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熟れた柘榴のように真っ赤になったソフィアの顔が首からがくんと後ろに倒れたのを皮切りに、ジニーが素早く動いた。シリウスへ突進してソフィアから引き剥がす。
「なにするんだジニー!」
「これ以上は過剰摂取よ。これまでの対応との差を考えたら毒だわ」
「差って、そんな別に──」
「ないとか言うつもりなら『コウモリ鼻糞の呪い』をかけるからね!」
「シリウス、あんまりそういうことをすると……ソフィアがかわいそうだ」
「リーマスまで……」
「……あ、私叔父さん探してくる。来てると思うし」
「うん、行ってらっしゃい──」
「ハリー、諸々の説明よろしくね」
「エッ?!」
一気ににぎやかになった医務室からでる。すぐに扉横から「エレナ」と声がかかった。なんだ、こんな近くにいたんだ。探しに行こうと思ってたのに。
「叔父さん、入らないの?」
「……少し歩こうか」
叔父さんはなぜか重々しくそう言って、壁から背中を離した。私は黙って進んでいく背中を追いかける。人気のない廊下を奇妙な沈黙が満たしていた。
暗い校庭を大回りで沿って歩き、やがて温室の前で足を止めた。叔父さんが擦りガラスの戸についた鍵穴に杖を向けると、かちゃっという音がする。私も中に入ると、叔父さんは扉を施錠し直し、今度はいつもの人避けをかけた。
透明な屋根から射し込む月光のみがこの温室の唯一の明かりだ。今日は不気味なほど静かな夜半で風音もなく、締りの悪い蛇口からポタ、ポタ、と間隔をあけて水滴が地面に落ちる音がするだけ。黄色いスモークブッシュが植えられたプランターの近くのテーブルに浅く腰掛けると、湿った土壌のにおいがした。
「お前、マント使わなかったな?」
「え、使っ──あ、うん、ごめん。最初は使わなかった。でも逆転時計で戻ったときに使ったよ。もうなくなっちゃったけど……」
「逆転時計だって?」
ぎょっと目を剥いた叔父さんに、経緯を、私たちがやって来たことを話す。最後まで聞き終わっても、叔父さんの顔はまだ険しかった。
「奇跡じゃないか」
「好きだね、それ」
いつかと同じことを言う叔父さんに、私もいつかと同じことを言って返した。奇跡じゃなくて必然だもーん。
「なにが『もん』だ、いい年して」
「まだ十五ですけど? だって逆転時計だしそんなん確定演出でしょ。星五を五枚抜きできる予感しかなかった」
「だからってお前、無茶をしすぎだろう。私の頼みをフルシカトじゃないか」
「シカトっていうか……今回のあれそれが無茶とは思わなかっただけだよ。前提認識の錯誤だね。次からは気を付ける」
「ああ言えばこう言う……」
事故みたいなもん。しゃーなし。そう笑ってみせると頭にチョップをいれられた。いたい。
「マントがなくなったってことはアバダ ケダブラ受けたんだろう。それでも無茶じゃないと言い張るのか?」
「……そういえばなんで消えちゃったの、ていうか許されざる呪文防げるってやばくない?」
「誤魔化しおってこいつめ……あれは私が闇祓いになってから使ってるマントなんだよ。三十年分の重ね掛けのおかげで相殺──まあギリ負けか──できたんだろう」
「三十……えっ三十? こ、壊しちゃったんだけど!」
一瞬で何の感慨もなく塵にしてしまったんですが。人が三十年こつこつやってきたものを。弁償、いや無理じゃん、さんじゅ、三十? 無理じゃん。蚊の鳴くような声での謝罪に、叔父さんは「それは気にしなくていいんだよ」と言って困ったように笑った。今日会ってから初めての笑顔だ。
「クリスマスプレゼントだって言ったろう? それに、私が持っていたってもうどうせ使わなかったろうしな」
「それってつまり……辞めちゃうってこと?」
「まあ貯金もあるしな、もう潮時だろう」
「は、反応に困る〜……」
「困る必要はない」
頓着しない物言いが私を気遣ってのものなのか、はたまた本心なのか判断つかない。
勝手に気まずくなったので視線を泳がせ、蛇口から零れて地面にできた水溜まりに映る半月を見つめる。
「……そういえばソフィアさ。なんか知ってたみたいなんだよね。シリウスが危険だってこと」
──『さようならエレナ。楽しかったよ』
彼女が直前に私へかけてきた言葉を思い出す。
あの、別れを覚悟しているような──自分が死ぬとわかっているような言葉。
「叔父さん、なにか知ってる?」
「──ああ」
また一つ水滴が落ち、水面が揺らいで月がぐらぐら歪んだ。月の震えが収まるのをぼんやり見届けて、ゆっくりと顔を上げる。
「私が教えたからな」
目の前にいる叔父さんは、顔に冷たい影を深く宿していた。
「……だと思った」
吐き捨てるようにそう呟くと、叔父さんは意外だとでも言いたげに目を細める。疑問符なんて飾りでしかないってはじめから気付いてたはずなのに、なにを今更白々しい。
ギュッと口内を噛み締める。ああ、腹が立つ。そんな些細な表情の変化さえ悪い方へと受け取ってしまう自分に。私ってやつはどうしていつも余裕がないんだろう。
「吹き込んだのは退院した日だよね。何を言ったの?」
「ずいぶんな言われようだな」
苦笑してみせる余裕を見せつけられ、眉根に皺が寄った。叔父さんが今何を考えているのかわからない。
「『シリウスが神秘部でベラトリックス・レストレンジに殺される夢を見た』」
