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 私たちはどこからともなく現れた移動キーを使ってホグワーツまで帰還した。ルーピン先生付き添いのもと、負傷者を医務室まで運ぶ。意識があるのはジニー、セドリック、そして私とレベッカだけだ。でもジニーは踵を折ってしまっていたし、レベッカは頭からダラダラ血を流し続けていた。セドリックも片腕を抑えている。

「さあ、あなたはどこを怪我したの? お腹?──まあなんですか、この中途半端な手当は! 凍らせなかったら怒られないなんて、そんなことあるわけないでしょう。凍らせないなんて当然のことです!」

 マダム・ポンフリーはキビキビと生徒たちを手早く診察し、薬を渡し終えると、今度は意識のない生徒たちの手当をはじめた。私は湯気の立つ緑茶のような飲み物が入ったマグカップを両手で持ったまま立ち尽くす。この場にいる全員(マダム・ポンフリーは除く)の視線は、白く清潔なベッドの上にいるシリウスへと向けられていた。

 私たちは神妙な顔でシリウスを囲む。明るい場所で対面しても、やっぱり寝顔にしか見えない。私にはまだ彼が死んでいるという実感が湧いていなかった。呼吸はしてないし心音もないし体温もないけど、これ、死……え、ほんとうに?
 やっぱり受け止めることができない。『信じたくない』ではなく、信じられなかった。私はいつものお得意な現実逃避をしているのだろうか。いや、でもだって、ベラトリックスのアバダ絶対外れて──そうだ、ルーピン先生にあの青い呪文のことを伝えないと。

「先生、シリウスのことなんですけど──」

 親友の名前に、ルーピン先生はぎくりと身を強ばらせる。しかし私の言葉は、夜に不似合いなバタバタと廊下を走る音に遮られた。医務室のドアが荒々しくバンッと開く。ハーマイオニーの容態を見ているマダム・ポンフリーが、カーテンの中から「なにごとですか!」と咎めた声を飛ばした。

 戸口で息を荒げる男の姿を見てルーピン先生は一瞬硬直する。けれど俊敏に動いて私たちを守るように前に出た。

「何者だ、貴様!」
「待て、なにを──なんの冗談だリーマス?」
「答えろ!」
「シリウス、シリウス・ブラックだ!」

 敵意を剥き出しにして杖を突きつけるルーピン先生に、シリウス・ブラックは困惑を隠さず狼狽した。

「ふざけるな。シリウス・ブラックは死んだ……ついさっき、それも私の目の前で……シリウスはもういない!」
「なんだって?」

 ルーピン先生は静かな怒りを放った。シリウス──のにせもの? ──が、驚愕する。その表情にうそは見受けられない。動揺した瞳が、ベッドに横たわるシリウスを捉えた。シリウス(偽)は「それはなんだ?」と震えて指差す。ルーピン先生はそれを冷徹に笑い飛ばした。

「なんであろうとお前に関係あるか?」
「ああリーマス、信じてくれ。私だ──“私が”シリウス・ブラックなのだ! そしてきっと、私こそがその人物の正体を知らねばならない……」
「なにを──」
「見て!」

 ジニーがシリウス(真)(?)を見て叫んだ。ルーピン先生は偽物に杖を向けたまま、ちらりと背後を見遣り、凍りついたように動きを止める。杖腕がみるみる下がり、その口が「うそだ」と掠れ声で囁いた。


 黒い髪は茶色がかった艷めくブルネットに変わり、胸のあたりまで伸びた。少し荒れた皮膚が溶け、その下からみずみずしくハリのある美しい白い肌が現れる。がっちりした首や厚みのある肩がぎゅうっと縮み、細く、薄くなった。
 そうして顕になったその人物に、誰もが絶句して言葉を失った。

「この人……ソフィア・キャンベル?」

 女性を見て、頭に包帯を巻いたレベッカがおそるおそる口にした。誰も答えることはできない。シリウスだけが大きな嘆き声をあげる。ふらふらと歩み寄ってくる彼を、ルーピン先生はもう警戒しなかった。

「じゃあ、まさか彼女はポリジュース薬でシリウスに……? なぜ……どういうことなんだ?」

 ベッド脇で、シリウスは「わからない」と首を左右に振る。ひどく蒼褪めていたものの、その顔は無感情に凪いでいた。まるで意識して、なにも感じまいとしているみたいに。

「たった今、『戦いが終わった』とダンブルドアから守護霊を受けた。だから私は大慌てでホグワーツへやって来たんだ」
「……我々は夕食後にスネイプから連絡を受け、ともに本部から魔法省へと向かったはずだ。私はずっときみと同じ家にいた……それにソフィアだって、朝からずっと一緒に──……」
「リーマス?」

 呆然と考えを整理していた先生が、突然はたと口を噤んだ。肌を紙のように白くさせ、「夕食」と唇をほとんど動かさずに呟いた。

「夕食のときからソフィアの姿を見ていない。きみから『具合が悪いそうだ』とは聞いていたけど──じゃあまさか、その時から──?」
「……私はそもそも夕食を食べに降りていない、自室のベッドで休んでいた。……今の今まで、ずっとだ」

