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 魔法省をでる頃にはマントは全て砂と消え、跡形もなくなった。でも誰にも見られてないからセーフセーフ……といいたいところだが、また一つ新たな問題が浮上した。

「帰れない……」

 私たちはロンドンの汚い路上で立ち往生していた。一難去ってまた一難ぶっちゃけありえない。
 セストラルはもう森へ帰ってしまっている。対して過去の私たちは移動キー。逆転時計ってこれ絶対入れ違いにならなきゃいけないのかな。ここからホグワーツまで歩くとして──……誤差三時間くらいで戻ったらだめかな。絶対だめだろうな。

「『姿あらわし』すればいいだろ」
「知らないの? ホグワーツでは姿あらわしできないんだよ」

 平然と言ってのけるシリウスに、ハリーがドヤ顔をした。うんうん、ハーマイオニーに普段散々言われてるもんね。でもいまピンチなんだよ。「知っているとも」シリウスは目を細めて口元を吊り上げた。

「しかしそれは“魔法使いなら”の話だな」

 シリウスがパチンと指を鳴らした。パシッという鋭い音がすぐ背後から響く。

「お呼びでしょうか、ご主人様」




「さっきのなに? なんで指パッチンしたの?」
「シリウスが考えたの?」
「あの伊賀忍みたいな呼び出し方やめなよ」
「すごいスムーズだったけどもしかして練習してた?」
「もういいだろう、なんだって!」

 クリーチャーに玄関ホールまで送ってもらい、廊下を走る。廊下には誰もいない。みんな寮で打ち上げパーティでもしてるんだろう。私たちはなんの障害もなく病棟に続く廊下の端に辿り着いた。「エレナたち、どこへ行ったんだろう」中からセドリックの声が聞こえる。

「私が様子を見てくるよ──」
「ただいま!」

 近付いてくるルーピン先生の声に慌てて病室の扉を開けて姿を見せる。扉のすぐ前まで来ていた先生の疲れた顔がビクッと固まった。

「あ──おかえり、きみたちなにを──?」
「ちょっと一瞬廊下に立ちたくなって」
「ハリーとシリウスを連れて? 急に?」
「僕もちょうどそういう気分だったし」
「どういう気分?」

 ハリーと二人廊下大好きアピールをしたが、シリウスだけは何も言わない。彼は黙ったまま大股でソフィアのもとへ近付いた。ソフィアの寝顔をじっと覗き込むシリウスの姿に、部屋の空気が止まる。妙な緊張が流れる中、シリウスがゆっくりと枕元に片手をついた。

「シリウス?……シリウス?!」

 シリウスの上体がふっとなめらかにベッドへ沈み、ソフィアに覆い被さった。シリウスの正面のベッド横へ置いた小さな椅子に腰掛けていたジニーが動揺して立ち上がる。二度目の呼び声はひどくショックを受けていた。
 数秒、シリウスは自身の頭でソフィアの顔を隠す。やがてまた静かな衣擦れの音を立てながら体を起こし、彼女の上から離れた。

「いきなりなにをしているんだ、シリウス!」

 憤る親友の声にも、シリウスはやはりなにも反応しなかった。そんな彼に対し、セドリックは状況が分からずおろおろしていたし、レベッカは軽蔑したような視線を送っている。同じ初対面でもえらい違い。

 ジニーは困惑で瞳を揺らしながら、戻ってきてから未だ一言も喋らないシリウスを見つめていた。彼女は泣きそうに顔を歪めながら瞬きを数度重ね、再びソフィアへ視線を落として徐ろに瞠目する。目を見開き硬直したジニーの様子を不思議に思って、私たちもソフィアを見て、息を止めた。


 二時間前に見たソフィアは、瞼を閉ざし、人形のような無機質さを漂わせて深く眠り込んでいた。しかし今のソフィアは眉を僅かに寄せ、顔を顰めている。
 ジニーが「ソフィア!」と呼びかけた。それに応えるように、ソフィアの瞼は二,三度ぴくぴくと痙攣する。そして不意に顔全体から力が抜け、瞼がすうっと上に持ち上げられた。夢現としてぼんやり弛む瞳が覗く。

「わたし……ここは……?」
「ああ、ああ! ソフィア!」
「これは……これはいったい、なにをしたんだ、シリウス?」

 掠れ声に、ジニーはソフィアの首に縋り付く。ルーピン先生は「いい加減頭がパンクしそうなんだが」と呟いて近くのベッドにふらふらと寄りかかった。シリウスはそれに対し、「べつに」と肩を軽く竦めてソフィアから目線を外し、伸びた髪をかきあげる。

「ただの“愛の魔法”さ」

 スカしてカッコつけたことをいうブラック家の長男に、ウィーズリー家の長女がすっ飛んでいってラリアットをキメる。ジニーの細腕からとは思えないような勢いで、シリウスは後方にぶっ倒れた。
 医務室の床に大の字で寝転ぶシリウスは、やけにスッキリした顔をしていた。