「……それだけじゃないでしょ?」
「いいや、これだけさ」
困惑で瞬きが増える。こうして看破された以上叔父さんがシラを切る理由はない。つまり本当にこれだけなんだ。でもその情報だけでポリジュース薬だとか思い付くだろうか。
「ソフィアがどうしてポリジュース薬でシリウスに化けたか分かるか?」
分からないと素直に首を振る。シリウスの死を回避したいなら、ただ同行して阻止すればいいんじゃないだろうか。
「私が言ったのは『シリウスが死ぬ』ということだ。いいか、ピンポイントでシリウスが死ぬシーンということだ。その前後や過程までは伝えていない」
「それで?」
「だからソフィアは『シリウスの“姿”』が死ねばいいと思ったんだよ」
「……え? どうしてそうなるの?」
「自分がシリウスの姿となって死ぬことで未来は守られる。そうすれば、もうシリウスが今後死ぬことはないと考えたんだろう」
頭が追い付かない。鈍い私へ、叔父さんは幼い子供を見るような顔で微笑んだ。
「彼女は未来を変えることの危険性をよく理解していたのさ」
「……だから形だけでも変えないでおこうってこと?」
頷かれても、まだ納得がいっていなかった。それでもまだおかしなことはある。
「日付とかは? その夢の具体的な日付なんて教えていないんでしょう? 私も覚えてなかったし」
「ああ、当然私だって知らなかったさ。だから彼女は未来を知った日からずっとアンテナを張っていたんだろうな。『ハリーの声が厨房の暖炉からした。様子が変だったし、きっと今日だ』と……神秘部に行く直前に言われたよ」
それでシリウスを部屋に籠らせて自分はシリウスになって神秘部に向かったのか。……やっぱ頭いい人のすることってやばいな。いや違うか、ソフィアがやばいくらい強かなんだった。はあと深く息を吐く。
「とりあえず分かった。でもまだ聞きたいことはあるよ。どうしてソフィアを巻き込んだのかってことなんだけど」
「理由は単純さ、私が付いていけないからだ」
「それが巻き込むことと何の関係が──」
「何度でも言うが、私はお前と違ってみんなを救うつもりなどなかったんだ。私にとって家族の安否より大事なものはない」
普段なら怯んでしまうくらいの剣幕で睨み返される。言われている内容も平常であれば嬉しかっただろう。浮かれて有耶無耶にしてしまっていたかもしれない。でも今はだめだ。ちゃんと話さなきゃいけない。怖い顔の叔父さんを見て、直感的にそう感じた。この顔は単に怒っているだけではなくて、むしろ恐れているといったほうが正しい気がする。
「それも当然の考えだと思うよ。でもだからってソフィアを──無関係の人を巻き込んでいい理由にはならない」
「そうかもしれないな。だが私は自分の行動に世間的な──もっといえばお前の判断基準での──正当性は期待していない」
「開き直り?」
「ああ、そうだ──軽蔑したという顔だな」
自嘲気味に笑っているところ悪いけどまだしてない、被害妄想だ。そう思うということは彼自身が少しは悪いと感じている証拠だ。それに気付けるくらいには、私も冷静になってきていた。
気持ちが少しだけ落ち着いたので、先程の叔父さんの言葉を咀嚼しなおす。ソフィアを犠牲にしようとしてまで私を──家族を守りたかったのは彼の過去のトラウマによるものだろう。自分がいない間に両親を殺されてしまったという、あの事件。それを考えると半ば強行的な手段に出てしまう気持ちは正直分からなくはない──が、だがしかしだよ。やっぱりだめだ、こんなやり方は。
「大事と思ってくれてるのは嬉しい。でもだからってこんなのはだめでしょう……ソフィアを利用するなんて、そんなこと叔父さんにしてほしくなかったよ」
「……そうだな」
落ち込んだ色を含む肯定に安堵するのも束の間、「しかしお前は分かってない」と厳しく続けられる。
「分かっていたら、私との約束をもっと真剣に守ろうとしたはずだ」
「え……」
「今回の件は、私の臆病さからの暴走が主ではあるが、そこにはお前が私との約束を反故にしていいものだと軽視したことだって要因の一つだ」
息が止まり、自分の心臓の音が大きくなっているのが聞こえる。叔父さんの後悔しているような、傷付いているような哀しげな顔から眼が離せなかった。
叔父さんが私を大事に思ってくれていることはクリスマスのときに理解していた。たしかに嬉しかったはずだけれど、私の思考はそこで止まっていた。どうしてそう思っているのかなんて、深く考えようとはしなかった。もしもっと叔父さんの気持ちを理解できていたなら、透明マントを常に持ち歩くくらいしていたはずだ。私は自分のことしか──『シリウスを助けなきゃ』ということしか優先していなかった。
ようするに、今回の件は全部私の傲慢さが招いた結果だった。私がもっとみんなを心の底から大事にできていれば、こんなことは起こらなかったかもしれない。
私が叔父さんの気持ちを軽んじていたから叔父さんはこんなことをしてしまった。自分は約束を当然のように無視するくせに、どうして私は叔父さんのことを責めれたんだろう。
「私はもう家族を失いたくないんだ」
私がもっとしっかりしていれば、こんなに苦しい言葉を吐かせることはなかったのに。
色んな人を傷つけてばかりだ、私って。
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