 シリウスが自嘲気味に笑いながら零した。彼はソフィアの顔へ怖々と手を伸ばしかけて引っ込めた。その手を固く握り締め、ゆっくり下ろす。

「エレナ、この人と直前まで話してなかった?」
「……そうだね。話し方は……思えば、たしかに変だったかも……」
「……なぜソフィアはきみのフリをして戦いに参加したんだ?」
「さあな……私が聞きたいくらいだ。なぜそんな馬鹿なことをしたのか──」
「分からないの?」

 ジニーが過敏に反応して噛みついた。その瞳は涙で潤んでいたが、それでも迫力があった。

「きっとソフィアはなにか感じていたのよ。この戦いで危険なことが起こるかもしれないって……だからきっと、シリウスを守ろうとしたんだわ」
「そんなこと誰も頼んじゃいない」

 シリウスは冷淡に吐き捨てた。「なんですって?」ジニーの顔がじわじわと怒りで赤くなっていく。

「私はこんな子どもの魔女に守られるほど弱くはない。今夜彼女が起こした行動は完全に無駄だった──睨まれたってな、ジニー、私は何度だって言うぞ。無駄だ。私を守るなど、彼女がする必要はなかった──そんな当たり前のことも分かっていなかったなんて、やはり彼女は幼すぎた。辞めさせるべきだったんだ」
「シリウス、やめろ──」
「“無駄”。ああそう。私は全くそうは思わないけど、たしかにある意味ではそうかもしれないわね。だって今のあなたに命をかけて守る価値なんて、とても──」
「ジニー!」

 言い過ぎだと口を挟めば、今度は私が睨まれた。勘違いしないでほしい。別にシリウスの味方をしたいわけじゃないんだ。熱烈な視線から顔を逸らし、私は「さっき言いかけてたことなんですけど」とルーピン先生に向き直る。

「え? ああ、シリウス……ソフィアのことかな?」
「はい。ソフィアはベラトリックスの死の呪いに当たってなかったと思うんです」
「なに?」
「死の呪いが当たる前に、なにか背後から水色の呪文が──」
「──シリウス?」

 開きっぱなしになっていた戸口から、信じられないという声が響く。疲れきってボロボロのハリーが立ち竦んでいた。自分が──厳密にはソフィアだけど──死ぬ姿を見られていたとは知らないシリウスは、「やあ、ハリー」とぎこちなくだが微笑んで両手を広げる。
 ハリーはしばらく唖然としてその場に根を生やしたように立っていた。やがて見開かれた緑の目から涙が一粒ぽつりと溢れる。それが床へと落ちるより早く、ハリーは地面を蹴った。

「シリウス!」

 そんな彼に驚きつつも、名付け親は、この一年でかなり背が伸びた息子を少しよろけて受け止めた。


 親子の再会を暖かく見守るような、それでいてソフィアのことが気掛かりで諸手を挙げて喜ぶことはできないような、そんな微妙な空気の中。ふとポケットが重たいことに気付く。取り出してみると、長いチェーンのついた、二重の輪の中に小さな金の砂時計が埋め込まれたペンダントが入っていた。……これ、逆転時計? なんでこんなものが私のポッケに……ああ、ガラスの戸棚で攻撃されたときかもしれない。落ちてきたやつの一つが紛れ込んでいたのか。全然気付かなかっ……器物損壊の上に窃盗? うわ人生詰んだ。

「(52……?)」

 逆転時計に彫られた製造番号と思しき数字に眉をひそめる。このフォントにこの数字……なんか、どっかで見た気が──……。

「(……落ちてた)」

 そうだ。アーチの近く、杖のすぐ隣に。絶対私が気付けるような場所に、この数字のついた小さな欠片が落ちて──いや、“置かれて"いた。

 頭がぐるぐると回る。
 いるはずのない三匹の守護霊に、水色の呪文。そしてこの逆転時計。


 全ての意味が分かった瞬間、ぱちりとパズルのピースがはまった衝撃が走った。または点と点が綺麗に繋がれたような、あるいは絡まっていた紐が解けたような、そんな感覚。

 私は咄嗟に時計を握り締める。そしてまだ抱き合ってるシリウスとハリーの腕を掴んだ。

「え、なに、エレナ──」

 ここじゃだめだ。医務室は誰がいるか分からない。私はハリーとシリウスを引っ張っていく。背中から「さっきの話は?!」と慌てた声が追い掛けてきたが、それを無視して医務室をでた。少し走って、人通りが少なそうな廊下の隅っこで立ち止まる。

「おい、どうしたんだ──」
「シリウスの守護霊ってなに?」
「なんだ、いきなり……それより、水色の呪文とはいったい──」
「あとで教えるから、先に守護霊教えて」
「……大犬だ」

 大犬。動物もどきのやつと考えていいだろう。シリウスが変化したあの犬は、たしか“熊のように”大きかった。じゃあつまり、やっぱりそういうことだ。
 確信を得た私は、持っていた時計のチェーンを自分とハリーとシリウスの全員の首にまわしてかけた。

「どこでこんなものを──いや、それよりまさか──」
「エレナ、なにするつもりなの?」

 シリウスが息を詰め、ハリーが不安そうに尋ねてくる。なにをするかなんて、決まっている。

「ソフィアを助けに行くんだよ」

 未来の私たちがやった通りに。
 私は輪っかの側面についたネジをつまみ、砂時計を二回ひっくり返した。
 

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