「で、なんなの?」

 ジニーがシリウスを見下ろして冷たく聞いた。その声音の冷淡さに、シリウスがソフィアを突き放したのは彼女にとってはまだついさっきのことなんだと思い出す。

「いったいどんな心境の変化があれば、さっきの今でソフィアにぬけぬけとキスできるの?」
「ジニー、そんな言い方──」
「ハリーは黙ってて!」

 咎める口調のハリーをジニーは一蹴した。「この人の口から聞きたいのよ」とシリウスを鋭く睨んでいる。

「これまで散々ソフィアをないがしろにしていたのに、今更どうして──」
「古い魔法だよ。リリーが──ハリーの母さんが使った魔法と同じくらい古の」
「えっ……ハリーのお母さんって──それに、魔法──?」

 寝そべっていたシリウスが静かに身を起こした。内容の奇妙さにジニーの苛烈さも鳴りを潜める。

「この魔法を対象の心臓にかければ、対象者を何者からも守ることができる。その代わり、術者が解除しない限り、魔法をかけられた者は眠り続ける。そんな魔法さ」
「それ、どこかで──」

 なにそれこわ、聞いたこともない。なんだかある種の呪いのようだが、ルーピン先生は思い当たる節があるのか考え込んだ。「知ってるだろうさ」シリウスが懐かしそうに笑い。

「昔仲間うちでかけあいっこしようとしただろう?」
「──ああ! 七年のときだったか?」
「そうそう、イモリ試験がいやで眠ってしまいたいってな」

 なにやってるんだこの人たち。ほんとに古の魔法なの? 学生のサボタージュに使われてんじゃん。なんかたいしたことなさそう……と思った気持ちをセドリックが代弁した。

「つまりその魔法っていうのは、誰でも気軽に使うことができるものってことですか?」
「私たちも最初はそう思っていたよ。でも解除に条件があってね。ええと、たしか──……」
「ルーピン先生?」
「きみ……いいのか?」

 ルーピン先生が思い出に浸り、笑みを浮かべながら答えようとして声を途絶えさせる。目を少し開き、驚いた表情でシリウスを見つめた。シリウスは気まずげに首裏を掻き、ちょっとの間俯いてから、「ああ」と顔を上げる。ルーピン先生、ジニー。それからまだ半分微睡んでいるような顔のソフィアを順繰りに見遣った。

「条件は──対象者を愛していること」

 驚くと同時に、だから渋ってたのかと合点がいった。あんだけ邪険にしておいて本当は──なんてカッコつかないしバレたくなかったんだな。そんなこと言ってる場合じゃなかったけどね。
 思いもよらぬ回答に、ジニーは口をあんぐり開けた。セドリックが「わっ」とつぶやいて顔をかすかに赤らめて口元を覆う。レベッカは胡散臭そうに眼を眇め、ハリーはまじまじと名付け親を見ていた。ルーピン先生は驚いていた表情を崩し、「バカだな」と優しくつぶやいてくしゃりと微笑んだ。
 ソフィアは──ソフィアは目を見開いたまま、固まっている。シリウスは立ち上がり、ソフィアの頬に手を伸ばした。

「きみは賢い魔女だが、それと同時に手に負えないほど馬鹿だ」

 シリウスの背後でジニーがアップを始める。今度は私も参加しようと静かに拳を握った。

「私はきみに守られたくない」
「……どうして? 私が子どもだから?」
「愛しい女性だからさ」

 ソフィアがきょとんと瞬きをした。肩慣らしのために回っていたジニーの腕が止まる。

「きみを危険な目に合わせたくなかった。どこか遠い場所で幸せになっていてほしかった」
「え……え、シ、シリウス? どうしたの、突然──」
「突然じゃない、ずっと思っていたよ。だから騎士団をやめてほしかった」

 ソフィアは顔を赤らめながら「しらなかった」とこぼした。おあああ、やっぱりね……。ジニーを見ると、『それでいい』と言いたげに腕を組んで頷いている。棟梁の方ですか? 貫禄がすごい。

 シリウスはいっぱいいっぱいになっているソフィアの頭を引き寄せた。シリウスの首筋越しから見えるソフィアの顔がぷしゅっと真っ赤になる。目がぐるぐると回っていた。「いきなりなにを」とか「みんながいるから」とか、そんなことをたどたどしく言って必死に押し退けようとしているが、シリウスはびくともしない。やめて、ソフィアのライフはもうゼロよ! 限界に近い彼女の耳元で、シリウスが何かを囁いた。ソフィアは一切の動きを止める。ショートしてしまったようだ。あーあ、シリウスのせいです。

「……それにしても、解除の条件がキスだなんてロマンチックな魔法ですね」
「……いや、解除にそんな決まりはなかったはずだけど……」

 幸せそうな二人── 一人は呼吸もままならなそうだけど──を見ながら、なんとなく感想を呟くとルーピン先生が眉をひそめた。彼の言葉に、みんながシリウスを見る。彼は背中に刺さる視線に気付いていなかったが、ちょっと回復したソフィアに促されてこちらを振り返った。その顔はしれっとしている──というか、どことなくめんどくさそうだ。

「ああ、リーマスの言う通り、キスは関係ない」
「えっじゃあなんで」
「したかったから」

 ソフィアは気絶した。
 

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