吸がやっと正常に戻る。私はまだ若干霞む目を擦りながら、周囲を見回した。
 私とネビルの周りにはフクロウが、ハリーの周りでは熊のように大きな犬が歯を見せて威嚇している。そして部屋の天井を埋めるほどの吸魂鬼は、眩い牡鹿が軽やかに宙を駆けて蹴散らし、圧倒していた。敵も味方もぽかんと急に現れた動物たちを見つめている。



 唐突に体がふわりと浮く。背中がものすごい勢いで後ろに引っ張られた。緑の光がさっきまで私が立っていた地面を抉る。私は石段の通路脇にふんわり着地させられながら、それを見つめていた。隣には気絶したネビルが寝転んでいる。

「意外と無茶をするんだ?」
「シリウス……」

 目の前の彼は少し怒った声をしつつも、よくやったというように私の頭を撫でた。いつの間にか、周りには騎士団のメンバーが集まっていた。ルーピン先生、トンクス、ムーディ先生やキングズリーがいる。それぞれ死喰い人たちと応戦していた。吸魂鬼が消えたことで戦いが再開されたらしい。直前のセドリックたちの奮闘のおかげで死喰い人は消耗していて、騎士団はかなり優勢にみえる。首を回せば、セドリックやレベッカ、ハリーもちゃんと台座近くで保護されていた。まだ予言を手に持っている。
 頭にのっていた手が流れるように顔に回る。分厚い手のひらが両頬を覆った。

「シリウス?」
「他のみんなを連れて逃げて。いいね」
「え、うん……」

 有無を言わさない調子で告げられ、反射的に頷く。彼は、なぜか泣きそうに目を細めていた。

「どうかしたの、シリウス?」
「……さようなら、エレナ。楽しかったよ」
「……え?」

 何を言ってるの、そんな──遺言みたいな。
 戦いの場へと向かい、翻ったローブの裾を掴もうと手を伸ばす。届かない。私の手は虚しく空を切った。

 シリウスが向かった先にはゾッとするような笑顔のベラトリックス・レストレンジがいた。シリウスはベラトリックスの赤い閃光を簡単に打ち消し、吠えるように笑った。

「さあ、来い。今度はもう少しうまくやってくれ!」
「だめ──!」
 
 従姉妹を挑発する背中に、加勢に入ろうと足をもつれさせながら立ち上がろうとした。そこで杖がないことに気付く。杖はさっきまで倒れていた場所に転がっていた。

 もう身一つしかない、なら、飛びついて呪文を逸らすしか──飛び出そうと動いたが、突然体が石のように固まった。不自然に空中で手が止まる。体が動かない、どうして。


 わけも分からないうちに二番目の閃光が放たれてしまった。シリウスは膝から崩れ落ち、仰向けで倒れて台座から転がっていく。瓦礫まみれの地面に落ちたが、シリウスは痛がる素振りを全く見せず──見せないどころか、目も開けない。シリウスは、倒れたままピクリとも動かなかった。

「(……え?)」
「この、なんだ──?!」

 ベラトリックスといえば、いつの間に現れたのか牡鹿の守護霊に目の前をうろちょろされている。苛立ったベラトリックスが黒い杖を鞭のように振ると、牡鹿は首元を切られフッと消えた。ベラトリックスはすぐさま顔を上げ、自分が呪文を放った相手を見据える。

「シリウス!」

 ベラトリックスはシリウスに駆け寄るハリーを見て、自分の行いが望むほうへ作用したと悟った。この世で最も邪悪と思えるような笑い方をする。その顔は歓喜で漲っていた。

「シリウス、シリウス!」
「ハリー──」

 ハリーが横たわるシリウスにしがみついて、何度も呼びかけている。一度呼ぶごとに、その声に水が混じっていく。血を吐くように名前を呼び続ける彼を、ルーピン先生が「やめろ」と絞り出すように首を振りながら、きつく抱き締めていた。

 自分以外の死喰い人が討ち取られ、拘束されていることに気付いたベラトリックスはアーチの間から逃げ出した。それに気付いたハリーが、怒声をあげて名付け親の、唯一の家族の敵を追って走りだす──石段を登りきったあたりで、ハリーの手から予言が滑り落ち、地面で割れた。しかしハリーは気にせず部屋から抜け出していく。入口付近で目だけが極端に拡大された、真珠のように半透明な姿が立ち昇ったが、予言の声は誰の耳にも届かなかった。

「……さあ、みんなを探そう。ハリーは──ダンブルドアがきっと──」

 ルーピン先生は今にも倒れそうな青ざめた顔をしていた。先生はシリウスのほうを見ないようにしている。私は杖を取りに行こうと立ち上がった。今度は動いた。さっきのは一体なんだったの。……叔父さんが私になにか魔法をかけてたり──ってないよね、そんなの。

 私はアーチの近くへと歩きていき、杖の近くに光っていたなにかを杖のついでに拾い上げる。つまらない瓦礫かと思ったけど、その小さな欠片には「52」と彫られていた。

「なにこれ……」
「エレナ、みんながどこにいるか分かるかい?」
「いや、私は……セドリックたちなら分かると思う」
「みんなは脳みその部屋にいるよ。ロンは脳みそに襲われていて、ハーマイオニーたちは気を失っているはず──」

 金の欠片を地面に放る。セドリックが話すのを聞きながら、眠ったように穏やかな顔のシリウスを見つめた。



 私は知っている。

 ベラトリックスの緑の閃光が当たるよりも早く、急に現れた別の淡い青色の呪文が、シリウスの背中に吸い込まれていったのを。

 そしてベラトリックスの死の呪いは、当たったように見えたが、それは倒れていくシリウスの舞い上がった髪を掠めただけだった──ということを。
 

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